時は元禄15年12月15日・・・今日は討ち入りが行われた日です。と毎年12月15日になるとTVで言われますが、これって旧暦の12月15日のように思うのですが
実際はどうなのでしょうか。またすべての史実の日について旧暦の日付を新暦に読み替えているとすれば季節感がずれてしまうし、厳密にいえば「今から200年まえの
今日は明暦の大火がありまして・・・・」などはうそではないかと思うのですが
どなたか教えてください

A 回答 (4件)

こんばんは。



忠臣蔵については、下のURLも参考になるかもしれません。

では。

参考URL:http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/opinion/k …
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この回答へのお礼

いやーこれはすごい。ありがとうございます。歴史も科学である以上正確な理解が必要と感じました。日本の狭い世界で慣習に固執する歴史学会も変わることを期待します。

お礼日時:2002/02/16 22:47

解りにくいですよね。


新暦の12月15日とは確かに季節感がずれます。
年末だという意味ではあっていますが・・
討ち入りの旧暦12月15日は寒中の月夜ですね。
14日と覚えていましたが、この質問を見て表記が変わっていることに気づきました。当時は深夜ではなく早朝に日付が替わったので今の考え方に合わせたのですね。
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この回答へのお礼

なるほど、1日の始まりかたも違うのですね いまでもTVなどは26時などと
使っていますし、JRの定期券も期限の日の最終電車までOKだそうですね

お礼日時:2002/02/17 09:44

天正の少年使節団が10月1日に日本を出発し、よく年の2月1日にポルトガルの王に謁見した。

という場合はどう考えるのでしょうか >
 天正の少年使節自体、日本の歴史に登場したのは明治になってからで、それも西欧の書物によってが主でした。したがって、原則は太陽暦で当時の日本の歴史と対比させる場合、旧暦で表わしています。
 天正少年使節
http://www.saikaicho.net/julian/01.html
 一般的に旧暦→太陽暦 に換算する場合は下の表を見てください。

参考URL:http://www.tmh.ne.jp/oktugaru/agura/warekiseirek …
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この回答へのお礼

貴重なサイトを教えていただきありがとうございました

お礼日時:2002/02/17 09:40

えーと、歴史の教科書などに出てくる日付は1872年以前は基本的に太陰暦の日付です。

ご存知の通り、明治政府はそれまでの太陰暦を廃止して太陽暦を採用し、明治5年12月6日を明治6年1月1日としました。

ですから、TVなどで「明暦の大火」があった日などというのは旧暦の日付をそのまま新暦で言っているだけです。もちろん、厳密に言えばそれは誤りですがそれに目くじらを立てても仕方ないでしょう。太陰暦のある日を厳密に太陽暦の何日にあたるかを考えるのは厄介ですからね。何しろ、太陰暦だと「うるう月」というのがあって、一年が13ヶ月の時があったりしますものね。

この回答への補足

ありがとうございます。長年の疑問が解決しました。しつこいようですが、では、天正の少年使節団が10月1日に日本を出発し、よく年の2月1日にポルトガルの王に謁見した。という場合はどう考えるのでしょうか。その間何日たっているのかな?いずれにせよ、世の中、物差しによって動いているということで、現代のキリスト教社会とイスラム社会の対立もそんなもんかもしれませんね。

補足日時:2002/02/16 20:36
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Q旧暦の新暦の差は29日?

夏目漱石の出生年月日を見たところ、
1867年1月5日(新暦2月9日)と書かれていたのですが、
新暦の採用は1873年の明治5年12月3日を
明治6年1月1日にした時からだと調べました。
それなら日にちの差は29日であるはずなのに、何故漱石は35日の差になっているのでしょうか?

Aベストアンサー

旧暦は、新月の日を「第1日目」とします。これがいまだに残っている「ついたち」の語源です。

新月から満月を経て再び新月になるまでは、平均すると約29.5日です。
ということは、旧暦における1ヶ月の日数は、29日か30日のいずれかで、新暦のような31日や28日というのは存在しません。

旧暦においては29日の月を「小の月」、30日の月を「大の月」と言っていました。

新暦でも旧暦でも1年は12ヶ月ですが、旧暦は1ヶ月の平均日数が29.5日のため、29.5×12=354日で、新暦の365日より11日不足する(つまり、季節がずれる)ことになります。

