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ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

室生犀星の「小景異情」について、2つほど質問があります。
(1)「ひとり都のゆうぐれに」の「都」は多分東京のことを示しているのでしょうが、「遠きみやこにかへらばや」という「みやこ」のほうは、故郷の金沢のことですか?
(2)「帰るところにあるまじや」と言っていますが、室生犀星には何か故郷に帰れない事情があったのでしょうか?

どちらか片方だけでも構いませんので、お願いします。

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A 回答 (2件)

犀星の親友、萩原朔太郎は、おっしゃるように「都=東京」にいて故郷の「みやこ=金沢」を思っていると解しています。


また朔太郎は、犀星の境遇を「母親と争い、郷党に指弾され、単身東京に漂泊して~」と述べています。「 」内は下記参考図書より引用。
ただ、吉田精一氏は、「帰郷時に、東京にあって思郷の思いを抱いていた当時を懐かしみ、そんな気持ちになれる東京に帰りたいものだ」という意味に解しています。「 」内は回答者の要約。
その説によれば、「都」「みやこ」はともに東京で、この詩は現実の故郷への幻滅、あるいは愛憎半ばする思いをうたったものということになります。

いずれの説が正しいか、私には判断がつきません。

参考図書 吉田精一「現代詩」学燈文庫
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この回答へのお礼

まさか文壇でも解釈が分かれているとは知りませんでした。ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/24 13:34

 「一見しただけでは、東京で作ったのか郷里で作ったのか分りにくいようだけれども、しかしそれは郷里を離れようとするときの別れの心と、もはや再び帰らぬという決意を歌ったものである」(伊藤信吉「現代詩の鑑賞(上)」新潮文庫)という説が穏当だと思います。



 ふるさとは、今ここにあってのそれでは断じてなく、遠きにあっての「思い」こそが貴重なのであり、その思慕の念が切々として歌ともなって湧いてくるのである。よしんば他郷の空の下で乞食となってさ迷うとも、ここふるさとには戻るものではない。なのに帰ってきた挙句のこの幻滅、この落胆は耐えられない。
 東京での癒されぬ憔悴の日々が、誰もが見知らぬ他人だけの中での孤独の充たされぬその日暮の中での追慕果てない望郷の、あの真摯な希求、あの愛欲を超越した純粋さを、今このふるさとの地においてしみじみと懐かしみ涙ぐむばかり。嗚呼、この純粋な思慕の念を今ここに反照させつつ、改めてここ故郷を出立しよう。まさに「帰ろうではないか」あの遠く離れた都に、この「ふるさと」からはずっと遥けき、対比としての「みやこ」の地へと。
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この回答へのお礼

伊藤信吉さんの説を詳しく紹介していただき、ありがとうございます。
しかし今、自分としてはどっちの説か面白いか、というとなかなか決められないですね。

お礼日時:2006/08/24 13:35

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Q「遠きみやこにかへらばや」のみやこはどこ?(室尾犀星)

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

作者はみやこにいるのですか?ふるさとにいるのですか?
「遠きみやこ」はふるさとのことですか?都会のことですか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

NO1です。追記をさせていただきます。

「遠きみやこにかへらばや」は「抒情小曲集」に収録されている詩で、一部から三部まである「抒情小曲集」の「一部」の中の最初の「小景異情」の「その二(六まである)」です。

『「遠きみやこにかへらばや」のみやこ』は、東京であり、作者は現在故郷の金沢にいると考えられる根拠について次の三点を上げてみます。


筑摩書房の文学全集の「抒情小曲集」には、「『抒情小曲集』覚書」なる文が冒頭文中のいくつかの文章の最後にあり、その中に次のような記述があります。
「創作地」の小題名の中に、
  郷里金沢市千日町雨宝院といへる金比羅神社、(以下略)
「野及び散歩の地として」の小題名の中に、
  最も好みしは犀川べりなる蛤坂新道、(以下略)
「旅行」の小題名の中に、
  京都、上州前橋市近郊に旅せし時の作、及び「足羽川」の一篇等な  り。(以下略)
「暗黒時代」の小題名の中に、
  小曲集第三部は主として東京に於て作らる。(以下略)

