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これは「哲学」に投じる質問ではないのかもしれませんし、また「哲学的」な回答を頂いても理解できない可能性が高いのですが、こちらには知った方がいるのでこちらに投稿します。

最近「人と言葉が通じていない」と感じることがしばしばあります。
勿論日本人相手に、日本語で話しているのですから、海外へ行って「言葉が通じない」ということとは意味が違うのですが、この「通じなさ」の感覚をどう表現したらいいものか。

なんというのか、「語法」「話法」が違うというのか・・・

最近わたしはOkewbで、アンケートのカテゴリーに質問しています。(インターネット上で、ディスプレイ越し、という限定付きですが)そこで話が理解できると感じるのは、面白いことに「思想・心情」の点ではわたしと正反対の人が多い。彼らの質問を読んでいても、或いはわたしの質問に寄せられた回答を読んでいても、他の、ひょっとしたら思想・心情的には、わたしに近いかもしれない、彼ら、彼女らの「表現」にときに強い違和感を感じます。いやひょっとしたら、わたしが違和感を感じている人たちは、わたしが「主義・主張」が異なりながらも「言葉が通じている」と感じている人たち程、内面に「ポリシー」というものはないのかもしれません。

「通じていない」という感覚は「疎外感」とは違います。なんというか「波長のズレが大きい」とでもいうのか。
本との相性にも似ている気もします。
書店であれこれ本を手に取って数ページ眺めて、なんとなく「合う」「合わない」と感じるように。
この時「合う」と感じたのは、そこに書かれている「内容」に共鳴するところからきているのか、或いはそれ以前に、表現の仕方によるのか?繰り返しますが、「難解で理解できない」ということとは違う不通状態です。

「言葉が通じていない」と書きましたが、実は「ひとと通じていない」という感覚かもしれません。
では「話が通じる」「人と通じる」とはどういう状態を言うのでしょう?
また「同じ言葉を使う」ということは、「同じ言語を使う」こと、と同義でしょうか?

上手く表現できませんが、思うところありましたらお聞かせください。

尚、初めに書いたように、単に「知った人がいる」という理由で、ここに投稿しました。
「哲学」の門外漢です。お寄せいただいた回答が理解できず、形式的なお礼になるかもしれません。

質問者からの補足コメント

  • こんにちは、ぶらじゅろんぬさん。

    >《言葉が通じる》というのは その相手と自分とは 考えが違うと分かることです。

    ええっと、「考えが異なる」ことと、「意思の疎通が出来ていない」ということの相関関係を「わかりやすく」説明していただければ助かります。

    更に

    >その点で 互いに互いが分かれば 言うこと無しです。

    「違いを理解する」・・・ちょっと質問の主題とはズレますが、「アナタトハ、チガウ、トイウコトヲ、リョウカイスル」で、その上での「交流」は可能でしょうか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/17 00:52
  • うーん・・・

    科学的=哲学的?なご意見ながらとても参考になりました。
    「言語」ということに限定せずに、
    例えば何故わたしは、駅や電車、バス車内での執拗な人工音声によるアナウンスにこれほど拒絶反応を起こすのか、などのことについて、刺激と受容体の相関関係についてご意見を伺えればと思います。
    これも今回の「(自分の?)言語圏でのディスオリエンテーション」と関係があるように思います。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/17 02:10
  • 昨日ここまでいただいた11件の回答に自分なりの感想を書き込みました。

    その後、現時点でぶらじゅろんぬさんはじめ7件の新たな回答を頂きました。

    率直な感想として、「ああ、みなさんの貴重な時間を無駄に使わせてしまった」という気持ちです。

    つまり「質問する以上、もっと明確に、正確に言語化してから問いかけるべきだ」ということです。

    みなさんは、わたしの質問に戸惑っておられているようです。「どういう質問なのか?」と。

    一方でわたしはみなさんが「おそらくこういうことを言いたいのであろう」と推量してお答えくださった回答を、やはり、単なる知識不足(無知)によって理解するに至らなかった。

