
(1)心理学と哲学の違いは何ですか?
(2)心理学と精神医学の違いは何ですか?
(3)心理学は人生相談に全く利用できないものですか?なぜ専門家はそう主張するのですか?
(4)治療行為は医師免許が別にいるので、素人が勝手に助言することも心理学を学ぶのも危険ですか?
よく知らないので偏見が入ってしまっているかもしれません、「心理カウンセラー」は先天的・一時的・後天的に精神的に不自由な方(表現が適切でないかもしれませんが)の相談に乗って癒したり、教育する権限を与えられた人(資格)ではないのですか!?
矛盾するなと思うことが多々あり、詳しい説明を、広い見解を、専門家・非専門家問わずよろしくお願いします。

No.6
- 回答日時:
#5です.
自分で先日の回答を読み返してみたのですが,なんとなくおかしな部分を見つけましたので,再び書かせて頂きます.
前回の文章では「実験系」は必ず暗室にこもって実験をしているような印象を持たれてしまいそうなのですが,社会心理学などではこの限りではありません.外に出て調査も行いますし質問紙も配ります.自分の学んできたことをベースに書いてしまったので,どうしても知覚心理学よりになってしまいました.大変申し訳ありません.ただ基本的なスタイルとしてはそれほどの違いはないと理解しております(実験系の他の分野に詳しい方がいらしたら修正,補足をお願い致します)
そのため質問者さまが定義した「実験系」に最も近いのは心理物理学でしょう(私の文章から判断されたのですから,こうお考えになるのは当然です).偏った知識によって誤解を生んでしまったことをお許し下さい.
ただ
>『数学の公式を応用して心の法則や原理を見出し、活動と反応・作用を観測するのが「実験系」』
というのはちょっと違う部分もあります.
「数学の公式を応用」して「法則や原理を見出」すのではなく,ある刺激と,その刺激に対する反応との関係性を数式で記述するのです(モデル化).ただ必ず数学的モデル化をしなければならない,ということもありません.ある物理量で定義された刺激の入力があったときに,人はどのような反応を示すのか,ということが重要なのです.心理学カテゴリで以前に質問のあったフェヒナーの法則やスティーブンスのべき法則などが代表例といえると思います.
また「心の法則や原理」という場合の「心」とは何をとらえているのでしょう?ここを読んで下さっている皆様それぞれに自分なりの「心」の定義があるかもしれません.おそらく諸分野において「心」の定義は様々であると思いますし,定義自体を考えている分野もあることかと思います.実験,臨床を含めた心理学全般に対して通用する「心」という概念は存在しないかと思います.
そして
>『心の障害原因を調べて病理か個性なのかを判断するのが「臨床系」』
こちらに関しては判断できるほどの知識は持ち合わせておりません.詳しい方がお答えになることを期待しております.
また,少し気になった記述がありましたので,こちらについても私なりの意見を述べさせて頂きたいと思います.
>正しく心理は実験やら演習をする理系ですね。
人の「心」を研究するにあたって,文系,理系って関係するのでしょうか?.
例えば「意識」「無意識」という概念の提唱はすばらしいことだと思います.その「意識」や「無意識」を説明概念で終わらせるのではなく,「意識とは,無意識とはなんだろう?」と使える手がかりを全て使って検討をしていく.なんとなくみんながもっていると感じているだろう働きに対して,使える手がかりを全て使って検討をしていく.この「使える手がかり全て」というのは「血流とか電気信号とか」も含めたもののことです.ただ「血流とか電気信号とか」を使って検討すれば理系なのですか?実験をすることが理系なのですか?確かに手法は自然科学的なもので,一般的には「理系」と呼ばれるものかもしれませんが,分野や立場によって定義は異なるにしろ「心とはなにか?」という問題を解明するという目的,それに対する姿勢は同じはずです.たまたま使う手がかりが,例えば,自然科学的手法か思惟かで違うだけではないのではないですか?ちなみに心理学と同じものだとよく勘違いされる精神医学はTMSや薬物療法を行っている点でいわゆる「理系的」だと私は思います.
