東京都または近県で音楽の演奏の充実している教会を教えてください。

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A 回答 (3件)

東京都または近県で音楽の演奏の充実している教会を紹介します。



東京都江東区大島にある教会です。

http://www.kyoukai.org

賛美で心が熱く(!)なります。

賛美の写真も載せてあります。
ご参考して下さい。

http://kyoukai.org/modules/myalbum/

;)

参考URL:http://www.kyoukai.org
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東京カテドラル聖マリア大聖堂のオルガンの響きは今でも記憶に残っています。


20年以上前のことなのですが。

参考URL:http://home9.highway.ne.jp/voce/Kyoutuu/Cathedra …
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やはり回答がまだ出ていませんでしたか。



教会というところは、音楽を演奏するのがメインではないですからね。
多分それはおわかりのことと思います。

ミサの音楽のことを言うのであれば、どこも似たりよったりだと思います。
音楽の素人でも、信者になることはできますし、信者でなくともミサに参加することはできますから。

そもそも、教会の音楽というのは、信心があればどんなに下手でもよし、というのがあって、なかなか「充実」ということは言いにくいんですよ。それに、どの教会が最も信心深いですか?、という質問にも多分答えるわけにはいかないんじゃないかな、と思うので。
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Q東京、埼玉の東方正教会系教会をお教えください。

特に京浜東北の品川~大宮間の駅からいける範囲にある、東方正教会・ロシア正教会などご存知でしたらお教えください。
(近辺の駅ならこの範囲外でも大丈夫です)
また、この宗派は信者以外の人間向けの講座などはあるのでしょうか?
詳しい方、お教えいただけますと幸いです。

Aベストアンサー

こちらの公式サイトで情報が得られるのではないでしょうか。
http://www.orthodoxjapan.jp/
東京近辺はこちらのようですが。
http://www.orthodoxjapan.jp/area-tokyo.html

Q《教会》は 心の内なる教会として捉えるのがよい。建物と集まりとしての教会は要らない。

1. 《主の家(キュリアコン > キルへ;チャーチ)》は 言わば――《主》が普遍神
であるなら――全世界を言っている。そしてことさらそう言う(唱える)こともない。

2. なぜなら 主なる神を――自由に自然に人間的に――こばむ人たちもいるのだから。

3. 言わば《無い神》をいだき この経験世界については 神という言葉をとおして認識
したくないと言う。これを認めずばなるまいゆえ。

4. 《民会(エクレシア > エグリーズ;イグレシア;キエーザ)》は そのまま《世
界たるチャーチ(または 〈無いチャーチ〉)》の支所である。一般に自治体のことである。
そのまた分室である。

5. 《教会》は 要らない。――表現の自由また結社の自由のもとに存続したとしても。

6. 《教会》とは おのおのわが心の深くそなわった庭である。それをとおして互いに通
い合うのでなければ おかしい。(普遍神をいだくことにはならない)。

7. 教会は要らない。一般のコミュニティーセンターだけでよい。(図書館・文化センタ
ーをもつけて)。

どんなもんでしょう?

1. 《主の家(キュリアコン > キルへ;チャーチ)》は 言わば――《主》が普遍神
であるなら――全世界を言っている。そしてことさらそう言う(唱える)こともない。

2. なぜなら 主なる神を――自由に自然に人間的に――こばむ人たちもいるのだから。

3. 言わば《無い神》をいだき この経験世界については 神という言葉をとおして認識
したくないと言う。これを認めずばなるまいゆえ。

4. 《民会(エクレシア > エグリーズ;イグレシア;キエーザ)》は そのまま《世
界たるチャーチ...続きを読む

Aベストアンサー

「心の内なる教会として捉えるのがよい。建物と集まりとしての教会は要らない」
→もちろん、その通りです。
でも、心を通わせる場所として、雨風をしのぐ建物が必要です。