    今回に関しては、「言葉が通じる通じない」以前の愚問、或いは不完全な質問であったということです。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/17 12:29
  • Glory_777さん、

    お礼は改めて後ほど、

    ただ、Glory_777さんに「書かなければよかった」とまで思わせてしまったことについて、深くお詫びをいたします。

    理解不足、配慮不足、言葉足らずをお詫びします。

    No.15の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/17 13:42
  • kanto-iさんはじめ、みなさんの、今日の投稿に対しての「お礼」において、なにやら八つ当たりめいた態度をしたかもしれません。
    kanto-iさん、あほなさん含め、12件目以降のすべての回答をお寄せ下さった方に、先ずお詫びをさせてください。

    「誰とも通じ得ない」と感じた者が、最後に拠り所とするのは結局、己自身しかないのではないか?
    己を否定してしまえば、周囲に誰ひとり理解者がいない以上、存在していくことは困難だと思います。

    >これは、Grass_RootsさんがGrass_Rootsさんのことを
    もっと深く理解して行けば、解決に向かいます。

    これはGrass_Rootsは溺れかかっているGrass_Roots自身を救えるか?とは意味が違うのでしょうか?
    若し同じ意味であれば、それは「無理」のようです。

    No.17の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/17 15:14
  • あほなさん、瀬里香さんのご友人ですね。

    せっかくわかりやすい回答を頂いたのに、どうも感情的になってしまいました。改めて、回答へのお礼と併せて、お詫びをいたします。

    ただ、感情的になったとはいえ、先ほどのあほなさんへのわたしの返事はやはりその通りなのです。

    みなさんとのやりとりで見えてきたのは、「通じる・通じない」というのは「言葉」以外の情報に左右されているようです。

    特に今回の回答の中で、頷いたのは、言葉は信号・刺激であるという指摘です。
    つまり言語は言語である以前に、物理的な音であり、ノイズでもある。

    わたしはこの段階で立ち尽くしているように思います。

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/17 15:23
  • 先ほどは感情的になってしまっていたようです。

    >要は考えすぎですね。

    これはおそらく「傍から見れば」至極まっとうなご意見だと思います。

    思ったことを反射的に述べましたが、「お礼」として適切ではなかったこと、お詫びいたします。

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/17 15:27
  • ぶらじゅろんぬさん。先ず、再三にわたり、長文の考察を頂き、重ねてお礼いたします。

    以前こちらで、「あなた方は「哲学音痴」で根っからの阿保ですか?」と訊かれていましたね。
    どうもわたしは否とは言えないようです。(苦笑)

    ひょっとしたら、ぶらじゅろんぬさんは、わたしと話が通じると、どこかで勘違いされたということはありませんか?

    見解の相違、ポリシーの相違以前に、知能の差が大きすぎるように思います。
    で、あれば、当然ながら、ぶらじゅろんぬさんのここでの友達である瀬里香さんとわたしとの間にも
    「知性の点での」大きなギャップがあるのでしょう・・・まぁそんなことは薄々感じてはおりましたが。

    わたしはぶらじゅろんぬさんさんを拒否も否認もしません。居直るつもりもありません。けれども、
    今回のやりとりで、Grass_Rootsが全くの凡人であることに気づかれたことと思います。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/17 15:57
  • しかし、経験的に「(わたしの)言葉は届かない」ということを知っているのなら、
    言葉を費やす=手を差し出すことは結局は徒労なのかもしれません・・・

    No.27の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/18 01:39
  • ぶらじゅろーぬさんの「中和作用」はよくわかりますよ。
    ぶらじゅろーぬさんの他の人とのやり取りを見ているとハラハラしますが、
    ご本人は結構柳に風と受け流していらっしゃいますね。
    これは真似できないなぁと、いつも感心しています。
    わたしはすぐカッとなってしまいます。自分で自分の感情をコントロールできないからです。
    これを「障害」のせいにするか、単に未熟なだけか?それは何とも言えませんけれど・・・

