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外国名を呼ぶ時フランス、イタリア、スイス、アメリカ等はその国の正式名と
一致しますが、イギリスだけはどう見ても正式名と程遠い呼び方をしてますよね。
イギリスと言う呼び名はどんなきっかけで呼ぶようになったのでしょうか?

A 回答 (7件)

アメリカをメリケンといっていたのはアメリカンがなまったものですが、イギリスはイングリッシュがなまったものです。

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この回答へのお礼

そうなんですか。さっそく教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2001/11/07 06:51

 おせっかいを。


 オランダはKingdom of the Netherlands.で、カタカナに表せばネーデルランドとかネーザーランド。
 ドイツはrepublic of Germanyでジャーマニー。
 ギリシアもHellenie Republie。
 ヨーロッパの国名だけでも正式名称と違う日本語表記の国はありますねー。

 ちなみにオランダは北部ホーランド(Holandでポルトガル語を経るとHが抜けてオランダ)州、南部ネーデルランド州が合併した時に南部の呼び方がそのまま国名になりました。が、日本は確か北部と親しかったために「オランダ」になったんじゃありませんでしたっけ。
 ドイツは、自国民のことを(ムリにカタカナ表記すれば)ドイチュ、とかドイチェという発音になります。ここから。
 ギリシャはラテン語、ギリシャ語が訛ったものだそうです。
 
 でも、他の国でもそれぞれ勝手な名前で他国を呼んでいますよね。日本だって「Japan」とか。
 ちなみにナンの作り方ですが、地域によって微妙な差があるとは思いますがあんまり大きく違うものでもないみたいです。
 いずれにしても、国名の由来など高校に入れば授業中に出てきます。勉強がんばってください。
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この回答へのお礼

なるほどそう言われるとイギリス以外にもいっぱいあるんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/07 09:26

アルファベットを基準とする語では、eを通常エーと発音することが多いのです。


イングリッシュ エンゲレッシュ エゲレス イギリス と変わったようです。
明治や江戸末期ではよく「エゲレス人」という表現をしていたようです。
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この回答へのお礼

なるほどそうですか。ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/07 15:59

 


  どうも No.1 の方の言っていることはおかしいので、辞書と検索で調べてみますと、イギリスの語源は、辞書では、ポルトガル語で、Inglez(発音はイングレスでしょう)だと出ています。検索で調べると、ポルトガル語という説と、オランダ語だという説があります。漢字表記で、「英吉利」で、これは、「エイキツリ」に見え、徳川家康自身か、その頃の人々かが、「エゲリス」と呼んでいたという説があるようです。他方、オランダ語の「エゲレス」だという説もあるようです。
 
  ポルトガル語の辞書は持っておらず、オランダ語の辞書はありますが、いま取り出すのに手間のかかる処に仕舞っているので確認できないですが、西欧の国々の名前や所在は、織田信長が地球儀を眺めながら、日本は小さい国だなどと考えていたのですし、ポルトガル人宣教師が色々と知識を伝えました。また、最初はキリシタンに寛容だった豊臣秀吉が、突如方針を変え、キリシタン弾圧・バテレン禁止の命令を出して、イエズス会の本国報告で、日本は西欧を除いて最高の国で、大いに伝道の成果が上がっている素晴らしい国と国民だと送って寄越した丁度その直後、禁令が出され、日本のイエズス会支部は驚愕するのですが、この理由は、秀吉が、キリスト教の教義を知り、領主よりも、ローマ教皇の命令にキリスト教徒は従うということを知って、弾圧を決意したというのですから、戦国末期には、西欧の国々の名や事情は、相当詳しく、日本に知られていたということでしょう。
 
  徳川家康は、イギリス人船長ウィリアム・アダムス(三浦按針)を重用し、側近に置いて、色々と相談したり、西欧事情を聞いていたと言いますから、何か、アダムスが、English だと教えた可能性もあるかも知れませんが、しかしそれなら、England と教えるはずで、イングランドは、エゲリスには、なりにくいでしょう。
 
