A 回答 (4件)
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No.3
- 回答日時:
思想が入り混じった時代、信念・志に重きをおきそれに従い行動した人がいた。
目指すものは同じ『この国をよくしたい』だれもが、そう思いそう願っていたであろう。その思いが高まるからこそ、爆発的なエネルギ-が蓄積され爆発したのではないでしょうか。爆発的なエネルギ-の蓄積こそが、『人の思い』の結晶。それを受け継ぐ者がいた。先人達の死から学びとる何か?が、受け継ぐものたちの信念・志へと形を変えて伝えられていく。
その時代を生きた人が伝えたかったこと『この国をよくしたい』ただそれだけ。損得なしに『この国をよくしたい』、己の欲によってもたらされる死があること。死によって自らが生かされていることの尊さ。目指すものへたどり着つこうとする期待(夢)と絶望(恐怖)、相反する思いがあったのではないでしょうか?こころの葛藤を余儀なくされます。選択を問われます。この社会に生まれ棲むわたしたち一人一人への問いを投げかける、言い換えれば、『あとは任せた』遺言のような思い。わたしたちへの期待をもっておられたとは、考えられないでしようか?
大村益次郎
http://www.c-able.ne.jp/~aiojhs/japan/oomura/lif …
http://www.kokorozashi.co.jp/kokoro/kokorozashi2 …
参考URL:http://www.c-able.ne.jp/~aiojhs/japan/oomura/lif …
No.2
- 回答日時:
幕末において、日本人の死生観はどのような特徴を持ったかというのは、研究テーマとしては面白いと思いますし、そういう研究もすでにあるとも思います。例えば、以下のURLに紹介されている本は、色々な時代の日本人の死生観を論じていますが、「幕末」も特徴的な時期として取り上げています:
>ニュートンプレス選書
>「日本人の死生観」
>時代のヒーローたちのみごとな生きざま死にざま
>(幕末・維新)
>ISBN4-315-51501-9 C0011
>http://www.newtonpress.co.jp/library/sensho/sen0 …
ここでは、資料的裏付けもないですが、私見として考察してみます。
まず、幕末において、武士も庶民も、教養ある人もない人も、新しい時代を開こうと言う人も、古い時代を維持しようという人も、誰も彼もが、「時代は変化しつつある」という認識は抱いていたと思います。いまが変化の時、変革の時、という認識は共有されていたと思います。
日本は新しく変わらねばならない、では、どういう方向へか? この問いは、先進的な西欧的知識を持っていた人も、幕府や武士の地位の温存を願って、その方向への未来の展開を意図したり望んだ人も、世のなかが動いてるが、一体どうなるのか、と当惑した庶民も、誰もかれも、尋ねたはずです。
こういう時代には、世界・時代の変化のなかで、自分の生き甲斐を見つけようという人が大勢現れたでしょう。
以下のURLにある、吉田松陰の「死生観」などは、一つの典型だとも云えます。
>http://www.webkohbo.com/info3/shoin/shoin.html
時代が変わりつつある時、自己の死によって、大いなる活躍ができ、歴史を変えることができるなら、死を怖れることもなく、進んで死地にも赴こうという意気ある人が大勢いたでしょうし、新しい時代を創るためには、この動乱の時代を生き抜かねばならない、いのちを大事にせねばならないという人も大勢いたでしょう。後者の人でも、死によって、大きな歴史的業績が残せるとなれば、躊躇なく「死」を選んで大業を成そうとした人が多くいたでしょう。
徳川の世に「殉じよう」という人もいたと思われます。会津藩主以下の家臣たちは、そういう思いであったのかも知れません。
「自殺」というのは、世の中が動乱状態の時には、減るということが、一般に経験的に確認されており、これには理論的な根拠付けもあります。一般の自殺は、「未来への閉塞感」からもたらされます。例えば、「末世」の世が来るというので、自殺という外見の形は取って居なくとも、一方で、仏教信仰に狂奔し、他方で、現実に生きるという営みを軽視して、結果的に、死へと赴くというような例が、「末世信仰」の流行時代にはあったと思えます。これは「現世」にはもはや希望がないという認識の現れだとも云えます。
幕末においては、未来の展望は、開けてみないと分からない訳で、明治維新後、武士には、大いなる失望が待っていて、窮乏して自殺する元武士も多くいたかも知れませんが、幕末だと、未だ、次の時代がどういう時代か、ほとんど分かっていません。戦国の終了以来、戦場で功績を挙げるという機会が消えていたが、いまこそ、武士の力で、活躍し、功績を挙げて身を立てようという下級武士が多く出てきても不思議はないと思います。新撰組などは、きわめて厳しい規律があり、内部でも互いに生死をかけて争いましたが、この千載一遇の機会に、生死を賭して身を切り開こう、時代を切り開こうという意識があったはずです。その展望した未来が、いささか、アナクロニズムであったとしても、生死を未来に賭したことには変わりないはずです。
武士も庶民も、「生きること」「死ぬこと」に、大きな意味を見いだすことのできるチャンスがあった時代です。江戸時代の窮屈な未来展望の少ない「太平の世」に較べ、生死を賭して、一躍雄飛できるというチャンスが見えた時代です。
「生」の意味も、「死」の意味も、耀きを帯びた時代と云えるでしょう。時代について行けない、暗い未来しかないと思い、あの世に去ろうと思った人もいたかも知れませんが、ごく少数でしょう。