    No.28の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/18 02:04

A 回答 (36件中1~10件)

№35のおぎないです。



海舟は みんな敵でいいぢゃないかと言ったそうです。




さよなら。
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この回答へのお礼

ぶらじゅろーぬさん、こんにちは。

いちばん多く回答を下さった=いちばん多く時間を費やしてくださった。ぶらじゅろーぬさんをここでベストアンサーに選んで、
いったん締め切ります。

瀬里香さんの言うように、「お礼は一言でも通じる」のかもしれないし、却ってその方が余計な言葉を付け加えるよりもいいのかもしれませんが、自分自身が、「一行のお礼」というものが苦手なもので、できる限り、回答へのお礼と感想を述べたいと思います。
それによって「お礼」が遅れるのでは本末転倒ですけれど、みなさん、ご理解いただければと思います。

◆◇◆

あふぉなさん。瀬里香さん。psytex1さん。yy8yy8azさん。みなさん、ご回答、いろいろと参考になりました。
改めてお礼を申し上げます。

個々のお礼はもう少し時間をください。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/19 13:30

言わずもがなですが。

・・・

(あ) ホンネというのは タテマへ―― 一般にはその社会その時代の
共同主観(コモンセンス)のことになります――との兼ね合いで〔のみ〕
表現されるのだと考えます。

(い) タテマヘを重んじてこそ その常識あるいは定説に対してわが
自己表現としての(つまり ホンネとしての)批判をおこないます。

(う) 言葉が通じる・通じない あるいは 人間が通じる・通じない
というのも この意味での《ホンネ ‐ タテマヘ》連関の構造に根差し
ておのれのホンネを育て大木に仕上げて行くときに問われるものである
と。

(時代が動くというときに 絞って考えてもよいのかも知れません)。

(え) ということは もし世の中の人びとそれぞれの自己表現が幾重
にも錯綜し連関するその構造が あまりにも複雑な様相を呈して来てい
るなら これを把握しておのれの――しかも人びとの心にも共通の――
ホンネを提示しようとするなら そのときには よほど大きなエネルギ
ーが必要となるかも分かりません。

(お) 少々の病いを帯びてくるのは 致し方ないかも分かりません。

(え) そして 人びとに――特にいまだ自覚されていないのだけれど
――共通して持たれているようなホンネは これをひとりの人間がしか
もおのれみづからの種もしくは根として 言葉にして表現しようとする
ということ。これは じつは・じつに《孤独》でなければ とても成し
得ないものと考えます。



(自己顕示欲の名手だと言われています)。
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心身共に健康である人はとても少なく、皆どこか深く浅く、病んでいるのが人間というものです。


そのような中で、病識があり、健康になりたいと願う事は真っ当な事で、当たり前の気持ちであるでしょう。その意味で、グラスルーツさんは別に病んではいないのです。
人恋しくて、言葉が溢れるのに、それを受け止めてくれる人がいない、だから苦しい。誰かの本音を聞きたいのだけど、本音を話してくれる人もいない。

だが、自分の本音を話すよりは、誰かから本音を聞く事の方が難しい。それも、桁違いには難しいのではないかと私は思います。前者は、自分が相手を信頼し、後悔のないようにしたいと思えば済む事ですが、後者は、自分が相手に信頼されないとできない事だからです。そもそも、誰かの本音を聴きたいと思う事自体が難しい。それは一種怖さを伴う事であるし、それほど大事に思える人ができるかどうかという事もあります。人生において、いても数人と言うところが妥当ではないでしょうか。そういう人が、自分の子供であったり、配偶者であったり、親友であったりするのでしょう。
ですから、そういう関係を持っていない事を不幸に思うのは、少し違うでしょう。

