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※「キサラギの映画と小説、ストーリーや結末は全く同じか?」という質問ですので、本文には、
「キサラギ」の映画だけではなく、小説版のネタバレも含まれています。
そのため、仮に小説の結末が映画と異なった場合、映画を見た方も知らない情報が
含まれているかもしれませんが、ご了承ください。


・小説版の内容
話し合いをしていくうちに、オダユージが元マネージャー、いちご娘が父親、
スネークが仲の良かった店員、安男が幼馴染、ということが次々に分り、結果、
「キサラギユイは部屋が火事になり、家元の出した手紙を取りに物置部屋へいったが、そこで火にやられ、事故死した」
という結論に落ち着いた。
が、一年後、掲示板にシシドジョーが現れ、再びメンバーと集まることになる。
その場で家元がイベントの動画を流し始め、その中で「おれは足を怪我しているんだから!」
と家元が叫び、家元がストーカーだった、という雰囲気を出しながら終わりました。

ここからが質問です。

1・私は映画は見ていないのですが、映画版の内容も、全く同じでしょうか?

2・家元はストーカーだった、という解釈でいいのでしょうか?ストーカーだったのは
間違いないと思うのですが、家元がキサラギユイを殺した犯人、という解釈は不自然でしょうか。
もちろん、映画の解釈なんて人それぞれですが、「ストーカーだった」「ストーカー&殺人犯だった」
どちらの解釈がより自然だと思われますか?

3・最後に出てきたイベントの司会者「シシドジョー」はなんだったのでしょうか?
彼女の部屋に事件当日、侵入したとか言っていましたよね?あれは本当なのでしょうか?ただの妄想?彼が犯人?
これも解釈によると思いますが、回答をお願いします。

4・この映画は、密室劇だと思うのですが、この、五人が話し合う部屋以外のシーンは、
全く出てこないのでしょうか?極端な話、一秒でもほかの場所のシーンは映らないでしょうか?

A 回答 (6件)

言うまでもなくネタバレです。




1.「家元がストーカーだった」というのは、小説版のオリジナルの結末です。映画は宍戸錠が出てきたところで終わり。

2.映画版には出てこないことなので、映画の解釈としては無意味です。小説の解釈としては、ありだと思います。というか、「家元=ストーカー」説はそれを暗示してのことでは。

3.映画限定の話。監督さんの言によれば、「しんみりしたままで終わらせたくなかった」から宍戸錠のシーンが出来たらしいです。強いて言えば、劇中の真実を真実で終わらせないためにあるんじゃないでしょうか。

4.メインは室内ですが、回想として如月ミキの部屋のシーンとかが出てきます。


これは私見ですが、もし質問者様が映画の方をごらんになるつもりなら、小説版は後にしておいた方がよかったんじゃないかな……と、今更言っても仕方ないですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。補足で聞きたいことがあります。

1・映画はシシドジョーが出てきて終わりということですが、どのような出てきかただったのですか?
小説では、5人で話し合った一年後、掲示板に「シシドジョー」と名乗る人物が出てきて、
その人物に会うため、再び5人で集まることになる。
そして、その場にシシドジョーと名乗る人物が現れ、「あの日キサラギユイの家に忍び込んだのは俺だ。
ユイを自分だけのものにしたかった」と言うのですが。
また、シシドジョーはイベントの司会者、という設定は同じでしょうか?

2・映画のラストを、もう少し具体的に教えていただけないでしょうか?
小説では、シシドジョーの「あの日キサラギユイ~」の台詞のあと、家元が
「あんた、イベントの司会者だろ。証拠もある。イベントの動画があるんだ」みたいな
ことを言い、映像をみんなで見始める。その映像の途中で、デジカメで撮っている人(家元)が、
ぶつかってきた人に、「ぶつかるな!足を怪我しているんだから!」と叫んで終わりなのですが。

