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今更なような気がしますがnarrtiveとstory、そしてplotについて質問があります。narrative と story は同じ物だと理解していたんですが、どうやら違うみたいなんです。storyはイベントやキャラクターを指し、plotはそれらイベントやキャラクターを構成する(コントロール)するのは理解できるのですが、そうするとnarrativeにはいったどいう役割があるのかはっきりしません。narrativeにはコンテキスト(context)内で時間をコントロールしたりするという役割があるのは理解できるのですが、でもこれはplotの役割のような気がしますし... ここで質問があります、narrativeはイベント内の構成なのでしょうか? また、narrativeの名詞化するとnarratorになります。つまりnarrativeとは作家のsubject(主観、主体?)によるイベント内でのコントロール(筋??これはplotの役目かな...)をさすということになるんでしょうか? 最後にジャンル (genre)はplotに依存しているのでしょうか、それともnarrativeでしょうか?

A 回答 (14件中11~14件)

すいません、訂正です。


最後のところ、「オデュッセイア」ではなく、「オイディプス王」でした。

「オデュッセイア」と「スター・ウォーズ」と「桃太郎」が同じ話である、というのと、どちらを書こうかと思っていたので、一緒になっていました。
蓮實重彦は『小説から遠く離れて』のなかで、村上春樹の『羊をめぐる冒険』と井上ひさしの『吉里吉里人』と丸谷才一の『裏声でうたへ君が代』と村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』は異母兄妹による近親相姦的な結合によって実父と対決する説話構造を持つと指摘しています。

構造は同じでもプロットに何を選ぶかによって、あるいは、そのプロットをどこに持っていくかによって、物語は無限の種類を持つ、ということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>「オデュッセイア」と「スター・ウォーズ」と「桃太郎」が同じ話である。

これはビックリですね。スターウォーズと桃太郎ですか... チューバッカと桃太郎の家来のイヌが共通ですけどね(笑)やはり「オデュッセイア」や「イリアス」など、ひな形(archetype)として今のテクストにも使われているということなんですかね。

明日、下の補足欄に書き込みたいと思います。

ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/23 20:29

こんにちは。



ここらへんは、はっきりと定まった定義がありません。
人によって定義がちがうところで、これまた詳しく言い出すときりがないものなのですが、ごく大ざっぱなところを書いてみたいと思います。

まず、ストーリーとプロットというと、一番有名なのがE.M.フォースターの定義(『小説の諸相』)。

ストーリー:「王様が死んだ、そして女王様が死んだ」
プロット:「女王様が死んだ。理由は誰にもわからなかった。やがて死因は王様の死を悲しんだためであることがわかった」

つまり、フォースターはここで「時間の進行に従って事件や出来事を語ったもの」がストーリー、「謎を提示し、その謎を解明するのがプロットである」というふうに言っているわけ。

これはこれで鮮やかなんですが、通常、ナラトロジーでいう「ストーリー」と「プロット」はちょっとちがいます。

さて、このふたつを時間の角度から見てみましょう。
まずフォースターの言う「ストーリー」。
・王様が死んだ。
仮にこの時をt1時とします。
・女王様が死んだ。
この時をt2時とします。
ここでは時間はt1→t2へと流れていきます。

さて、フォースターの言う「プロット」のほう。
まず
・女王様が死んだ。
と、t2時が提示されます。
・理由は誰にもわからなかった。
この理由を推測する人々は、女王様の死後ですから、時間はt3時です。
・死因は王様の死を悲しんだためであることがわかった。
この文章には四つの時が含まれています。
まず「死因」という言葉には、それが「わかった」t4時が含意されています。続いて王様が死んだt1時、王様の死を女王様が悲しんだt1時からt2時の間の期間。
ここでの時間は、t2→t3→t4→t1→t1-2(→t2)
最後にt2がカッコで括ってあるのは、悲しんだあと死んだことが含意されているからです。

謎が提示され、その謎が開かされる、という印象を読者が受けるのは、つまりは出来事を語る時間軸が解体されているからにほかなりません。こういうふうに時間軸が解体されている状況を、ジェラール・ジュネットは「錯時法」と呼びますが、民話など、ごく単純な物語をのぞけば、ほとんどの文学はこの「錯時法」がとられています。
これだと、フォースターの定義はちょっとあてはまらなくなる。