Smith-Kettlewellno6さん。再度ありがとうございます。「フェヒナーの法則」が生活の、人間関係の役に立ったり、どう心に重要なのか実感が持てないところで、それを知らないで心は動いて、知らずにやってるから不思議で凄いんですよね。心理って。
>「心」とは何をとらえているのでしょう?
難しいです(汗)が、人によって生き甲斐が違ったりするように心理全般に心の概念はなさそうですよね。
私は心が人間の本質だとしても、本質に先だって実在する人間が居る。人間について、人生について心理学者がどのように関わってきているのかも知りたいです。「本質に先だって存在がある。」と確信しているのです。
精神医学と心理学の領域は全くかぶらないとも思えないのですが、線引きがあるほうが不自由(不自然)なのではないかなと思います。人間は一部を知ってるけど、心理をよく知らないのでいい加減なことを言ってしまってるかもしれません。

No.5
- 回答日時:
どもども.
専門家ではないですが,大学で心理学を専攻していたものです.
#3さんはかなり詳細に回答をなさっているので,(1)(2)に関してはほとんど回答することはないのですが,一つ付け加えさせて頂くとすれば心理学の学問としての出自に関してです.
哲学から独立した心理学(厳密に言えば実験心理学)は,19c後半にブント(Wundt, W.)が,ライプチヒ大学に世界初の心理学実験室を開設したことに始まると言われています.この以前にもフェヒナーによって物理的刺激とそこから生じる感覚の大きさとの関係性を探る精神物理学(心理物理学)が提唱されていましたが,心理学のはじめとしてはライプチヒに心理学実験室が開かれたことであるとされています.このように心理学はまだ100年とちょっとの歴史を持つ,比較的若い学問であると言えます.
この質問に関しては非常に難しい問題をはらんでいます.
ひとつは,一般の方が抱く「心理学」とアカデミックな「心理学」の乖離している(と私の経験上感じる)ことです.
心理学には数えきれないほどの多種多様な分野が混在しています.かなり大雑把にわけるとそれらは「基礎系」と「応用系」に分けられます.人によっては「実験系」と「臨床系」という区分をするかもしれません(私もこっちをよく使うかも).一般の方が心理学に抱くイメージとしてもっとも強い(と思われる)のはカウンセリングや心理療法などが含まれる「臨床系」だと思います.しかし「臨床系」の心理学はあくまで心理学の一分野であって,全ての心理学者がカウンセリングをしたり,相談にのったりするわけではないのです.また臨床系においてもこれらは構成する一部であると思います.この「心理学=カウンセリングをする学問,相談することを勉強する学問」という部分が大きな誤解を生んでいると考えます.
もともと哲学から独立した心理学は,#3さんの回答の通り,ヒトの心的過程を実証的に(自然科学的に)検討していくことを目的としています.この姿勢は今の「実験系(基礎系,一部の応用系)」でも変わりません.また「実験系」の中でも知覚心理学や認知心理学では「心的過程」という言葉は「情報処理過程」という意味で用いられることが多いです.これらの分野では種々の要因を厳密に統制することにより,解明を目指したい情報処理過程(心的過程)をピンポイントに調べる手法をとります.具体的には厳密に統制された物理的刺激によって,それに対応するヒトの感覚/知覚との対応関係をみることで,その解明を目指します.これは上で書いた心理物理学的手法です.また質問紙や観察法によって得点化を行うという手法もあります.これらもヒトの思考や行動を得点化(数量化,定量化)するという意味では心理物理学的手法と大きな違いはないと思っています.
人の心的過程は,ある特定の定規を使えば全てがわかる,というものでは決してありません.そのため,種々の研究法(実験法)というものが非常に重要になります.また大学の心理学科に入学した1,2年生はほぼ必ず「基礎実験」という思い出すこともイヤな講義(演習)が待っています(イヤな理由はほぼ毎週レポートを提出するからです:笑).しかし「自分の調べたい心的過程を正確にとらえる(解明する)ためにはどんな研究方法を用いればよいのか?」ということを自らが被験者や実験者となることで体験,実習することで,研究法を学ぶという非常に重要な講義です.このように大学では心理学に関する過去の知見を勉強することはもちろんのこと,実際に研究するための手法を学ぶのです.
