「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

はじめまして。受験勉強中の高校3年生の男です。
最近、受験という時期の活気のなさのせいか、
「死んだらどうなるんだろう。あと60年もたてば死もすぐそこかよ」
てな感じで、ひたすら死におびえていて、生きた心地がしません。
前まではこんな気持ちはなかったんですが、クラブもやめて、遊びもあまりせず、
かといって受験勉強に没頭しているかというとこんなことを考えつつやっているわけです。
何か解決策はないでしょうか?
それとも受験が終われば消えるものでしょうか?
何でもいいのでお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

こんにちは!


受験勉強、がんばっていますか。

>「死んだらどうなるんだろう。あと60年もたてば死もすぐそこかよ」
てな感じで、ひたすら死におびえていて、生きた心地がしません。

はたから見ると、まだ高校生がなにいったんだ~~という感じですが
分かります!!私も昔そんなことを考えた時期がありました。

私の場合は、エスカレーター式の女子高だったので、高校受験はなかったんですね。
大学受験は経験しましたが。
人間とは・・とか、人は何故死ぬのか・・などを考えて暗くなったのは
中学3年生のころでした。
自分では、勉強もかなり頑張っていたつもりでしたが、
学年で1位とか、2位の人にはどうやっても追いつけない。
私は必死なのに、あの人にはかなわない・・なぜ・・
何故人間は生きているの・・・などなど、悩みました。

それを解決すべく、文学を読みあさりました。
特に日本文学におぼれました。
太宰治「斜陽」
夏目漱石「彼岸過ぎまで」「行人」「こころ」
田山花袋「布団」
正宗白鳥「泥人形」
などは、読んでいて、人間の心の奥にあるエゴというか、汚い感情、
人間は汚い・・・と思われて、ますます暗くなりましたが
その後、そういうものである・・と理解するに至りました。

前置きが長くなっちゃいましたが、今受験のさなかにあって
文学に酔いしれる時間はほとんどないでしょう。
息抜きもままならないでしょう。
そういう状況では、「こんな人生はつまらない。あと60年もあるが
60年あったところで、そんな人生では、なんのために生きているんだ??」
という疑問がわいてきても当然でしょうね。

でもね・・・
それは、いまだけなんですよ!!
人生つまらない、と感じてるのは、きっと今のあなたの状況が満足でいないからで
それはずっと続きません。
きっと合格が決まる頃には、うそのように晴れ晴れとした気持ちでいられると思います。

今は長く苦しい道のりだけど、終わってしまえば受験なんて
人生のほんの少しの出来事です。
だけど、それによって自分の行きたい大学が決定されるとしたら
がんばらない手はないと思います。

とりあえず、勉強をがんばってください!!
そして、もしよかったら上のような文学小説を読まれたらどうでしょうか。
私は数学を専攻していますが、読書は大好きで、特に尊敬するのは
夏目漱石です。彼はすごいです。
シリアスな小説なのに、ユーモアが入ってるところがあって、すごい!!と思ってしまいます。

暗くなったら、とにかく勉強を少し休憩して、空を見上げるとか、
公園を一周するとかして自分で発散させるのも大事ですね。

がんばってください!!!
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この回答へのお礼

どうもです。
小説ですか。でも結構今の心理状態だといい薬になるような気もします。
(深みにはまると怖そうだけど)
偶然か何か僕も大学で数学をやりたいと思ってます。
大学以降の充実した生活を夢見て頑張ります。

お礼日時:2002/11/11 23:35

「死」について真面目な研究がなされていないのが現代の科学です。


本屋か図書館で「死の瞬間」エリザベス・キューボラ・ロス著を読めば考えが変わるかと思います。ロスさんの、他にも死についての本が有ります
死後の世界は有る、肉体は仮の姿。臨死体験の沢山の証明談
人間の生きる目的は・・・。
若い時こそ真剣に死とは生とは考える時期です。
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死を恐れるというのは、死を恐れない人よりも長生きができそうな気がします。