お礼日時:2007/06/21 21:10

ラスト部分に触れています。







一応の結論が出た後、家庭用プラネタリウムの星空を見ながら、5人は過去の自分とミキとのかかわりを思い返してしんみりする。
その後、家元が隠し撮りしたイベントで歌うミキの映像を映し、それにあわせて5人で一緒にミキを応援するダンス(ヲタ芸)を踊る。(ここまで現在)
映像が終わった後はすでに1年後になっている。宍戸錠が座っている5人の前に立ち、「私は2年間この事件を調べてきた。そして如月ミキの死の真実をつかんだ!」というような(映画冒頭のオダ・ユージのような)ことを言い、曲がった針金のようなものを見せる。ぽかーんとして聞いている5人。

これで終わりです。
宍戸錠(ちなみに本人です)がイベントの司会者であることは同じですが、「自分が忍び込んだ」みたいなことまでは言っていませんでしたし、小説で家元=ストーカーの伏線となる「ミキがストーカーの足に怪我をさせた」エピソードも映画では語られていません。
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この回答へのお礼

二度目の回答、ありがとうございます。何度も申し訳ありませんが、もう一度、補足質問させていただきます。
もし、お時間があるようでしたら、お付き合いください。

1・ということは、小説では家元とシシドジョーは怖い人だった、みたいな感じで終わりますが、
映画だけを見た方にとっては、家元とシシドジョーは、ただのお笑い要員、ということでしょうか?

2・いきなり一年後になり、いきなりシシドジョーが出てきて、いきなり針金を見せたのでしょうか?
映画内で、シシドジョーや、その針金についての説明は一切なかったのでようか?
見ている観客からすると、「なんかよくわからんけど、この人もキサラギユイの
ファンで、また三周忌でみんなで集まることになったんやけど、この人が今から
自分の推理を言い始めるんやな。手に持っている針金も、意味わからんけど、多分
今から言う推理に使うんやな。この映画は終わるけど、この面白い話し合いはまだ続く(また始まる)んやな。面白いな」
という、ほのぼのした解釈で終わっていく、ということでしょうか?

3・聞いたところによると、この映画はエンドロールが面白いと聞いたのですが、どのようなエンドロールなのでしょうか?
ungaikyou様は、最後まで見られたのでしょうか?

お礼日時:2007/06/21 23:50

簡潔に行きます。




1.はい。というか、宍戸錠はほとんどおまけみたいなもんです。家元も単なるオタクです。

2.はい、いきなりです。終わったと思ったところでまだ一波乱あるの?って感じです。映画だけを見た人の間では、「宍戸錠のシーンは蛇足では?」という感想も少なくありません。

3.エンドロールというか、
>家元が隠し撮りしたイベントで歌うミキの映像を映し、それにあわせて5人で一緒にミキを応援するダンス(ヲタ芸)を踊る。
多分この場面のことだと思います。このシーンでキャスト等の字幕が流れますが、本物の主題歌とエンドロールはまだこの後にもありますので。
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この回答へのお礼

何度も回答ありがとうございました。私がこんな質問をした理由を述べます。
映画を見に行きたかったのですが、家の近所にキサラギをやっている映画館がなく、かと言ってDVDが出るまでは待てず、
それで仕方なく小説を買って読んだんです。それで映画を見た人の感想を聞くと、
「スッキリ終って、見終わったあと、楽しい気分になれた」という意見がほとんどでした。
小説しか読んでいない私からすれば、「スッキリ終わってないやん。楽しい気分どころか、
怖くなったわ!家元ストーカーやったんやで!もしかして、映画って小説とストーリーが違うのか?」
と疑問に思ったのです。当然、自分で映画を見れば一番それがいいのですが、
それが出来なかったため、こんなにしつこい質問になってしまいました。

ungaikyouさん、何度もお付き合い、ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/22 16:46

1・私は小説は読んでいませんが、質問者様の文章を拝見するに、微妙に、あるいはキャラクターの根幹に触れるという意味では大幅に違うようですね。


この作品は舞台劇としてまず作られ、それがノベライズされて映画化されたわけで、すべて古沢良太さんの手によるものなので、それぞれをオリジナル作品にしたかったんじゃないでしょうか?