知識に関しては本を読めば理解できるでしょう.しかし,例えば,真っ暗な部屋の中でパソコンのモニタと向かい合い,10000回もボタンを押してグラフの1点が描けると知らされ,それが4条件あって…と眠くなりながら実験をこなし,そこから得られた膨大なデータの処理をして,グラフを描いて,「SASってなんだ?SPSSってなんだ?」とか言いながら苦労してパソコンで統計処理をして,その結果アスタリスク(有意差)が見られなかったなどという,言えば「研究法」という心理学の醍醐味(?)を味わうことができないでしょう.別に実習の実験で結果がでなくてもよいのです.そこから「どうして結果がでなかったのだろう?」と考えること,「人の心的過程はこの実験条件にあわなかったのではないか?」ということを考えること,そして「次はどういう実験をすれば(質問紙にすれば)人の心的過程をとらえることができるだろう?」と考えることが重要なのです.
これで「実験系」の心理学のイメージは湧いてもらえるとうれしいです.「心理学」と一口にいっても,目的から手法までことなる分野が一緒になって現在では「心理学」と呼ばれているのです.そもそも「心」とはなんなのでしょうか?この問題は未だ解決されていません.実験系では近接領域,つまり神経心理学,医学,分子生物学,電気生理学などの他の自然科学的な学問と同様な立場にたってこの「心」という問題を解明しようと試みているのだと私は考えます.
ほとんど質問には答えていないような気がしますが,全ての心理学者がカウンセリングや相談を専門としているわけではないということが私が特に言いたかったことです..
Smith-Kettlewellさん。ご回答ありがとうございます。正しく心理は実験やら演習をする理系ですね。それも心は物質ではないし、脳だとしても血流とか電気信号とかでしょ?自分がしてることでも自覚してないですからね。理解出来るのが不思議です。神秘です。
『数学の公式を応用して心の法則や原理を見出し、活動と反応・作用を観測するのが「実験系」』で、
『心の障害原因を調べて病理か個性なのかを判断するのが「臨床系」』と自分なりにまとめてみました。違っていたら訂正をどなたでもお願いします。
一般の心理学などつゆ知らず、その自覚もないのに自然体で癒してくれる人だっています。
神様は合理的な人も作ったし、精神世界を主体と離してわざわざ客観視しなければならないほど、自分が解らなかった(今もなおですが)私のような不合理な人も作った。
神様が創った天災か人災か、今は不合理に折り合いがついてどうでもいいようになってきたのですが。
さらに不合理の王道を行くのが人間活動全般に関わる心を科学する専門家だと白旗あげます!!
宗教家はとっくに「諦念」とかで合理を見出してますが、研究者はしぶといですね(笑)
すみません。でもそんな不合理に醍醐味を感じてくれる研究者を期待するものなのですよ。尊大に!
No.4
- 回答日時:
◇
(1)(2)(4)に関しては専門家さんにお任せするとして、
(3)について私見を少々。
<心理学は人生相談に全く利用できないものですか?なぜ専門家はそう主張するのですか?>
私もかねがね疑問に思っていたことです。
中には単なる似非専門家としか思えないような方も混じっていらっしゃるようですが、それは「専門家」「自信あり」にチェックさえしておけば、ネットで何かもっともらしいことを検索して答えれば即席専門家の一丁上がりということになるわけで、こういったサイトでは避けられない弊害のひとつと諦めるしかないのでしょう。
ただ、満更偽物ばかりではない専門家の方がご同様の主張をしているらしいのには、やはりそれなりの理由があるのでしょう。
散見する玉石混交と思われる理由の中で良く見かけるものに、
「心理学は科学的根拠に基づいて人の心を解明しようとする学問であって、個人の心理的悩みに対応できるものではない」
というのがあります。
違ってたら申し訳ないが、#1さんも似たようなことをおっしゃっている。
つまり、専門家の皆さん方はプロゆえにいい加減なことは言いたくない、ということなのでしょうね。
誠に立派な姿勢であろうと思います。(皮肉ではなく)
ところが「心理」と名が付くので、心の問題を研究している学問だろうから自分の心の悩みや疑問にも適切な回答が得られるかもしれないと考える質問者がいて、まず、この短絡さが気になるというところでしょうか。
それに加えて私のようなド素人が、いい加減なことを何の臆面もなくさも真実であるかのように回答することに我慢ならない、とおっしゃりたいのだろうと思います。
そんな茶番は他のカテでやってくれ、真面目に心理学に取り組んでいる我々にとって目障りで仕方が無い、という雰囲気が良く伝わってきます。
いや、お気持ちは実に良くわかります。
おっしゃっていることが全く間違いだとは思いません。
◇
しかし、ここに質問してくる方は別に心理学に決定的な導きを得ようとしているわけではありません。
自分の悩みを心理的に考察してみたらどうなるか、心理学カテに興味を持っているような回答者の考えを聞いてみたいということではないですか?