  想定するに、ポルトガル人が、イングレス(イギリス人)という呼び名を教え(イギリスが日本にやって来たのは、ポルトガルよりも遅れていました)、そこで、「エゲリス」という名で日本語になり、「英吉利」という漢字を当てて、江戸時代を通じて、オランダ人が(どういう言葉で、イギリスを呼んでいたのか、いま分からないのですが)、エゲレスと聞こえる発音を伝え、そのまま明治時代にまで続き、「イギリス」に代わったのではないかと思えます。「エゲレス」ではない、「イングリッシュ」だと、イギリス人やアメリカ人は言っていたのかも知れませんが、そこで、エゲレスがイギリスに代わったのでしょうか。
 
  ポルトガル人の伝えた言葉は、江戸時代を通じて、日本に残っていましたし、オランダ人が、それを支えていたので、明治時代にまで、エゲレスが残り、それからイギリスとなったのでしょう。
  だとすれば、語源は、ポルトガル語でしょう。一旦、日本に入って来ても、使用が途絶え、何世紀も経て、別の経路で、同じ言葉が、別の言語で入って来て、それが定着したと思える場合は、語源は、この新しい方ですが、ポルトガル語の呼び方の日本訛りは、ずっと継続していたと考えられますから、ポルトガル語が一次的な語源で、オランダ語で微修正され、明治時代、英語で更に微修正されたということでしょう。
 
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この回答へのお礼

starfloraさん、御丁寧に説明していただきましてありがとうございます。
歴史も含めてよくわかりました。元をたどるって楽しいですね、いやー参考に
なりました。

お礼日時:2001/11/07 16:02

イギリスという幕末からの呼び名(幕末にはオランダ語式?にエゲレスと呼んでいた〕が英国の実態を表さないにも関わらず使用されているのは、中国をシナ、韓国を朝鮮と呼ぶようなものですが、英国紳士はあまり気にしないようですね。



今日のイギリスはウエールズ(1536年)スコットランド(1707年)アイルランド(1801年)を征服(併合)して成立しました。アイルランドは後に分離して北アイルランドが再び英国に併合されて今日まで宗教戦争が続いています。

イギリスはイングランドを指し英国全体を指す言葉ではありません。イングランドとはゲルマンの一支族であるアングル人が4世紀頃大陸から侵入して定着しアングル人の土地(国)イングランドと呼ばれるようになりました。アングル人はスペイン語やポルトガル語でイングレスと呼ばれ、たぶんオランダ語でもこれに近い(エゲレス?)呼び名だったようで、幕末にはエゲレスとは英国のことを指しています。
ラテン・アメリカ(中南米)に対してアングロ・アメリカ(北米を指す)という呼び方がありますが、アングロとはアングル人のこと、即ち英国人または英国系を表します。
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この回答へのお礼

アングル人の土地(国)イングランドですか。。。なるほどそうだったのですか。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/07 16:07

>ドイツはrepublic of Germanyでジャーマニー



それは英語だからです。
ドイツ語ではDeutschと書いてドイツと読みます。

基本的にはその国の言語の言い方にされていますよ。

「オランダ」は州の名前だそうです。
それがいつしか、
日本では国全体をさす事になってしまったそうです。
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この回答へのお礼

ドイツ語ではDeutsch。。。そうですよね。ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/07 16:09

 


  英国とは、イングランドのことであり、日本人が「イギリス」と現代呼ぶ、イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドから成る国家は、「連合王国」というのが、正式な呼び方です。これを略して、通俗的にはイングランドとも呼びます。英はイギリスの英で、国はランドであれば、英国とは、イングランドの訳語でしょう。また、連合王国の通称でしょう。従って、連合王国をイギリスと呼ぶのは、英国人自身がそう俗称で呼んでいるのであり、何も不自然なことはないと言うべきです。(アメリカ合衆国を、アメリカ人自身が、合衆国とも呼べば、アメリカとも呼んでいるのですから、連合王国をイギリスと呼ぶのは何も不自然なことではないはずです。スコットランド人やウェールス人は違うと言うかも知れませんが、イギリスを出れば、彼等も自分たちは、Englishman だと言うでしょう。スコットランド系等を付けるかもしれませんが)。
 