もう少し別の角度から考えてみましょう。
わたしたちはいったいどういうものを「物語」と呼ぶか。

単なる出来事の連鎖では物語にはなりません。
・「むかしむかし三匹の子豚がいました。一番目の子豚は藁で家を作り、二番目の子豚は木ぎれで家を作り、三番目の子豚はレンガで家を作りました。おしまい」

これでは物語とは言えません。子供にしてやったら「それでどうしたの?」と絶対に言われるはずです。
一方、シュルツのマンガ『ピーナツ』では、ライナスにお話をせがまれたルーシーはこんなお話をしてやります。

・「人が生まれました。生きて、死にました。おしまい」

これは物語となっている。「それで?」の言いようがない。

「王様が死んだ、そして女王様が死んだ」という文章が単なる出来事の連鎖を超えてストーリーとなっているのは、「王様が死んだ」という言葉のうちに、すでに「王様が生まれました。生きて、死にました」というストーリーが含意されているからです。

ここからまず言えるのは、ある出来事が物語となるためには、最低でもふたつの時間が必要です。
「このメッセージによって、なんらかの主体(生物か無生物かは問題ではない)が、まずある時間tに、次いでt+nに置かれること。そして、t時の主体を特徴づけていた述語からt+n時に何が生ずるかが言われること」とクロード・ブレモンは『物語のメッセージ』のなかで言っています。

つまり、物語が存在するためには
I:t1時にAはXである。
II:t2時にAに事件Yが起こる(もしくはAはYを行う)。
III:t3時にAはX’である。
というかたちで、恒常的な登場人物Aに変化が起こり、そうして、発端の述語とと結末の述語はX→X’という形で回帰しなければならない、というものを、わたしたちは「物語」と認識している。

この命題のかたちで提示されるものが通常「プロット」と呼ばれるものです。
つまり、一見不合理な諸相を持った複雑多様な体験を、ストーリーに仕立て上げるための方法がプロットなのです。

ではストーリーとは何か。

まずこの文章を見てください。

「 昼餉(ひるげ)ののち、師父(しふ)が道ばたの松の樹の下でしばらく憩(いこ)うておられる間、悟空(ごくう)は八戒(はっかい)を近くの原っぱに連出して、変身の術の練習をさせていた。
「やってみろ!」と悟空が言う。「竜(りゅう)になりたいとほんとうに思うんだ。いいか。ほんとうにだぜ。この上なしの、突きつめた気持で、そう思うんだ。ほかの雑念はみんな棄(す)ててだよ。いいか。本気にだぜ。この上なしの・とことんの・本気にだぜ。」
「よし!」と八戒は眼を閉じ、印(いん)を結んだ。八戒の姿が消え、五尺ばかりの青大将(あおだいしょう)が現われた。そばで見ていた俺(おれ)は思わず吹出してしまった。」
(中島敦「悟浄歎異―沙門悟浄の手記―」:引用は青空文庫)

まずタイトルの「悟浄」を見て、読者はこれは沙悟浄のことだな、と思う。おそらく「西遊記」がもとになっているのだろう。「師父」とは三蔵法師で、悟空とは猿の孫悟空、八戒とは豚の猪八戒だろうと考えながら読み始めます。そうしてここでは悟空が猪八戒に変身の術を教えようとしている、ところが龍になろうとして、八戒はアオダイショウになってしまった……

これがストーリーです。

読者が与えられるのは上のカギカッコでくくったテクストのディスクールです。
そこから読者はプロットを手がかりにストーリーを再構成するのです。

ストーリーとプロットは重なり合っている場合もあります。
錯時法を取っている場合、なかなかプロットはつかめてもストーリーになっていかない場合もあります。あるいはプロットと対応しないストーリーがつづく場合もあります。
それでも
・出来事はプロットと対応し、ストーリーはディスクールと対応している
とまとめることができると思います。

つぎのナラティヴですが、これまた人によってちがいます。
単に「物語」(上で書いたような)総体を指すものとしてnarrativeという語を使う場合もありますし、ストーリーとほぼ同義で使われる場合もあります。
あるいは、ディスクールの局面を〈物語行為〉(narration)と〈物語〉(narrative)に分けて考えるときに使われる場合もあります。

