人生最悪の忘れ物

高校の一般入試に合格し、宿題が出てきました。
そのうちのレポートで、脳死に関することをまとめたいのですが、皆さんにご意見を賜りたいと思います。
1脳死は人の死か
2脳死の時あなたは臓器移植をしてもいいと思うか
です。
よろしくお願いします。

A 回答 (17件中1~10件)

1.死だと思います。



脳死が非可逆的に全体の細胞死へ向かうというのは、医学界では常識です。脳は生命活動の中心で、心臓に指令を出すのも脳です(自律した部分もありますが)。よって司令塔である脳が死んで、生命活動が維持できるはずもありません。人工心臓はあっても、人工脳はないでしょ? もしできたとしても、それは「別人」なのでは?

2.家族の了解があればしたいです。

個人的にはしたいです。自分の死体には興味ありませんから、人の役に立ちたいです。他の臓器移植賛成者のご意見と同じです。しかし、家族にとっては話は別でしょう。まだ暖かい体にすがりついて…泣いて…奇跡を信じたい、そういった気持ちは当然だと思うし、遺族がそうしたい(臓器提供して欲しくない)というなら、そうしてほしいです。

脳死でなく、心臓死での角膜&腎臓移植をさせられた遺族が「死んだということも信じられないうちに、わけも判らず臓器移植を承諾させられた。あの時断っていれば、奇跡が起きて娘は生き返ったかも」と後々までずっと悔やんでいるのを見たことがあります。勿論医学的には奇跡はおこらなかったでしょう。しかしその遺族の気持ちは判るし、私は、自分の家族にそんな「一生続く後悔」をさせたくありません。

だから「家族の了承があれば」OKです。

自分の家族のことしか考えない自分勝手でわがままな人間だという非難は甘んじて受けます…。

3.余談

「脳死を人の死とするか」と「脳死時の臓器移植に賛成か」は本来別問題だと思います。それが混同されてしまうのは、やはり「脳死」が「臓器移植用の死」とされている、という問題があるからでしょう。#3さんが「脳死は法律によって死と認められている」とおっしゃっていますが、もっと正確に言うと#5さんのおっしゃるように「臓器移植の時だけ」脳死は死とされるのです。
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はじめまして。



脳死であることの法的な定義が前提ならば、それが答えになるでしょう。
法的には、脳死は「死」です。


…脳死と死の違いって何でしょうかね?
おそらく一般的な視点では、死は心停止で蘇生の見込みなし、脳死は呼吸器等を使用すれば生命維持は可能、といったところでしょう。

植物状態と脳死の違いもありますが、それは一般的な視点ではほぼ同値ではないでしょうか? …そこが、混乱のもとかという気がしますが。


脳死とは、日本において法的には死と認められているので、「死」です。
ただ、最低限生命維持ができる点において、家族にとっては、「死」と認められないということがあると思います。

脳死状態の判定は法的に厳密に定められていますが、遺族や一般の方の「死」の判断は、個々にゆだねられています。回復が見られなければ死んだと同然と思う人もいれば、たとえ機械まかせだとしても心臓が動いていれば生きていると思う人もいます。後者のように考える人にとっては、脳死は死ではありません。

日本語の特徴である主語の省略により、さも難問のように思われていますが、「誰にとって」「~という視点では」ということを明確にしていくことにより、より分かりやすく説明できると思います。



私が脳死状態のとき~とありますが、私は構わないと思っています。
ただ実際には、臓器提供の意思カードは持っていませんし、これからも所持の予定はありません。
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この回答へのお礼

皆さん本当にありがとうございました。おかげでレポートをまとめることができました。ここで心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/04/09 13:42

1)死んだことがないので判らない。


2)よい。というか、免許証にドナーカードを添付して意思表示をしている。理由は社会によって生きているので、死に瀕することで社会に還元できる物があれば還元すべき。ただし、他人に強要する物ではない
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1.死である 


(意識あってこその「人間」だと思うので)

2.臓器移植の意思表明カードを持っている 
(私の皮膚一枚、眼球一個に至るまで、使えるものはすべて
徹底的にリサイクルしてほしい)
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この回答へのお礼

皆さんありがとうございます。
やはり賛否両論といった感じですね。
もう少しアンケートを続けさせていただきます。

お礼日時:2006/03/23 17:56

1.「死」ではありません。

しかし臓器移植のための生きた臓器入手のための「死」とみなせる状態にあります。
刑法の?条「他の法令に定めがある場合には刑法の適応をうけない」.19?条の殺人のあたりの判決を参照

2.本人の考え方次第。
自殺は刑事責任を問われません。「私自身をこれこれの条件のときに殺してください」という契約が「臓器移植カード」の所持ですから。
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 さて、何をもって「人」と定義しますか。



 知性ある活動を持って人とする? ではまだ幼い乳幼児は「人」ではないのか?

 生物として子孫を残すことが「人」なのか? ならば凍結保存した精子は「人」であるか?

 心臓が動いていることが「人」であるか? ならば本来の心臓でない人工心臓に置き換えた者は「人」ではないのか?

 まあそれはそれとして、個人の考えを。

1,yes
2,yes
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1.yesです。

機械を使って心臓を動かしてる状態って、機械を外したら止まっちゃうつまり自分自身では生きてない状態ですよね。自然には生きない・・・死だと思います。

2.yesです。誰かの命を救えるかもしれないなんて素晴らしいじゃないですか。自分の死が無駄ではないと思える。
反対だと言う人は自分や自分の家族が「心臓移植しか助かる道はない」っていう状況になったときのことをイメージしてほしいです。

私も旦那も臓器提供カードを財布に入れています。もしものときに臓器や角膜が、祈るような気持ちでドナーを待ち続けている人のお役に立って欲しいですから。
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1.


自分的にはYes
と言うのも死んだ脳細胞を排除して
生きた所へ繋げる方法はないのですかね。

それに不時の病と言うのはいくらでも
ありますから生きるのに必要な部分が
欠損や修復不可能なら「死」しかないですよね。

考え方にもよりますが
家族の意志だけで生きながらえると
言うのも本人にとってはどうなのかと?

2.これもYes
せっかく新鮮な臓器があるのに
ただ腐らせるのも
これから生きたいと言う人の側に
立てば酷な事です。

せっかく適合する臓器があるのに
家族の依存でダメになるのも
よくありそうですしね。

どうも家族が大切だと思うのは
普通なんですがダメなものダメと
割り切れないから今の状況があるのでは
ないでしょうか?

人間はわがままなので自分や自分の
家族だけ無事なら十分で
それ以外の不自由な人間には
目もくれないのが今んの現代社会だと思われます。
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1.死だと思います。

脳死状態になったらもうもとには戻らないのですよね?
2.事故などで命を失った自分の体(すこぶる健康で上質なはず!)が
人の役に立つなら喜んで差し上げたいと思っていましたが、
いざ臓器移植カードを手にして書き込もうとしたとき、
どうしてもどうしても勇気が出なくて書けませんでした。
カードを携帯している方はどの程度いらっしゃるのでしょうね?
なかなかできることじゃないです。
心より敬服いたします。
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 どなたとは申しませんが、「脳死」と「いわゆる植物状態」とを混同されているような回答があります。

両者はぜんぜん異なります。レポートでは、きちんと区別してくださいね。
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