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No.1
- 回答日時:
ニニギが天孫族を引き連れて南九州に上陸したときは、多くても数十人だっただろう。
多分、乗っていた船も1艘ではなかっただろうか。巨船もなく、大船団の艦隊を組んで航海する技術もなかっただろうから、何万人なんてことはあり得ない。
そもそも、日本の人口は、縄文末期で30万人、奈良時代で300万人ほどだ。天孫降臨時代は列島全体でも多くて100万人いたかどうかだ。水稲耕作が遅れていた朝鮮半島の人口は日本よりもかなり少ない。
そんな時代に何万人もの人が同時に海を渡るなんてことはない。
日本上陸後、南九州は火山灰の土地で水稲耕作には不向きだったこともあり、水稲耕作適地を求めて高千穂に定住。近隣の漁労民族など先住部族の長の娘と婚姻を繰り返して同盟勢力を拡大し、山幸彦の時代に薩摩隼人も傘下に組み込んで南九州に大勢力を築いたと推定される。
神武東征も主力部隊は薩摩隼人だったのではないかと思われる。
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