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中国のような独裁政治国家やアメリカのようなではたびたび新興宗教や少数派が弾圧されますが、
日本人で宗教を否定する人間は全体主義と独裁主義のどちらに該当しますか?

A 回答 (14件中1~10件)

一般的に、宗教の反対側にあるのが汎神論や科学です。

森羅万象万物に神々が宿る、または、神の化身という日本の神や神々は、全人類共通の自然物、自然現象、自然法則への畏怖や畏敬から発する人類原初からの汎神論、自然主義です。其の古さはわからないくらい古く、動物時代からのものかもしれません。全ては自然法に支配されていますから。宗教は統一秩序で、全体主義、人間主義です。民族宗教は、民族統一支配のため、キリスト教などの拡大主義、排他主義の世界宗教は世界統一支配のために存在します。宗教は、大集団時代になって、大衆を支配、統治するための道具として、支配者階級によって新しく作られました。科学では、各地の風土、気候、地理、個々の物質など、多種多様性の異なりを認め研究します。自然は各地の気候や風土に適材適所にあって、共生共存・寄生などしながら、時間経過と共にバランスが保たれます。また、その関連を研究します。自然主義、自然法、科学、汎神論からすると、宗教は人間主義で全体主義、ファシズム、カルト、コロニー、癌です。少数民族の原始共産制と異なり、最近の共産主義は宗教です。統一秩序、拡大主義で巨大な集団があり、支配階級があり、物理的に巨大な集団ほど階級格差も巨大で、よって巨大な富が中央に集まる強権の中央集権です。支配階級は、その秩序を乱されてはならないので、排他主義になります。禅は無です。あらゆることを戻れるだけ戻って原点から見直すというものですし、親鸞は宗教を解体しました。日本は、汎神論、自然法、共生共存法、多種多様なモノのバランスやその美しさ、個々の研究やその歴史や伝統や文化や言語や風習を尊重することを誇りとしで一つとなっています。最近の西欧・キリスト教かぶれの日本は大変危険で、日本の文化を取り入れた西欧などはうまくやっているようです。
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どちらでもないでしょう。

何故分けたいのか理解出来ません。
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神なんて居ないっていう現実主義?


死んだら天国も地獄も無いからじゃないかな
無の世界だろうしね
100年経ったら絶対死ぬししょうがない
神信じても死ぬし無の世界に突入するしね
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>日本人で宗教を否定する人間は全体主義と独裁主義のどちらに該当しますか?


 どちらにも該当しませんね。
 古来からの宗教(新道・仏教・キリスト教等)等を完全完璧に否定する日本人はむしろ少ないんじゃないでしょうか?
 X’masやお正月、冠婚葬祭なんかをまったくしない人は少ないですからね。
 
 弾圧されるとしたら・・・新興宗教かな?まぁ外部から見れば”明らかに妖しげ”ですから。
 しかし”弾圧”の言葉が正しいかどうかは同意しかねますね。
 批難されて然るべき集団も多いですからね。

 さて、先日もこの質問と同じ様な質問を見かけて回答しましたが…お礼はおろか返答すら無く締め切られてしまいました。
 この質問はどうでしょうね・・・
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基本的に弾圧されているのはカルト宗教だからですが。


信仰と言っても、中国の場合は太古から反乱は政治の乱れから来ています。
中国の場合は一端政治が乱れると一気に阿鼻叫喚の地獄絵図に変わるので、人々が宗教に惹かれるのはいたって当然の流れでしょう。
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どちらでもないです。


同一ベクトル上に並んでいないものを比べることは出来ません。
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どちらの主義かと端的に問われれば、現実主義な方ですね。


宗教を信じる人は、言葉は変ですが、ロマン主義というか、神様が何でもやってくれるみたいに思い込んでいますが、宗教を信じない人は、現実主義で自分の飯代くらいは自分で稼ぐべきだから、神なんか拝んでいないでせっせと働くって考えるのではないでしょうか?
宗教をしている人が働いていないと言ってるわけではなく、思想的な話ですが。
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無宗教という信仰です。


科学信仰とでも言ったらよいのでしょうか。
アメリカは全体主義でも独裁主義でもありませんよね。
もうちょっと勉強しましょう。

日本やアメリカのような民主主義国家は、国民がカルトを否定はしても弾圧はしません。信仰の自由が認められているからです。崇拝の対象がイエスでも仏陀でも麻原でも池田でもです。
また、日本の新興宗教はだいたいヤクザのシノギです。

個人的に好きな宗教者はダライラマ14世なのですが、彼は「世界中の人々がみんなあなたの信者だったら世界は平和ですね」とインタビュアーに問われてこう言っています。
「そんな恐ろしい世界はない」

信仰の自由と同時に、信仰しない自由も認められていることをお忘れなく。
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 宗教を否定することと、全体主義や独裁主義であることは直接はつながりません。


 むしろ宗教的熱狂みたいなものは全体主義や独裁主義を助長する危険性があります。例に取れば、ナチスや、戦中の日本、毛沢東時代の中国等が考えられます。(ただし、これは時代が下ってからの価値判断です。時代が変われば評価も変わるでしょう。)
 また、宗教団体の中では教義の解釈や適用内容によっては世間一般と乖離した価値観によって団体の中においては全体主義や独裁主義的な面が生じることもあるでしょう。新興宗教であれば創始者が存命中で実権を持っていれば、創始者の言葉が教義になりより大きな影響力を持って全体主義、独裁主義的側面が団体内において強く出ることもあるでしょう。

 今の日本においては宗教を信じることも否定することも自由です。その両方が並存しうる基盤は全体主義や独裁主義とは対極にあるものと私は思います。

 尚、個人的には宗教、あるいは宗教的な教義を押し付けてくる人に全体主義的なものを感じたりします。それはその教義以外の考え方を脊髄反射的に否定する人が多いからです。
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面白い考え方ですね。

あなたの考え方を全く否定するわけではないですが、

新興宗教や少数派が弾圧される国は多いと思います。

また、宗教を否定する人で、全体主義でもなく、独裁主義でもない人がいます。
宗教を否定しない人で、全体主義で、独裁主義のひとはたくさんいると思います。

日本の宗教を否定する人の性質は、他の国と大差ないような気もします。
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