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フリージャズというのは演奏する側も追求を重ねて行き着く場所であり、そうなると、当然聴く側も色々なものを聴いたことがないと、本当の意味で理解することはできないのですか?

A 回答 (2件)

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2029941
での回答者ですが、〆切後だったのでこちらに
責任を持って解答しときます。
ジャズを広義で捉えれば、即興音楽全般を指す場合もありますが
個人的にはスイングフィール、ビバップのイディオム、いずれかが含まれていないとジャズという感じがしません。
前述の高柳氏、チックコリア、リッチーバイラーク、デイブリーブマン等ジャズの語彙をマスターし、トラディショナルなジャズをプレイできる人が演奏している「フリージャズ」にはそこはかとなく
ジャズの語彙がにじみ出ており、テンポがフリー、キメごとなし、場合によっては調性が存在せずともジャズのニュアンスを感じ取ることができます。
が、ジャズの語彙を習得していない方が「フリージャズ」と銘打って演奏しているケースではほとんど、いや全く「ジャズのニュアンス」を感じ取ることはできません。
ですから個人的にはそういう音楽は「フリージャズ」ではなく「フリーミュージック」だと思います。

ジャズの語彙を習得していない「フリージャズ演奏家」の方はたいてい私のような意見に対しては
「ジャズというのは自由な音楽である。なのに○○が必要、だとか制約やルールがあることはジャズの意義に反するのではないか。ジャンルに
拘りすぎ囚われすぎだ」という反論を投げかけてくる場合が多いです。
しかし、彼らは自由、が旗印、ジャンルに拘るべきではない、という主張をしながら、
自分達の音楽をジャズというジャンルにカテゴライズされる(する)ことに拘っているという矛盾に気づいてらっしゃらない場合がほとんどで(^^ゞ

いろいろ書きましたがけっしてそういったタイプの音楽を卑下しているのではありません。
その類の音楽は、演奏する側も追求を重ねてからやらなければならないわけでもないと思いますし
色々なものを聴いたあとでないと理解できないものでもないと思います。好き、嫌いを判断するのに理由は必要ありません。

とはいえ、最初に申しましたように、フリージャズ、と銘打つならば、なんらかの形でトラディショナルなジャズのフィーリングを
感じさせていただきたい、と思う次第でありますし、ジャズの語彙を習得していない「フリージャズ演奏家」の存在そのものにも
胡散臭い物を感じます。古典落語が下手なのに、古典落語をバカにし創作落語の優位性を主張する落語家、
デッサンがろくにできない抽象画家、と同じ匂いがします。(フリーミュージック、と名乗っている分にはなんの問題もありませんけどね)
逆に、トラディショナルなジャズを習得したあと、そこに留まらず、新しい物や更に自由なフォームを追い求めて
フリーに行き着いた人の演奏や行動には重みを感じます。

走り書きなので乱文失礼。
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この回答へのお礼

というのも、私はBill Evance とかJohn Coltraneは好きになれないのですが、坂田明やDoller Brandは好きなんです。

 あなたの言うトラディショナルなJazzは好きになれないのですが、フリージャズは聴いていて楽しいです。
 そういうことで訊いたまでです。

お礼日時:2006/03/18 11:28

ジャズにはそもそも形式があるんですよ。


それぞれの楽器のソロのアドリブによる掛け合いとか………、、
パターンが決っているんです。
まあ、短歌に喩えれば五七五七七の形式みたいなものです。
でも、その限りではないと。そんな感じです。

しかし、それは関係ないと思います。
単純にその音楽を楽しめば良いのでは?

それに、音楽の行き着くところに限りがあるのかどうかも解らないことですよ。
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この回答へのお礼

今は何とも言えませんが、今後の参考になりそうです。

お礼日時:2006/03/17 09:47

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