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かつては、異性に対する愛、他人に対する愛、集団・社会に対する愛等は、「理想」という言葉が表すイメージになり、脳内に存在していたのですが、近年、それが急速に消えてゆきのみならず、「理想」「平和」という言葉を言っただけで何か憎悪の感情をぶつけられる経験をしているのは私だけではないと思います。

その事実は、社会の中に「理想・平和」というイメージに対する憎悪の感情が多く存在する証拠と言っていいでしょう。

愛や理想に涙を流していた社会が、それらを軽んじ、憎悪するようになったになったその感情・情緒の変化は何によるものであるとお考えでしょうか?

憎悪の感情の説明は省いていただき、「変化の理由」のお考えをお聞かせいただきたい。

質問者からの補足コメント

  • すみません、誤植が多いですね。

      補足日時:2023/09/23 11:58

A 回答 (10件)

日本人は元来バランス感覚に優れた民族。

其れを端的に現しているのが三方一両損です。
此れは一つには先祖崇拝の影響によるもの。
以前の日本人は常日頃のように先祖を意識していて其れは他人どの会話をしているときなんかもそうです
先祖を意識しながら他人と会話すると結果として先祖を意識している分二人の会話が成立しません
加えて判断基準を先祖に求めることで客観的に見ることができたのです
分析力が低下していたの判断基準これが失わられていったことで主観的な見方捉え方しかできなってバランス感覚を失った人が増えたからですね
更に
二極思考しかできない人達はおうおうにして器が小さい=キャパシティが狭いのです
此れは若い頃に器を大きくする=キャパシティを広げて来なかったからです。器を大きくする=キャパシティを広くしていないその理由はコストパフォーマンス主義にあります
コストパフォーマンス=費用対効果が個人個人の能力に当てはめられるようになったからです
要は器が小さい=キャパシティが狭いなりに結果を出せればいいと言う事です
それらが二極思考化の原因ならば二極思考化は教育云々の問題ではないですね
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この回答へのお礼

「三方一両損」の話は聞いた記憶があまりないのですが、そのような考え方は私自身していたことは間違いないですね。

それは、テレビの「大岡越前」で見たのか、時代劇の好きだった父親から聞いたのか、何かの本で読んだのかはわかりませんが、私の中にあって、そういう行動もしてきた。同世代の人間にはあまり共感されなかったけれど、親くらいの年上の人には「えらいなあ」と言われたものです。

教育とは、学校教育だけでなく、社会全体から教えられ、その子が気に入ったものを選択し自分のものとしてゆくこと、と定義できるでしょう。

器が小さい(自分のことしか考えられない)ということにしても、コスパ主義ということにしても、社会の中にあるもので、それを選択して身に着けたものに他ならないのですから、教育の問題としてもいいですし、文化の問題あるいは思想の問題としても、それぞれに意味があると思います。

お礼日時:2023/10/01 20:38

分析力が低下したのは単純思考する人たちが増えたからです


単純思考する人たちは色々な物ごとを自分基準の○☓のいずれかにカテゴライズします
其れは国においても適用します。
例えば中露☓欧米○
その上で○にカテゴライズされた物ごとに関わるあらゆることを○で括り☓にカテゴライズされた物ごと日関わるあらゆることをを☓でくくるのです
其れはつまり同一の物ごとに関わる事柄を個別毎に評価すらしないということです
要する分析すらしないということです
端的言えば
単純思考する人たちが増えたことで分析すらしない人たちが増えので結果分析力が低下したということです
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この回答へのお礼

そういうようなことを指摘し、憂いている識者は多いですね。

○×思考、敵味方思考、感情的で、○×敵味方ですべてが決まっていて、だから異なる考え方に対し、敵とみなし感情的な話しかできない。論破と言っても相手に悪口を叩きつけ黙らせることとなる。

