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この間、自分の苗字の由来を書籍で見る機会がありました。
宮家の云々…と書いてあったのですが、
この苗字の人は全て、同じ由来から来て同じ先祖をもつ人たちなのでしょうか。
それとも、それを真似して名乗った人たちもいるのでしょうか。

もし、実際に書いてある意味の直系の子孫と
そうではない人たちがいるとしたら
それを知る方法はありますか?

教えてください。よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

 こんにちは。

以前戸籍事務を仕事でしていましたので、色々と古い戸籍を見る機会がありましたので、その経験も踏まえて、私の知るところを書かせていただきます。
 結論としては、ANo.1、2さんとほぼ同じになりますが…

 まず、「戦前までの戸籍から、華族、士族、平民のどれかがわかりますから、宮家であった可能性はある程度判定できます。」とありますが、戦前の戸籍を「改正原戸籍(かいせいげんこせき)」と言います。確かに、実際に使用されていたときは、欄外にそういった書き込みがあったようですが、戦後すべて墨で見えないように塗られてしまいましたので、その戸籍(除籍)の写しを請求されても、今となっては何も分かりません。

 で、日本で最初に全国統一様式の戸籍ができたのは、明治5年です。この戸籍は実施の年が壬申の年だったので、一般に「壬申戸籍(じんしんこせき)」といわれています。この戸籍は、保管されていると言う噂ですが、現物を見ることは叶いませんので、それが現存しているのか私には分かりません。
 その後色々な変遷を経て、現在の戸籍になったわけですが、戸籍は、除籍になってから80年間保管する事になっていますから、江戸末期か明治初期までは家系図を作ることは出来るかもしれません。しかしながら、戸籍には名字の由来は何も書かれていませんから、その名字の由来を戸籍から知る事は不可能です。

(おまけ)
 家系図の件ですが、江戸時期に家系図を作ることが流行った時期があり、少しでも良い家系図を作ってもらおうと依頼した人も多かったようですから、大半が信頼のおけないものだったそうです。
 ですから、江戸時代の家系図があったとしたら、まずは疑ってください。
 何しろ、わが国で最も由緒ある家系である天皇家でさえ、最初の頃の家系図は、かなりと言うか、ほぼありえない物ですから(軒並み100歳以上生きていた事になってるんです)。
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 ANo.4です。



 「華族・士族・平民の区別は欄外ではなく、正規の記入欄があったと思います。現在は消されているかも知れませんが、戦後かなりの間記載されていたと思います。」
とのことですが、私が担当していましたのは十数年前です。「改正原戸籍」は請求ができますから、現物を何度も見たことがありますが、「正規の記入欄」なるものはありませんでしたよ。
 ちなみに「壬申戸籍」には、「旧身分」の記載があったそうです。今でもどこかで保管してあると言うことも聞いたことがありますが、勿論私たちの目に触れることはなかったですが。

 で、ここで疑問に思われる方がおせれると思うんですが、「なぜ黒塗りされているのに書かれていた内容がわかるのか」と言うことですね。
 勿論、すでに塗りつぶされているわけですから、私には何が書かれているか見ても当然わからないのですが、長年担当されている大先輩にいろいろ聞いたところ、「旧身分事項」(「平民」などですね)や戦時中の「召集」に関することが書かれていたんだと教えてもらいました。それと、時々、「消し忘れ」があり、それらしきこと(召集に関する事項です)が書かれているのを見たこともありますので、多分正しいのだと思います。

 先に「壬申戸籍」について書かせていただきましたが、それ以降、戸籍には変遷があり、「壬申戸籍」と「改正原戸籍」の間にもいくつかの戸籍があります。

・明治19年式戸籍 
 戸籍様式、戸籍制度の改革により、本籍の表示は住所とするという点は壬申戸籍と同じですが、屋敷番制度ではなく地番制度が採用されました。そして、除籍制度が設けられたのがこの戸籍からです。(それまでは除籍という概念がなかったんです)。

・明治31年式戸籍 
 明治31年に制定された民法(旧民法)で、「家制度」が制定され、人の身分関係に関しても詳細な規定を設けられることになったので、それらの事項を登録できるようにするために、戸籍は内容が変わりました。
 「家」が戸籍編成の単位です。この戸籍の大きな特徴は、戸籍簿の他に「身分登記簿」制度を設けたことです。身分関係の届出や報告はすべてこの「身分登記簿」に記載されるようになりました。

