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偏見はいけないことなのでしょうか?
広辞苑で調べると「偏った見方、中正ではない意見」とか記載されていました。

俺の中で以前から偏見はいけないという認識がありました。
だから極力しようは思いませんでした。
また偏見という言葉は負のイメージで悪い言葉で認識している自分に気づきました。

正のイメージっていうか、いい意味での偏見も存在するような気がします。
たとえば単に「あの人はいい人だ」と思うことも偏った見方ではないでしょうか?
多くの人は偏見という言葉に偏見を持っているような気がします。
これについてどう思いますか?

A 回答 (15件中11~15件)

> 偏見はいけない


というのも、一種の偏見ではないでしょうか?

このような問題に対して
これまでに2タイプの大きな議論がなされています。

ひとつは「偏っていない、中正な意見」というものが
あるのか?といった議論です。
偏っていない、中正な意見があるためには
普遍的な基準、あるいは絶対的な基準といったものが
なければなりません。

哲学の分野では、このような基準がドロ沼化しているそうです。
一方、19世紀には科学や数学が、このような基準になりうると
期待されていたのですが
20世紀に入るや否や「基準にならない」ということが証明されて
この証明はまだ覆されていないそうです。

もうひとつは
偏っていない、中正な意見=「自文化中心主義」である
といった、立場の議論です。
こーゆ見方をしているのが「文化相対主義」です。
相対主義者は「偏っていない、中正な意見」というのは
基本的に文化先進国での基準で考えているからであって
例えばアボリジニやコイサン族においても通用するか?
というと、そーでないことが多々ある。
じゃあ、アボリジニやコイサン族は正しくないのか?
といった類の議論です。
これは科学的な議論にも導入されていて
10年前に亡くなったファイアアーベンドなんかが
相対主義の提唱者として有名です。
ただ、相対主義者は「偏っていない、中正な意見」などない、と
いいますが、それだって偏見じゃないの?といった
反論に応えられません。

以上、トピックを紹介してみました。

この回答への補足

すみません。回等ではなくて回答です。真にすみません。

補足日時:2002/07/15 19:12
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この回答へのお礼

お返事が遅くなりまして申し訳ございません。回等してくださってありがとうございます。「20世紀に入るや否や「基準にならない」ということが証明されて
この証明はまだ覆されていないそうです。 」どう証明されたかもしよろしければご紹介ください。お願いします。それに凄く興味を持ちました。

お礼日時:2002/07/15 19:11

確かにその通りでしょう。


といことで偏見を良いように置き換えてみると先入観でしょうか。

偏見というか先入観。これにより人は情報を大幅に省略しています。
例えば、道ですれ違う人はいきなり殴りかかってこないとか、そういう偏見は持ってますよね。実際、外で人とすれ違うたび人は一々身構えたりしません。
いきなり殴りかかられないと安心する為に、すれ違う人すれ違う人に、あなたは一般的な価値観を持っている日本人ですか? いきなり殴りかかったりしませんよね? 握手する行為が非常に不愉快なマナーだったりする文化の人ではありませんよね? などと確認しないでしょ。
人は道ですれ違う見知らぬ人でも、一般的な価値観を持っているし、法律もそれなりに遵守するし、いきなり失礼なことはしてこないであろうとの偏見を持って生活しています。
これにより情報の省略化、日常生活において手間の簡略化がなされているのです。

実際にある人がいい人かどうかはその人と接し、言葉を交わし、探偵を雇って現在の素行を調べ、心理テストでもやって傾向と対策を分析して、そこまでやらないといい人かどうかは判定できないでしょう。ですが実際は、表面的に見えるその場その場での言動や、友人の評価ぐらいでいい人かどうか、信頼できるかどうかを判定しています。これも偏見です。これは悪い人かどうかでも同様で。

これがいけないかどうかについては、偏見という認識(少ない情報で分析している)を自覚するかどうかでしょう。
例えば芸能人の一つや二つのゴシップ記事を読んでその人の評価を下げることはあっても良いかと思いますが、なぜ自分がその人の評価を下げているのかという点を問いただされた時(あるいは自分で問いただした時)、その点を自覚していることが重要なことかなと思います。
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この回答へのお礼

