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創世記に「神は創造をよしとされた」とあるがもし創造が善であるのに歴史が大方屠り場だとすれば、神の決断(費用効果的)になされているのですか!?つまりは神の経済には無駄があるのですかないのですか!?

A 回答 (4件)

主のなさることは人間ごときの価値観とは別な世界です。

まして近代経済学の考えなどとは相容れないのは当たり前。

人間の作った価値観を軸に置くのではなく主の価値を中心において物事を判断するのです。

質問者さんの疑問はごもっとも、しかし判断基準を主に置けばそのような疑問も氷解するでしょう。
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質問の回答は、他の方に任せるとして、参考情報を記させていただきます。



ユダヤ書(キリスト教からすると旧約聖書)が成立したのは、紀元1世紀。

創世記の部分は、バビロニア捕囚(紀元前586年頃)以降に、捕囚された祭司達が作ったといわれています。


捕囚先のバビロンには神話が既にあった。

http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil13.htm

ユダヤ書の天地創造の原型ですね。

このティマートの概念を持つものが、ヨハネの黙示録にも出てきているようですが。


「地は形なく、むなしく、ルーアハが深淵の表を漂っていた」

この深淵がtohem子宮のこと。

「光あれといった」

おぎゃーと生まれて光にさらされることになったわけですね。
世の中に出たことではじめて世界が存在しはじめることになった。

捕囚先のバビロニアは封建社会であり、支配者は神の子とされていた。
捕囚されたユダヤ人は、特定の人ではなく、みんな平等で神の子となると考え、ここでユダヤ教独自?の創世記が新たに作られることになった。


古代では、王位につくためには
この地上の女神の体現者である女王と結婚しなければならなかった。
これがヒエロスガモス(聖婚)。

アッカドの王達は、自ら聖婚にふさわしいものであるという証をたてるために、軍事的遠征を行った。

というのがあってなのか定かではありませんが、ユダ王国はバビロンによって陥落してしまいました。
ユダ王国のリーダーだった王や祭司たちは、バビロンに連れされられてしまったわけです。

そのバビロンに供養というものがあり、王位についたものが、力が弱くなると、次の王になるものに殺されるという風習があった。

国力が弱くなったのは、女神を満足させられなかった王にあるので、贖罪していただく、というわけです。

前王は国の全ての罪を背負い死んでいったわけです。

ところが、サカイアの祭りになると、この風習が緩和され、身代わりの王が贖罪をするというふうに変わった。

身代わりの王は王の衣服をまとい、王座に座り、王の愛人達と床をともにし、王笏を用い、5日後に衣装をはがされ鞭打たれ、そして「天と地」の間に吊れ、あるいは串刺しにされた。

イエスが園で「どうかこの杯をわたしから過ぎ去らせて下さい。」といったと物語で書かれていますよね。

人々は彼を王としたが、身代わりの王という扱いだったことになります。
最終的にはこの使命を引き受けたと物語になっております。


ですから、イエスは人々の罪を背負って死んでいった、という解釈になったわけです。

バビロンの聖典にこう書いてあるそうです。
「もし王が打たれたとき涙を流さなかったら、悪い年の前兆である」。

王 あるいは 身代わりの王は死ぬとただちに「神になった」とされた。
彼は天界に上り、天界の父(すなわち本来の部族の父を象徴する最初の犠牲者)と一体となった。

王あるいは身代わりの人間を、儀式として殺すことが残酷で非文明的だと考えられるようになったとき、動物が犠牲の身代わりとされるようになった。


エジプトの風習では、贖罪の祭儀において雄羊が「罪を負う人」の役割を持っていた。
エジプト人は罪を負う人を羊神アモンと呼んだ。
ユダヤ人に伝わったとき、この語彙がアメン(アーメン)になったんじゃないかと。


で、なんで神が選んだ民がバビロニアに捕囚されることになり、神がそれを阻止しなかったのか。
ユダ王国はイスラエル王国が偶像崇拝したことで、滅ぼされたと批判しましたが、実はソロモンも異教の神を神殿に置いて崇拝していたんですね。
(ソロモンは実在の人物かどうかは、あれほどの栄華を誇っていたにもかかわらず、隣国の歴史の資料にも名が出てこないことから、架空の人物かもしれませんが。)

それで、ソロモンが死去したあと、国は二つに分裂し、北は偶像崇拝に陥ったが、やがて南も偶像崇拝に陥ってしまった。
それで、異教の神を崇拝したので、神は「もーしらない。そっちの神に助けてもらいなさい」ってことで、助けなかった。


というのがユダヤ教の考えで、単に神がいたずらをして、その犠牲者が人間だったというのではなく、人間が悪さをしたというか、神を崇拝しなくなったので、救いが来なかったという考えなんですね。


神は創造をしましたが、後悔もしました。
それで、洪水を起こして絶滅を図りました。
(これはユダヤ人独自のではなく、捕囚された先のバビロンの神話ですが)


このように、理由があった場合、神は助けないし(助けようがないし)、破壊もするってことらしいです。

効率的じゃないが、神はねたむ神でもあるので、「浮気 許せない!」ってことで、情熱に沿って行動するので、ねたむ神という添え名も持っているんじゃないかと。


そういえば、創世記には「【神々】」が作ったと書かれていますね。

日本の古事記も天地創造の前に3神いることになっている。
「次に国わかく浮ける あぶらのごとし 海月なす漂える時葦牙のごとく燃え上がるものによりて・・・・」ってまるでユダヤの創世記のようですね。

永遠の神がなった

雲と野を分ける神がなった。(天と地をわけた)

乾いた地と泥地を成す神がなった (乾いた地を造り草木がなった)

天空の日本の角(おそらく光のこと)で地上を生かす神がなった(太陽と月の創造)

雌雄により富ます神がなった( 生み出し地に満ちよ)

世界の活性と完成ほめる神がなった( 神はこれでよしとした )

地を浮ける男女の神がなった (イザナミとイザナギ?)


日本の歴史を診ると日本の神も効率悪そうですね。


ユダヤ書には士師記ってありまして士師たちの活躍が描かれていますよね。
日本にも士師っていました。
埴輪をもって殉死の身代わりとするという概念を作り出しました。
というわけで、身代わりのお札とか身代わり人形とかが日本では信仰されるようになった。

こっちの方が権力者が死ぬと、その支配下にいたものも一緒に葬られるってことが無くなるので、画期的なアイデアで、これが神からの啓示であれば、日本の神もなかなかやるよのぉ って感じです。


呪いの藁人形ってありますが、殺せはしないが、人形を殺すことで恨みを晴らし、直接本人に危害を加えないかわりに、自分も殺されずに済むってわけです。

殺害したら、自分ばかりではなく、親戚も探し出され一族全員皆殺しにされていた時代ですので、恨みを人形によって晴らしたとして、生き続けるって、画期的なアイデアだと思います。
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罪を犯したものをすべて消してしまえば美しい世界になるかといえば、長い転生の歴史で罪を犯さなかったものは一人もいないから、現実はすべての人間及び人霊がこの世からもあの世からもいなくなり再び神は孤独になってしまう。

しかしのんびり待つことで罪を反省し乗り越えて立派になった人間を見て喜んでおられる。
経済でいえばゼロになるところが多少でも益が出ていると考えておられるのでしょう。
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神は経済効果でこの世界を創造したのではありません。


いかなるつじつまの合わないことも、神の深遠な計画
の一部です。
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