以上のように創作地については、一部・2部が金沢・京都・前橋・足羽川(福井市)となり、三部が東京と考えられます。


三部の冒頭の詩が「都に帰り来て」で、その中に、
  みやこの海をわたり行け
さらに、「上野ステエション」の詩の中に
  北国の雪をつもらせ
  つかれて熱い息をつく汽車である
  みやこやちまたに
  遠い雪国の心をうつす

以上のように「みやこ」が東京を表す例が三部を中心に多数あること等からみやこが東京を表すと考えられること。


「かへらばや」の部分を文法的に考えると(詩で文法的に考えるのもあまり良くはないのですが)、
  「かえら」は四段の自動詞「かえる(帰る)」の未然形
  「ば」は接続助詞
  「や」は間投助詞と終助詞の二通りの見方ができる
  「ばや」はいづれにしても強い願望を表す。
 問題は未然形プラス接続助詞の「ば」が仮定条件を表すことです。仮定条件は現実に無いこと、行われていないことを仮に表現するという性質があます。つまり、作者はみやこには帰っていないが、帰りたいとの強い願望を持っていることを示していることになります。

三点の根拠から、『「遠きみやこにかへらばや」のみやこ』は、東京であり、作者は現在故郷の金沢にいると考えられます。

以上が一般的な解釈ですが、異説として作者が東京にいるとの考えがあることを付記します。

NO1です。追記をさせていただきます。

「遠きみやこにかへらばや」は「抒情小曲集」に収録されている詩で、一部から三部まである「抒情小曲集」の「一部」の中の最初の「小景異情」の「その二(六まである)」です。

『「遠きみやこにかへらばや」のみやこ』は、東京であり、作者は現在故郷の金沢にいると考えられる根拠について次の三点を上げてみます。


筑摩書房の文学全集の「抒情小曲集」には、「『抒情小曲集』覚書」なる文が冒頭文中のいくつかの文章の最後にあり、その中に次のような記述...続きを読む

Q宮澤賢治「永訣の朝」の解釈

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか?
4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 御影石材が踏み石や飛び石のことならば、あぶなくはないので、これは別のものと考えるべきなのか。
 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか?
4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 これは霙じゃなく雪ですよね。松の枝に霙はたまりませんから。
 みぞれがたまっているのは「みかげせきざい」の上。
 みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。」広辞苑
 半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか?
 それとも、とし子はみぞれを所望したが、賢治は気を利かせて雪をとってきたのか。
 あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか?
 「たべもの」「アイスクリーム」という表現があるので雪と思いますが。
5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 「おら、おらで、一人、逝くも」と解釈しますが、どうしてローマ字表記なのか?
 「おらおらでしとりえぐも」では通じないと考えたのか、現代的感覚を読者に訴えたかったのか。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二...続きを読む

Aベストアンサー

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。
 「2」から「1」になるという事を際立たせています。

4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。

4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 「あめゆじゅ」は雨と雪。賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。

5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 草稿では平仮名だったそうですね。
 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。


~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという...続きを読む

Q汚れつちまつた悲しみに・・・

中原中也の、汚れつちまつた悲しみに・・・、という有名な詩の意味を、どなたか教えてください。この詩は、いったい何を表現しているのでしょうか?伝えたいことはなんなのでしょう。ひたすら悲しい、ということは伝わってくるのですが、あまりよく分からないのです。

Aベストアンサー

 
詩にしても和歌にしても、俳諧にしても、これはこういうできごとの折りに造られたものだ、という説明を聞いて、意味が分かるとかは本当はおかしいのです。

作品を読んで、聞いて、何かの心の感銘を受けて、その後、その作品が作られたときの状況や経緯をしって、なるほど、よく分かるということで、作品としての感銘・感興は、説明と独立していなければならないのです。

造られた状況が分からないと、感銘がないとか感興がないというのは、作品になっていないのです。

中原中也の詩は、その点、少し問題があるのです。読んでも、よく意味が分からないとか,何を言っているのか感興がないという人がかなりいるのです。その他方、中也の独特な作風というものに惹かれる人がかなりいるのも事実なのです。

幾つかの作品を読んでみて、中也は、その言葉にどういう思いを込めたのだろうか、と考えていると、ある程度,何かが分かってきます。無論、分からない、感じられないということもあります。