お返事が遅くなりまして申し訳ございません。アドバイスをどうもありがとうございました。偏見という認識を自覚するかしないかについてなんですが、偏見をもった理由を考えた時、その点に自覚した先には何があるんでしょうか?よくわからなかったら申し訳ございません。偏見について突き詰めたいので。。。本当にどうもありがとうございました。もしよろしければお返事ください。お願いします。

お礼日時:2002/07/15 19:04

>たとえば単に「あの人はいい人だ」と思うことも偏った見方ではないでしょう


>か?多くの人は偏見という言葉に偏見を持っているような気がします。
>これについてどう思いますか?

良い事にお気づきだと思います。まさしくそうだと思います。
そこで一つ、アドバイスですが、偏見の対になる言葉についてです。主観と
客観とか、差別と公平とか、ま、いろんな事が考えられますが、
偏見を「個人的意見」と置いてみると良いかと思います。で、その対に
あたるのが「対話的意見」です。

つまり貴方の意見に僕は同意した。その同意によって、貴方の意見は
偏見ではなくなったという事です。世の中はこの連鎖的な会話によって
成り立つものだと僕などは思いますが、対話無き一致を見る意見というのは、
何人が寄り集まったとしても偏見の寄せ集めでしかないと思いますし、
たった二人であっても、対話によって同意された意見なら、胸を張って
偏見ではないと言って良いと思います。
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この回答へのお礼

お返事が遅くなりまして申し訳ございません。お返事くださってどうもありがとうございます。「たった二人であっても、対話によって同意された意見なら、胸を張って 偏見ではないと言って良いと思います。」についてなんですが。たとえば噂好きの人達が芸能人の噂話をしてて、対話が成立して「あの芸能人は絶対に女ったらしだよね」「絶対にそうだね!ヤダヤダ」とかも偏見ではないんですか?

お礼日時:2002/07/15 18:51

大方個人の考えは、偏見とみなす方が無難ですね。


ですから、偏見でかまわないし、悪いとも思いません。
お互い様です。
都合悪いのは、自分の意見として言わず、誰かもこう言っていたとか、どこかの本にこう書いてあったとか言って、自分の意見を他人のせいにしたような偏見、つまり知らないくせに、あたかも知ってるかの様な偏見、これは聞いていてすぐわかります。相手にしません。
偏見の奥に潜む個人の性格をケアしてあげましょう。
偏見は、ひとつの意見です。
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この回答へのお礼

お返事が遅くなりまして申し訳ございません。アドバイスどうもありがとうございます。「偏見の奥に潜む個人の性格をケアしてあげましょう。 」とはどういうことでしょうか?もしよろしければ具体的に教えてください。お願いします。

お礼日時:2002/07/15 18:26

「あの人はいい人だ」



では無く、
ほとんど素性も知らない人に対して、
「あの人は金持ちだから良い人に違いない」
とか
「あの人は貧乏だから悪い人だ」
とかっいうのが偏見なのではないでしょうか?。

実際にその人と接していて、
ホントにいい人だと思った時、
「いい人」と表現するのは、偏見ではなく、
ただの事実だと思うのですが(逆もまたしかり)。

僕も偏見という言葉に偏見を持っていますが、
rutさんのおっしゃるように、考えてみると・・・
ん~、特に理由は無いですね。
ただ、物心ついた時には、
周りの世界は【偏見は悪い言葉だ】って認識で
埋まってましたからね~。

ただ、上記したように、
「あのひとは悪い人だ」は
【偏見ではなく事実】で、
「あのひとは貧乏だから悪い人(に決まってる)」
っていうのが【偏見】だと思います。
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この回答へのお礼

返事が遅くなりまして申し訳ございません。どうもありがとうございます。偏見ではなくて事実とはどういう事でしょう?【偏見ではなく事実】とおっしゃってましたが、事実だけでその人全てを判断する事も偏見ではないでしょうか?

お礼日時:2002/07/15 18:21

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