根拠の無いことを回答するとバイアスがかかるなどと言う人もいますが、そんなことを言っていたらネットでの質疑など不可能になるのではありませんか。
あくまで質問者には最終決定者の特権と同時に自己責任が課せられているはずです。
だからといって無責任なことを言って良いのか、という指摘が無意味であることはおわかりでしょう。
その指摘をした人間自体が責任ある回答をするという根拠もまたどこにも無いからです。
たとえ自動車のジャーナリストであっても、全くの素人よりは遥かに詳しい知識を持っているはずです。
ましてや人生は、心理学以上に謎に満ちた自動車であってその全容を知る人は誰もいないと言って良いでしょう。
であれば、自動車のボンネットを開けてみたこともない質問者にとっては、ジャーナリストの立場としての考えを開陳してもらえるだけでも「新たな視点」を得るよすがとなるのではと思いますがいかがでしょうか。
心理学徒としてではなくても、一個人としての考えを述べれば良いのであって、それが性に合わなければせめて「あっちへいけ」的な心の狭さを露呈して、このカテを私物化するが如き対応は謹んで欲しいものです。
ま、今のところはそんな方はいらっしゃらないかもしれませんが、勘違いする方も出てくるかもしれないので。
大体ひとりの人間の疑問や悩みに寄り添えないどころか、ケチをつけて迷惑がるような姿勢しか持てない人が心理学を学んで一体何をしようというのでしょうか?
学ぶ意味があるのでしょうか?
「心理学○鹿」などと呼ばれないように、もっと広い心で対応する(あるいは眺める)ほうが専門家さんとしての人間性も高まるのではないでしょうか。
この回答への補足
hakobuluさーん。ご回答ありがとうございます。それと先日お礼で失礼にも名前を打ち間違えててごめんなさい。単純ミスでしたので、どうかそのことはさらーと水に流してお気に為さらぬよう。m(_ _)mごめんなさいごめんなさい。
さて、心理学や哲学が大好きなド素人同士で(いやhakobuluさんの方が確実に慎重さと経験も豊富そうなのですが)、「憧れの師と知の共有を目指そう!!」が目的で決して「心理専門家の心理について!?」の追求でなかったのですが、なっちゃいましたか(笑)ね。いや、それがお節介素人のズーズーしさで「そんな自分が好きだったらどうしよう」という相談でもあります。お礼は改めて☆
hakobuluさん。お礼が大変遅れまして申し訳ございません。(4/20)
もう回答は付かない(というか誰も見てない?)
ようなのでそろそろ締切りますが、
悪あがきで私の意見として
努力を重ね知識を増やし
(聞いてもないのに)資格を印籠のように振りかざし
バカを戒めて、バカが減るでしょうか?