人は元来孤独ではありません。人の本当のところを知りたいのだ、聴きたいのだと思って、外に開かれた心を持たねばなりません。しかし、耳聡くしている事を相手に知られてはなりません。相手の気持ちを尊重するという事です。催促する様に言葉を聞くべきでは無いでしょう。そう言う、目に見えない思いやりが人間関係、ひいては本当の人付き合いというものには必要なのでは無いでしょうか。通じる言葉、もっと言えば通じて欲しい言葉というのは、そう言うところで生まれるのだと私は思います。
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この回答へのお礼

こんにちは。

>人は元来孤独ではありません。人の本当のところを知りたいのだ、聴きたいのだと思って、外に開かれた心を持たねばなりません。しかし、耳聡くしている事を相手に知られてはなりません。相手の気持ちを尊重するという事です。催促する様に言葉を聞くべきでは無いでしょう。そう言う、目に見えない思いやりが人間関係、ひいては本当の人付き合いというものには必要なのでは無いでしょうか。通じる言葉、もっと言えば通じて欲しい言葉というのは、そう言うところで生まれるのだと私は思います。

この辺りに関しては、わたしの意見と、またあほなさんのご意見を深くお聞きしたいところですが、

ここでは既にあほなさんは返事をすることはできない以上、一方的に意見を述べることは差し控えます。

お礼が遅れました。

再三のご意見をどうもありがとうございました。

お礼日時:2016/04/20 12:54

こんばんは、blueさん。

25番のneutralです。



今日はコーヒーブレイクタイム、いや一緒に酒でも飲みながらしゃべりませう。もちろんわたしは何かを解決したり誰かを助けたりするために話すわけではありませんから以下はBGMとして聴き流してください。不協和音や雑音だったらすみません。


◇1.
12番様への補足より。まず、わたしとぶらじゅろ~ぬさんを一絡げにしてはいけません。ものすごく失礼です、ぶらじゅろ~ぬさんに対して。わたしは【凡人】ではありませんが【凡人以下】であることを9年前からの友人であるあなたに何度も繰り返し話してきたはずですが、あなたは忘れたのですか?1年ほど前、精神科の閉鎖病棟に入院していたほどの欠陥品だと話したはずですが?

◇2.
13番様への補足より。あふぉなさんには回答をいただいたり回答をさせていただいたりと大変お世話になっておりますが【友人】として認められているわけではありません。ちなみに【neutralingはアホである!】という事実を彼に伝えているのですが、彼はわたしがアホであることをなかなか認めてくださらないのです。

◇3.
ぷらぽたさんとは便箋と封筒と82円切手を使って手書きの文通をしてゐます。あなたが彼を覚えてゐたことを次の手紙で伝えておきます。




◇4.
28番様へのお礼より。
>「思考」とは全く不随意運動=オートマティカルなもので
:わたしも感情や思考回路を意図的に変えるのは苦手です。なぜならそんな元気はないからです。しかし人間は面白いことに、(α)感情や思考によって行動および発言が変わることもある、けれど逆もできるんですね、すなわちβ)行動や発言によって感情や思考が変わる、ということも起こります。
(α)は、例えば「落ち着け落ち着け」「頑張れ」「止まない雨はない」「泣くな」などと自分に言い聞かせて自分を叱咤激励することにより行動が活発になったり人に優しくなったり滑らかに話すことができたりすることもある、ということです。一方(β)は、たとえば「とりあえず美味いものを食って歯を磨いて顔を洗って化粧をしてお気に入りのワンピースを着よう」とか「とりあえず散歩しよう」とか「とりあえずお気に入りの本屋に行ってみよう」とか「とりあえず寝よう」など何でもよいのですが、行動を起こした結果として感情や思考が変わることもある、ということです。あなたは泣きながら・悲しみながら・怒りながら、スキップを踏むことができますか?泣き止むことや悲しみや怒りを止めることに力を注ぎますか?それともとりあえずスキップを踏みますか?