1年で11日ということは、3年で33日のずれなので、約1ヶ月分ずれていることになります。

そこで、約3年に1度の割合で1ヶ月プラスして1年を13ヶ月にします。
これを閏月(うるうづき)といい、閏月がある年を閏年(うるうどし)といいます。

新暦では、4年に1度、2月を29日にする年を閏年といっていますが、旧暦でいう閏年とは、このように意味合いが異なります。

さて、旧暦から新暦に移行した1873/1/1は、旧暦でいうと1872/12/3になり、確かに29日ずれているように見えますが、この比較は「無意味」です。
なぜなら、旧暦の12月は29日か30日のいずれかであり、新暦のように31日で固定されていないからです。

見方を変えて、新暦の1872/12/1は、旧暦でいうと1872/11/1で、ぴったり「ついたち」同士でした。
このときの旧暦11月は「小の月」だったため、新暦1872/12/29=旧暦1872/11/29ですが、翌日は新暦1872/12/30=旧暦1872/12/1なのでした。

いずれにせよ、ご質問者様が思っていらっしゃる「29日の差」というのはたまたまであり、旧暦のルールでは特定の月の日数は変動するので、「29日」と固定することはできません。

さらに、閏月を考慮するともっと差は広がるでしょう(この場合の「差」も旧暦の○月を新暦での日数で考えると、という「無意味」な前提ですが。)

例えば、新暦に改められた1873年は、旧暦では閏年でした。
(ちなみに、改暦の理由は欧米に見習うため、と思っている方が多いですが、実は、公務員の給料を年俸制から月給制に変えたため、閏年だと1年に13回支給することになり、当時財政難だったため、閏月のない新暦に変えちゃった、というのが真相だそうです)

この年の閏月(閏6月)は大の月だったため、さらに1日差が開くことになりました。比較してみると、旧暦1873/7/1=新暦1873/8/23で、旧暦7月を新暦のように31日までと考えると(この考え方自体が、先ほどから二度ほど「無意味」と申し上げている理由です)、53日もずれていることになります。

旧暦のルールは新暦と違ってかなり複雑です。
でも、複雑なだけに面白く、日本の歴史、文化、伝統、行事などとも密接に結びついていますので、「昔の人はこういう風に考えていたのか」と意外な発見があります。

この機会に、旧暦やこよみのことについて勉強されてみてはいかがでしょうか。

こよみについては、このサイトが詳しいですよ。
新暦と旧暦の相互変換もできます(つまり、○年○月○日は旧暦では○月○日なのか、などの計算)。
http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm

旧暦は、新月の日を「第1日目」とします。これがいまだに残っている「ついたち」の語源です。

新月から満月を経て再び新月になるまでは、平均すると約29.5日です。
ということは、旧暦における1ヶ月の日数は、29日か30日のいずれかで、新暦のような31日や28日というのは存在しません。

旧暦においては29日の月を「小の月」、30日の月を「大の月」と言っていました。

新暦でも旧暦でも1年は12ヶ月ですが、旧暦は1ヶ月の平均日数が29.5日のため、29.5×12=354日で、新暦の365日より11日不足する(つまり、...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q旧暦と新暦(日本)

旧暦と新暦は季節にずれがあるようです。このことについていくつか質問があります。
★1;ずれは一ヶ月とも聞きますし、二ヶ月とも聞いたことがあります。この差は旧暦に閏月が入るためかと、漠然と認識していたのですが、その通りなのでしょうか。
★2;具体的には、日本は明治政府から新暦に移ったと思いますが、それは旧暦の何月何日を新暦の何月何日としたのでしょうか。
★3;旧暦は平安時代のものと江戸時代のものは同一なのでしょうか。
★4;36節は旧暦のものですよね?新暦に当てはめたら、上記の通り、一ヶ月~二ヶ月ずれているのでしょうか?
★5;ちょっと別の質問ですが、初春、盛夏、中秋、初冬などと四季の中でも季節を細分化する言い方がありますが、正式な言い方は全て定まっているのでしょうか?(時期は定まっていないと思いますが)
★★類似質問もいくつか見てみましたが、つかみかねました。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

既出の回答と重複する部分もありますがお許し下さい。
★1; 現在の暦は、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることから始まりましたので、「ずれは一ヶ月」ということができます。
一方、旧暦は月の動きを基に定められています。月が地球を1周するのは約29.5日です。そのため12か月で354日にしかなりません。1年で約11日ずつずれていき、3年目では1か月余りずれます。これを新暦と較べれば、ずれは「二ヶ月とも」言えるわけです。このずれを補正するため、19年間に7回の閏月を挟んでいます。

