アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

(1)心理学と哲学の違いは何ですか?

(2)心理学と精神医学の違いは何ですか?

(3)心理学は人生相談に全く利用できないものですか?なぜ専門家はそう主張するのですか?

(4)治療行為は医師免許が別にいるので、素人が勝手に助言することも心理学を学ぶのも危険ですか?

よく知らないので偏見が入ってしまっているかもしれません、「心理カウンセラー」は先天的・一時的・後天的に精神的に不自由な方(表現が適切でないかもしれませんが)の相談に乗って癒したり、教育する権限を与えられた人(資格)ではないのですか!? 

矛盾するなと思うことが多々あり、詳しい説明を、広い見解を、専門家・非専門家問わずよろしくお願いします。

A 回答 (26件中11~20件)

以前お世話になりましたので回答というよりも


アドバイスということで。(そんなに知識ないので)

なんだかいろいろ削除されてる?ようなので経過が
わからないのですが・・・

私は心理学を志したのはココロジーという番組で
心理分析をしてるのを見たからです。
これを選ぶとこういう性格とでる。はたして本当に
それは実証できるのだろうかと思い勉強しました。

しかし、実験を元にして分析を出していることが多く、
時代や人種が変われば心理傾向も微妙に変わるのではないか?
と疑問を抱きました。

ですから心理学で「絶対○○」という言葉は使えないと思います。

しかし、雑誌などでよく心理学の占い?みたいなものを
掲載しており、心理学を勉強したことがある私からすると
間違いも多いと思いました。適当に書いてるなと。

本当にそれを信じてしまう人がいたら重大なのですが
結構いろいろな雑誌で掲載してるので問題ですね。
傾向はそうだけれども、実際絶対正しいとは言えないですから。

心理カウンセラーも目指しましたが、いじめ・不登校
自殺願望などとむきあわなければなりません。
相当の人生経験・修行が必要です。
でなければアドバイスなどできません。
命や人の人生を左右する危険もありますから・・・

哲学も勉強しました。
哲学というのは実験結果に基づくものではなく
考えや思想です。
ようするに夢物語のような感じで解釈するとよいでしょう。
ただ、いろいろ面白い思想・発想があるので勉強する
価値はあります。
ソフィーの世界という本では初心者向きで興味を
もたせるような内容となっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

gachapindayoさんアドバイスありがとうございます。
書き込んでくれて嬉しいです。
お世話ってとんでもない、私ズレてたし。

心理学って絶対ないですね、
十人十色ですものね。

科学は結果を想定して原理を突き止める。
哲学は結果から根源を導くって感じであってるでしょうか。
心理は科学か哲学か微妙なところのようです。

人生はずっと過程で
結果が出せるのは死の直前だったり、
あるいはお墓の中でありありと気付いたりして。

生きてる内に学ばなければ経験値を増やさなければ。
仏になってから浮かばれて
私個人として嬉しくなるのだろうか?
カウンセラーは知識量より経験の質って大事なのかもです。

得に心理の仕事がしたいのではないけれど
私も人間って面白いと思うから
心理も好きです。
全くの独断と偏見によることもあります。
改善すべきはすべきで
自分を図るためにも役立てたいです。
時間はあるようですから頑張ります!

ソフィーの世界の本、
自分の誕生日に自分へのご褒美に買ってみました。
しかし、あの厚い本はかばんに入りませんっ。
外で読むのは恥ずかしいっ。
今だ半分しか読めてません。
家で落ち着いて読書できない人なのです。
でも哲学の最適な入門書ですね。

ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/14 13:26

しばらく見んうちに、またドバッと削られたもんですな~。


ワシの回答も、ちと手を入れ過ぎじゃないんかと思いますが今さら驚きゃせんわ。ここのサイト運営側の削除・編集基準のイイカゲンさセンスのなさは、よく分かっとります。所詮、人生経験の未熟な若造がやっとるんでしょうから。
さて
>嫌疑病というのがあるようです、「嫌われてるんじゃないか病」。だからやっぱり嫌われることしてまう。自分分析です。どなたか「そんなことない、そんな病気ではない」と否定して、それか「別にもっと深刻な人格不全が潜んでます」と教えて頂戴~。

いや~否定してあげたいのだが、そんな病気あったんか~?初めて聞いた。
ま、でもアリがちなことだとは思う。別に珍しくもないのでは?だから、むしろ病名があるということに驚きました。
貴方に「もっと深刻な人格不全が潜んで」るかどうかは分かりませんけども、もっと深刻なのは
「好かれちゃ困る」病じゃないでしょうか。
ワシなんか好意持たれると胃がもたれて消化不良。。。ものごっつ気が重い。。。これも元々は「嫌われてるんじゃないか」病から発展したもんなのでしょうけど。
今じゃ堂々
「アタシを嫌って!」病。
♪アタシを嫌いな男が好き~♪

。。。カルメンかワシは!