100文字以上の文章を読むことができないし、議論はもとより、ちょっとした真面目な会話すらできない。

言論というものがもう成り立たない社会であるという人もいます。それでも何とかしようとしている人は偉いですね。

原因は、自然科学信仰と甘やかしだと思います。つまり、学校教育だけでなく文化全般にわたることでしょうね。

お礼日時:2023/10/01 18:17

平和やそれに関わる理想に対する捉え方が社会全体で変わってきたその理由がロシアウクライナ紛争で有ることに間違いはないですがそれだけでは変わったわけでないのです。


そう変わった背景として多くの国民の世界情勢に関わる他国の政治に対する分析力が低下があります
例えばロシアウクライナ紛争勃発後に多くの国民が中国統一の為に中華人民共和国が台湾に武力侵攻するとのありえない予想をしていました
それは現中華人民共和国政府の目標に掲げているからです
ですが台湾への武力侵攻が中華人民共和国政府の世界戦略を達成を著しく困難にさせかつ中華人民共和国壊滅に繋がりうる米軍との武力衝突を招く事が容易に予測出来ることから中華人民共和国政府が台湾への武力侵攻に踏み切れないのです。
それは中華人民共和国政府の世界戦略や米軍との武力衝突した場合の中華人民共和国に及ぶリスクを理解していれば容易にわかることなのです

ですが中華人民共和国が台湾へ武力侵攻すると予想した多くの国民がそれを理解してないためにそのような予想をし結果としてそれが日本に武器兵器を買わせたい米国政府に利用されたのです
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この回答へのお礼

>多くの国民の世界情勢に関わる他国の政治に対する分析力が低下があります

仰る通りでしょう。
国民総体の分析力とは、学校教育に大きく依存していますし、メディアの提供する情報に大きく依存せざるを得ないものです。

国民の分析力が低下しているということは、この両者の質が低下しているということになるでしょう。

この流れを打破する方途は、ムカリンさんのような独立独歩の人間が増えることだと思いますが、変わった意見は「陰謀論」として却下される風潮が強く、その風潮を作っているのがメディアと言えるので、前途多難です。

お礼日時:2023/09/30 10:01

近所で撃ち合いがあったら、人々は備えを固くするのは当然ですね。


と考えるのは一見すると至極当然の事に思えますがそれは「踊らされている」のです
ようするにそれは米国政府が日本国民に納得させて米国の武器兵器を日本に買わせる為に多くの日本国民がそう考えるように仕掛けだ戦略に多くの日本国民がまんまと引っかかっていると言う事です
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この回答へのお礼

>「踊らされている」

おそらく、そうであろうと思います。

お礼日時:2023/09/26 21:59

私は「理想」「平和」という言葉を言っただけで増悪の感情をぶつけられた事は一度もありません


社会の中に「理想・平和」というイメージに対する増悪の感情が多くそんしている風にも感じません
それはそれとして
ロシアウクライナ紛争語は平和やそれに係わる理想に対する捉え方が社会全体で変わってきたとは思います
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この回答へのお礼

>私は「理想」「平和」という言葉を言っただけで増悪の感情をぶつけられた事は一度もありません

言ったことがあるというのは意外です。失礼かな?

近所で撃ち合いがあったら、人々は備えを固くするのは当然ですね。

お礼日時:2023/09/24 21:36

理解が深まったからです。


愛や理想の背後にうごめく、おぞましいモノの存在に気が付いたからでしょう。
おめでとうと言うべきか、やってしまいましたねと言うべきか。
パンドラの箱を開けてしまったわけですよ。

パンドラの箱のように最後に希望があれば良いのですが…。

合掌。
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この回答へのお礼

要は、愛や理想、正義などの人々の感情が動く概念を、為政者たちは思う存分利用し民衆を欺き続けてきました。そのことが情報化が進んだ現在、田舎のじいちゃんばあちゃんまでもが知ってしまった。

しかし、多くの人が勘違いしています。愛や理想や正義がないのではなく、利用されてきたということです。
憎むべきは民衆を欺いてきた権力の体質であり、愛や理想ではないのです。そこが、根本的錯誤です。錯誤には原因がある。

私は実感していますから、愛も理想も正義も存在していると信じています。

お礼日時:2023/09/24 21:33

軽んじ、憎悪するようになった原因は


愛や平和が何かを知らず、愛や平和を乱発するからです。

愛や平和を深く考えず、表面的に感覚で理解したつもりだと
愛は容易く変化し『溺愛』『盲愛』『憎しみ』にもなります。

愛の定義を知らない奴ほど低レベルの愛を語り
平和の行動をしない奴ほど平和を語り、人を見下し結論する
普遍的な愛を知らない歌手が、低レベルの愛を歌い離婚する。
もし「愛学」なる物があるのなら、勉強しろ、と言いたい