この作品は、著作権が切れているはずで、引用してもよいはずです。全文は、下の参考URLにありますが、一行置きに繰り返される、「汚れちまった悲しみに」と「汚れちまった悲しみは」をはずしてみます。次のようになります:

>汚れつちまつた悲しみに

>今日も小雪のふりかかる
>今日も風さへ吹きすぎる

>たとへば狐の皮裘(かはごろも)
>小雪のかかつてちぢこまる

>なにのぞむことなくねがふなく
>倦怠(けだい)のうちに死を夢む

>いたいたいしくも怖気づき
>なすところなく日は暮れる……

「汚れちまった悲しみに」という表現が、自嘲的で投げやりな表現だという感じは確かにあるのです。「悲しみ」が「汚れる」とは、何と気障な、とも感じるのですが、他方、これは非常に自嘲的な言葉に響きます。それでは、「汚れちまった悲しみ」を除くと、詩はどうなるかというと、上のようになります。

二連目の「たとへば狐の皮裘(かはごろも)」というのは、何を言っているかよく分からないのです。感覚的に分かるか分からないかの問題のようになります。

しかし他の行は、通俗的な言葉のようで、しかし、

>今日も小雪のふりかかる
>今日も風さへ吹きすぎる

ここには、何か痛々しい感情の苦痛と絶望のようなものが、造形されています。この表現自体、まだ自嘲的な感じがしますが、中也の他の作品を見ると、やはり、こういう自嘲的な感じの言いまわしが出てくるのですが、しかし、他方、その部分だけを見ると、高度に冷静に緻密に彫琢された、詩的形象が含まれています。

中也の詩は、どこかユーモラスで自嘲的な言いまわしと、綺麗な詩的形象と、そして悲哀というか、切ないような悲しみの三つの要素から大体できているのです。

この作品にも、この三つが含まれていて、この場合、詩的形象が一番希薄というか、形象はあるのですが、それが自嘲的な表現に隠れてしまっています。

どこかユーモラスで自嘲的な言いまわしは、中也が自分自身を反省的に眺めている結果,出てくるのだとも感じられるのです。この詩の場合、自虐的とも言えるレベルまで来ているのですが、しかし、上に抜き出したラインを見ると、詩の形象彫琢は行っていることが分かるのです。

中也の詩は、自意識過剰で、自己の感情に溺れているようにも思えるのですが、良く読むと、冷静にそのような自己を眺めている視線があるのです。「自嘲」とは、そういう状態だとも言えるのですが、中也の場合、ただ自嘲に溺れこんでいないというのが、彼の作品を「詩」と評価する人たちの見方でしょう。

自嘲し、悲哀の感情に溺れているように見えるなかに、冷静に詩の言葉を彫琢している中也という詩人がいるということになるのです。すると、これは、単なる自嘲や自虐ではなく、もっと複雑な屈折した意識のありようの表現であるとなります。

どこかユーモラスな自嘲的な屈折した、いわば青年期の自己の客観視のような視点と距離の取り方、それに先に述べた,詩としての形象彫琢と、悲哀という組み合わせで、「中原中也世界」というものが出来あがっているのです。

自嘲的な視点に心動かされる人と、詩的彫琢に心動かされる人と、悲しみのある言葉に心動かされる人がいるということになるのですが、これらは、どれも、中也の詩の世界を前提にしているのです。

この「汚れちまった悲しみに」は有名な作品ですが、これは詩ではなく、青年が日記に書くような感傷的で自意識過剰な言葉の羅列だと感じられる人には、これはそういうものに見えるのです。

立原道造という青年詩人がいて、若く亡くなりますが、彼の感傷的リリシズムの詩は、エピゴーネンが一杯あるが、しかし、立原はエピゴーネンとは一線を画しているという評価を昔,読んだことがありますが、「一線はなかった」というのが答えだったと思います。

中也の場合も同じで、こういうスタイルのエピゴーネンはたくさんいるのです。そこで一線があるのかというと、あるのですが、ないとも言えます。しかし、中也の詩は模倣できないのです。こういう自嘲的で悲哀のある詩の真似はできますが、「中也の詩」にはならないのです。

