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 日本語を勉強中の中国人です。比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を知りたいのですが、紹介していただけないでしょうか。読み方も振っていただければ助かります。
 
 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

 比喩表現の幾つかに触れてみます。


1.明喩(直喩)
「わたしはまがつたてつぱうだまのように
 このくらいみぞれのなかに飛びだした」(宮沢賢治「永訣の朝」)
http://www2.g-com.ne.jp/~lovemin/miyazawakenji.htm
2.暗喩(隠喩)
「観客様はみな鰯
 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」(中原中也「サーカス」)
http://www.exist.net/poetry/circus.html
3.諷喩
「林檎畑の樹(こ)の下に
 おのづからなる細道は
 誰(た)が踏みそめしかたみぞと
 問ひたまふこそこひしけれ」(島崎藤村「初恋」)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/h …
4.提喩
「夜。
 孤独なる室(へや)の彼方に
 嵐が静かに聞こえる。
 静かな嘯(ホイッスル)。」(三木露風「嵐」)
5.擬人法(活喩)
「トタンがせんべい食べて
 春の日の夕暮は穏やかです
 アンダースローされた灰が蒼ざめて
 春の日の夕暮は静かです」(中原中也「春の日の夕暮」)
http://www.chuyakan.jp/14search/poem/01.html
6.声喩(擬声語・擬態語)
「さら、
 さら、
 さら、さら、さら、さら、唐黍(たうきび)だ。
 紅い垂毛(たりげ)は目がさめて、
 誰か来ぬかと待ってゐる。
 暑い、暑い、暑い、暑い、
 へいほう。と
 虫も啼いてる、草むらで。
 かあん。
     と、空(から)鳴り、空の鐘。」(北原白秋「トラピストの牛」)

この回答への補足

 挙げてくださった例文は私にとってはとても難しいです。よろしければ、【何】を【何】にたとえられたのか、それぞれ簡単に説明していただけないでしょうか。

 また、日本の詩の中では、中国語の漢詩と同じように、字数、音韻などにこだわる詩もあるのでしょうか。それは俳句でしょうか。

補足日時:2006/07/31 23:59
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この回答へのお礼

 月下無可さん、いつもお世話になっております。
 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。比喩にはこんなにたくさんの種類があるのですね。大変参考になりました。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/08/01 00:11

>、【何】を【何】にたとえられたのか


【何】を…なら、(何に)例えたのかで、
(何に)例えられたのか…なら【何】が、となります。

1.私=鉄砲玉<のように>…飛びだした
2.観客様=みな鰯、咽喉(のんど)=牡蠣殻(かきがら)と…鳴ります
3.「おのづからなる細道」は「誰(た)が踏みそめしかたみぞ」と、問ひたまふこそこひしけれ
 細道がどうしてできたのか→私に逢いに通って来たあなたがつくったのだという、謎掛けの言い交わし自体が互いの心の親密さを一層強く表わしている。
4.夜=孤独なる室⇔嵐=静かな嘯(ホイッスル)
 夜の孤独な室に自分を仮託し、嵐と静かな嘯に自身の中の懊悩の有様を代弁させている。
5.トタン→(せんべい)食べる、灰→蒼ざめる。
6.さら、さら→唐黍(たうきび)の風に騒ぐ音。
 紅い垂毛(たりげ)→へいほうという声を上げて暑がる
 かあん。と→空の鐘の空鳴りの音。

>日本の詩の中では、中国語の漢詩と同じように、字数、音韻などにこだわる詩もあるのでしょうか。
 これはとても大変な設問です。ほんの少しの切り口にだけでも良ければ触れてみます。
 日本の詩歌の初源ともいえる「万葉集」では、初期には長歌(五七五七…五七七)が後期にはその殆んどが短歌(五七五七七)形式を取っています。自然における自分、また自分の内なる自然を映し出す、そんな「明(あか)き、浄(きよ)き、直(なお)き、まことの心」の純朴な表現形式でもあったのだと思います。
 一方、大陸からの壮大にして複雑な文化様式の相次ぐ到来は、とりわけ当時の知識階級に多大な影響を及ぼしたものであり、その漢詩文の学習と模倣において音訓併用・和漢混合の試行錯誤の過程を経て、日本詩歌の流れに新たな地平を齎したものでしょう。
 それは例えば、四六駢儷体の対句など漢詩文の摘句とその訓み下し解釈やそれに範をとった草仮名表記の和歌からなる詞華選といえる「和漢朗詠集」は王朝文化の粋とも目されています。
>それは俳句でしょうか。
俳諧を芸術の域に高めて「蕉風」と敬称される芭蕉には、そんな古典教養のエッセンスである「和漢朗詠集」にいかに通暁していたかが忍ばれますし、そもそも「杜甫・蘇東坡・黄山谷などの詩に親しんだ影響が、単に字句の上でなく、深い心の色として現れて来ている」(山本健吉「芭蕉三百句」より)
 このような詩歌の極めともいうべき「明・浄・直」や「深い心の色」は、古今において洋の東西にわたって、あえて定型化された字数や音韻の枠組みにおいてこそ、むしろ自然にして伸びやかな境地を描き出してきたのかも知れません。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。理解できるようになりました。詩歌の歴史のご紹介にも感謝いたします。難しいですが、いろいろ調べて読んでみます。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/08/03 15:14

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