ちなみに 真実の愛とは。
 傍観せず共に苦しむ事。
 己の可能性を信じ、己に勝つ事。
 一歩踏み出す勇気を持つ事。

愛に忍耐がなければ、憎しみに変化する。
 愛に勇気が無ければ、空しく消え去る。
 愛にエゴイズムがあると、溺愛や盲愛となり、相手を滅ぼしてしまう。
 愛を独占すると小さな愛で終わる。
 愛は開かれてこそ幸福と平和が建設される。
と吾輩は思うが。・・「愛学」なるものを勉強しろ、と言いたい

更に平和とは
大賢人、大聖人、大哲人により、平和へのメッセージは出尽くしています
欲望やエゴイズムの暴走を抑える崇高な学門、愛や理性を養う気高き学問、毒された精神を変革できる深い学問しかないのです。
だから
不滅の真理、大我への道、不変的な愛の実践以外ないのです。
そして、それを武器に
『差別、抑圧、貧困、人権侵害』といった『構造的な獣の暴力』からの
解放以外にないのです

ちなみに
愛の反対は傍観だよ、無関心だよ。
ジャニーやジャニタレ、マスゴミやテレビ局、シポンサーに至るまで
愛とは正反対の陰険な傍観者なのです。
奴等には愛の絶対条件「共に苦しむ」がないのです。究極の自己中です、
そいつらが愛や平和を語るのは、ドロボーがドロボーを辞めろ、と言っているようなものだ、お前が言うな
国民はそれに毒されています。
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この回答へのお礼

今は、個人の欲望の充足がよい社会をつくる、などという正義が乱発されています。家族を大事に、奥さんを大事にする正義も乱発されています。

それ自体は間違っていませんが、要は自分と家庭内さえ良ければいいということで、つまり、大きな正義を考えないで小さな正義でよいという正義です。

社会のことを全く考えないということではなく、例えば環境問題なら、レジ袋の節約等をやっているとか、ゴミ拾いをやっているとかで、ムリはしない頑張りすぎないということが言われています。

政治には関心が無いし、社会の大きな動きにも全く関心が無い。
これでは、まだ愛や理想の乱発の方が良かったと思います。

私は若い頃は動画にあるような「恋愛もの」には全く興味がありませんでしたが、今見たり聞いたりすると心が洗われる気がします。
確かに、映像にあったような人に対する愛情や、社会を大事にする心を多くの人が持っていました。それが見事に消えましたね。

何故消えたのだろうか?持っていないものを言われるから憎悪するのではないか?
正義が変わったということは信ずるものが変わったということではないか?

>不滅の真理、大我への道、不変的な愛の実践以外ないのです。
そして、それを武器に
『差別、抑圧、貧困、人権侵害』といった『構造的な獣の暴力』からの
解放以外にないのです

人間自身の深い部分の変革ですね?それが可能であるということですね?

お礼日時:2023/09/24 21:24

回答№1さんにポチしました。



現代は、ネット社会と実社会があって、ネット社会は発信力を土台として、実社会に影響を与えているから、だと思います。

ネット社会は、ネガティブ精神も発信しやすいですね。
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この回答へのお礼

そうですね。

お礼日時:2023/09/24 21:00

あらぬ事を考えるようになるのは、情緒不安定が


原因ですわ。
ホントですわ!!
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この回答へのお礼

情緒不安定の原因は?

お礼日時:2023/09/24 20:59

理想や平和という言葉で、個人を攻撃してくるからでは?


何故、あなたは社会を平和にしようとしないのか?
人が平和を感じるのは、何も知らないという状況です。

世界の貧困な子供を観ていると、結婚できない、子供もいない、自分の貧困の現実を思い知らされます。
自分が、貧困な子供がいる家庭より劣っている。
それなのに、日本が豊かだという嘘、負の感情しか生まれないのでは?
異性からも現実を思い知らされると、理想や平和は知らなかった方が良かったとなります。
インターネットの弊害でしょう。
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この回答へのお礼

>理想や平和という言葉で、個人を攻撃してくるからでは?

言う人が意識するとしないとにかかわらず、そういう念がこもっている場合はあるでしょう。
しかし、例えば、以前ここにいたハルさんのようなケースでは、そういう念はなかっただろうと思うのは私だけではないでしょう。

微妙に思うかもしれませんが、彼は攻撃ではなく、「そうじゃないか?」という主張に過ぎないと思いましたよ。
私はそれを攻撃と捉えるならば、自分の中に何らかの引け目があるのだろうと思います。

人が平和を感じるのは、戦争をはじめとした人権を蹂躙する言動が無いことではないでしょうか?

まあ、情報によって右往左往していることは間違いないですが。

お礼日時:2023/09/24 20:58

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