死なないように誰よりも怪我や事故に気をつけるでしょうし(^^)
知らない間にかかってしまう病はどうしようもないですが・・・。

ノストラダムスの大予言の話を幼稚園に通っていた頃に聞き、
「1999年には死んでしまうのか!」と毎晩睡眠に入るころに心細くなってました。
1999年が過ぎてしまった今でも死を考えてちょっと落ち込んだりもしますが(笑)
もう死を考えるのがクセになってしまっているようで・・・。

死んだらどうなる、というのはその人のイメージによるのではないかなーと最近思ったりします。
いつ自分が死んでもいいように、毎日を充実して生きれば悔いもないでしょうし
そんな人は周囲の人たちに感謝し笑顔を見せて逝き、死後も楽しい世界で過ごせるのかなと。
誰かを恨みながら逝ったり、自分が逝くと残された家族は・・・と心配でたまらないとか
そういうマイナスのイメージで亡くなってしまうと
死後も嫌な感じや悲しい感じが続きそうだなーと思います。
それでも悪い夢の中でイメージを変えようと思えばできると信じたいですけど。
良いイメージを持ちながら逝くというのは大変無難しい事ではありますが・・・(^^;
死ぬという事は、覚めない夢を永遠に見るのと同じなんじゃないかなと思います。
なんだか上手く説明できなくて申し訳ないです。

自分は死んだ後の事よりも、死ぬ間際に感じるであろう苦痛の方が怖かったりします。
でも、それもきっと生き物が感じられる範囲での苦痛で
それ以上の苦痛を味わおうとしても意識を失ってしまうだろうし
なんとかなりそうですね・・・たぶん(^^;

受験が終わればきっと死を考える時間がもったいないぐらいの楽しい生活が戻ると思いますよ。
今は自分の為に頑張って下さいね。
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僕も死は恐くない人です。


でも、5番の方と同様、もし今死ぬと思うと、
とっても名残惜しいのでそれだけは嫌です。

ホントに死ぬとどうなるかわかりませんか?
眠っているとき、夢も見ず寝ているとき、
「死」はそんな感じでしょう、きっと。
毎日体験していることが、「死」に近いはずです。

そんなことより、僕は、死んでしまったとき、
涙を流してくれる人がそばにいればいいや、と思うので、
なるべく生きている間に人に愛されるよう努力すべきだと思います。
気にしないで行きましょう。
「人は一生死なない」のですから。
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この回答へのお礼

なるほど。永眠ということですね。
結構元気が湧いてきたような気がします。

お礼日時:2002/11/11 23:57

死は恐いものです。


恐くなければ生の意味がありません。
でも、死はやってきます。
恐がってても、お気楽にいてもどうせやってくるのです。
だったら深く考えずにいた方がましなのでは?
今目の前にある課題を乗り越えること、これからの自分の将来に希望を持つこと
そんなことを考えること。それでよいのでは?
考えようが、考えまいが同じくやってくることを考えてもしょうがないのでは?
と、思います。
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この回答へのお礼

どうも。希望が大事ですね。

お礼日時:2002/11/11 23:36

一度、受験する予定の大学に行ってみてはいかがでしょう?



←経験者、となっているのは、私は、どーも勉強する気がなくなると、気分転換に見に行っていました。なかなか、いいですよ。お勧めです。(^^)
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この回答へのお礼