・大正4年式戸籍 
 「身分登録簿」を廃止したことによって、記載内容が詳細になったのがこの戸籍です。それまでの明治31年式戸籍は改製することなくその効力が認められました。でも、まだ混在していた「明治19年式戸籍」はこの「大正4年式戸籍」に改製すべきと決められたものの、その改製作業が行われないままになったものたくさんあったようです。

・昭和23年式戸籍 
 これが現在(もう一歩進んで、コンピュータ化されている自治体もありますが)の戸籍です。昭和23年といっても、それまでの戸籍が実際に改製されたのは昭和32年頃です。
 この戸籍に改製される前の戸籍が「改製原戸籍」です。ですから、「改製原戸籍」は「大正4年式戸籍」や「明治31年式戸籍」そして「明治19年式戸籍」ということが言えます。

 それと、今まで書きましたのはおまけみたいなもので、これが一番肝心な事なのですが、仮にかつて「正規の記入欄」あったとしても、すでに消されていれば、知りようかがありませんからどうしようもないです。
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この回答へのお礼

とても参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/03 14:34

申し訳ありませんが、質問に対する回答ではありません。


私の知識不足も含めて、No. 3 さんの回答に対する疑問です。
『戦前の戸籍を「改正原戸籍(かいせいげんこせき)」と言います。確かに、実際に使用されていたときは、欄外にそういった書き込みがあったようですが、戦後すべて墨で見えないように塗られてしまいましたので、その戸籍(除籍)の写しを請求されても、今となっては何も分かりません。』
この部分ですが、華族・士族・平民の区別は欄外ではなく、正規の記入欄があったと思います。現在は消されているかも知れませんが、戦後かなりの間記載されていたと思います。
傍証ですが、歌手のペギー葉山が外国に行ったとき、パスポートに「士族」と書いてあって、「貴族」と誤解されて大変尊敬されたそうです(ペギー葉山は旗本の家柄だったと思います)。
また、戦後ですが、ある方が旧華族の女性と結婚したとき、戸籍(改正原戸籍でしょう)を見たら「女王」と書いてあったのでビックリした、という話もあります。
参考までに:眞子様、愛子様達は内親王、高円宮のお嬢さん達は女王だと思います(現在は皇族に戸籍はないので記載されていません)。
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この回答へのお礼

こちらでまとめてお礼をさせていただきます。
知らないことばかりだったのでとても参考になりました。
皆様、ありがとうございました。^-^

お礼日時:2006/02/03 14:35

曾祖父さんあたり(場合によってはお祖父さんでも可)の戸籍謄本(除籍謄本)を取られますと、明治時代初期まで遡った家系がわかります。


戦前までの戸籍から、華族(宮家が含まれる)、士族、平民のどれかがわかりますから、宮家であった可能性はある程度判定できます。
江戸時代以前の宮家が平民(士族は元武士ですから可能性は低い)となった例があったか、またその場合に苗字が許されたのか、については寡聞にして知りません。
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苗字にはそれぞれの由来があり、同じ苗字でもそれぞれ由来が違う家系がある場合もありすべてが同じ先祖をもっているとはかぎりませんし、ある苗字の家と血縁関係はないが、その家の家臣で苗字をもらうということもあり、また関係のない家系の人が勢力のある家や由緒ある家にあやかって同じ苗字をつけたりすることもあって同じ苗字だからといって同じ先祖から出ているとは限りません。


またそういう人を見分ける方法もありません。
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 日本国民で苗字が全ての人に認められたのは明治時代になってからの話です。

よって,その苗字をつけて良いとされた時に,我々の先祖がどのような苗字を選択したか,ということが多いです。
 歴史に載っているような苗字の場合も,その家の人が記憶していないと(旧家では系統図のような巻物を持っている場合があるとか・・ご親族の本家等で持っていないだろうか確認されるのも一つの方法です)判らないのが実情だろうと思います。
 世の中には思いこみで子孫と思う場合もあるでしょうし,昔の人とDNA判定しようとしても,あまりに古いとどの人が混ざっているか判らないでしょう。確実に知る方法は難しいと思います。
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