>専門家でも自分にない価値観のものは理解できない処理できないものだと痛感したり。結局ベタベタ止められず育てましたけど天然系で自立心旺盛な子に(マイペースなだけ?)育ってるけどな。育児の問題は今のところ全然なし!家庭や親自身に多少の問題はあります。

そりゃそう、医者だってニンゲンだもの。
ワシが最初にかかった精神科医なんか見るからに、お坊ちゃまの2代目でね。すぐ見限ってやったわ。

あ~御子さんについては貴方が自分に都合のいいウソを吐き散らさなければ、それでいいと思います。ベタベタに問題があるのではなく母親が「自分に都合よく」子を支配し利用することに問題があるのです。「白雪姫症候群」??のワシが言うのじゃから間違いない!?

何の問題もない親や家庭のほうが珍しいんじゃないでしょうか。
「致命的でなければよい!」
これワシのポリシー。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

goosuka003さん。ありがとう、いい女は辛いのよね(謎)。優しい人って優しいフリをしないもの。優しくなるには相当強くなってないと出来ないみたいなのよね。

愛だの優しさだのうるさい凡人から専門家さんにも熱い寛容を送りたい気持ちで投稿しました。

障害者に手を貸すのは親切だけれども、別に専門家でなくても出来る親切は素人がしこたまやってます。

専門家なら障害者が他人の手を借りなくても自由に行きたいところに行けてやりたいことが出来るよう、素人よりも~っと偉いことをやって欲しいです。

それを考えていては自分の権威や遣り甲斐がなくなって困るので障害者を増やしているのは専門家で間違いない?のかな。

利権のない素人に「ありがとう」「頑張ります」とかいうのはサービス精神だけからでもいいですが、良い手本にして頑張ろうとしている素人の道具を取り上げる野球選手がいないように、心理の専門家も素人にとっては憧れの人であることの自覚がもっと欲しい。

7件もの削除は異例だったと思うのですが、致命的なものは無かったのですし、善悪は客観が決めるしかないようですね。その中でド素人にさえ有意義なものが得られるなら感謝するばかりです。

お礼日時:2006/04/03 01:42

ななんか話が…


「ちょっと一言宜しいかしら?」コホン。
(誰やねん)

横から口出してスンマセンけど

>理解するとは、情報の蓄積量ではなく、対象と同化する、共感を持つということだと思うのですが、細分化した領域や数式に同化するより、人間全体を認識したりあらぬ想像力で推測することが私は容易いです。

あああ、だから、かつてバトルした相手の女を思い出す。。。

理解ってね共感とセットになってるとは限らんよ。
共感が誤解とセットになり得る場合が多々あるように。

>情報の蓄積

無しの
>対象と同化

って何?

>情報の蓄積量

にしたって現実には限界だらけ。こういう場は特に。
だからと言って開き直りますか?

プラスの共感を相手に感じ取ってもらえるならばズレまくっていても、受け入れてはもらえるでしょうがマイナスの共感(理解?)だった場合は「命取り」ですよ。

共感はいいけれど「安い投影」にならないように要ご注意!でっせ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

goosuka003さん。ありがとう。かみ締めるように読んでいるのですが、宜しくてよ♪仲良しが宜しくてね(誰やねん?)。

「共感」というのも勝手に捏造したイメージになるし、それに落胆するのもイメージの捏造ね。情報は記録ではなく今感じているだけでいいのかと、折り合いをつけるのです。そのとうり「開き直り」します。

原始時代じゃあるまいし、もはや全人格的に人を理解することは不可能ですよね。

違う価値観があること、対象と同化=共同原理(皆が同じレベルでシンプルなもの、今日の食料とか暑さ寒さからどう逃れるか等)の崩壊を意味するとして、価値観の差異があるからこそ挑発しあい、分業によってもっと助け合え敬い合え、離れられない関係もあるように、善悪とか正誤よりも必要か不必要に淘汰を任せるものも次善策にしています。

自分の至らなさを見せても必要な相手は必要だし、お互い完璧を望まないでいる関係こそ完璧な関係なんではないかな。

投影には注意か…(対する相手は鏡ってことね)長所に対応とかでやってこう。

お礼日時:2006/03/25 22:37

誰とでも仲良くしたいってのはわかるけど


同化したいはちょっと方向性が違うような気が・・・
確固たる自分を見失わないでね。
個性を発揮している方が人は魅力的だと思うから。

以上です。

この回答への補足

面倒見の良いおじさまという個性が伝わります~。ここはQ&Aのサイトですから、私の魅力については拘らないで下さい(違)。というか自分が一番魅力をわかりません。

補足日時:2006/03/25 19:22
    • good
    • 0

心理学は存在を探る。

。。
そんな風にして心理学は延々と続くのだろうな。
僕は存在も哲学によって探るものと思います。

狭い世界の人というのは、我に執着しているとか、何かに囚われているとか、他を受け入れられないとか、仲良くできるのと仲良くできないのとがある人や集団というような意味でしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

理解するとは、情報の蓄積量ではなく、対象と同化する、共感を持つということだと思うのですが、細分化した領域や数式に同化するより、人間全体を認識したりあらぬ想像力で推測することが私は容易いです。

