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説教が分かりません。

旧約聖書のイスラエル(ヤコブ)の子ヨセフの夢解きは、
今日(こんにち)の夢判断や夢占いではないのですか?

新約聖書の東方の三博士が星を頼りにキリスト誕生を予知したのは、
今日(こんにち)の占星術や星占いではないのですか?

A 回答 (8件)

> キリスト教が占いを忌むのは何故ですか?



聖書には、神様は自分以外のものを拝んではいけないと言ったと書いてあるので
(出エジプト記20)、神様を信じていると口にしながら何か他のものに
依り頼もうとすることを神様は喜ばないということだと私は考えます。

また、私はカトリックではないのですが、カトリックのカテキズムには
カトリック教会の星占い他に対する態度が明示されているように私には見えます。
さらに、キリスト教が広まるにつれて占いに対する考えが現れたという
指摘があるのですが、以上に書いたように、占いに関する記述は旧約聖書に
すでに書いてあります。

> 今日(こんにち)の夢判断や夢占いではないのですか?

「今日の夢判断や夢占い」というのは、例えば、何々の夢を見るのは
あなたの抑圧された心理が...
というもののことを指しておられるのであれば、
ヨセフが神様を通して未来の出来事を予見したような夢解きとは
ずいぶん違う種類のものであるように私にはみえます。

> 今日(こんにち)の占星術や星占いではないのですか?

「今日の占星術や星占い」について私は詳しく知らないのですが、
マタイによる福音書2:2-9には、博士が見た星というのは博士を先導してすすみ、
生まれたイエスの上に止まったとあるので、これはいわゆる星占いの範疇を
超えているように私にはみえます。

とはいうものの、実は私も同じ疑問をもっていたのですが、
実際に聖書を読むと、以上の2つの例と、例えば、出エジプト記7:8-13や
サムエル記上28などの例は、質的にも意味的にもとても異なることを感じます。

ところで「説教が分かりません」と書かれておられるので、
この質問は神父なり牧師なりの説教に対するものかと思うのですが、
ここはやはり、説教をした当人に聞いてみるのがなによりもよいのでは
ないでしょうか。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3% …

キリスト教会は神が魔女によって呪われてしまうのではないかという強迫観念があったようです。
考えてみれば神が全知全能であれば魔女に呪われるなんてありえない。
ところが呪われてしまっては・・・と思ったということは、神は全知全能ではないと実際は信じていたってことです。

キリスト教によって女性達は社会の根底にあえがるを得なかったようです。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM …
時には女性は人間としてすら認められず、夫の暴力に対して口答えができなかった。
彼女らは悪魔のような夫を呪い殺したなるまで追い詰められていたのでしょう。
それで、占い師の者に駆け込んだりもしたようです。


ヤコブのあれはカバラでいうと、生命の樹の概念らしいです。
ジェーコブスラダー。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD% …
後にタロットカードにその概念が表現されたようです。

>東方の三博士

あれは実際は現実的なものではなく、イエスを偉大な人だとするために 後に加筆されたものなんだそうです。
イエスの誕生日は12月25日だとなったように。
聖書を見ると背景は冬じゃないのに、夜明けの明星 つまり 闇の時代に現れた希望の星とするため 冬至であった12月25日に後の人がしたんだそうです。

この回答への補足

私の勝手な思い込みから、
「マタイの福音書にある三博士の礼拝の記事」と書いてしまいましたが、
博士が三人かどうかはマタイの福音書からはわかりませんでした。
すみません。

補足日時:2005/11/13 15:02
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>キリスト教会は神が魔女によって
呪われてしまうのではないかという
強迫観念があったようです。

魔女狩りの史実は知っています。
そうすると現代でもそうした蛮行の影響が、
キリスト教会に影を落としているのでしょうか。

>彼女らは(中略)占い師の者に駆け込んだりもしたようです。

キリスト教の父権的性格は知っていましたが、
占い師のもとに駆け込んだ女性は知りませんでした。
#1の方の回答のように、キリスト教にとって、
占い師というのは目障りな存在なのかもしれませんね。

>ヤコブのあれはカバラでいうと、生命の樹の概念らしいです。

確かにキリスト教には、カバラという密儀(?)があるようですね。
紹介してくださった生命の樹の仕組みを見るにつけ、
自然の鉱物や惑星を象徴性に置き換えて分類するなど、
やはり立派な占術にも見えるのです。

>あれは実際は現実的なものではなく、
イエスを偉大な人だとするために 後に加筆されたものなんだそうです。

確かに、マタイの福音書にある三博士の礼拝の記事は、
同じキリスト誕生を記したルカの福音書には見られませんね。
今さら聖書を、ここにはこれがあるのにここにはそれが無いなどと
一つ一つあげつらうわけではありませんが、
三博士の記事が史実であったにせよ無かったにせよ、
聖書でもキリスト発見の立派な手段として
占いが記されているように思います。

