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そもそも宗教とはなぜ存在するのでしょう?宗教が無くも絶対に困らないと思っています。
宗教によって幸せになった人が1000万人いても宗教によって不幸になった人が1人でもいたら、死んだ人が1人でもいたら
それはあっても良いと言えるのでしょうか?現実に宗教戦争等で数え切れない程人が死んでいます。
神とは全て人が創った作り物です。それでも信じたければ家で一人で拝んでいれば良いのです。

宗教はと言うより宗教団体は自分では悪だと思いますが皆様はどうお考えでしょうか?

A 回答 (26件中11~20件)

私は基本的にBigBoinさんに賛成です。

昔は純粋に信じるこころから宗教が生まれたのでしょう。しかしわたしは生きてきたなかで必要だと感じる宗教にであったことがありません。
宗教間の戦争ももちろんですが、日常生活の中でも一つの宗教を信じる人たちが「その宗教に入らないと地獄に堕ちる」などと無理矢理他の人も引き込もうとし、なにか問題が起こったときは何の行動にも出ずただ祈るだけ、そして同じ宗教を信じていないという理由のみで人間として扱わなくても良いかのように振る舞います。
これらの事はすべて私自身の経験したことです。

信じることはすばらしいと思いますが、その人たちが集団となった時点でその思想が2倍にも3倍にもふくらみ、いつの間にか道に迷ってどんどん行ってしまっている気がします。
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この回答へのお礼

ご意見有難う御座います。
これまでの皆様のご回答を読んで頂けましたでしょうか?
やはりいけないのは宗教団体のようですね、よく考えれば宗教が勝手に「おい!入れ!」とは言いませんよね
>そして同じ宗教を信じていないという理由のみで人間として扱わなくても良いかのように振る舞います。
セコイ神様がいたもんです。

もう一度皆様のご回答をお読みになり一緒に宗教団体ではなく宗教の良い所も探してみませんか?

お礼日時:2006/09/29 10:29

アニミズム信仰なら悪とは言えないと思います。


でも、こちらは「団体」とは言えないので、
宗教団体は悪かなぁ。

人類が火を発見して5000年は経つのに火事は無くならない。
宗教の源であるアニミズム信仰はヒトや「知」を付けた時。

今良く聞く「宗教」と呼ばれるシロモノはたった2000年しか経っていない。
火の扱いすら出来ない現代人が扱えるシロモノじゃないことくらい分かると思います。

古代から金持ちは、
貴族と地主と商人と寺院でしたからね。

P・S・
古代からの警句に、
善行を行う者は、1人でやりたがり、
悪行を行う者は、道連れを求める。
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この回答へのお礼

ご回答有難う御座います。
まだ人は宗教に使われてる状態だという事でしょうか
人は集まると悪い事ができてしまいますね。

お礼日時:2006/09/29 10:20

No.13です。

補足いたします。
私が聞いたのは、先祖(仏様)は三粒の米粒でお腹がいっぱいになるそうです。しかしたくさんのご飯(ご飯を山盛りにした俗に言う一膳飯)
をあげるのは、あまったご飯を別の死者(供養されていないお腹をすかした人)に恵んであげることにより霊界の位置が上がるとききました。
水も同様です。こじ付けと思われるかもしれませんが、自分の先祖には
うえに上がって楽になって欲しいですからね。
水をかけてはいけない理由に、石が変色、ひび割れもあります。ですから、私は、コップを用意しあげることもあるし、実家のほうではまだ土葬なので、お膳を備えるところにあげることもあります。
葬儀業者の中には、悪徳といわれる業者もあります。葬儀はほとんどが
言い値ですので、かなりぼろもうけの世界でした。
原価の5倍6倍は当たり前、10倍から20倍取るところもあるようです。
2社3社と見積もりを取る方もいらっしゃいますし、チラシで確認する方もいらっしゃいます。私の経験として、生花の使いまわしを知っています。良くみると花に元気が無い、枯れかかっているなど
このような業者は、かなりぼっていると考えられますので、やめたほうがいいでしょう。それ以上はやばいので書きませんが、安心できる業社
は突然の出来事で冷静に判断できないことなので、探せないと思いますので、普段からお葬式に出たときに観察しておくとか、葬儀の見積もりを取って、内容を確認するとか、自衛策はあります。内容によっては、
不要と思われることもありますので、それはカットしてもらうように
しましょう。
質問内容とはだいぶ変わってしまったようですが、先祖をしのぶ気持ちを大切にしてください。
また悪徳業者につかまらないようにしてください。
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この回答へのお礼

詳しいご解説有難う御座います。
石が傷むというのは納得です。
なんだかみんな悪徳業者じゃないのか?って感じてしまいます。
よく考えたら将来の夢は葬儀屋さんってあんまりいないですよね・・・
本当に昔から葬儀屋として誠実に仕事をしている人間にとっては迷惑な話です。