★2;切り替わった日付は前述のとおりですが、これが発表されたのは、明治5年11月9日のことです。つまり、わずか23日の周知期間しかなく、既に暦を印刷していた業者は大損害を被ったそうです。これには裏話があり、政府の財政事情が大きく関係したようです。改暦してしまえば12月は2日しか残らず無視できる、また明治6年には閏月が予定されているが新暦にはない、つまり2か月分の役人の給料を支払わないで済ませる窮余策であったそうです。

★3;明治5年まで用いられたのは「天保暦」といって、それほど古いものではありません。これまでの日本の暦はおおむね次のようです。
元嘉暦 持統6年(692)
儀鳳暦 文武元年(697)
大衍暦 天平宝字8年(764)
五紀暦 天安2年(858)
宣明暦 貞観4年(862)
貞享暦 貞享2年(1685)
宝暦暦 宝暦5年(1755)
寛政暦 寛政10年(1798)
天保暦 弘化元年(1844)

★4;「36節」というのは聞いたことがありません。「二十四節季」または「七十二候」ではありませんか。一応「二十四節季」として話を進めます。結論を先に言うと、新暦に当てはめてもずれることはありません。
俗にいう旧暦とは、太陰太陽暦のことです。日付を定めるのは太陰、つまり月の動きによっていますが、季節を定めるのはあくまでも太陽の動きです。つまり、1年を24に等分したものが二十四節季です。立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、甘露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒ですね。これらの起算は冬至です。太陽を観測して最も低い日を冬至と定めました。春分秋分も夏至も、太陽の動きを計算して事前に暦を定めたのです。
太陽が地球を1周するのは365日ちょうどではありませんから、冬至も春分も年によっては1、2日ずれますが、おおむね一定しています。逆に旧暦にあてはめると、日が定まらず、1か月ずれることもあれば、最大2か月ずれることもあります。
昨日(12/7)「大雪」でしたが、札幌で除雪電車が走り、金沢から初雪のたよりがありました。二十四節季と新暦が大きくずれているとは言えませんね。

★5;前述の二十四節季のことと思います。( )内は2004年の日付です。
「初春」立春(2/4)から啓蟄(3/5)の前日まで。旧暦1月。
盛夏→「仲夏」芒種(6/5)から処暑(7/7)の前日まで。「晩夏」処暑から立秋(8/7)の前日まで。
中秋→「仲秋」白露(9/7)から甘露(10/8)の前日まで。
「初冬」立冬(11/7)から大寒(1/21)の前日まで。

既出の回答と重複する部分もありますがお許し下さい。
★1; 現在の暦は、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることから始まりましたので、「ずれは一ヶ月」ということができます。
一方、旧暦は月の動きを基に定められています。月が地球を1周するのは約29.5日です。そのため12か月で354日にしかなりません。1年で約11日ずつずれていき、3年目では1か月余りずれます。これを新暦と較べれば、ずれは「二ヶ月とも」言えるわけです。このずれを補正するため、19年間に7回の閏月を挟んでいます。

★2;切り替わ...続きを読む

Q日にちの計算が解からないらしく困っています!

※○月○日から△月△日までの日数は何日間でか? 
※○月○日から数えて△日後は何月何日ですか?
※○月○日の△日前は何月何日ですか?
といった類の問題がわからないらしく困っています。月が変わるとわからなくなるし、曜日をたずねられるとわからないし、とにかくこの単元が苦手のようです。
どういった場合に一日足したり、引いたり、あるいは引かなかったりするのかが解からないらしく、キーワードみたいなのものか、法則みたいなものがあれば教えてください。すこし言葉が変わっていると解からなくなるみたいで困っています。この問題で算数が嫌いになりかけてるみたいなのですっきり解けるテクニックがあれば教えてください。最後になりましたがわが子は小学4年生です。

Aベストアンサー

1を足したり、足さなかったりのところについて。(この点だけ)
この問題は、大人でも混乱する人が多いと思います。わたしもですが。

なので、はっきりわかるくらい具体的な問題に一度置き換えればいいとおもいます。

※○月○日から△月△日までの日数は何日間でか? 
 1月1日から、1月2日までは2日間
 2-1=1 だから、+1すればいい。

※○月○日から数えて△日後は何月何日ですか?
 1月1日から、1日後は1月2日
 1+1=2 だから、足し算だけでOK。

※○月○日の△日前は何月何日ですか?
 1月2日の1日前は、1月1日
 2-1=1 だから、引き算だけでOK。

こんな感じで。(もちろん、これは、頭の中でやるか、メモ用紙でやるかして、回答には書きません)

Qユダヤ人はなぜ迫害されたのですか?