◇5.
もう寝ますので今日はこれだけです。なお、お礼は1行で通じることもあります。また質問を〆切ったあと、3年後に投稿することもできるようになっています。おやすみなさい。
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この回答へのお礼

こんばんは、瀬里香さん。

お礼が遅れました。

あなたに促されて、ぶらじゅろーぬさんとやり取りしています。

>◇1.
わたしは【凡人】ではありませんが【凡人以下】であることを9年前からの友人であるあなたに何度も繰り返し話してきたはずですが、あなたは忘れたのですか?1年ほど前、精神科の閉鎖病棟に入院していたほどの欠陥品だと話したはずですが?

はは、精神科の閉鎖病棟と凡人以下とどう関係があるのかわかりません。「欠陥品」いいじゃないですか。お互い様です(笑)
人間て、傷があってなんぼ、じゃないでしょうか?

>あふぉなさんには回答をいただいたり回答をさせていただいたりと大変お世話になっておりますが【友人】として認められているわけではありません。ちなみに【neutralingはアホである!】という事実を彼に伝えているのですが、彼はわたしがアホであることをなかなか認めてくださらないのです。

誰かにあほと認められているんですか?なかなかそれは難しいでしょうね。瀬里香さんとわたしはともに感性に基づいてはなしているようだけど、わたしはもう感性と感覚のみ。瀬里香さんはそれにちゃんと「知性」がのっかっているから、はこぶるくんとも、ぶらろじゅーぬさんとも話ができるのでしょう。

>ぷらぽたさんとは便箋と封筒と82円切手を使って手書きの文通をしてゐます。あなたが彼を覚えてゐたことを次の手紙で伝えておきます。

確か経済的な問題でインターネットをやめられたのですね。ぶらじゅろーぬさんが、ネット代、出しますよと申し出ていたことも知っています。そもそも彼はわたしのことは知らないでしょう。

他のところで、瀬里香さんのぶらじゅろーぬさんへの「回答」を読みました、相変わらず無手勝流というか、思ったことをストレートに述べていますね。わたしはどうしても構えてしまいます。瀬里香さんには結構自由に言いたいことを言えるんですが、これもいろいろなことの「蓄積」だと思います。ひょっとしたらぶらじゅろーぬさんも、自然体のわたしを求めているのかもしれません。

あ、それからどなたかの回答で、ベストアンサーになった答え、心地よさがアートであると、おもしろいですね。
無残に伐られた桜の木は美しくないというのは全く同感です。


いろいろと気遣ってくれてありがとう。

お礼日時:2016/04/21 23:42

#7の者です。



>一方で、信号として「不快な」刺激も。

光や音のように情報性の高い間隔に対して、快・不快を感じる=刺激パターンに対して美醜を感じるのは、また別のメカニズムです。
人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積において、次にその1つの感覚を同じパターンで刺激された時に、五感の総合したイメージを励起させるという働きがあります。
その最も分かりやすい例が、色でしょう。
物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の変化に過ぎません。
「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。
その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に伴う経験の)印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。

赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。
この「総和機能」において、人生における快適な経験の総和における、視覚的刺激パターンが「美」です。
それゆえに、成長期で好奇心旺盛な(しかし経験の蓄積の少ない)子供の頃は、ケバい色や動くものを好むし、世界各地によって、美的センスは異なってくるのです(砂漠地域では青や緑が好まれ、空白恐怖と呼ばれるほど装飾で埋め尽くす)。
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この回答へのお礼

こんにちは。

今回の「言葉」を物理的な刺激(信号)の次元で捉える観点はとても面白く感じました。

わたしはどちらか問うと、「寒色」と呼ばれるような一群の色が好きですが、それらの色を使っていれば不快に感じないか、というと、必ずしもそうではないようです。例えば、全く同じ「青」や「濃紺」という色でも、それが「油絵」であるか「色紙」であるか、あるいは「液晶画面」に映し出されたものかによっても生体反応は異なるのでしょうね。

>人生における快適な経験の総和における、視覚的刺激パターンが「美」です。

うーん。では「不快だけど美しい」という感覚はありませんか?

