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「ドラマ女の一代記 瀬戸内寂聴」
を見ましたが、どうして出家をしたのか
いまいちよく分かりませんでした。
恋の重みを精算したかったからか
単純に疲れちゃったのか。
それから昔分かれた娘に対する思いは
どうしちゃったの?と言う疑問もありまして。
よろしければご感想下さい。

A 回答 (2件)

このドラマは拝見していませんので仔細は知りませんが恐らく「いずこより」が元であると推察します。

出家にいたる道程はひとことで統括することは難しく原作を読まれることをお勧めします。瀬戸内晴美「いずこより」新潮文庫 一人の激しい気性の女性のたどる波乱の恋愛遍歴に人間の奥深いところを覗き、出家(仏)にすがるべく道程が余すことなく描かれています。是非ご一読を。
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#1です。

回答が少ないので補足します。こんなことを語っておられました。「結婚するまで恋はなかったがこの恋が元で離婚後出家するまで30数年、恋の伴はない日はなく、恋を糧として、恋を生贄にして噛み砕いた心臓の血で小説を書いてきた。私がこりもせず、男女のかかわりを書くのは私の愛が不如意を叫びつずけるからです。」こうした恋の遍歴の行く末に「私の心底は誠に虚無的で生きるということにたいした意義を認めていないかのではないだろうか」こうした自分を刻んで書く私小説作家の行く手は自殺か、開きなをって書き続けるか出家するかでしょうが、瀬戸内晴美は仏教を選び出家するのですが「宗教なら何でも良かった。キリストでも、仏教でも拘らなかった。なんとしても救われたい一心でした」
とも語っておられました。同じ小説家という縁から水間観音の今東光和尚に導かれ仏縁を結ばれたのですが、作家としては大いに救われたことでしょう。「いずこより訪れ、いずこへ帰る人間なのか、まだ、人間の生涯の秘密を悟り得ない私には生きている日々の全てが、かりそめの旅の途上としか考えられない。」こうした考えは今の寂聴にはまだあると思いますが、仏教に帰依することにより文学的には「源氏物語」の根底は仏教であると喝破する大きい収穫を得ています。
しかし「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」の格闘は寂聴の心底で解決しているのか否か知る由もありませんが興味深いことです。蛇足ですが手放された子供さんに対しては深い愛情を持っておられ生涯の悔やみとも話しておられました。

   
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。
最初のお返事で「いずこより」を探してみたのですが
紀伊国屋書店ではすでに入手不能となっており困っていたところでしたので、詳細を書いていただき助かりました。
やはり、2時間のドラマだけではそこまで描ききるのがむずかしかったのですね。
ぜひ機会がございましたら一読したいと思います。

お礼日時:2005/11/28 09:20

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