先日オランダへ旅行に行った友人がアンネの日記でお馴染みの家を見学に行ったらしいのですが、ユダヤ人が何故迫害されるようになったのか疑問のまま帰国して僕に聞いてきました。僕なら知っていると思ったらしいのですが、僕はこの何故?に対して全くの無知でした。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、ユダヤ人は金貸しなど当時身分が低いとされた職業にしかつくことが許されていませんでした。
(それが原因でユダヤ人の多くが金持ちになってしまいました。これもユダヤ人に反感を持たれるようになる原因の一つです)
金を借りて返せないと逆切れして暴力をふるう人は今以上にいたのですが、その大義名分として先の理由がつかわれるようになります。
こういう騒ぎが暴動に発展して、ユダヤ人が略奪&虐殺されることはナチス以前から多くあったそうです。

このような状態が1000年以上も続いたのですから、「ユダヤ人を迫害してもあまり問題は無い」という悪しき文化がうまれたのでしょう。
ユダヤ人に対する差別や迫害はヨーロッパ(というよりキリスト教圏)全体でよくあることだったそうですが、その中で一番激しかったのがドイツのあたりだったそうです。
(これには神聖ローマ帝国などが絡んでいるらしいのですが、面倒なので省略)。

第一次世界大戦後の混乱を利用してナチスが成り上がるために利用したのがこういった差別意識(+自分たちは選ばれた人種なのだという選民意識)です。
「戦争に負けたのはユダヤ人が悪い」など、現在の某組織のように敵を作ることでドイツを自分たちの都合のいいようにまとめようとしたのです。
後はよく知られているように、資産の没収、強制収容、虐殺という流れになって行きます。


という内容の本を昔読んだことがあります。
記憶で書いているので、内容の正確さについては自信がありませんが、おおむねこんな感じだったと思いますよ

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、...続きを読む

Q日本の陰暦(旧暦)にあった「13月」の和名は

日本の現在の暦では一年は12ヶ月ですが、
過去の陰暦では一年が13ヶ月になることもあったとする説があります。
もしあったとして、その13ヶ月目に和名はあったのでしょうか。

独立した13ヶ月目が12月の後にあったのではなく、
前の月が延長して2ヶ月分になり、名前の前の月のままだった。
そんなふうに私は予想しています。
それでも希な出来事なら、人心としては非公式でも俗称を付けたくなるのでは。
長月が倍に延長したら、伸びた分は長々月とか…。

陰暦時代のイレギュラーな13月を人々がどう呼んでいたか(公式非公式問わずで)
ご存じの方おりましたら教えていただけませんか。

1月:睦月
2月:如月
3月:弥生
4月:卯月
5月:皐月
6月:水無月
7月:文月
8月:葉月
9月:長月
10月:神無月
11月:霜月
12月:師走
13月:!?

よろしくお願いいたします。
それではまた後ほど。

Aベストアンサー

陰暦は月の満ち欠けで、ひと月を決めるので、太陽の
運航と1年で約11日の違いが出ます。
農作に必要な太陽の運行に合わすため、約3年に
一度閏(うるう)月を設け修正しました。
閏年は13ヶ月になります。
閏月は一定でなく、そのたびに変わります。
前の月に閏を付けて呼びます。
5月のあとの閏5月、10月のあとの閏10月とかです。
和名は閏弥生などと呼んだと思います。

Q真相報道バンキシャを観てますが、武貞秀士って何者なんですか!北朝鮮から金でも貰っているんですか?