お礼日時:2005/11/13 15:01

「うらない」という言葉に惑わされていると思います。

つまり今日的な意味・通俗的な意味での「うらない」、つまり“安易な未来予測”“根拠不明な未来世予知”の意味で、当時の価値観や行為を判断するから混乱するのではないでしょうか。また翻訳語というのは“互いの言葉に共通項がある”というだけで同一の意味ではありません。ですから日本語で「うらない」「卜占」「巫呪売卜」にしても、日本語・東洋的価値観に基づいた意味とヘブライ語・ユダヤ的価値観に基づいた意味では隔たりがあると思います。

<仏教経典でもいえることです。例えば「蓮華」と漢訳される言葉はインドではパドマ・クムダ・ソケンジキャ・フンダリキャなどと詳細に分類されているのにもかかわらず、支那にそれだけ花の種類がないため一律に「蓮華」と訳され、日本では蓮華をハスと認識しています。でも植物学的にはパドマはスイレン(ヒツジグサ)。フンダリキャがハスです。同じ東洋ですら翻訳語では混乱が生じるのです>

 さらにいえばキリスト教と安易に一括りに捉えるのもどんなものでしょうか。カトリック・プロテスタント・東方正教会では、同じキリスト教でありながら異なる考えを持っていますし、その中にも会派・宗派によってまた変わってきます。さらには時代・地域による協議への温度差も重要でしょう。
 ですから、当時のおける「夢解き」はどのような価値・思想に基づいていたか。キリスト教で「卜占」を忌むようになったのはいつぐらいからか。その時代背景は。またそれは現代的な意味・日本的・東洋的意味での「うらない」とどのような差異があるのか。そのあたりから調べてみてはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>“安易な未来予測”“根拠不明な未来世予知”の意味で、
当時の価値観や行為を判断するから混乱するのではないでしょうか。

確かに今私たちの周りにある占いといえば、
せいぜい恋愛や結婚、博打や財産、子供の名前といったところでしょうか。
これに対して、ヨセフや東方の博士たちの行為は、
ユダヤ・ヘブライ価値観をもつ"儀式"かもしれませんね。

私はむしろヨセフや博士たちがやっていたような行為は、
やはり今で言うところの"占い"で、今日の私たちの占いに負けず劣らず
俗っぽい行為だったのではないか思っています。
荒唐無稽な夢に意味を与えて、未来を予測するというのは、
当時の人々の間で割りと日常的に行われていた
何でもない行為だったのではないでしょうか。
(くしゃみをしたら誰かが噂話をしていると思うといった程度に)

>また翻訳語というのは
“互いの言葉に共通項がある”というだけで同一の意味ではありません。

仰るとおり世界には、そもそも翻訳すること自体まかりならんとされる経典さえある中で、
外国の経典を極東の島国の言葉に翻訳した時点で、
そぎ落とされたり、加味されたり、時には180度違った意味になったりしますね。
そのリスクはもう世界の言語をばらばらにされた神様のせいにするしかないです。

>さらにいえばキリスト教と安易に一括りに捉えるのもどんなものでしょうか。

#3の方の回答からもわかるとおり、同じキリスト教といっても、
カトリック、プロテスタント、東方正教会なんのなんのとあるようで、
教会の数だけ教義が違うのですね。

「占いなさい。そうすれば救われます」的な教義をもつ教会とかもあるんでしょうか。
ないか。

お礼日時:2005/11/13 14:30

信者の信仰心を一点に集中させるためでしょう。



私達が現在聖書と呼んでいるものは、内容がだいぶカットされたものです。

イエスは「私はまた来る」と言ってますが、これって今でいう「生まれ変わり」ですよね。キリスト教にはその昔「生まれ変わり」の教義があったらしいですが、「イエスを信じる→救われる」というキリスト教の最も大事な教義を強調するために、生まれ変わりについて書かれた部分はカットしたのだそうです。

キリスト教が占いを忌むのは、信心が別に移ってしまうのを恐れるからではないでしょうか。統制が取れなくなってしまいますから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>キリスト教が占いを忌むのは、
信心が別に移ってしまうのを恐れるからではないでしょうか。

「信心が別に移ってしまう」というのは、
信心の対象が神から、占いの超自然的な力や、
あるいは占い師へ向けられるようになるということでよろしいですね。

確かに、占い師が教祖の宗教というのは珍しくないですね。
歴史を見ても、占い師が政(まつりごと)を司った時代があったり、
また、現代でもどこかの国の大統領夫人が、
占い師の意見を国政に取り入れたの入れないのといった噂が流れたりと、
人間の占いと占い師への信頼というのは絶大なものがありますね。

占いとキリスト教の信仰というのは、
どうしても相容れないものなのでしょうか?
それにしても、その経典の主要人物が、
占いを(おそらく日常的に)していたのは、
奇妙に思えました。

>キリスト教にはその昔「生まれ変わり」の教義があったらしいですが

キリスト再臨(再来)の教義は知っていましたが、
生まれ変わり(再生)の教義があったことは知りませんでした。

引用が前後してすみません。

お礼日時:2005/11/13 13:17

神の慈悲によって

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

回答が短すぎて、仰ろうとすることがいまいちつかめませんでした。
ヨセフや東方の博士たちは、>神の慈悲によって、
占いをすることを認められたということでしょうか?