江戸時代中期あたりでは、宗教も文化も、人生観や死生観も、ある一定の枠ができて、固定化していたとも云えます。武士は「家」が大事で、家の価値と自己の生死なら家の方がまさっているということだったでしょうし、それは、「家」を失うと、あまり社会変動のない江戸時代では、家禄を回復することは難しく、一旦、浪人となると、なかなか、武士として正規の禄を貰うのは難しいという状態では、家が個人の生死より大事だという価値観があったでしょう。商人でも、何代も続いた場合、また代々、まっとうな商人とか農民とか職人・技術者の場合、まっとうである地位、まっとうな家柄を個人の命よりも大事にしたでしょう。
また、窮屈な社会では、近松が描いたような「義理と人情」つまり、社会の規範ルールと、個々人の自然な欲望や感情のあいだの葛藤問題もあったでしょう。「心中」を、幕府が禁じ、心中未遂の者を罰したにも拘わらず、心中への憧れが庶民には大いにあり、実際に心中する者が多数いたというのは、「この世」が生きるに値しないという思いと、もう一つ「死後の世界」があるだろう、という思いもあったのだと思います。まったく「あの世」を信じていなかった訳ではなく、多くの人たちは、死ねば何もなくなるようにも思えるが、祖先の霊のところに帰るのだとか、地獄や極楽に行くのだという考えであったでしょう。死体の腐敗を目の当たりにすることがあっても、「色則是空」とか唱えながら「南無阿弥陀仏」では、浄土信仰です。
幕末になって、宗教も文化も変容し始めますが、「死後の世界」についての考えは、容易には変化しないはずです。キリスト教の入来の影響を受けて、最後の審判とか永遠の命という観念を持った人もいたでしょうが、ごくごく少数でしょう。
武士階級を縛っていた儒教、朱子学の教えは、現世主義的であると同時に、権威の前に個人の無をある意味で説いていたようにも思います。そこまで極端でなくとも、斉天下において、個人の生死は捧げねばならないという死生観であったでしょう。
幕末において、伝統的なこれらの死生観が、一挙にひっくり返った訳ではないと思います。特に「死の観念」は、文化の伝統ですから、なかなか短期間では変化しません。あの世や浄土信仰や、祖先の霊や、国事や公事には、滅私であるというのも、そのままに、「生」や「死」の意味が、まさに大きく耀く可能性のある時代が幕末だったと云えるでしょう。
武士も庶民も教養人も、「死ねばどうなるか」は、江戸時代以来の伝統的考えの延長にあったでしょうが、異なるのは、「生き甲斐」「死に甲斐」が非常に大きかったということです。時代の変動の向こうまで生き抜こう、従来なら、これでおしまい、社会の決まりで、死ぬしかないという状況でも、いや、生きて、変化を知ろう、新しい時代まで生きようという思いが庶民にもあったでしょう。
江戸幕府の統制を破り、死の危険を冒しても、何かをしよう、あるいは、従来、死で罰せられたことでも、禁を破ろうという無頼の徒も増えたことでしょう。
これらは、「死後の世界」「死んでからどうなるのか」という展望、観念、イメージはともかく(つまり、従来より豊かになったとか、変化した訳でないが)、「生きる時」「死ぬ時」の考察と価値付けの余裕が大きく広がったという大きな変化で特徴付けられるのだと思います。
慣習なので、仕方なく腹を切るという江戸時代と違い、幕末は、目的を持って、腹も切ったのでしょう。外国人に、日本武士の意気を見せてやると、壮烈な切腹をした例があり、西欧人はそれを見て震撼したと言うのも、「腹の切り甲斐」が大いにあったのでしょう。
幕末には、庶民も幕府派や勤王派に分かれ、内乱騒擾に加わったのですし、「ええじゃないか」というような訳の分からない文化事象も起こるのは、生き方も死に方も、どうもよく分からなくなり、つまり、生も死も意味付けが広がって当惑が起こったということでしょう。
幕末という時代は、生きるにせよ、死ぬにせよ、「その意味」を、個人が考えなければならなくなったのだとも云えます。逆に、「死」を個人によって意味付けることができたとも云えます。
江戸時代のお家のために死ぬとか、家系を守るために仕方なく死ぬとか、庶民などの場合、連座制のような厳しい相互責任社会のなかで、規律に反しては申し訳なく、迷惑をかけるので首を吊るとか、社会規範に律せられた「死」しか選べなかったのに対し、自分で「死の時、死の場所、死の意味」を決めることができたのだとも云えます。
「死」が「生」と共に、個人の決断、個人の人生にとっての意味として耀き、自分で「生き甲斐」「死に甲斐」を見つけることができ、自由に選ぶこともできた、という意味で、「死生観」が、江戸時代を通じてのものとは、違ったものとなったということでしょう。
参考URLの吉田松陰の死生観は、個人の生死の意味を個人が選べた、選ぶことができることが分かったという死生観の代表的なサンプルでしょう。
参考URL:http://www.webkohbo.com/info3/shoin/shoin.html
No.1
- 回答日時:
何故幕末なのか?は不明も、まだ、江戸時代。
死体はゴロゴロ、当然死体を実際に目にする機会は現代とは比較にならないくらいあったでしょう。死体はほっとくと、どうなるか?
「九相図」にある変化を、大人は皆知っていた、と思います。
また、「死」そのものも「仏教系思想」に諸説が加わり、百家争鳴で、なんか「死=武士=切腹」の浅い西洋調はそんなに無かったのでは?むしろ「骸骨」を北斎など画家が描いたり、「落語」の原型の「死≠悲壮」と諧謔的解釈の思想家や朱子学(小泉首相が田中真紀子に紹介した佐藤一齋)的に「未だ生を知らず、いわんや死をや!」なる捉え方もありかな。
回答がいっぱいきそうなので私は終り。
これだけ。
P.S.徳川吉宗の「生類憐れみに令」に「みだりに赤子をみちに捨てるなかれ云々」とあったように、元服前の子供(当時は医学で救命出来ないケース多かったろうと)が死んだら、家の前に捨てていたという事もわかりますね!
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