Q戦国期の教会史、またはカトリック神学に詳しい方、教えて下さい

フランシスコ・ザビエルが日本で布教中、日本人信徒との間に次のようなやりとりがあったと聞いています。

日本人信徒が『キリスト教の存在さえ知らず、従って洗礼も受けずに死んだ親や先祖の魂は救われないのか』との質問をし、これに対しザビエルは残念だが救われない、と答えた。先祖を敬う日本人信徒は嘆き悲しみ更に問うた。『神が全能の御方であるなら、なぜ私たちが(キリスト教国に)発見されるのがこれほど遅れたのか?』

ザビエルは二つ目の本質的問いをした日本人に驚き、ローマへの報告書に「自分はパリで哲学を学んでいたのでかろうじて答えることができたが、このように日本人の知的レベルは非常に高いので、よほど優秀な人材でなければ日本での宣教師は務まらない」という内容の報告をした…

で、上記のことに関していくつか知りたいことがあります。

(1)ザビエルはこの問いに何と答えたのか?

(2)その答えで当時の日本人信徒たちは納得したのか?

(3)この問いは、異教徒の観点に立てば子どもでさえ自然に沸き起こる素朴な問いではないだろうか。この程度の問いに高度な知的レベルを感じた上に、わざわざ哲学の助けを借りねばならなかったというのは、ザビエル個人の神学知識の欠如によるものなのか?あるいはそもそもローマ神学自体にこの問いへの明確な解答がなかったということか?

(4)この問いの本質は、キリスト教と無縁の時代・地域に生涯を終えたという当人の責任範囲外のことで、神の救済から除外されるのはなぜかということだと思いますが、現代のカトリック神学ならこの問いに対してどう答えるか(16世紀と現代の神学に変遷があったか)?

以上、できれば(1)の答えを特に知りたいのですが、当時のことは知らないが現代ならこう答える、というお答えでも参考になります。
ちなみに私はクリスチャンではないので神学については概要しか知りません。あまりディープな専門用語は理解できませんので…

念のため補足しますと、カトリック神学が真理か否かや、霊魂の有無を問うているわけではありません。知りたいのはあくまで「カトリシズムの思想」ですので、その点よろしくお願いします。また上記ザビエル・信徒間の質疑はある本で得た知識ですが、これ自体史実と違うという点があればご指摘下さい。長文失礼しましたが、詳しい方おられましたらご教授いただければ幸いです。

フランシスコ・ザビエルが日本で布教中、日本人信徒との間に次のようなやりとりがあったと聞いています。

日本人信徒が『キリスト教の存在さえ知らず、従って洗礼も受けずに死んだ親や先祖の魂は救われないのか』との質問をし、これに対しザビエルは残念だが救われない、と答えた。先祖を敬う日本人信徒は嘆き悲しみ更に問うた。『神が全能の御方であるなら、なぜ私たちが(キリスト教国に)発見されるのがこれほど遅れたのか?』

ザビエルは二つ目の本質的問いをした日本人に驚き、ローマへの報告書に「自分...続きを読む

Aベストアンサー

とりあえず#2のかたの挙げた「日本の~」は日本有数のマイナー右翼カルト集団のキリスト公会のものです。当然の事ながら、まるきりトンデモです。


質問の答えということですが、元ネタ発見。

↓にあるように、元は親孝行ゲルマン人の話であり聖グレゴリウスの煉獄の発明物語であったようです。したがって、ザビエルは当然の事ながら困ることも地獄へ落ちると言うこともありませんでした。

同様の話が、土居健郎『聖書と「甘え」』にもあるそうです。

参考URL:http://blog.livedoor.jp/komesho/archives/50601082.html

Q西方教会と東方教会の違い

復活祭について調べているのですが、その中で西方教会と東方教会という項目が出てきました。

西方教会と東方教会の違いって何でしょう。

Aベストアンサー

西方はカトリックとプロテスタントの地域。東方はギリシャ、ロシア、グルジアなどの東方正教会を意味することが多いが、異端とされる単性論のアルメニア教会などを含めることもある。

西方はローマ帝国の東西分裂後、早い段階で国が滅びてしまい、宗教だけが残った。後に、ドイツ諸侯の緩やかな連合を作り、交互に皇帝の座を持ち回りするという「神聖ローマ帝国」を作り、名目上だけは、教会と国家の統一を復活させた。他方、東方ではコンスタンチノープル(現トルコ領イスタンブール)を首都とし、政治と宗教が密接な関係を持つ体制をとり、長期にわたって存続を続けた。