2・このエピソードは映画では出てきません。お父さんだった「いちご娘(香川照之)」がはじめストーカーとして扱われていましたが。
「家元(小栗旬)」は、映画ではとてもおいしい役で、みんなが実は如月ミキに関わりのある人物で自分だけがただのファンで一番遠いと思ってたら、最後の謎解きで実は一番如月ミキの心をつかんでいたという役で終わっています。

3・如月ミキが売り出し中の頃のTV番組、「美女だらけの水泳大会」みたいなバラエティショーの司会をしていたのが宍戸錠です。
このラストは、今までいろいろな推理を組み立ててようやくひとつの真実にたどり着いたと思わせて、実はそれもたくさんある解釈のひとつにすぎなくて、所詮は真実なんかどこにもない。というより、実は真実なんかどうでも良くて、延々と新しい謎が提示され、限りなくゲームのように推理ごっこを楽しむことが彼らの目的であって、毎年2月8日に同じ事が行われるんだろうなという暗示で終わったと解釈しています。
一部では「キサラギ2」への布石では?という声もありますが、それはないと思います。
それより映画が評判が良いので、舞台の再演が実現しそうとのこと、こちらの方が楽しみです。

4・それぞれの回想シーンで、如月ミキの部屋、雑貨屋、テレビ局の楽屋、ミキと安男の故郷、家元が勤務する警察署などが出てきますし、息苦しい密室の映像が続く中「水泳大会」の回想シーンで大磯ロングビーチの映像が開放感と清涼感を与える役目をしています。
この効果は舞台では表現できないので、古沢良太さんが映画化したかった動機のひとつだと思います。

ここはネタバレのオンパレードになってますが、これで良かったの?
自分で見に行って自分なりの解釈をした方が楽しいと思うけどなあ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。私がこんな質問をした理由を述べます。

映画を見に行きたかったのですが、家の近所にキサラギをやっている映画館がなく、かと言ってDVDが出るまでは待てず、
それで仕方なく小説を買って読んだんです。それで映画を見た人の感想を聞くと、
「スッキリ終って、見終わったあと、楽しい気分になれた」という意見がほとんどでした。
小説しか読んでいない私からすれば、「スッキリ終わってないやん。楽しい気分どころか、
怖くなったわ!家元ストーカーやったんやで!もしかして、映画って小説とストーリーが違うのか?」
と疑問に思ったのです。当然、penguin929様のおっしゃる通り、自分で映画を見れば一番それがいいのですが、
それが出来なかったため、こんなにしつこい質問になってしまいました。

お礼日時:2007/06/22 16:49

No4です。


今読み返して気づいたのですが、私は小説は読んでないので判りませんが、質問者様の間違いでなければ小説のキサラギは「キサラギ ユイ」という名前なのでしょうか?
映画では「如月ミキ」という名前です。
もしどちらも間違ってなければこれは最初から作者が意図して別の物語として作ったものじゃないでしょうか?
ちょうどパラレルワールドのように舞台も小説も映画も似ているようで違うお話として作られたのかも。
舞台も未見なので判りませんが、こちらも違う名前なのかも。
そう思ってみたら、内容も結末もテーマすらも、むしろ違ってて当然ですよね。

この映画、単館公開で拡大ロードショウはしていないんですよね。観られない状況におありとは、知らなかったとはいえ失礼しましたm(__)m。
DVDが出たら是非ご覧ください。買って損のない映画だと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
すみません、こちらのミスです。小説版も、「ミキ」という名前でした。
別の映画の登場人物とごっちゃになっていました。

お礼日時:2007/06/22 21:46

じゃ、一つだけおまけの情報を。



この映画の原作・脚本は古沢良太さんという脚本家の方。
ノベライズを手がけているのは、相田冬二さんというライターの方です。
もちろん、元になったのは古沢さんの脚本であり、映画(と舞台)です。

無論、ノベライズにあたって原作者の監修が入っているとは思いますが、小説にはノベライズを手がけた方の独自の解釈も入っているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/06/30 21:57

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