お礼日時:2006/09/28 14:19

NO.10 crow2222です


逆に宗教が無いのに死者が恐いという感情はどうして来るのでしょう?という事ですね
人間の本能だったらしいですね
存在した物は形が変わる事はあっても無くなりはしないという感覚です
つまり死んだ後精神は離脱して存在する という現在我々が霊と呼ぶものは 石器時代からの考えであったようです
実際アフリカのマサイ族の一部族は宗教の教義は一切知らないのに 霊の存在を信じて疑わないようです
ただ霊という言葉を知らないだけらしいのです
見えない物を怖がるのは人間の本能なのでしょうね
それを宗教の原型みたいなものによって霊は怖くない 先祖の霊は守ってくれる という考えを定着させたようです
日本では5,000年前位からそうなったという説が現在有力なのだそです
私は大学の講義で聴いた話でもう20年前の事ですから多少時期的な説が変わっているかもしれません
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この回答へのお礼

詳しいご解説有難う御座います。
なるほど、霊は恐くないものだとする事も宗教の始まりの1つかもしれませんね。

お礼日時:2006/09/28 14:15

宗教は、必要です。


まず、人が死んだ時、お葬式をしますよね。どのような儀式であっても
それは、宗教から来ているものです。通夜、葬儀を通して死者を弔います。宗教でなければできないことです。ただ宗教の無いところでも、土に返すため、埋葬する行為は行われますが、それ以外の地域では、宗教によるものです。お墓参りや、仏壇にお参りするのもすべて宗教です。
宗教が無かったら、お墓も仏壇も要らないわけです。
人が生まれてから、お七夜とか人の一生においての行事は宗教にかかわることが多いものです。お祭りも宗教から発しているものです。
占いに関してもおおもとは、宗教からできたものと聞いたことがあります。人の一生は、宗教に始まり、宗教に終わると言ってもいいくらいではないでしょうか。それは意識するかしないか程度だと思います。
昔は、お寺が字を教えたり、人としての生き方を教えたりとよい部分が
多かったと思います。前世、往生などの言葉を聞いたことがあると思いますが、現世は、修行の場であってあの世に帰るという事を物語っている言葉だと思います。現世が、生まれる前の世で、死んであの世に生まれ行くと書きますから。
ただ私は、全て肯定するものではありません。ものを売ったり、犯罪を犯したりするものは、宗教ではないと思います。霊が憑依しているなどといって、騙すのも間違ったものであると断言します。霊が憑依するのはありえますが、その場合、正式な方法でのやり方があります。ちょっと難しいので、書くのはやめます。
一番大切なのは、自分が、優しい心で、きれいな心で、ご先祖に手を
合わせることだと思います。それが自分にとっての宗教ではないでしょうか。
余計なことを書くようですが、お参りする際に、食べ物や飲み物をお供えしますが、袋やせんを開けてお供えしてください。自分で食べる時
袋から出して食べますよね。封がしてあると、ご先祖様は食べられないと聞きましたので、あけてからお供えします。お墓の場合、特にカラスに荒らされますので、帰るときに一緒にお供え物は下げてきます。
墓石に水をかける人がいますが、やってはいけません。やっていいのは
開眼式の一回だけです。開眼式はご先祖様の家ができたというお祝いの儀式で、これ以外は絶対にやらないでください。自分の頭から水をかけられたらどんな思いがするか考えたら、分かると思います。
また、神式と仏式がありますが、大方仏教が多いと思いますが、神式のほうが、はるかに安く済みます。仏教はお布施がまちまちで、一回の
葬儀で、100万以上取るところもあります。収入の少ない時代に、
お布施で、70万80万も払えないです。葬儀費用はまた別会計になるので
結構高くつきます。
余計なことを書きかましたが、金儲けしようという団体、人間がいるところは、悪だと思います。良心的なところはこれからも残って欲しいと思います。
よい宗教に出会って、清い心で先祖供養ができることが一番です。
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この回答へのお礼

ご回答有難う御座います。
お葬式はしますね、自分も親が死んだら葬式したいと思います。
関係無いですが祖母の葬式を挙げた後、親が葬儀代を払いました。
祖父は一人暮らししていてその葬儀屋の人が祖父が一人の時を狙って再び葬儀代を請求しました。
この頃まだ祖父は健康でその旨を子供(私の親)に確認し2重請求が判明できたのです。

お墓に水は掛けてます。掛けちゃ駄目なのは頭から(上から)だけだと思ってました。
自分は夏暑い日は頭からドバッとかけて欲しいです。それ以外は体だけでいいかなぁ
因みに掛けちゃいけないのになぜお墓には桶と柄杓があるのでしょう?
1回きりならあんなに量はいらないはずでは??