この詩は、投げやりになり自嘲的になって、「人生はこんなものさ」と言いつつ、感傷的に悲しみや絶望をうたっているように思えますが、どこか、「冷静さ」が入っているのが特徴なのです。自分を反省して自嘲する自分自身を、また冷静に眺めている自分がいるというような構造です。

何重にも、こういう自己観察、自己省察の視点があるのではないかというのが中也の詩で、立原の詩は、ここまで自己省察した視点がある意味ないとも言えます。

立原の詩は、詩的空間からある距離を置いて、詩を形象している作者がいるのですが、中也の詩は、もっと自己観察・自己省察が錯綜しており、もっときっちりした詩的イメージを彫琢できながら、敢えてそれをしない中也という存在が感じられるのだとも言えます。

実はわたしもこの詩はよく分からないのです。しかし、中也の他の詩のなかに、その哀切さと美しさに心動かされる作品があるのであり、そこからすると、この詩にも、大きな感銘を受ける人がいるだろうと想像できるのです。

この詩がよく分からない場合は、中也の他の作品を読んでみて、どれか心に感銘を受けるものがあれば、もう一度引き返して、この詩に戻ってくると、違って見えてくる可能性があります。

最初に述べたように、この詩がどういうできごとの背景で造られたのか、関係がないのです。

No.1 の方の回答が簡潔で見事に中也の詩の構造を言い当てているのですが、そういう意識は、実は大勢の人が持っていて、しかし、彼らは中也ではないのです。しかし、中也の詩に心動かされる人たちなのです。

「近代人的意識」と言えば、小林秀雄につながって行くのが分かるでしょう。
 
>汚れちまった悲しみに
>http://macalfa.tripod.co.jp/YomuFiles/yogore.html
 

参考URL:http://macalfa.tripod.co.jp/YomuFiles/yogore.html

 
詩にしても和歌にしても、俳諧にしても、これはこういうできごとの折りに造られたものだ、という説明を聞いて、意味が分かるとかは本当はおかしいのです。

作品を読んで、聞いて、何かの心の感銘を受けて、その後、その作品が作られたときの状況や経緯をしって、なるほど、よく分かるということで、作品としての感銘・感興は、説明と独立していなければならないのです。

造られた状況が分からないと、感銘がないとか感興がないというのは、作品になっていないのです。

中原中也の詩は、その点、少し...続きを読む

Q茨木のり子さんの詩『六月』について。

私は今、高校生です。現代文の授業で茨木のり子さんの詩の『六月』という詩を勉強中です。
何故、『六月』と言う題名になったのかが宿題になりました。
色々と考えたのですが、どうもよくわかりません。
そこで皆さんの意見を聞かせていただきたいんです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

全然自信はないのですが。

黒麦酒(ビール)とありますので、
ビールが美味しい季節と言うと夏ですね。
気象的には6月からが夏なので、そうなのかなと思いました。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q道程とは・・・?

高村光太郎の詩に「道程」っていう詩がありますよね?
この道程とは、何を例えてあるものなのでしょうか?
詳しく教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

       道  程
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ 父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のために        
この遠い道程のために


この「道程」を辞書で引くと、

詩集。高村光太郎作。1914年(大正3)刊。生命の肯定と情熱の燃焼を平明な言葉でうたう。作者の第一詩集で、理想主義的傾向を示している。

と、あります。

きっと、少なくとも高村光太郎の言う「道程」とは彼の人生そのもので、生きてゆく上での指標という意味だったのだろうと思います。

Q原稿用紙にどう数字を書き込めばよいのか?

原稿用紙にどう数字を書き込めばよいのか?

はじめまして。

論文の試験がもうすぐありますが、原稿用紙にどう数字を書き込めばよいのか分からず困っています。

縦書き原稿用紙であれば、漢数字を使って一マスに一字を入れると考えています。
横書きの原稿用紙の場合、普通の数字(1、2、3など)一マスに2字入れると思うのですが、例えば、354年 と書き込む場合は、4をどう一マスに入れるといいのでしょう?
一マスの右寄り、左寄りに入れるのでしょうか?

またキーワード的な単語を書きたいとき、『』で囲めばいいのでしょうか?または会話文と同様「」を使うのでしょうか?