同じ人間だから等身大の方が同化しやすいです。勘違いしていることもあることはあるのですが。やはり根源は仲良くしたい(同化したい)というスケベ(?)な情動からなのかも。

お礼日時:2006/03/25 16:18

哲学は哲学的態度と言った方がいいかもしれないです。



心理学は存在を探る。。。
そういうのって東洋的なアプローチの仕方ですよね。
心理学はどんどん細分化されていくように見えるけど、その統括的な見方はどこにあるのだろう?それがもしかしたら存在といえなくも無い?
心理学も使い方で(3)に繋がって行くようにも思えるけど、人が人を心理操作する的に使われると危ない気がします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

OJNさん。ありがとうございます、お世話になります。

「直感心理」が好きな割に、私は騙しやすいタイプです。これは事実。騙されてみるのも面白いとか思う。実際騙されることは予後期待があったり、面白い。

そのかわり騙す方も値踏みするし、要らぬ些細な経験値があったことで生活苦から(苦笑)本質まで奪われるような危険は警戒せずとも!回避しているかも…。

心理学と哲学のキーワードとなるかどうか?人類最大の充足欲求は「共認回路」の充足である(と思う)のに、細分化はその逆を行ってしまう気がします。

危ないのは臨機応変、優柔不断の人より、狭い世界の人かも?という問題提議ではどうですか?

お礼日時:2006/03/25 13:44

#3,#7です。


言い残したことを補足しておきます。

#7で書いたことを読み返してみると
素朴心理学とアカデミックな心理学とが明確に線引きできるかのように
受け取られる懸念がありますが,ことはそれほど簡単ではありません。
過去の質問への私の回答がこの点を補っていると思いますので参考にしてください。
  心理学は対人関係や自己成長に役立つか。
  http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=916316


なお、この中の回答#10で引用されているサイトはURLが変わっています。
  遺伝学から見た血液型性格判断
  http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/Blood.html


最後に。
正式な教育機関で精神医学の単位を履修した人間の知識を鵜呑みにするのも危険です。
正式な教育機関で精神医学の単位を履修した私(証明のしようがありませんが)が保証します。
なにしろここでの私の書き込み内容に授業で習ったことなどほとんど含まれていませんから。

この回答への補足

Diogenesisさん。情報をありがとうございます。URLも読ませていただきました。

さきほど、「多くの駄作」という表現を使ってしまいました。情報が信用出来ないということではないです。「何様?」ですよね。失礼しました。

こういう無骨者ですのですが、それでも気にならないのなら、精神医学の可能性を知りたくなってます。「カウンセラー」とか「セラピスト」とか「スピリチュアルアドバイザー」は自己申告で営業できるなら、なぜ大学でも習うのでしょう?

補足日時:2006/03/19 16:43
    • good
    • 0

miko-desiさん、ゆっくりゆっくり。

ゆっくりでいいんですよ!
私も「単細胞」だから貴方の気持ち分かります。
「急いては事を仕損ずる」だて。
ここはそんなに慌てなくても誰も困りゃしませんよ。

私も立派な?ど素人ですから本当は、ここで回答するべきじゃないんでしょうけど貴方の気持ちも理解できなくはないということで貴方の気持・立場に「寄り添って」できるだけ考えてみました。

まず(1)
心理学に限らず科学的な、いや学問という学問は全て、その産みの親は哲学であると言って過言ではないと思っています。
哲学は、それ自身では解明・解決の実際的な手立てを持たない。それだからこそ諸科学は哲学の手足なのです。
その意味で哲学は特別な学問であると同時に万人のものです。言ってみれば「学問の太母」
元々疑問を「産み落としているのは」哲学。

(2)これは私も、このたびの御質問で改めてお勉強させていただきました。
良い御質問をなさって、しかも良い御回答者がたに来ていただいてラッキーでしたね!

(3)に関しては、すでに申し上げたとおり私も、ど素人ですから答える立場にないのですが心理学という学問の実質を聞いた以上、それは「専門家或いは学者としての良心」からなのでしょう。
ここは間違いなく『心理学カテゴリ』と銘打たれている以上、専門の立場に立つ者としての発言を咎めるのは、お門違いだと思います。

(4)これは、ど素人ながら個人的な経験からハッキリ申し上げます。
「危険です」。
私は以前このサイトで「心理学徒」を名乗る女性に勝手に「心理分析」とやらをされて大変な不快を味わいました。それも別段、お互いの間に一触即発になろうかというような際どい問題もなくして唐突に、です。

カウンセラーって普通、目の前にいる相談者を相手にするもんですよね。またメールカウンセリングにしたって、ここでやってる質疑応答とは格段に情報量が違うでしょ?