お礼日時:2005/11/11 18:31

別に占いを拒絶しているとは思いませんが。


ただ教義として、この世のご利益と関係ないのであま
りそういうものを教義に入れたくないと思います。
私のヨーロッパの知人の熱心な信者が、向こうにもこ
っくりさんがあり、熱中していました。
フィリッピン人の熱心な信者も、かの地の何だかメス
を入れない得体の知れない手術にご執心でしたし。
信者の中ではあまり気にしていないと思います。

そういう意味では日本のほうが、生真面目かも知れま
せんね。

この「教えてgoo」を知って、キリスト教に関する質問
見ていると、我々カトリック信者っていかにいい加減
か思い知らされます。
最近はエキュマニカルといって、プロテスタント、
又すべての宗教と手を繋ごうとしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>別に占いを拒絶しているとは思いませんが。

意外な回答でしたが、やはり私には拒絶している内容のように思えました。
あるいは、仰るように、個別の教義がそうなのかもしれません。

>こっくりさん
>メスを入れない得体の知れない手術

そう云えば、日本のこっくりさんのルーツは、
アメリカ人が持ち込んだヴィジャ盤だという話を聞いたことがあります。
そう云えば、テレビでそう云った手術を見たことがあります。
確かあれは患者の患部に聖書をかざして(隠して?)いたようでした。
あの呪(まじな)いもキリスト教のものなんでしょうか?

>最近はエキュマニカルといって、プロテスタント、
>又すべての宗教と手を繋ごうとしています。

エキュマニカルの内容はよく知りませんが、
反目しあっているよりかはいいと思います。
私が言うのも厚かましいですけど、
2000年に故(?)ヨハネ=パウロIIが、
十字軍の行為に関して東方正教会へ遺憾の意を表明したことは、
すごいことなんじゃないかと思います。
できればイスラム教徒にも謝罪してほしかったけど。

お礼日時:2005/11/11 18:26

神からのお告げと言うか、伝えようとする意志に基づいて現れた験を読み解くのはOKだけど、


占いetcは、神が何かを伝えようとしていない時に、自分の都合で神の意志を探ろうとする行為なのでNGなのではないでしょうか…。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>神からのお告げと言うか、伝えようとする意志に基づいて現れた験を読み解くのはOK

占いにもOKの占いとNGの占いがあるということですね。
夢を解いたヨセフや星を観測していた博士たちは、
夢や星が神様からのお告げだと予(あらかじ)め分かっていたのでしょうか?

お礼日時:2005/11/11 17:54

キリスト教が占いを嫌うのは、草創期以来勢力を広げてゆく過程で古来の呪術やら占いによるお告げの類が競争相手となってきたからなんじゃないでしょうか?神の言葉より占い師の言葉を信じられたんじゃ困りますものね。


「今日の占星術」とおっしゃっていますが、占星術の歴史はおそらくキリスト教よりも長いはず。布教の過程ではかなり手を焼いたのではないでしょうか。現在でもアメリカあたりでは教会の言葉より占い師の言葉に従う人もいて教会をなやませているようですね。
ヨセフや当方の三博士の件は、占い師の指示に従ったわけではないので問題ないんだと思いますよ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

補足日時:2005/11/10 22:15
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この回答へのお礼

>草創期以来勢力を広げてゆく過程で
>古来の呪術やら占いによるお告げの類が
>競争相手となってきたからなんじゃないでしょうか?

そう云えばピリピ伝道の過程で、
パウロとシラスが占いの霊に憑かれた女を癒して、
役人に捕らえられたという事件を思い出しました。
占いという既存勢力とキリスト教という新興勢力との
勢力争いがあったということですね。

>「今日の占星術」とおっしゃっていますが、
>占星術の歴史はおそらくキリスト教よりも長いはず。

占星術に限らず、占いの歴史がキリスト教のそれよりも、
はるかに長いことは知っていました。

>ヨセフや当方の三博士の件は、
>占い師の指示に従ったわけではないので問題ないんだと思いますよ。

自分で占う分にはかまわないでしょうか?

お礼日時:2005/11/10 22:15

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