西方ではローマの言葉であるラテン語を使う。他方、東ローマ帝国は、巨大国家ローマのスタート地点であるイタリアの小都市ローマの領域外であり、ギリシャ語に公用語がきり変わるなど、ギリシャ化が進む。

西方ではクリスマスを本来の1月から12月にうつし、土着的な太陽神信仰に歩み寄る形でも勢力拡大を目指した。東方では今でも、クリスマスは1月。

西方では昔から使われてきたユリウス暦の欠点を修正したグレゴリオス暦が採用された。東方国家も現在ではほとんどグレゴリオス暦を受容しているが、歴史的誇りの強いギリシャ人だけは、独自にギリシャ暦を作っている。

西方ではギリシャ時代をはじめとする古代の高度な文明を忘れてしまい、後になってルネサンスで古代文明を再発見する。その結果、理想の美と、身体の解剖学的正確性に基づく絵画が発達する。他方、東方では、昔ながらの文明が生き続け、様式化の傾向が強いイコン(宗教絵画)や、作成に手間のかかるモザイク画などが発達する。

教会の建築様式が全く違う。西方では、ゴシックと呼ばれる、上へと伸びていく形の教会が多い。東方では、典型的には丸屋根のドームがついているが、グルジア、アルメニアなどでは円錐状のとがったドームであり、ロシアでは、いわゆるタマネギ頭のドームを発達させる。

西方はカトリックとプロテスタントの地域。東方はギリシャ、ロシア、グルジアなどの東方正教会を意味することが多いが、異端とされる単性論のアルメニア教会などを含めることもある。

西方はローマ帝国の東西分裂後、早い段階で国が滅びてしまい、宗教だけが残った。後に、ドイツ諸侯の緩やかな連合を作り、交互に皇帝の座を持ち回りするという「神聖ローマ帝国」を作り、名目上だけは、教会と国家の統一を復活させた。他方、東方ではコンスタンチノープル(現トルコ領イスタンブール)を首都とし、政治と宗教...続きを読む

Q教会は 見えざる教会にすればよいではないか

 教会は 目に見えない教会というかたちを採ればよいのではないか。

 これを問います。

Aベストアンサー

>少々反論するなら
>目に見えるかたちのある教会はすべて変えるという方向です。

さあ、どうでしょう、「すべて変える」というのは、やはり非寛容で非現実的な気がします。
(ここで理想論を語るだけに留めるというのであれば話は別ですが)
キリスト教の布教を受けて建てられたという点ではヨーロッパも日本も変わりありません。
ただ、ヨーロッパの教会の歴史的な重みは、数世紀前まで主だって果たしてきた救貧という点においても、日本のそれとはとても同次元では語れないと思っているまでです。

先のサイトの5の「教会と信仰生活」にて内村鑑三に触れてありましたね。
内村鑑三の思想もbragelonneさんのご主張のいずれも、共に何らかの事情によって今ある既存の教会の扉の外にいる人々に向けたまなざしのようにも映り、、ああでも、ちょっと違うような気もしなくもないです。

>☆ なお楯突きますが 冠婚葬祭を 教会ないし宗教がおこなわなければならない謂われは いっさいない。こう考えます。

そうかもしれません。 でもどうやら楯突く相手を勘違いなさっているようです。
地元の教会で挙式の折、クリスチャンの花嫁花婿をはじめ親戚の方々にそのように諭してさしあげるべきでしょう。

>少々反論するなら
>目に見えるかたちのある教会はすべて変えるという方向です。

さあ、どうでしょう、「すべて変える」というのは、やはり非寛容で非現実的な気がします。
(ここで理想論を語るだけに留めるというのであれば話は別ですが)
キリスト教の布教を受けて建てられたという点ではヨーロッパも日本も変わりありません。
ただ、ヨーロッパの教会の歴史的な重みは、数世紀前まで主だって果たしてきた救貧という点においても、日本のそれとはとても同次元では語れないと思っているまでです。

先のサイ...続きを読む


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