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未だ戦闘が続くイラク、凄惨な事件がおきる最近の日本。どれも命の重さは同じなのでしょうか?
ヒトラーとマザーテレサの命の重さ。
戦争では軍人であれば交戦による殺人、制圧のための殺人は正当化され、日常生活では殺人は罪になる。ということは戦争中の人の命は軽いと理解すべきなのでしょうか?そもそも戦争とは誰がどのような基準で決めるのでしょうか?

A 回答 (4件)

これは、難しい問題です。



基本的には、どれも命の重さは同じだと思います。
戦争では殺人が正当化されるようにみえますが、家族から見れば、身内を失った悲しみは大きいでしょう。

ただ、死刑囚の執行については、命の重さは少し軽いような気もしますが・・・
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この回答へのお礼

ご回答いただき有り難う御座いました。

お礼日時:2007/02/09 10:49

こんばんは。



 命そのものには軽重はないと思っています。いかなる命においても、命であることは同じだと。
 軽重はあくまで相対であると考えてます。何らかの基準・視点・立場から見ての軽重ですので、その基準・視点・立場において意味のあるものでしょうけど、それは命そのものの軽重を示すものではないと。

 法治が実現されていない無秩序・無法状態においては、結局のところ力がすべてになるでしょうし、戦争や無秩序というのは誰かが判断するものでなく、状態をいうのでしょう(たぶん)。しかしながら法治が成されているか否かと、失われる命の軽重は関係ないと思います。
 確かに、人も含めこの世を埋め尽くす命の数々には、いかにも軽重がありそうに見えますが、それはある種の偏執なのだろうと。

 ぶつぶつとしたつぶやきみたいですみませんが。では。
 
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この回答へのお礼

ご回答いただき有り難う御座いました。

お礼日時:2007/02/09 10:48

戦争は 社会(国家)の要求によるものであり


個人に於ける殺人とは 一般的に区別されます。

動物間でも 群れ間の対立は存在し
自分達の社会で暮らしていけなくなった場合、他の社会(群れ)との戦いを行います。

多数の死者が出ようが、その社会(国家)全体の為が最優先ですので
全人類の命 > 個人の命
と言う判断でしょうね。
それに比べ 日常の犯罪は その社会(国家)にとってマイナスなので・・・
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この回答へのお礼

ご回答いただき有り難う御座いました。

お礼日時:2007/02/09 10:48

命の重さは、「地球より重い」と、確か、よど号ハイジャックの時に当時の福田総理が言った言葉ではないかと思います。



命に重さに差が有ってはいけないとは思いますが、現実の世界では住んでいる国によって命の重さが違うようです。
戦争やテロで失う非戦闘員の犠牲を見ていますと、命の重さではなく、軽さをを感じます。

イラクの場合、戦闘中の命が軽いとは思いませんが、戦死したアメリカ兵は本国によって篤く葬られ、国の名誉として永遠に刻まれ、命の貴さが叫ばれます。

同じ日本人でも、昨年イラクを旅行した青年が、いとも簡単に命を取られましたが、自己責任では済まされない正に痛ましい限りです。

戦争は通常、国家間で行うものであり、各国には戦争を行うための法律なり、条約なりがあるでしょうから、その法律・条約に準拠して、宣戦布告した上で戦闘が開始されるのでしょう。

日中戦争(支那事変・抗日戦争)のように、双方宣戦布告せずに戦争状態に入った戦争もありますが、近年では湾岸戦争のとき、イラク軍がいきなりクエートに侵攻した例もあり、戦争の形態は様々だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答いただき有り難う御座いました。

お礼日時:2007/02/09 10:48

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