確かに。一瞬desireが湧きました。
模試続きの毎日ですが、暇ができたら行ってみようかな。

お礼日時:2002/11/11 23:43

私の計算では、地球の歴史上、死んだ生命の数は48.300.000.000.000.000.000.000.000.000.000


です。
逆に不死身の生命体の数は、ご承知のように0です。
これだけの多くの生命が確実に死んでいったわけですから、自分も死ねるという事は、自分も生命体だったという証になるのではないかと思います。
 私も、死を少し突き詰めて考えると恐怖に陥ります。
そういう時は、宇宙の最後の姿を空想します。
 私の考える宇宙の最後は、"全ての物質がただの一点に集約する姿です。閉じた宇宙というのでしょうか。
 そのときに全ての愛すべき物質と、融合以上の融合を果たすのです。そして煮えたぎって再び宇宙の開闢として、新しい息吹の一部となるのです。
 さて、死んだ後のお願いとしては、骨壷の中に愛すべき生涯の伴侶と一緒に入れて欲しいという事です。
 こなごなになった骨に愛する人の、こなごなの骨をかき混ぜて欲しいのです。
 そうすることで、宇宙の終焉の時により近くの物質として融合できるチャンスが大きい、と思うのです。
 これらの事は、ただ死の恐怖から逃れるために一生懸命考えた自分なりの逃げ道なので、ご参考になればと思います。
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この回答へのお礼

どうもです。
そうですよねえ。確かに事実として残念ながら不死身は存在しないんですね。
超人のようであの人は死なないだろう、という人も事実死にますからねえ。
逃れようがないですね。
脳だけを生存させて、マトリックスみたいに仮想現実に行ける様な技術はないんですかねえ。
しかしそこで不死の無意味さを悟るのでしょうか。

お礼日時:2002/11/11 23:56

大丈夫ですよ 人間そんなに簡単に死にはしませんよ


でも考えてみて・・

両親 兄弟 友達 たとえば君がこれから会う我が子みんな死んじゃってもまだ生きたいと思いますか?

私は君のちょうど倍生きているおばさんですが生きていれば楽しい事はもちろんですが悔しい事 むかつく事ありますよ 確かにね
だけどね60年長いよ~ホント
もうこの際生きてやろうじゃん位の気持ちでいてね
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この回答へのお礼

どうも。
よし。生きてやるか!?

お礼日時:2002/11/11 23:50

こんばんは。


“今”が充実していないと“死”が怖くなるみたいです。

あなたがこの先、何か打ち込めるものを見つければ、自然に死への恐怖は消えていくと思いますよ。

今、その気持ちを消したいのであれば、今したいことをするのがいいんでしょうけど、受験があるのではそうもいきませんね。(受験勉強はしたくてしているわけじゃないでしょう?)
受験が終わるのをキッカケに、何か打ち込めることを始めたらいいと思いますよ。
今は、死を考える時間を「何か打ち込めそうなものはないか?自分は何がしたいのか?」を考える時間にすればいいんじゃないでしょうか。
死を考えるよりは楽しいと思いますよ。
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この回答へのお礼

打ち込みたいものは数学(受験の数学に縛られないで)と今は考えています。
だからなおさら夢中になれないのが歯がゆい。

お礼日時:2002/11/11 23:49

死ぬ事はとても怖いです。


死んだらどうなるんだろう?これは誰にも分かりません。死んだ事のある人はこの世にはいませんから。たぶん何にも無くなるのかなあ。考えることもない全てが無の世界、そしてそれは確実にやってきます。

私も中学生の頃そんな恐怖に取り憑かれ、30年近いです。
いつもそればっかり考えてはいませんが、時々(突然)狂ったように叫びたくなったりします。たいていは寝ようとしていろいろ考えている時でしょうか。昼はそんな事考える暇はありません(幸せな事に)。

きっと、toratorataroさんも受験 = 頭を使う からあれやこれや考えてしまうのでしょう。

話は変わりますが、人間は年を取るとボケてきます。
一説には、神様が「死の恐怖を和らげてくれるため」に人間はボケるようにした。とも言われています。

いろいろ考えると宗教というのは、全て死の恐怖と戦うためのような気もします。ということは、大昔から人間は死の恐怖と戦ってきたといえるのではないでしょうか。みんな怖いんだと思います。

死なないという事はあり得ないので、日々を楽しく過ごす事。事故などに遭わないよう気をつける事。毎日が楽しくて充実している時は、忘れていられるように思います。

今はもう少しの間、受験勉強頑張って下さい。
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この回答へのお礼

どうも。充実した毎日を送れるように頑張ります。

お礼日時:2002/11/11 23:46

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