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ダスティンホフマン(以下D)、メリルストリープ(以下M)のクレイマークレイマーの結末はどう解釈しましたか?
M「あの子の家はここよ」
M「連れては行かない」
M「上へ行ってもいい?話したいの」

D「イエス」
D「君一人で行け、僕はここにいる」

でMが上へ行き映画が終了しましたが、この会話の内容から離婚して子供を置いて行くなのか復縁なのかどちらとも取れる内容に私は感じました。
どちらとも決まっておらず、観る人が個々で結末を想像(決めろ)しろ、という作者の配慮なのか。
単純に離婚なのか復縁なのかどうでしょうか?

A 回答 (2件)

話してもいいのですか?



結論は、(夫婦は別れ)子どもを夫の元に残し、彼女の方から去ることを決めるのですが、
子どもには、そのわけを母として自分からちゃんと話させて~という意味ですね。
母としては去るが、父も住まいも同時には奪えなかったということでしょう。
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あなたの感じた通り、この家族、この夫婦の行く先は観客の想像に委ねる、というのが作り手の狙いのようです。


と言うのも「別れる」、あるいは「元サヤに落ち着く」は人によって意見が違うからです。
私は二人は別れるものと思っています。
裁判に勝った奥さんが結局は(自分が勝手に出て行った間に深めた)父子の絆を断つことはできないと、自ら身を引いたと解釈しています。
好き嫌いが別れるラストかもしれませんが、この余韻を残したラストシーンは私は大好きです。
ホフマンの顔が、閉まるエレベーターの扉で隠れていくというラストシーンは鮮明に覚えています。千本か何千本か、観た映画は数知れませんが、ラストカットまで記憶に残る秀逸なラストの映画でした。
なんでもシロクロつかないのが現実。この映画はある種の不条理をやんわりと描いていることに成功していると思います。
・・・グダグダと失礼しました。
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