どなたかご存知の方がいらっしゃったなら、ご回答お待ちしております。

Aベストアンサー

横書きの洋数字の書き方は、おっしゃるように1マスに2文字入れます。で、悩ましいのは奇数桁の時です。前と後と、どちらを開けるのか。
これって、決まりはないようなのです。

比較的よく見るのは、|3|45|という書き方です。前に1文字、後ろに2文字。
|34|5|というのもなくはないですが、どちらかといえば少数派のような気がします。
最近は手書きのものが減っているので、あまりたくさんの例を見たわけではありませんが。
私は、なんとなく、2マスの中に平均的に入るように(もちろんマス目を無視するわけではないのですが)書いていました。

この書き方が“間違っている”からと言って、論文なりレポートなりの評価が下がるわけでもないでしょうから、あんまり神経質にならず、読めるように書いていればOKだと思います。

あと、キーワード的な単語、特に目立たせたい単語は、「 」で括る方が一般的だと思います。『 』だと、書名や作品名と勘違いされる場合があります。
他の記号、たとえば“ ”でもいいですし(縦書きにはちょっと不向きかも)、〈 〉でもOKです。
こちらも、特に“これでなければならない”という決まりはないので、“キーワード的な単語はこの記号で括る”と論文の中で統一させていれば大丈夫だと思います。

ただし、お書きになっている論文というのが、大学や会社など、ある“組織”の中で書くものであれば、その“組織”の中でルールが決まっている場合があります。
ですので、先輩の論文を読むか、指導教授、上司など、ルールを知っていそうな方に確認する方が無難かもしれません。

横書きの洋数字の書き方は、おっしゃるように1マスに2文字入れます。で、悩ましいのは奇数桁の時です。前と後と、どちらを開けるのか。
これって、決まりはないようなのです。

比較的よく見るのは、|3|45|という書き方です。前に1文字、後ろに2文字。
|34|5|というのもなくはないですが、どちらかといえば少数派のような気がします。
最近は手書きのものが減っているので、あまりたくさんの例を見たわけではありませんが。
私は、なんとなく、2マスの中に平均的に入るように(もちろんマス目を無視するわ...続きを読む

Qヴェルレーヌ(上田敏訳)の「落ち葉」について

有名なヴェルレーヌの詩の、最後の2行、「とび散らう 落ち葉かな」
ですが、音にすると、旧仮名遣いの読みで「とびちろう 落ち葉かな 」だと 思っていました。
ところが、ある人が、文字の通りに
「とびちらう 落ち葉かな」と朗読されるのを聞きました。
どちらが正しいのでしょう。
詳しい方、教えて下さい。

Aベストアンサー

手元の辞書を片手に私なりに考えてみました。
詩の言葉は一文字もおろそかにできない。この場合もそうで、そのためにまず問題の訳詩の第三連をここに書き出してみます。

 げにわれは
 うらぶれて
 こゝかしこ
 さだめなく
 とび散らふ
 落葉かな。

表記が「散らう」なら「チロウ」もしくは「チロー」と発音するところでしょうが、ご覧の通り「散らふ」なので、「チラウ」もしくは「チロウ」と発音することになるでしょう。

「チロウ」で共通だからどちらでも同じではないかといわれそうだし、事実耳で聞く限りではほとんど区別がつかない。そこで「散らふ」であることを強調するために、その朗読者はことさら「チラウ」と読まれたのでしょう。

というのは、『歴史的かなづかひ』では「散らう」と「散らふ」は意味が異なるからです。

「とび散らう」であった場合の、この「う」は助動詞「む」の変化したもので、私なりに噛み砕くと、「とびちろう(話し手の意志、決意を表わす)」、「とびちるだろう(話し手の推量)」、「とびちれ(勧誘、命令)」、「とびちるはずだ(当然、適当)」、「とびちることになるだろう(未来の仮説に対する婉曲表現)」などのいずれかの意味を含むことになります。

さて、表記してある「とび散らふ」のほうの、この「ふ」は反復、継続の助動詞。したがって「しきりにとび散る」「散りつづける」ということになります。
この用法の他の例としては「嘆かふ」「呼ばふ」「語らふ」などあり、また動詞の語尾がオ列音に変わってしまった例、「移ろふ」「つづしろふ」などもあるようです。