逆に思考の止まったバカが増えるんじゃないかと思います。
専門家自身の好奇心や向上心と関係ない批判で
愚民化目的の為に特権、資格が
あってはならないと思います。
専門の方も自覚のある人、ない人、それぞれですが
人道を説くなら専門を離れて特権を利用せず、
一般人として語ることもすればいいのいに。
>心理学徒としてではなくても、
一個人としての考えを述べれば良いのであって、
それが性に合わなければせめて「あっちへいけ」的な
心の狭さを露呈して、
このカテを私物化するが如き対応は
謹んで欲しいものです。
同感なのです。
これも私の現状での私見で、
専門家によって納得する見解があれば直ぐに撤回しますが、
いくら考えても素人だから間違った回答するものでもないし、
専門だから正しいと鵜呑みするのも
ご利益ばかりでないと経験上感じているのです。
>質問者には最終決定者の特権と同時に
自己責任が課せられているはずです。
だからといって無責任なことを言って良いのか、
という指摘が無意味であることはおわかりでしょう。
この掲示も自由な場である代わりに
自己責任を養う場で
善意で成立つサイトでもありますね。
明らかな悪意は削除されますから。
自己責任を追う自信のない方々が苦言するなら
堂々と代金の請求をするなり、
代償を払って恩義を得るべきに思います。
お互い得るところが多いものだったと信じていたいのですが、
気分を害された方が居られましたら
反省すべきは改めますので。
又投稿してみようと思います。
hakobuluさんのド素人とはいえども
専門以上に人間味があり、見解が広い貴重な御意見
大事にしたいです。
本当にありがとう。
No.3
- 回答日時:
(1)学問領域として現在ある心理学は
長く哲学者の仕事のとされてきた心や意識や行動に関する研究の一部が
実証科学として19世紀後半に独立したものが元になっています。
実証科学とは実験,観察,調査等で得られたデータ=経験的事実に基づいて仮説を検証し法則を導くということであって,
哲学からいち早く独立していた諸科学,なかでも生理学がそのモデルとされました。
哲学のうちでも特に認識論で扱われてきた問題の解明に
実証的方法に基づく心理学が一定の貢献をしてきたことは間違いありません。
しかしながら,現代の心理学は人間観を異にする複数の学派の寄り合い所帯であり,
その一部に実証科学とは呼べないものも含まれるというのが現実ではあります。
哲学は個別科学の範囲を超える問題を思索の対象としますが,
現代の哲学者は個別科学の成果を参照しながら議論を展開しています。
哲学者はみずから実験や調査をすることは普通ありませんが,
諸科学の知見の評価と相互のすり合わせを通して学際的協力にも貢献しています。
心理学,言語学,人類学,神経科学,計算機科学(とくにAI=人工知能研究)に哲学が加わった
認知科学と呼ばれる研究領域はその代表的な事例です。
(2)心理学と精神医学は一部重なる領域があるとはいえ,出自も目的も異なる学問です。
精神医学はあくまで医学の一部門であって,心理学の1ジャンルという認識は不適切です。
近代精神医学はフランス革命期のピネルによる監獄からの解放に始まるとされますが,
固有の学問領域として成立したのはやはり19世紀後半です。
精神医学の目的は精神疾患の理解と治療です。
その延長上に人間の精神活動一般の理解というものがあるとはいえ,
医学である以上,目の前にいる患者を救うことが第一義であることに変わりはありません。
精神疾患理解のための理論的枠組みを精神病理学と呼びますが,
これが心理学の中の異常心理学(現在は臨床心理学に含めるのが普通)と重なる領域です。
フロイトの精神分析も精神病理学理論のひとつであり,
これを基礎とする精神医学を力動精神医学と呼びます。
精神病理学には現象学をはじめとする哲学の影響も色濃く,
かつてはヤスパースのように精神医学者でかつ哲学者という人もいましたが,
現代の精神医学は診断における行動科学化,治療における生物科学化が進展しており,
精神分析や現象学の影響力は失われつつあるというのが現状でしょう。
とりあえず私の知識の範囲で書きました。
息切れしましたので,(3),(4)については
また後ほど書かせてください。
Diogenesisさん。ご回答ありがとうございます。学問として成立した歴史や科学との折り合いについて抗議を受けさせてもらったようです。感謝感謝、勉強になりました。
同じ心が関わる学問でも分類が沢山あるのですね。現代哲学者の貢献は謎っぽいですが(笑)
私が好むのは(必要性を感じるのは)心理学より精神医学のようです。それを個人の直感で巨視的(おおざっぱ)に答えて正誤よりも自分の中にある「理想の生き方」や「実体としての人間の私」の輪郭を再認識するのに役立てたりもするのです。
心の専門家になっても知識より「人格が先に在りき」なはずなのに、役割とか立場として客観視し過ぎて特有な個人として喜怒哀楽の共有感を排除する習性でも出来てしまうのでしょうか?というか肥大した知識のお陰で「人間として悩めない!?」という個性を獲得するのでしょうか?個性も人類の智慧の所産だと思うのですが。
又その辺りのご意見を伺えるのを楽しみにしています。
No.2
- 回答日時:
>心理学者や脳生理学者が人間関係で問題が起きた時も、一般人と同様にカウンセラーを訪ねるものでしょうか?