このときは、「語る」ということに着目して、ある物語を語る行為およびそのプロセスを〈物語行為〉と呼ぶのに対して、実際に語られるのが〈物語〉です。

読者は与えられたテクストから、まずプロットを手がかりにストーリーをつきとめて、テクストの意味を理解します。

そこで、「何が起きたか」をつきとめることによって、それ以外の部分を伏線、つまり、何が起きるかを描く手段であるとみなします。

そのとき「何が起きたか」はどうやって提示されるのか。どの段階で提示されるのか。どのような型の提示方法が選ばれたのか。誰が話すのか。「物語行為」を行う「私」と「物語」のなかで描かれる「私」は同一人物なのか……。
この「語り」をめぐって考察するときに語られる語られたものをナラティヴと呼ぶわけです。

ジャンルはちょっと位相のちがう概念です。
時間がないので、また細かいことがあれば。

> 筋を変えれば同じ話しでも全く違う物語になるそうです。登場人物、イベントはそのままにして。

こういうのはいくらでも指摘できます。
たとえば映画「モスキート・コースト」と「シャイニング」は同じ話です。
どちらも人里離れた場所に出かけた一家の父親が精神のバランスを崩し、繊細で賢明な長男が家族(母親)を守るために父親を殺す物語です。
これは遠くギリシャ悲劇「オデュッセイア」から延々と語られ続けた「父殺し」の物語です。

この回答への補足

遅くなりました。改めまして回答ありがとうございました。

最近、少々忙しくなり始めてきてまして、今日までに仕上げなければならないレポートがあったのでそちを片付けてました。

えーと、まず自分がghostbusterさんの回答を理解しているのか確認したいのですが、下の図を見て下さい。

        narrative
       /   \
     story ― ― ― discourse
    /  \     /  \
 events  dialogue address background information
     |         to  
     plot       audience

プロットがイベント/ダイアログをくっつける役割を果たし、ディスクールが読者や視聴者に(テクスト上で語られない)情報を伝える。そしてghostbusterさんが言われた通り、プロットを手がかりにストーリーをつきとめて、テクストの意味を理解する。全体的に語られてる物語をnarrativeと言う。こんなところで合っているでしょうか? (上の図を作るの時間がかかってしまいました(笑))

それと、まず下の引用を見て下さい。

what makes narrative unique among text-types is its "chrono-logic," its "externally" (the duration of the presentation of the novel, film, play) but also "internally" (the duration of the sequence of events that constitute the plot). the first operates in that dimension of narrative called Discourse..., the second in that called Story... non-narrative text-types do not have an internal time sequence, even through, obviously, they take time to read, view, or hear. (Abbott, 2002, p.14)

ここで言われているthe duration of the sequence of events that constitute the plotの部分はghostbusterさんの回答で理解できます。しかし外的な時間の持続をnarrative discourseとしているのがよく理解できないんですよ。ただしAbbottは外的、内的な時間の持続に分けて、テクストのタイプを説明しているのは分ります。ふたつの時間軸で物語を構成(プロット)していないテクスト、例えば論文などがこれに当てはまると思います。

全く関係ないかもしれませんが、もうずいぶん前にnon-reversible/parole (戻れない時間)と reversible time/langue (戻れる時間)というのを習いました。たしかlevi strauss(ラバイ ストラウス)の「The Raw and the Cooked」の中のセオリーだったと思います。※結局この本は僕の大学にはなく、かなり探して見つけたには見つけたんですが、600kも離れた図書館でした... なので読んだことはありません。これはmythについてのセオリーだと思います。このnon-reversible/paroleというのは、narrative discourse になるんでしょうか?つまり読まれてしまった(または何度も読まれている retelling)日本語で何て言えばいいのでしょか---the naturalization of a story through language つまりディスクールと言ったらいいのか...これがAbbottの言っている『narrative discourse』(myth??)なのでしょうか。

補足日時:2007/08/24 23:29
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この回答へのお礼

