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「闇を覗くものはまた、闇からも覗かれている。」
この言葉が何からの引用なのか調べています。
今のところ、ニーチェの『善悪の彼岸』には「深淵を覗くならば、深淵も等しくおまえを見返すのだ」という言葉が見つかりました。
他に知っている方がおりましたら、人物・本の題名・第何章目または何ページなど、詳しく教えていただけると助かります。
宜しくお願いいたします。

A 回答 (4件)

Atavismusですね。


生命の奥底(Abgrund ab denm Seil)がテーマです。


146段

資料的には、人間良心の本能的反応生態のことについて説明しています。

かつて善であったものが悪となることを例えて こういう表現をしているのです。

もしある人間が、理由も無く本能的に悪を映ずるかのような現象に出会ったとしたら、
その時は手を止め 
這い上がろうとすることをいったん休止し、自分が残した形跡を見下してみる必要があるという趣旨です。

ニーチェ二の分析では、字義通り、悪への怒りは、自分のもつ道徳的過去相への無意識的(本能的)誤魔化し、であるとのことです。

つまり這い上がろうとするのが人間の本性であるのか
それともその綱がただの「言葉の幻影」であると悟るのかということです。

正しくやくスとすると

「願わくば、諸々の魑魅魍魎とあがき、あがきながら、此がその魑魅魍魎とは一体となりえないことを目の当たりにする。

しかも 宗教的願いとはかけ離れた別のモードの中で、同時に汝が、長しえに、此の底をのぞき返す深淵を覗き込む、その姿をみながら・・・」

若者への憤り つまり 自分の打ち捨てた理想へのごまかしです。
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 『善悪の彼岸』をお読みなら、貴族の責務についてもご存知でしょう。

お書きの引用は正確さを欠いていると思うので、不足の部分を付け足します。

 ニーチェの規定する倫理とは、万人に許されるものではなく選ばれた小数の者だけが引きうける責務のことです。それは高貴であることの徴であり、万民に対する義務にまでは引き下げないようにすること。高貴な人は、自らの責務を他へ譲ろうとはせず、分かち合うことすら求めない。自己の特権とその行使を、自らのうちに数えるのである。その「選び」によって標された人は、高貴であるがゆえに孤独なのである。

 お書きの引用は箴言ではなく、ニーチェの場合、孤独についての省察だと思います。
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No.1です。



ニーチェのこの言葉は、異常犯罪者をプロファイリングしたロバート・レスラーの座右の座右の銘だそうです。

どうして彼がこの言葉を選んだのか容易に推測できます。

異常犯罪者の特徴を分析して人物像を描き出して犯人を特定していくわけで、(神戸連続児童殺傷で、彼のプロファイリングが唯一近かったとされる)当然異常犯罪者の心理に詳しくならなければならない。


分析に没頭しているうち、相手の考えが理解できるようになる。
その理解の度が過ぎてしまうと、相手に洗脳されてしまい、自分も怪物になってしまう。


映画羊たちの沈黙で、FBI捜査官のクラリスがレクターに洗脳されてしまうのが嫌で、主演のジョディー・フォスターは1作目以降降板したのだそうです。


ジョディー・フォスター自身も現実犯罪に巻き込まれ恐怖を味わいながらも怪物と戦った人。


このように狂気とか極端に歪んだ精神とかそういうのを闇と呼ぶ場合もある。

そしてその種類の闇を持つ人の心に侵入し解き明かそうとするのが、心理分析家や心理学者でもある。

そういった系統の職業の人だと、座右の銘として「闇を覗くものはまた、闇からも覗かれるから心してかかれ。」 つまり、人の心の闇を理解しようとする者は、自らの中にある闇を呼び起こしてしまう棄権があるから、十分用心しなければならない って自戒として使って、相手の闇に取り込まれないようにしようとするのではないか と。

相手の闇と自分の闇が共鳴してしまったら、自分も魔物になりますから。

ミイラ取りがミイラになるって別の格言もあります。
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*ニーチェの善悪の彼岸



<怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。>


*ロバート・K・レスラーのFBI心理分析官(原題;怪物と戦うもの)の冒頭にニーチェが言ったとして書かれているそうです。



*懲役13年

<魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているのである。>


ダンテの神曲の地獄偏との関連づけられやすいのは、恐らく懲役13年に、上記の文章の後に<人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた。>と書かれているからじゃないかと。


懲役13年の著者は、ダンテやニーチェじゃなくて、FBI心理捜査官の方を読んでいたのかもしれないですね。
ちなみに懲役13年の著者は不明です。

あの事件は、まさかアブラハムとイサクの儀式だったとか・・・とか思ったりします。
するとアブラハムは山で魔物になりかかったところを神に救われたってことになる。
うーーん。
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この回答へのお礼

有難うございました。
とても助かりました。

お礼日時:2009/03/27 18:51

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