  イングランドの意味は、初期の頃(6世紀頃)は、確かに、アングル人の土地・国が原義であったでしょうが、大ブリテン島に大陸より侵入したゲルマン族の総称としてのアングロ・サクソンと、9世紀10世紀には、同義となっており、アングロ・サクソン人の王国群であったヘプターキーが、アングロサクソンとも、サクソンとも、イングランドとも呼ばれたのであり、サクソン人の王国であるウェセックスがヘプターキーを統一して、統一アングロサクソン王国=ウェセックス朝を建設し、これが、ノルマン・コンクエストによって征服された「英国」で、この場合の英国は、イングランドつまり、アングロサクソン王国なのです(正確には、デーン王朝があいだに入っています)。ノルマン・コンクエストは、イングランドを征服したのであって、ウェールズやスコットランドは独立国家として存在していたと言えるでしょう。
 
 17世紀初め、スコットランド王ジェイムズがイングランド王位につき、ジェイムズ1世となって、イングランドとスコットランドは、共通の王を戴く二重王国になったのです。このイングランド・スコットランド二重王国が、/ウェールズ・/アイルランドを征服し、二重王国が合併してできたのが、「大ブリテン及びアイルランド連合王国」で、1937年、北部を除くアイルランドが独立して、連合王国は、「大ブリテン及び北アイルランド連合王国」となり、これが現在の連合王国、つまり俗称イングランド、イギリス、日本名、英国です。
 
  日本の戦国末期には、イギリスとは、狭義のイングランド(大ブリテンではなく)のことで、スペインの無敵艦隊を打破したのも、狭義のイングランド王国です。そして、これを通常「英国」と呼ぶのです。英国=イングランドの実体が、時代ごとで変わって行ったのであり、戦国末期、オランダなどと共に、遅れて日本にやって来たイギリスは、イングランド王国だったのです。この時のイングランドは、名前の原義は確かに、「アングル人の国」でしょうが、実体は、またその名で意味していたのは、アングロ・サクソン・ノルマンの王国だったのです。
 
  ポルトガル語で、当時イングレスと呼んだのは、この狭義のイングランド人のことです。その後、イングランドは、連合王国への道を進み、日本の幕末には、太陽がその領土を常に照らしている、世界国家「大英帝国 British Empire」であったのですが、このインド皇帝を、イングランド王=連合王国王が兼ねている帝国の中核は「連合王国」であり、俗称イングランドと呼び、この連合王国は、大英帝国と自己を同一視していたのです。幕末から明治にかけて日本に訪れたイギリス人外交官、商人・技術者・学者などは、自分たちは、Englishmanであると言ったのであり、なかには、それに加えて、スコットランド人である、アイルランド人であるという人もいたでしょうが、ブリティッシュ人であるというような人はいなかったはずです。
 
  イギリス人という国民の名称を、国名と取り違えているということはあるかも知れませんが、イギリス=イングランドは、連合王国の俗称として現在も有意味で、イングランド=イギリスが、8世紀頃に成立してより後、国の領域は拡大し、征服も受けましたが、ずっと、この国はイングランドであったのです。(ノルマンが征服した時も、ノルマン王国に名前が変わった訳ではありません。ウィリアムは、イングランド王になったのです)。
 
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この回答へのお礼

Great Britain (The United Kingdom)ですね・・・
Starfloraさん再度説明していただきありがとうございました。
”イギリスの呼び名はどこから来たのか?”と言う単純な質問が
こんなに話題が広がり恐縮しています。いろいろ背景を知る事は
楽しいですね。いやー改めてありがとうございました。

お礼日時:2001/11/07 16:16

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