この回答への補足

補足日時:2006/03/19 01:17
    • good
    • 0
この回答へのお礼

goosuka003さんありがとう。バッサリ削除されてしまって、皆さんそれでも回答ありがとうございました。幻の回答も胸の宝石箱にしまっていますから(慰めているつもり)。

回答も質問も自分の投稿も全て善意と受け止めるよう心掛けているのですが、私はアク禁(される)や自分で削除の常習者です。嫌疑病というのがあるようです、「嫌われてるんじゃないか病」。だからやっぱり嫌われることしてまう。自分分析です。どなたか「そんなことない、そんな病気ではない」と否定して、それか「別にもっと深刻な人格不全が潜んでます」と教えて頂戴~。

(4)について、私も心療内科で医師に「母子癒着は子供に悪影響を及ぼす」と言われて余計育児ノイローゼになりました(苦笑)。その医師は依存症が得意であったようで、専門家でも自分にない価値観のものは理解できない、処理できないものだと痛感したり。結局ベタベタ止められず育てましたけど、天然系で自立心旺盛な子に(マイペースなだけ?)育ってるけどな。育児の問題は今のところ全然なし!家庭や親自身に多少の問題はあります。

(1)の哲学は、どんな学問にも通じるよね。哲学は非難ではなく愛すること、だからもっと知りたくなる。どんな学問でも成長させることが出来るんだと思った。

お礼日時:2006/03/30 16:30

おはようございます。




長くなりますが、そして(他に既に良い回答がついていますので)他の方と回答内容がかぶることもあろうかと思いますが、ご容赦ください。といいますか、こんな長文誰か読むのだろうか……


(1) 心理学と哲学の違いは何ですか?

いろいろ異なる部分はあると思いますが、
最も異なるのは『その分野で使われている研究方法』です。

哲学が、「過去の書物や発言を手がかりに、自身の思考や言語で疑問・問題に対して考えて結論を出していく」学問なのに対し、心理学は「科学的な手続きによって実際に証明してみる(実証してみる)ことで、問題に対して客観的な証拠をもとに結論づける」学問であると思っております。

話は遠回りになりますが、ひとつのたとえ話を(使い回しですごめんなさい)。

 「テレビで暴力的な番組が多く流されると、
  それを見ていた子どもの行動が暴力的になるので、
  暴力的な番組、低俗なバラエティなどは禁止しろ!」

という主張を、新聞やテレビの討論で一回は聞いたことがあるのではないでしょうか?
それに対して、

 (賛成)そういう低俗な番組を見て子どもが暴力的になって、
     その結果、最近少年犯罪やいじめなどが増えている
     確かに暴力番組は禁止したほうがいい

 (反対)確かに暴力的な番組が増えて、子どもが見ているかも
     しれないが、それが原因なのではない。
     単にしつけ教育をする親が近年減少して、
     それで暴力的になった子どもが暴力番組を好むだけ
     そういう番組は少年犯罪やいじめの増加とは関係がない

などと、賛成・反対の両方の論者から主張が述べられ、子どもの教育などともからめた議論が延々と続けられることが多々あります。しかし、互いに説得力のある論理を持ってきたとしたら、
 「テレビで暴力的な番組が多く流されると、
  それを見ていた子どもの行動が暴力的になるのは本当か?」
という疑問は解決しないままで、
結局どっちが正しいのか専門家同士でもよくわからない、それぞれの立場の人が自分の信じるほうの主張を述べ続ける、ということになってしまいます。


では、「心理学」という学問は、心や行動についての問題をどのように解決することになったか。「科学的な手続きにしたがって、実際に証明してみる」ことで解決に導こうじゃないか、となったのです。

暴力番組の例でいうと、
 「暴力番組を1時間見せる子どものグループと
  見せない子どものグループに分け、
  その後に子どもが近くの人形を攻撃した回数を測定」
という方法をとって、

暴力番組を見た子どものグループのほうが明らかに、周囲の人形を攻撃する回数が増えていたら、「テレビで暴力的な番組が多く流されると、それを見ていた子どもの行動が暴力的になる」と認めましょう。

となったのです。
(この実験の細かい手続きという詳細の話から、その実験結果に対する反論とさらに再反論まで、その後も話は長く続いていくのですが、ここでは省略させていただきます)


その後もいろいろな変遷はあったのですが、
一部の業界を除いて「心理学」という学問は、

 「科学的な手続きにしたがって、実際に証明してみる」
    = 実証科学

としての特徴をもつようになりました。

こういう「心理学=実証科学」という定義からですと、客観的データから話していない人や意見というのは、あくまでも「心について考えている」だけであって、「心理学をやっている」のではない、ということになります(注:No.7さんの回答および後述の「素朴心理学」も参照のこと)。


No.5さんが、「心理学科に入学した人は毎週レポートを書いて提出しなければならない」「真っ暗な実験室の中に入ってパソコンのモニタと向かい合ってひたすら実験をこなす」などという体験談を書いていらっしゃいますが(私も一部経験しました)、別に心理学の学生はマゾとかではなく、そうやって繰り返し訓練を積むことで「実証する方法」を身につけ、目の前にある疑問に対して、実証的に解決しようと試みていくわけです。


