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今回初めて質問させてもらいます。
それで、今憐れみとはいかなるものかを調べているのですが、自分でデカルト、ホッブズ、ルソー、スミス、カントについての論は調べてみたものの、いまいちまとめられないというか、ぱっとしません。
どなたか上記の5名の憐れみに関する考え方の違い等を説明してくださる方がいらっしゃいましたらご教授お願いします。

A 回答 (3件)

sa-chan93さん、こんばんは。





回答ではないこと先にお伝えしておきます。


はじめてとのこと、


「ようお越し~♪」


質問をアップするって、ちょっとドキドキしますよね。そんなことないよ、と、いわれる方もおいででしょうが何事も初めての時は清水の舞台から飛び降りるような気分になるものではないでしょうか?えっ?清水の舞台から飛び降りたことがないから降りるような気分といわれても…?ハテナかな?すんげぇー高いところからダイブする感じ、ダイブしなくとも高いところに立って下をみるとヒェ~~~)))っと、身縮こまり足震えるあの感じではないでしょうか。


質問あげたのにいっこうに回答なりアドバイスがあがってこない、意気揚々と質問を投稿したのに………なぜ?と、ガックリ気落ちすることも。



困り度みればかなり困っておいでのよう



そこで、ちょこっとアドバイス。質問の問い方を少し変えてみてはどうでしょうか?変えるというよりも付け加える。何を?「…調べてみたものの、いまいちまとめられない、ぱっとしない」と、お書きですよね。まずは、ご自身が調べられてみた中でどこがどうわからないかを個別具体的におおまかでかまいませんから書き加えて再度質問をあげてたずねると回答もしくはアドバイスを寄せてもらいやすくなるように思います。



ここ、いまはシーンとしてますが、教え好き!話し好き!の方々たぁーくさんおられます。みんなウズウズあなたがどこがどうわからないかを開示してくれることをいまかいまかとまっていると思います。


それと、ここで寄せられる回答及びアドバイス等はあくまでもご自身の考えを導き出すためのものであって、誰かの書いた言葉をそのままに書き移してレポート提出等に用いると後でむなしくもなりますからお気をつけあそばせ。



余計な書き込みになりましたらどうぞご容赦を。
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1個だけ調べてきました。



デカルトの憐れみ。
http://www.christian-life.jp/Doc/messages/Y2002/ …
『「憐れみ」とは、その悪を被るのに値しないと考えられるのに、或る悪を被っているところの人々に対する、「愛」または善意をまじえた、一種の「悲しみ」である。』

つまり正当にではなく、不当に虐げられた人と出会ったとき、心が動き「よかったらご飯食べていってください」となった場合を憐れみの心がある というのではないかと。

つまり他人ごととして捕らえず、我がことのように心が痛むとき起こる。


従って憐れんでいる人は、憐れんでもらわれている人に対して我がことのように捕らえているので、前者>後者という図式にはならない。


ということを言っているようです。

スキャンダルにまみれた人がボランティア活動をやってあっという間に名誉回復をする。
偽善なわけです。
目的は「慈悲深い人だ」と刷り込むことで、不倫しまくっていた人という人々の認識を消し去るためににやっていたわけで、実際は他人の不遇に心が動いたわけじゃあない。
だから利用される側は感謝する必要はなく、利用する側のみが感謝するという図式になる。

この人の場合は憐れみではなく強欲が強欲を産み出したわけ。
憐れみとはまったく逆。


他はちょっと調べましたけど、見つけることができませんでした。

憐れみを博愛と同一視するとやっかいな問題が起こります。
殺人の被害者遺族を黙らせることになる。
殺人をやった人たちの天国になってしまう。
詐欺をした人の天国になってしまう。
だからあくまで憐れみは不当な処遇を受けた人を見かけた時、心が動かなければならない。

何人も殺した人と獄中結婚をした人がいました。
殺人者の過去と自分の過去が似ていたので心が動き結婚を申し込んだそうです。
つまり殺人者と自分を同一視したことで起こった。
これは自分の過去を自分が憐れんだ結果引き起こったことで、殺人者が殺人をしてもいないのに死刑になると不憫に思ったからじゃない。

殺人の被害者の遺族は不当なことをされましたが、このことに関して、結婚を申し込んだ女性は心は動かなかった。
過去の自分の不当な処遇を憐れんだ結果、加害者のやった不当な行為は眼中から消え、自分を自分で愛するために殺人者を利用したわけです。

同じ自己愛ですが、発動する場面が違うと、理解しがたい不当な憐れみに見える。
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上記5名の方の憐れみに関する考え方の違いについては難し過ぎて分りません。

御免なさい。
ただ、憐れみとは何かという時に、例えば芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話にあるような自分は安全地帯にいながら不幸に喘いでいる者を可愛そうだと思って救いを差し延べようという心情かな、と察します。
これは例えば、同苦して一緒に幸せになろうっていう慈悲の心情との対比でみれば分りやすいかも、です。
こんな説明で恐縮です。
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