>清い心で先祖供養ができることが一番です。
確かにその通りです。神はいなくとも先祖は確実にいますからね。

お礼日時:2006/09/28 10:57

純粋な宗教なら、善だと思いますし、宗教を利用して誰かを不幸にするなら、悪だと思います。



宗教は必要な人もいると思います。
例えば「人はどこから来て、どこに行くのか」とか、「何の為に産まれてくるのか」なんていう、答えの出ない疑問に答えを出せるのは宗教だけかもしれない。
答えが出て、心の平安が得られるなら、宗教の価値ってあると思うんです。
そんなの、くだらねぇって思う人には、宗教に価値は無いと思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答有難う御座います。
>純粋な宗教なら、善だと思いますし、宗教を利用して誰かを不幸にするなら、悪だと思います。
そうですね、後者は宗教というより単なる詐欺ですね。
答えの出ない疑問を「それは神様が~」で済ませてしまうのは問題がると感じますが
まあそれは自分が納得できれば良い事なのでしょう。

お礼日時:2006/09/28 10:40

人がいれば宗教はある。

(生きるうえでの考え方そのものがその人の宗教だ。)
人が複数いれば団体はできる。
その団体が全か悪かは関わる人が相対的に判断することで、宗教でできた団体をひとくくりに「悪」とするのには違和感を覚えます。
信じた人が家で一人で拝めばいいことというのはあなたの考え方。人に広めたいと思うのもまたひとつの考え方。違う考え方から一つの考え方を変えたいと思うなら、人にひろめたいという考え方を否定するのは矛盾してきます。
私も日本内の一団体に被害?を被った一人ではありますけれど、それでも今はこういう考え方です。

ちなみに、宗教(団体)がもしなかったとしても、戦争は起こるし、人は死ぬと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難う御座います。
>宗教でできた団体をひとくくりに「悪」とするのには違和感を覚えます。
本気で皆を幸せにしたいと願っている団体があればひとくくりに「悪」とする事は失礼かと思います。
しかし信者によって飯を喰わせてもらっている教祖のいる様な状況は疑問に思います。
もし本当に神が存在するのであれば皆平等に相応な幸せが拝まずにもやってくるのでは?と思っています。
>ちなみに、宗教(団体)がもしなかったとしても、戦争は起こるし、人は死ぬと思います。
もちろんそうですね、宗教(団体)がもしなかったら戦争は減るのでしょうか?増えるのでしょうか?
また一つ疑問が沸きました。

お礼日時:2006/09/28 10:08

無宗教の種族がアフリカにはいますよ


彼等は死者を埋葬しますが 次の埋葬をするまで墓地には行かないのです
何故だと思います?
死者が恐いからです
自分を産んで育ててくれた父や母が死者になったというだけで恐怖の対象なのですよ
無宗教時代は世界中そうだったと言われています
宗教があるからこそ私たちは感謝を込めて墓参りをする考えを手にする事が出来たのです
宗教団体と宗教心というものを一旦分離して考えてみませんか?
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この回答へのお礼

ご意見有難う御座います。
逆に宗教が無いのに死者が恐いという感情はどうして来るのでしょう?
根本的に人間が夜を恐れるのは夜行性の肉食動物が活発になり人を襲う確率が高くなり
死んでしまう経験を祖先がしているからと言われてますね。
>宗教があるからこそ私たちは感謝を込めて墓参りをする考えを手にする事が出来たのです
これは良い例ですね、お墓参りには来て欲しいと思いますし。
>宗教団体と宗教心というものを一旦分離して考えてみませんか?
皆様のご意見ご回答でそう考えるようになってきました。

お礼日時:2006/09/28 09:52

今日の多くの人は経済を宗教、金を神と思っているようです。


 金があれば何でもできて幸せになれると。結果は経済戦争で敗者は破産です。
自分を神のように考える人もいます。
 自分の主張は正しい、他の方法は許せない。結果は政治、民族の対立。
科学を神のように信頼する人もいます。
 科学が進歩すれば全ての人が豊かになる。結果はエネルギーの奪い合いと環境破壊です。
人間の考えは何と愚かなことか・・・
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この回答へのお礼

ご意見有難う御座います。
>自分を神のように考える人もいます。
いますね、歴史上何人も・・・今もいますね

お礼日時:2006/09/28 09:47

こんにちは。



>宗教が無くも絶対に困らないと思っています。
これはどの時代にもどこの国においても必ず言える、とは限らないと思います。

人は、政治や社会を信じられなくなった時には宗教にすがるものだと思います。
「藁にもすがる」とはこのような状態を指すのだと思います。

>現実に宗教戦争等で数え切れない程人が死んでいます。
宗教の対立とは恐ろしいものですね。人を救済する役目を持つ宗教が、時に人を殺し合わせますからね。
十字軍の遠征もそうでしょうね。

結論:前述の通り宗教は「善に見える部分」(=精神の救済)と「悪に見える部分」(=戦争の原因)を併せ持って居り、
   私個人は「状況に依る」と思います。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。
宗教が無くも絶対に困らないと思っているのは自分が(自分の国や環境が)平和であるから?と考えました。
>人を救済する役目を持つ宗教が、時に人を殺し合わせますからね。
そうです。この点がどうも気にいらない部分です。

お礼日時:2006/09/28 09:12

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