でも、なぜこのように一見メンドくさそうな方法を取らないといけないのか? 説得力さえあれば、直観や主観的な意見でもいいじゃないか、という反論があるかとも思います。しかし、疑問をもつ、あるいは対立する主張を持つ人を説得するには、いつでも結果が再現可能で、全員が客観的に理解できる方法での説得が望ましいためです。


心理学からはちょっと離れた事例ですが、たとえば「占い」カテゴリに時々、「霊って本当にいるんですか?」「霊魂はあると思いますか?」という質問が寄せられています。

それに対して、
 ○「科学的な装置では検知出来ませんが、霊魂は特殊なエネルギー体で…」
 ○「私はそういう体験をしましたから、霊っていると思いますよ」
 ○「私は霊能者ですが、守護霊がいるのが見えますよ」
という回答、そして果てには
 「世の中、科学で捉えられないことはたくさんあるんだから、
  霊や霊魂だって間違いなく存在しますよ!」
と断言なさる方までいらっしゃいます。

「霊魂はあると思いますか?」と主観的な意見を求める質問なら、上記の回答で良いかもしれません。しかし、「霊魂はあるとは思えないんですが」と、初めから批判的な(対立する)意見をもっている質問者に対して回答で説得をしようとすると、ちょっと難しいでしょう。

回答者は霊に会った体験をしたことがあったり、「霊能者」として霊が見えるかもしれませんが、その質問者にとっては、科学的な装置でも検知出来ず、霊に会ったことがなく、霊や霊魂が見えないわけですから、回答者の主観的な主張が受け入れられるかどうかは微妙なところでしょう。「世の中、科学で捉えられないことはたくさんあるんだから」と言われても、「霊や霊魂は存在する」ことを証明したことにはなりません。「私には見える、さあ信じなさい」と言われて信じてしまうのは、宗教や信仰と同じでしかないのです。

批判的な(対立する)意見をもっている人を説得するには、「見える人と見えない人がいる」ような方法ではなく、誰にでも見える・誰にでも理解できる、つまり客観的な形でそれを証明して、「どうだ!」と突きつけていく必要があるわけです。

たとえば、テレビで使われている方法は、自分の身体に霊を宿らせる霊能者を呼んできて、霊能者は知らず、乗り移らせた霊だけが知っている情報を話してもらうこと(当然、手品やヤラセの可能性に気をつける必要はあります)ですし、また、「死ぬ直前と死んだ直後で、その人の何かを測定し変化があるかどうかを調べる」ことで、霊や霊魂が出て行った可能性を検討する方法も考えられます。

 「人が死んだ直後に体重を計ると3g減っている」
という話は、
 「霊あるいは霊魂が死んだ時に体内から出ていった変化」だと解釈され、
 「霊や霊魂が『体重の増減』という誰にでもわかる値で表現された」
という点で、なかなか説得力があったのでしょう。

(注:このサイトの質問と回答によると、死んだ直後の体重の減少は、呼吸器官内の空気が体外に出て行ったためであるなどの解釈があり、原因は結局よくわかっていないようです)


以上が、「他人への説明における、客観的データの説得力と重要性」の話ですが、
話を心理学に戻しますと、

「無意識とは何か?」「夢とは何か?」という抽象的な議論以外にも、
  ○「格闘技番組と少年犯罪は関係あるのか?(上記)」
  ○「0~3歳児にTVを見せて育てても良いのか?」
  ○「生活空間内の壁の色と気分は関係あるのか?」
など、生活上の具体的な疑問・問題に対しても回答を求められることが多々あります。そしてその結果に対して、教育現場だったり、建築の現場だったり、といういろいろな分野に説明して納得してもらわなければいけないわけで、主観的な説明ではなく、誰にでも説得できる客観的なデータをつけた説明のほうが、説得力があるのですね。

逆に、現実の具体的な問題に対して、根拠のない個人の当て推量だけで話が進むと、(もっともらしく聞こえるけれども正しくないかもしれない)声の大きい人の意見が通ってしまい、その結果として、世の中のいろいろなことに影響が出てくる可能性があります。


格闘技番組と子どもの攻撃性には関係がないかもしれないのに、何か少年犯罪事件が起こるとテレビに多く出演するのが、テレビ否定派の教育評論家で、

「こんな卑劣な事件が起こったのは、テレビで暴力的な番組や低俗なバラエティが多く流されたことで、それを見ていた子どもの思考や行動が粗暴で暴力的になったためだ!暴力的な番組、低俗なバラエティなどは禁止しろ!」

とまくしたてた結果、その、もっともらしく聞こえるけれども正しくないかもしれない意見が通って、テレビ局が自粛、テレビからプロレスやK-1の番組がなくなるかもしれません。


別な例が『血液型性格判断』の話です。
「血液型と性格は関係ない」ことは心理学の研究で科学的に証明されていますが、マスコミがあおっている結果、日本には信じている人が多数います。

日常生活の経験上からも、血液型ごとに性格に特徴があるという話はもっともらしく聞こえ、信じてしまうのでしょう。酒の席で、「僕はA型だから、B型のこの子とは相性がいいんだよ~」などと盛り上がることもよく聞く話で、盛り上げ話題としてぐらいなら、さほど問題でもないでしょう。