それはそうでしょうね。
もちろん、中には自分で自分の診断ができる人もいるでしょうけど。
心理学というのは、『正常な人間』の精神構造を分析するところから始まった理論なので、その原初には、病人を相手にすることは前提になっていなかったのです。
この回答への補足
誠実に答えていただいて感謝です。
>心理学というのは、『正常な人間』の精神構造を分析するところから始まった理論なので、その原初には、病人を相手にすることは前提になっていなかったのです。
そうだったんですね!
何度もありがとうございます。心理学の専門家でも人間ですからストイックになる時もあるはずで、もしや専門だけにのめり込んでしまって、心労が多いかもと心配してみました。間違いはなくてもあえて人間味を抑えてらっしゃる気がします。
No.1
- 回答日時:
(1)心理学と哲学の違いは何ですか?
心理学は、『心の構造』を科学的に分析する学問です。
対し哲学は、言ってみれば『自分・世界とは何か』を見つめなおし、自分なりの解釈を立てるための『考え方』です。
心理学と哲学が混同されがちな現在の状況は、現実的にやむをえない面はあるとはいえ、本来の心理学のありようではありません。
(2)心理学と精神医学の違いは何ですか?
精神医学は心理学の1ジャンルです。
心理学を病気の治療に活用するためのもの……といえばいいんでしょうか。
(3)心理学は人生相談に全く利用できないものですか?なぜ専門家はそう主張するのですか?
心理学は、『人間の精神構造を体系だてる』ためのものだからです。
自動車にたとえれば、心理学者は自動車の構造を分析するジャーナリストに似ています。
ジャーナリストに『自動車の修理の方法は?』と訊ねるのは無意味です。たしかにそういう点にも詳しい人はいますが、あくまで専門ではありません。
(4)治療行為は医師免許が別にいるので、素人が勝手に助言することも心理学を学ぶのも危険ですか?
『助言』は心理学とは無関係です。助言だけなら誰でもできます。
また、『なまじ知識があるばかりに巧い助言ができなくなった』という人は、素人心理学者の中にも多くあり、そういう人は勉強をすべきではなかったのかもしれません。
ですが、『学ぶことそのもの』が危険なことだとは俺は思いません。
>相談に乗って癒したり、教育する権限を与えられた人(資格)ではないのですか!?
カウンセラーは、『精神面で人を後押しするテクニックに長けた人である』と認定された人達のことです。
権限のある/なしということではないです。
この回答への補足
deagleさん。ご回答ありがとうございます。又一つ(余計な)疑問が出てきてしまいました。
心理学者や脳生理学者が人間関係で問題が起きた時も、一般人と同様にカウンセラーを訪ねるものでしょうか?
サンプル(調査・研究対象)以外のもの、自分で自分を参照してみたりして調べたりはしないものでしょうか?
deagleさん。お世話になります。ありがとうございます。単細胞人間ゆえまだしっかり区別のつかない点が正直あるのですが…。
>なまじ知識があるばかりに巧い助言ができなくなった』という人は、素人心理学者の中にも多くあり、そういう人は勉強をすべきではなかったのかもしれません
私的には心理学に興味を持ったことで素直な自分を伺えたり(開き直りといいますか)良い作用が大きかったので、浅知恵ながら多くの人に「心理学を好きになってね」と応援の気持ちで回答をしていますのに。
私は普通自動車免許を持っています。実は車の構造や性能を良く理解しないで運転します。免許は基本運転技術と何より歩行者の安全保護義務を第一目的に与えられているので、車の利用法より歩行者への安全確認を怠らないよう、事故や違反を起こさぬよう心掛けて楽しく運転しています。
構造の知識が豊富なジャーナリストなら、素人よりも優しい運転テクニックというものがあろうかと思うのですね。ホームグラウンドでは全速力でも、プロが公道ですぐブレーキを踏んで萎縮する?アクセル全然踏まないなんて、なんてそれは残念だ!なぜ隠すの!ケチッ!(すみません…つい)と思います…。
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