今、日テレ系のTV番組「真相報道バンキシャ」を観ています、北朝鮮の労働党大会の報道をしています、コメンテーターの武貞秀士という拓殖大教授が解説しています、このオッサンのコメントに引っ掛かるモノを感じます、普通に聞き流していたら解らないと思います、けどチョットでもマジに聞いたら違和感を覚えると思います、なかなかの巧み度を直感しました、このオッサン、北朝鮮か朝鮮総連かに通じているんですか?裏の裏で金でも貰っているんですか?
何者なんですか?教えてくださいませんか、このオッサンの実体を…。

Aベストアンサー

かつては、日本でまともに北朝鮮研究やってる5人のうちの一人に入ってて(安全保障研究所(当時)の伊豆見氏(現静岡県立大教授)、慶応大の鈴木氏、ラジオプレスの鈴木氏、もう一人忘れた)、まともだったんですけどねぇ。残念ながらお変わりになりました。
 防研(防衛研究所)の主任研究員だった頃には、シンポジウムで「北朝鮮が赤化統一を捨てたことは今まで一度もない。今日こうやっている間にも北朝鮮ではプルトニウムの抽出が行われているのです。」と、日本の一般ピープルが思わず忘れている大事な点を指摘したりしてらしたのですが。
 たまにテレビにお出になっても、日本の立場からの発言でした。

 それが防研辞めて、韓国の延世大学の国際大学院(英語で授業)に1年行かれ、そのあと北朝鮮政府の招待で2回、北へ行って来られたら、変わってらっしゃいました。
 北朝鮮の代弁人かと思うほど、「北朝鮮の立場としては、・・・」「北朝鮮の考えとしては、・・・」「北朝鮮の思いとしては、・・・」「北朝鮮の気持ちとしては、・・・」という発言が圧倒的にに多くなりました。「北朝鮮に寄り添う」人になっちゃいました。
 韓国で親北勢力の人間に取り込まれたか、そのあとの北朝鮮で取り込まれたか、わかりませんが、変わるだけの強烈な何かがあったのでしょう。

かつては、日本でまともに北朝鮮研究やってる5人のうちの一人に入ってて(安全保障研究所(当時)の伊豆見氏(現静岡県立大教授)、慶応大の鈴木氏、ラジオプレスの鈴木氏、もう一人忘れた)、まともだったんですけどねぇ。残念ながらお変わりになりました。
 防研(防衛研究所)の主任研究員だった頃には、シンポジウムで「北朝鮮が赤化統一を捨てたことは今まで一度もない。今日こうやっている間にも北朝鮮ではプルトニウムの抽出が行われているのです。」と、日本の一般ピープルが思わず忘れている大事な点を...続きを読む

Q江戸時代のような飢饉が起こらないのは偶然?

昔は天候の悪化とかで飢饉、餓死者がでる...というようなことを歴史の時間に学びましたが、今これが起こらないのは偶然ですか?

歴史マンガを読んでいてふと思いました。なぜ?
少なくとも私が生まれてからはタイ米騒動以来、食べ物に困ったなんていう記憶は全くございません。。。

Aベストアンサー

江戸時代の飢饉には、寒冷気候・農業技術の未発達以外にも、経済問題が大きく関わっています。
当時の経済は、国家的規模での流通は存在しましたが、国家としての経済政策は持ち合わせていませんでした。
各藩の独自の政策により、米中心の経済運営が行われていたため、歳出を図るために当年の予測収穫量により、年貢米の先物取引が行われるようになりました。早い話、当年の予測収穫量を抵当に入れる形で借金財政が行われ、その利息が一層藩財政を苦しくしました。農民は搾り取られ尽くしても尚絞られる苦境に置かれていました。そうした中での収穫減は、まさに庶民を直撃したのです。
生産地では食糧不足に苦しむ反面、江戸や大坂には米が集中し、大量の米が酒の醸造に回されています。『江戸っ子は宵越しの金は持たねー』などと粋がっていたのは、米中心の藩財政の失敗が最大要因です。
現代は経済の基本が米を離れ、鉱工業や商業、金融に依存するようになって居ます。
その代わり、国の経済運営は政府に一任され(国会の承認は必要ですが、事実上は与党の思いのまま)、大企業が自らの利益を図るために深く介入しています。だから国債発行高が急増し、国民は生まれながらにして借金を背負う羽目になりました。
現代型の飢饉が、非正規雇用の拡大という形で襲い掛かってきています。

江戸時代の飢饉には、寒冷気候・農業技術の未発達以外にも、経済問題が大きく関わっています。
当時の経済は、国家的規模での流通は存在しましたが、国家としての経済政策は持ち合わせていませんでした。
各藩の独自の政策により、米中心の経済運営が行われていたため、歳出を図るために当年の予測収穫量により、年貢米の先物取引が行われるようになりました。早い話、当年の予測収穫量を抵当に入れる形で借金財政が行われ、その利息が一層藩財政を苦しくしました。農民は搾り取られ尽くしても尚絞られる苦境に置...続きを読む


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