しかし、それが社会に浸透してしまうと、幼稚園児や小学生が血液型を理由にイジメに遭ったり、就職活動の時に血液型をきかれ、「A型は几帳面なので事務、О型はおおらかで活動的なので営業・外回り」などと勝手に配置され、本来の仕事適性は無視で全く向いていない仕事に、などと「就職した時に血液型によって仕事の内容が決まる」ことが行われている(いた)会社があるのです。

そうならないためにも、「心理学」としては、「客観的なデータをもとにした」「こちらの主張のほうが客観的に正しいと誰もが判断できる」説明を世間に出していく必要があるのです。



「心理学分野での、客観的データによる説得」がいかに重要かについては以上ですが、ここでは哲学およびその研究方法に対して「ダメだ」と言っているわけではありませんです。

心理学と哲学の関係についてはNo.3さんの御意見に大部分が賛成で、「心とは何か」「無意識とは何か」という疑問に対する諸科学(心理学を含む)の客観的な実験結果をもとに、哲学の分野で改めて「人間」や「心」について考えられていくのでしょう。そして、心理学や、哲学や、その他もろもろの学問の成果をまとめて、「人間」や「心」についての結論を出すようにしていきましょう、というのが最近の流れなのではないでしょうか。心理学は哲学よりも役に立つ、いやいや哲学が上位学問、というような話ではないでしょうね。


以上が原則論です。



さて、こちら「OKwave」「教えて!goo」他提携サイトの心理学カテゴリでも、
 ○「話し相手のしぐさから嘘を見破ることって可能ですか?」
 ○「……という言動をとる人の心理を教えてください」
というような質問が寄せられます。

それに対して、「○○は××の象徴ですからその人は……ではないでしょうか」といった、科学的には確かめようもない回答、あるいは、「嘘をつく時に人は左上を見るんですよ!」という、科学的には間違っている(であろう)回答がつくことがあります。

それはNo.7(No.3)さんがおっしゃっている「素朴心理学」あるいは「直観心理学」でしょう。

誰もが質問者・回答者となれるサイトですし、「心理学を知っている人」の回答以外にも、「素朴心理学」「直観心理学」にもとづいた回答があるほうが当然であり普通でしょう。私も、いつも客観的データだけで話しているわけでもありませんし。


しかし、ここは「教育 > 心理学」という学問・教育のカテゴリなわけです。また、こちらはログが残る「質問-回答データベース」でもあります。当事者である質問や回答者は「心理って面白いね」という感想で終了したとしても、後から読んだり、検索でたどり着いた人にとっては、「ここは学問のカテゴリなんだから、回答に書かれていることは研究結果として正しいことなのだろう」と思ってしまう人がいらっしゃるかもしれません。


さらに、「○○のしぐさを出したら相手は自分に好意がある!」という回答(良回答20p、しかし科学的には正しくはない)をうのみにして、自分と話している時に片思いの相手にそのしぐさが出るのがわかって、告白したら玉砕、というパターンが、非難が書き込まれないだけで、実は裏に数件ぐらいずつ生じているかもしれません。


質問する側も自己責任、回答する側も自己責任、
そしてそれを読む側も、信じて実行する側も自己責任。
インターネット上の情報を簡単に信用しないようにしましょう。

原則はそうかもしれませんけど、
……それもちょっとねえ……。


まあ、上に書いたように「素朴心理学」「直観心理学」にもとづいた回答があるのは当然であり普通なわけです。専門家だけが各質問に毎回回答するという状態も味気ないですしね。ただ、全てがもっともらしいけれども実は間違っているような素人回答に埋め尽くされるのも、「心理学」という学問にとしても「質問-回答データベース」としても、ちょっと危険だと思うのですよ。

10回答のうち1つぐらいは、「ある発言だけから、その相手の心理状態なんてわかりませんよ」「研究では、それはわかっていないことなんですよ」「ここで質問するのではなく、病院に行って医師の診断を仰いでください」という回答もあったほうが良いかなと思いますし、どれが主観的な意見による説明なのか、客観的なデータにもとづく説明なのかは、ちゃんと明記してあるほうがよいとも思うわけです。

いわゆる素人回答をけなして追い出したいわけではなく、「ちゃんと書いておいたほうが良いかな」という理由で、私は時々、「ある発言だけから、その相手の心理状態なんてわかりませんよ」「○○は××の象徴という話は科学的には正しくない」と回答することがあります。そうしたら「専門家が一般人の回答をけなしている」とか誤解されがちに……。

そう思われる理由としては、
 1)私の文章がフォローがなく下手
 2)他の回答者対策を含めて文章を書くと、つい底意地の悪い部分が出てしまう
 3)「専門家」の肩書き+言い切り口調の文章が誤解される