「とび散らう」と比較するに、「とび散らふ」が表わす落ち葉の散りしきる情景は、「うらぶれて」「さだめな」い作者の情感と密接に結びつき、この詩全体に流れる落魄の心がいっそう的確に伝わってくるように思います。つまり「とび散らふ」でなければならない。

朗読にはそんな気持ちも込められていたのかもしれません。

手元の辞書を片手に私なりに考えてみました。
詩の言葉は一文字もおろそかにできない。この場合もそうで、そのためにまず問題の訳詩の第三連をここに書き出してみます。

 げにわれは
 うらぶれて
 こゝかしこ
 さだめなく
 とび散らふ
 落葉かな。

表記が「散らう」なら「チロウ」もしくは「チロー」と発音するところでしょうが、ご覧の通り「散らふ」なので、「チラウ」もしくは「チロウ」と発音することになるでしょう。

「チロウ」で共通だからどちらでも同じではないかといわれそうだし、事実耳で聞...続きを読む

Q落窪物語の現代語訳を教えて下さい

落窪物語の現代語訳が知りたいです。

範囲は

『ひき入りて寄するを』~『泣きみ笑ひみしたまふ。』

までです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

  http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつれば、帯刀は出でぬ。いともらうたげににて居るを、あはれにて、かき抱きて、車に乗りたまひぬ。「あこきも乗れ」と宣ふに、かの典薬が近々しくやありけむと、北の方思ひたまはむ、ねたういみじうて、かのおこせたりし文、ニたびながら、おし巻きて、ふと見つくべく置きて、御櫛の箱ひきさげて乗りぬれば、をかしげにて、飛ぶやうにして出でたまひぬ。誰も誰も、いとうれし。門だに引き出でてければ、をのこども多くて、二条殿におはしぬ。
 人もなければ、いと心安しとて、おろしたてまつりたまひて、臥したまひぬ。日ごろのことども、かたみに聞えたまひて、泣きみ笑ひみしたまふ

  http://attic.neophilia.co.jp/aozora/htmlban/OTIKUBO1.html

車を引き入れて寄せるとやっと男が一人出てきて、「なんの車ですか、皆出て行ったところへ」と、とがめるので、
「何でもありません。女房が参るのです」といって、そのまま寄せる。女房たちの残っている者も、みな自分の部屋に下がって誰もいないときである。阿漕《あこぎ》が、「早くお降りください」というと、少将《しょうしょう》は降りてお走りになる。部屋には鍵がかけられている。ここに閉じこめられていると思うと、胸がつぶれるほど悲しい。走り寄って鍵をひねって見るがまったく動かないので、帯刀《たちはき》を呼び入れて、うちたて【諸説あり不明】を二人でうち壊して遣戸《やりど》を引き開けると帯刀《たちはき》は出て行った。姫君がたいそうかわいらしいようすで座っているのを、愛《いと》しく思って抱き上げて車にお乗りになった。
「阿漕《あこぎ》も乗れ」とおっしゃるので、典薬助《てんやくのすけ》が近づいたと北の方がお思いになることを、たいそうくやしく思ってあのよこした手紙二枚を巻いて、簡単に見つけられるところに置き櫛の箱をもって乗ると車は愉快そうに飛ぶように速く出て行く。みな嬉しい。門さえ出てしまったので護衛の男たちがたいそう多くしたがって、二条の邸《やかた》においでになった。だれもいないのでたいそう気楽だと思って、姫君をお下ろしになって横におなりになった。日ごろのことを語り合って泣いたり笑ったりなさる。

 《注意点》
 質問者が『ひき入りて寄するを』~『泣きみ笑ひみしたまふ。』とおっしゃっても、私たちはそれを見ることはできません。「落窪物語」が二、三ページ程度のものなら、簡単に見つかるでしょう。この場合は結構長いので困ります。わたしはテキストファイルの検索機能を使って探すことはできました。
 もう一つの問題は、質問者のお持ちのテキスト、原文を掲載したサイトの用いているテキスト、現代語訳を載せたサイトのテキスト、この三つに違いがあることがあります。現実に「原文」と「現代語訳」とを比べると<「なんの車ですか、皆出て行ったところへ」と、とがめるので、>と現代語訳にある部分が原文では抜けた形になっています。これはテキストに違いがあるのだろうと思います。(古文の場合こういうことが時々起きます→底本の差)質問者はお持ちのテキストと比較して、処置しください。現代語訳は適切と判断しました。

  http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつ...続きを読む

Q進研模試の平均点はどうしてあんなに低いのですか?