こんにちは、丁寧な回答ありがとうございました。

今、ちょっと時間があまりないので補足と確認を明日、補足欄に書き込みたいと思います。

御教授よろしくおねがいします。

ありがとうございました

お礼日時:2007/08/23 20:17

>ANo.1 お礼


spitzer3さんがnarrativeにつて回答してくれた(事実・経験に基づく)なんです
が、物語を作る時に、作家の経験や事実をフィクションとして書く場合があると
思うんですよ。そうすると”実在, 架空を問わない物語”(ファンタジーなどが
このジャンルに入ると思います)の定義が不鮮明になってしまうような気がしま
す。今、このファンタジーについても勉強しているんですが、やはりnarrative
structure (narrative 構造?)というのがでてきます。


 いちよ、作家の信じている経験や事実はフィクション(虚構)ではないとしていると思いますよ。ただし、事実や経験を織り交ぜながら、ところどころで、架空の物語を入れたら、全体としてフィクションと言った方がいいのでしょう。ある物語を部分的に見ると事実だが、全体的に見ると、架空の物語だということです。

>最近、部分的に読んだ本の中で、筋を変えれば同じ話しでも全く違う物語になる
そうです。

確かに個々人の主観によってとらえ方が違いますから、違う物語になってしまうというのはありますね。みんなよく勝手な解釈していますしね。
 これで区別できますでしょうか?
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この回答へのお礼

度々お礼遅れて申し訳ありません。アドバイスありがとうございました。

前のお礼欄でも書きましたが、今は僕はnarrativeとファンタジーについて勉強しています。ファンタジーもlow(現実に近い世界)/high (別次元の世界)fantasy (primary/secondary world)と区別できるようです。ふたつの世界は不合理(non-rational phenomena)な世界とされています。両方の世界は経験を通したイマジネーションの産物だと思われます。

アリスの不思議な国はこのふたつの世界をテクストの中でうまく表現した物語だと思います。作家の経験や科学的な事実をフィクション、架空の世界として描き出すこともできますが、ここにはやはり法則があるような気がします。例えば、the Load of the ring の中で主人公が指輪を溶岩の中へ落とす場面があると思います。しかし彼はあまりの熱つさに、いきなりコカコーラをバックから取り出して飲み始めたとしたら、いくらなんでもありの架空の世界とはいえ、やはり物語がおかしくなると思います。これを単純に世界観を壊したからといえなくもないんですが、plot/storyがどのように働いているか、またnarrativeは? を調べてみたいんですよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 20:13

>ここで質問があります、narrativeはイベント内の構成なのでしょうか?



narrativeとは辞書によれば(事実・経験に基づく)話, 物語ということなので、事実であると思われるイベントの時間軸に沿った構成であると言えると思います。
 しかし、storyは実在, 架空を問わない物語なので、narrativeとstoryは違うと思いますよ。
 
>また、narrativeの名詞化するとnarratorになります。つまりnarrativeとは作家のsubject(主観、主体?)によるイベント内でのコントロール(筋??これはplotの役目かな...)をさすということになるんでしょうか? 

 確かに作家が事実と信じ込んだ物語は事実に基づいている物語となるので、それでいいと思います。

>最後にジャンル (genre)はplotに依存しているのでしょうか、それともnarrativeでしょうか?

ジャンルとは種類のことで、plotとは筋のことですよね。そうするとある本の物語の筋から、その本が、小説なのか、学術書なのかと決めるので、ジャンルはplotに依存していると思います。また、narrativeも上述のとおり(事実・経験に基づく)話, 物語であることから、話によって、ジャンルが決まることより、ジャンルは物語に依存していると思います。難しい言葉を使っているので、もっと難しいことを要求しているのでしょうか。どうですかね。
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この回答へのお礼

お礼遅れて申し訳ありません。回答ありがとうございました。

spitzer3さんがnarrativeにつて回答してくれた(事実・経験に基づく)なんですが、物語を作る時に、作家の経験や事実をフィクションとして書く場合があると思うんですよ。そうすると”実在, 架空を問わない物語”(ファンタジーなどがこのジャンルに入ると思います)の定義が不鮮明になってしまうような気がします。今、このファンタジーについても勉強しているんですが、やはりnarrative structure (narrative 構造?)というのがでてきます。

最近、部分的に読んだ本の中で、筋を変えれば同じ話しでも全く違う物語になるそうです。登場人物、イベントはそのままにして。

混乱してきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/21 21:42

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