誤解されないような文章を書ければよいのですけどね。まあ、他に誰か文章の上手い方々がいらっしゃって、軋轢が起こらないようにうまく回答してくださるなら、それでも良いですし。あるいは、一般人の方々も「主観的に心理を考える」だけでなく、「学問の『心理学』として、できるだけ科学的・客観的に考えてみることも、時々心がけてみようか」という雰囲気になるのでしたら、一般人と専門家が互いに歩み寄れる感じもしますけどね。

別に実験や調査でデータを集める必要もないですし、大学の心理学の専門教科書を読破してその知識で回答する必要もないと思いますが、「無意識や抑圧などの概念は、客観的な説明として相手に通用するか?」「この説明は客観的にみて正しいのか?」「有名な先生の発言や世の中の話題を、自分で改めて考えることをせず、うのみにしていないか?」……などなど、そういう客観性の重要さを心に留めるだけでも、変わってくると思います。


最後のほうは感想みたいなものになってしまいましたが、ここまで長文で書いたわりには、ご質問の(1)にしか回答できていない気がします。機会がありましたら、もうこんな長文は書かないと思いますが、(2)以降は次の機会にでも……。もう朝から午前になってしまったし……。
「長い!なにこれ!」など、ご不快・ご迷惑になりましたらごめんなさい。

この回答への補足

回答を下さった皆さんへ。ありがとうございます。

皆さん貴重なお時間を割いて、気配りされた言葉を残してくださいました。本当に感謝しています。

早速お礼したい気持ちなのですが、私は理解するのに時間が掛かる方で、適当に思いついて書いても後で後悔すると消せないのは自分で辛いので、少々お時間頂きます。

回答はすぐに読んでいますよ。

補足日時:2006/03/18 13:01
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Behaviorismさん。お礼が大幅に遅れ申し訳ございません。確かに回答が長~い(笑)のですが、それで混乱したり迷惑したというのではありませんよ。読み手の為に、改行をしたり読みやすく工夫して配慮してくれているんだというのは以前から見習おうと思っていたのです。ブラウザによって見え方が違うので「読んで欲しい」とは思ってもなかなか上手になりません。

それで色んな回答を貰って、余計に探りたくなって、「こころはどこで壊れるか/精神医療の虚像と実像/滝川一廣/洋泉社」を読んだりカウンセラーの本を読んでみたりしました。

その中で聞き手の方が滝川医師を「温厚、柔軟ながらも冷静なリアリストである」と評価されておりますが、その滝川医師でさえ「カウンセリングの精神医療の打点は何割か?」という問いに「プロの打点は二割八分ぐらい、ですが実際はもっと良くなります。それは精神医療一本槍ではなく、薬物療法とか手持ちの手段で使えるものは使って他のスタッフを始め有形無形に関わって治療を支えている。これが大きいです」と答え、「患者さん自身が立ち直っていく自然治癒力もある」と評しておられました。

悩みの解決には、1に本人、2に素人、3・4がなくて5に専門家でしょうか…。

>客観性の重要さを心に留めるだけでも、変わってくると思います。

各人ともにですね。

子供に攻撃的な情報を与えると攻撃的な脳になるかというと、私は違うと思います。子供は一方的に与えられるものより承認されることに関心を持つ、交信相手の存在を重視するものだと思うので、人身売買や少年兵のように愛情から遮断された環境で育った子供の方が遥かに無気力だったり攻撃的になりますよね。

おサルさんを使って臨床実験でも解明されいるのですし、自立の遅い人間なら余計に人との触れ合いは大事なはず。

それで本の中でも殺人のような問題が多くなる年代は10代より50代の方が統計では多いので、やはり知識より安らげる場所=愛情が少ないことが問題だと感じました。

お礼日時:2006/03/30 14:49

#3です。


続きを書きます。

(3)心理学が人生相談に利用できないなんてことはないと思います。
効率的な勉強のしかた,家族を説得する方法,方向音痴の改善策,犬のしつけの悩み(犬生相談?)などなど,
かつて私も心理学の知見に基づいた助言をしたことがあります。

心理学の専門家が困りものと考えるのは,たとえばこういった問答です。
 Q.これこれこんな言動を取る人の心理状態はどうなっているのでしょうか?

 A1.それはあなたにかまって欲しいという心理の表われです。
 A2.それは本人が気づいていないコンプレックスの裏返しです。
 A3.それは子ども時代に充分甘えることができなかった典型的なアダルトチルドレンの症状です。
 A4.それは種の保存の本能の為せるわざです。
 A5.それは右脳と左脳の使い方のバランスが悪いことからくる現象です。

日常生活の中で人々が行なうこのような説明は素朴心理学と呼ばれ,それ自体が心理学の研究対象になっています。
素朴心理学的説明の最も洗練された形態は刑事事件の捜査や裁判の中に見ることができます。

心理学者がこのような素朴心理学的説明を採用しないのは,
それらが共有された思い込みや約束事を前提とした後づけの説明であったり,
博物館入りした理論,根拠の怪しい理論に基づくもっともらしい作り話であると考えるからです。
とくに先の例のA2~A5のようなものは
専門用語らしきもの散りばめて学術的説明の体裁を取っている分だけ性質(たち)が悪いと感じます。