なんて、いろいろと訊きたいことはありますがまた機会がありましたら。

今回のご回答、ふたつともとても参考になりました。

改めて、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/20 13:03

私の推測から思い付いた言葉「共感」に肯定的に反応されてしまって、多少驚いてます。


だから却って「共感」に付いて考えてしまいました。

似た者同士、出逢い、運、なんて言葉が浮かんできます。
共有、と言う言葉も“回答”に有りましたね。

取り合えず「共感」に条件を求めて見ると、、、
知的に、あるいは感性的にレベルが近い。
関心を持つ事柄が同じ。
さらに加えて見れば境遇、も条件に含められるか、とも思いました。
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この回答へのお礼

こんにちは。

>似た者同士、出逢い、運、なんて言葉が浮かんできます。

そうですね。「似た者同士」が「運命」によって「出会う」のかもしれません。
逆に言うと、「運」がなければ出会いもないのかも。

わたしはいつも「自分に似た人はいない」と感じています。

無論稀に本を読んでて、「似ている」と感じることはありますが、現実の世界ではなかなか。

お礼が遅くなりました。

いろいろな意見をお聞かせくださってありがとうございました。

お礼日時:2016/04/20 12:42

お礼ありがとうございます。



>「誰からも愛されざる者」という気持ちは、
>おそらく100%わかった・・・というよりも、わたしもまた同じものを背負っているように思うのです。

なるほど「愛されざる者」だと、あなたは感じる訳ですね。

人間は、自分を愛するほどにしか人を愛せない。
人を愛する人は、愛が返ってくるのが人間です。


深い問題を抱えておられる。
助けを求める先は、文字でのやり取りでは無理であるのを知っています。
リアルな人へ要請を求めるのをお薦めします。

今までの環境で無理だったのでしょうから
カウンセラーを探されると良いように思います。

Q&Aは、回答者の助言と言うロープを掴んで実行に移すのか
相手の話しをスルーして、ロープをはじくのか。
それは、質問者の選択です。

選択にとやかくは申しませんが、回答者が文字だけで関われる範囲は
選択肢の提示、そこまでしかできないのです。

私の関われる範囲は、ここまでですね。
では、失礼します。
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この回答へのお礼

こんにちは。

カウンセリングについてはずっと求めてはいるのですが、ご存知かもしれませんが、カウンセリングは国家資格ではないので、
健康保険の対象外で、1回(40-50分)で最低でも5千円くらいが相場です。

保険適用のカウンセリングもありますが、それにはまず医師の許可(或いは指示?)が必要で、先日もカウンセリングをやっている
精神科病院で、医師に「認められない」と言われてきたばかりです。

再三お時間を割いていただきありがとうございました。

また気が向いたらこちらに投稿します。

お礼日時:2016/04/20 13:12
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この回答へのお礼

お礼が大変遅れました。すみません。

リンクを拝見しましたが、どうもこれだけではよくわかりませんでした。

もう少し早く、その旨、お伝えすればよかったですね。

ご回答をありがとうございました。

お礼日時:2016/04/20 13:07

まだ手探り中ですが ひとつの見方を得たように思います。



ぐらす_るーつさんの感受性のあり方をつらつら考えるに そうだと
すると けっきょく人と人との対話や対面に際しては 或る種の対策
が必要だということに成るんですかねぇ。