進研模試の平均点は、どうしてあんなに低いのですか?
どういう人が下げているのですか?

誰にも解けない難問など殆どなく、出題傾向も安定しています。

受ける前から、誤差を±20点ぐらい認めるとして、点数の予測はつく模試です。

ということは、平均点を下げている人たちは、最初から半分も解けないことを知って受けるわけですよね?
はなから半分も正解する気がないテストを受ける意味はあるのでしょうか。

殆ど記述の数学はともかく、記号問題の多い英語で3割未満と言ったら、記号問題を勘と雰囲気と確率の問題で当てたレベルの気がします。
実際、私も何一つ解らないテストは難易度にかかわらず、取り敢えず空欄を埋めますがだいたい30点台です。

そして、そんなテストを受けても満点と自分の間にレベルの差がありすぎて、見直したところで時間ばかりかかって効率も悪く、殆ど力になりません。
運と勘でもぎ取った30点の結果叩き出された合格判定などさらに無意味です。


半分も解く気がないのに、学校単位で、模試を受ける意味が解りません。
それなのにどうして、受けるんでしょうか。
3000円近くするんですよ?

進研模試の平均点を下げている人たちは、何者で、何を思って模試を受け、受けさせられているのですか?

進研模試の平均点は、どうしてあんなに低いのですか?
どういう人が下げているのですか?

誰にも解けない難問など殆どなく、出題傾向も安定しています。

受ける前から、誤差を±20点ぐらい認めるとして、点数の予測はつく模試です。

ということは、平均点を下げている人たちは、最初から半分も解けないことを知って受けるわけですよね?
はなから半分も正解する気がないテストを受ける意味はあるのでしょうか。

殆ど記述の数学はともかく、記号問題の多い英語で3割未満と言ったら、記号問題を勘と雰囲気と確率...続きを読む

Aベストアンサー

ベネッセは元は福武書店と言います。福武書店は岡山県で創業されました。
高度成長期に全国に大学が増え進学希望者も増え始めた時期のことです。
岡山県の新設校が名門校と学力比較をしたいと希望したことから、福武書店と岡山の高校教師が共同で模擬試験を行った関西模試というものが実施されました。問題は高校教師が作成しました。
この関西模試を全国的に展開していったものが進研模試です。
つまり、元々高校との結びつきが強い模試ということです。

学校単位で進研模試を受ける経緯は上記の通りです。

> 進研模試の平均点を下げている人たちは、何者で、何を思って模試を受け、受けさせられているのですか?

受験者は現役高校生です。高校生とは勉強するために学校に通っています。大学受験を希望するかどうかは関係ありません。難関校だろうが非進学校だろうが高校生は高校生です。高校生が自身の達成度を知りたいと思うのは(本人が実際にどう思っているかはさておいて)、決して不可思議なことではありません。ましてや高校教師にしてみれば自分の教育の是非を知る直接的機会と言っても良いでしょうし、カイゼンのきっかけにもなるでしょう。

確かに難関校の生徒にとっては低偏差値校生徒との比較は意義を感じないでしょう。
ですが、経緯からもお判りのように進研模試の主役はどちらかといえば低偏差値校生徒です。
質問者さんの質問内容はそっくりそのまま真逆の立場からも言えることだということです。

ベネッセは元は福武書店と言います。福武書店は岡山県で創業されました。
高度成長期に全国に大学が増え進学希望者も増え始めた時期のことです。
岡山県の新設校が名門校と学力比較をしたいと希望したことから、福武書店と岡山の高校教師が共同で模擬試験を行った関西模試というものが実施されました。問題は高校教師が作成しました。
この関西模試を全国的に展開していったものが進研模試です。
つまり、元々高校との結びつきが強い模試ということです。

学校単位で進研模試を受ける経緯は上記の通りです。

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