素朴心理学的説明の背後には,たとえば次のような暗黙の前提が置かれています。
 ・ひとりにひとつずつ身体の内側(あるいは脳の中)に心が備わっている。
 ・心は内部空間を持つ箱,ないし部屋のようなもので,当人しか知りえない領域,当人さえ知りえない領域がある。
 ・人の行動は心の内部にある原因から生じる。
 ・正気の人の行動には了解可能な意図や動機が先行する。
 ・正気の人は通常,自らの意志によって行動を選択できる。

このような前提がはっきりと自覚されることは多くありませんが,
いわゆる常識として日常的な社会生活と言語使用の中で維持・強化され,われわれの思考を制約しています。

現代の心理学者はこのような命題群に疑義を抱いており,無批判に学術的論考の前提とはすることはありません。
しかしながら素朴心理学的思考を排して社会生活を送ることはできませんし,その必要もないでしょう。
素朴心理学的思考と無縁の暮らしを送る心理学者がいるとも思えません。
たいていの心理学者は状況に応じて使い分けを行なっているはずです。

心理学への誤解を正すために
心理学カテゴリーから素朴心理学問答を排除しようと使命感に燃える方の気持ちはわからなくもないですが,
不特定多数が匿名でアクセスするこのような場所でできることには限界があると思います。
たとえ排除に成功したとしても,水清くして魚住まず。過疎化してカテゴリーお取り潰しの運命が待っているでしょう。

かく言う私も「こういう質問は他のカテゴリーへ行ったほうがいいですよ」と書くことはありますが,
基本的には心理学カテゴリーではその手の質問に回答しないという消極的な方法で対処しています。
他のカテゴリーでは思いっきり素朴心理学的な回答をすることもありますが。


(4)最後の質問にはいくつかの問いが交絡しているように思えます。
まず治療行為云々というのが精神疾患のことをおっしゃっているのであれば,
今まで書いてきたとおり,それは心理学のごく一部と関係するだけです。
概論書を読んで知識を得るだけなら毒にも薬にもならないというところではないでしょうか。

ただ悩みや心の病の解決法を求めて心理学を独学する人(この発想自体がやや的外れなわけですが)の中には
心理学のごく一部,あるいはそもそも心理学でないものを心理学の核心と思い込んで
特定の理論や特定の療法のエヴァンジェリストになる方がときどきいらっしゃいます。
こうなると「信ずるものは救われる」の世界であって,心理学の「正しい使用法」から逸脱しています。
誤った思い込みに基づいて心理学を絶対化したり,逆にこき下ろしたりするのは勘弁してください。

そのような思い込みの危険性を知ったうえで
独学で得た知識に基づいて家族や知人に助言をすることは構わないと思います。
もちろん助言する方,される方,双方の自己責任の範囲で。
ただ,ここOKWave(あるいは教えて!goo)のような不特定多数がアクセスする非対面匿名状況の場で
書き込み内容だけから病名を特定するようなことは慎むべきでしょう。
これは医師免許のあるなしに関係ありません。

最後に「心理カウンセラー」を名乗るのに(現時点では)資格は必要なく,法的な権限も責任もないこと,
心理学徒の中にはこの呼称に気恥ずかしさと胡散臭さを感じる人もいることを申し添えておきます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Diogenesisさん。お礼が遅れ申し訳ないです。

それで何度も読み返し、耳を痛め(苦笑)しこたま言い訳を考えていたのですが、そうですね、【>悩みや心の病の解決法を求めて心理学を独学する人(この発想自体がやや的外れなわけですが)←という目的で私は心理を期待して止まなかったのですが!!!】残念です。しかし質問して勉強になり良かったです。精神医学との別も知ることが出来ましたもの。この回答を参考にした人の数も多い!し、知っているようで誤解されていることが常識的にあったってことですね。

素朴心理をやっちゃう私だから理由もなく思いこみだから自分で罪を感じなくなってしまって。正気の人と正気でない人を区別したら、私も立派に正気でない方に入ってしまいそう(汗)。お好きな人だって中にはいるさ…グスン。

そのような命題に疑念を抱かない様に、ものは言いようで良い性質として解釈していきたいなと、その表現力を心理学でつけれたらいいな、活用できるなら、ここで見ず知らずの人にも応援していきたいです。結局自己満足したいが為なんですけどね。

>書き込み内容だけから病名を特定するようなことは慎むべきでしょう。
これは医師免許のあるなしに関係ありません。

結構偉そうに?「人格ではなく、病気では?」って言っちゃってます。それで人権侵害や差別するように感じ取られてるかもしれませんし、もっと慎重になる必要は感じました。心理を使ったら元に返して自己責任って出来ませんし。

>誤った思い込みに基づいて心理学を絶対化したり,逆にこき下ろしたりするのは勘弁してください。

色んな立場とか方向性とかバランス感覚も大事とうことになりそうですね。一番大事かも。でも心理専門家よりもを生生しいもの好き(?)であるという自信はありますよ(根拠のない自信だが)。

お礼日時:2006/03/26 02:06

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!