すなわち その人の額(ひたい)に人それぞれに応じた《取り扱い注
意》といったラベルを貼っておくといった対策です。

天地無用とか 割れ物注意とか あるいは要冷蔵だとか。

あるいは額に貼るのではなく 発言するたびにその言葉や文章そのも
のにもそういったラベルを貼って 言い出すことが必要なのではない
かというものです。



わたしの考えは それは無理ですというものです。

ひとの感受性には 中和作用がそなわっています。ですから だいじ
ょうぶなはずなんです。

あるいは その作用でも効かないときというのは 売られたけんかで
す。ということは 買うか パスするか。に決まります。

そこにあるマチガヒを明らかにして伝える。つまり 批判する。この
対応で消毒し 相手の心を一応は消化して話をすすめるか・もしくは 
もうカカハリを持たないようにするか。だと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんばんは、ぶらじゅろーぬさん。

勿論、ひとりひとり違うとはいっても、それぞれに「取扱説明書」のようなものを添付するなんてことは、
無理ですね。

でもここでのやりとりで無駄でなかったと思うのは、「へええ!」と思うことがいくつかあったということです。

まだお礼を書いていませんが、前ページの最後の回答、わたしの補足への再回答ですが、
彼はわたしの「人は自分の意志で、思考を起動したり停止したりできるのですか?」という問いに「イエス」と答えてくれました。
少なくともある程度の制御は可能だと。これはちょっとした驚きでした。
何故って、わたしにとって、「思考」とは全く不随意運動=オートマティカルなもので、
瞼を閉じたり開いたりするように自在に映写したり、止めたりなんてできませんから。

同様に、ぶらじゅろーぬさんの

>ひとの感受性には 中和作用がそなわっています。ですから だいじょうぶなはずなんです。

これも驚きです。中和作用があるならどんなに楽だろうと思います。(苦笑)

これらのやりとりで、人はそれぞれ違うんだなあという認識よりも、人と自分とはずいぶん違うものだなぁ、と改めて感心(?)しています。

夜遅くまでお付き合いくださってありがとうございます。

お礼日時:2016/04/18 01:58

言語は形式的に所有しているだけの価値観の判断ツールで、


言語が違うと人間とネコでは「お腹空いた」と「にゃーん」で
互いの言葉の存在意義にまで探れません。

共有言語なしに共感し合うことも同一行動も出来ないという理屈があるにせよ、
現実は同一の自然の情報と時空を共有している同士が
「想像力」も使って意思の疎通もしてますね。

哲学ソフトは偏見を排して実在をいくことで磨かれます。
その逆が現象学ソフトで偏見(趣味判断)に基づいた感性が磨かれます。

価値観も若いころに出会ったセンスを追ったものの中で
出来上がっていて、年取ってから最新のセンスソフトを追加しても
ハードは追いつきません。

Kiss (現象学)& Cry(哲学)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんにちは。

宇多田ヒカルの歌の意味はよくわかりませんでした。
昔からの正統派というか、「傷つくことをおそれないで」という、ある種の、ラブソングの常套句しか見えませんでした。

>共有言語なしに共感し合うことも同一行動も出来ないという理屈があるにせよ、
現実は同一の自然の情報と時空を共有している同士が
「想像力」も使って意思の疎通もしてますね。

個人的には、そもそも「誰かと言語を共有」し得ているか?という大きな疑問があります。
そもそも、同じ日本人なんだから、当然の前提として、言語を共有している、ということは、「わたしに関しては」
当たり前の前提にならないという気がしています。

>「お腹空いた」と「にゃーん」
のほうがなんとなくピッタリくるような気もします。

昔っから感じていることですが、わたしは言葉を費やせば費やすほど相手との距離は開いてゆくばかりのようです。
でも言葉を繰り出すということは、手を伸ばしているのと同じことですので、人と繋がりたいという気持ちがある以上、
言葉を止めることは難しいのです。

哲学ソフトと現象学ソフトのお話は分かりませんでしたが、
動画(歌)まで貼っていただき、どうもありあとうございました。

お礼日時:2016/04/18 01:35
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