私は今、学校で杜甫の「秋興八首」について学んでいるのですが、その中で「昆明池」について調べる担当になりました。そこで調べたところ、漢の武帝がつくった「昆明池」のもととなったと考えられる昆明地方の池には「テン池」と「ジ海」の二つの説があるとということがわかりました。しかし、どうしてこの2つの説が生じたのか色々な文献にあたって調べてみたのですが、わからなくて困っています。
どなたか知っている方がいらっしゃったら、教えていただけないでしょうか?
ちなみに『通典』という書物によると、「ジ海」という説は誤りとなるみたいなのですが・・・。学校の図書館で『通典』を見ようとしたら、『通典』が見当たりませんでした。『通典』の中で昆明池と関係する内容について知っている方がいらっしゃったら、そちらの方も教えていただけたら嬉しいです。
どうぞ、宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

下の地図はずれてしまったので気にしないでください。

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まあ、高校の図書館でしたら普通は『通典』なんて置いてないでしょう。


インターネットで中国語(big5)が読める環境でしたら、『通典』は読めます。参考URLの「杜佑通典」です。
しかし、全文検索してみても該当個所は見当たりません。念のため、書物として出版されている『通典』も捲ってみましたが不明です。

rio-chiさんが参照されただろう「昆明の謎」のページでは、「中国歴史地名大辞典」からの孫引きとなっています。
「中国歴史地名大辞典」自体には、この記述はあって、「西ジ河一名昆弥川、漢武象其形、鑿昆明池以習水戦、非テン池也、古有昆弥国、亦以此名」となっています。
推測ですが、「中国歴史地名大辞典」が出典を間違えたのではないでしょうか。引用文の文体が『通典』らしからぬ文体ですから。

「中国歴史地名大辞典」等を参照するに、昆明の「テン池」も大理の「ジ海」も別名として「昆明池」とも呼ぶことは確かなようです。問題は、武帝が模した「昆明池」はどちらの「昆明池」だったかということです。
これも推測ですが、大理の「ジ海」でないかと思います。というのも、「漢書」の注からすると「昆明池」は「インドに行く途中」にある池のようです。そして、宋以前、長安からインドに行くには、今の成都・西昌から大理を経てビルマに抜けるのが一般だったからです。

(こんなイメージ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・長安…………………………・・・・
・・|・・・・・・・・・・・:・・・
・・|・・・・・・・・・――昆明―(マレー方面)
・・|・・・・・・・・/・・:・・・
・・|・・・・・・・/・・・:・・・
・・成都――――西昌――――┐・・・
・・・・・・・・・・・・・・|・・・
・・・・・・・・・・・・・・大理・・
・・・・・・・・・・・・・・|・・・
・・・・・・・・・・・(ビルマ方面)

参考URL:http://www.chinapage.com/big5/02.html
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございました!早速、教えていただいたURLを参考にさせていただきました。やはり、「中国歴史地名大辞典」にある「西ジ河一名昆弥川、漢武象其形、鑿昆明池以習水戦、非テン池也、古有昆弥国、亦以此名」という記述が「通典」では見当たりませんでした。「中国歴史地名大辞典」がその記述を一体どこからとってきたのか不思議ですが・・・。しかし、宋以前、長安からインドに行くには今の成都・西昌から大理を経てビルマに抜けるのが一般だったんですね!「ジ海」説 の疑問が解けました。わざわざ、出版されている『通典』まで調べていただき、申し訳ありませんでした。お陰で、本当に助かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/11 23:41

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