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「戦闘で命を落とすとき、兵士はよくお母さんとゆうんだ。あれは胸が痛む。私はもう5ヵ国語で聞いている」
戦争における「人殺し」の心理学という本にこういう記述があります。
兵士ということは18歳以上だと思います。
何故お母さんなんですか?

A 回答 (6件)

18歳だろうと、60歳だろうと、余程、母親との縁が薄くない限り、「お母さん」というのは、ごく、自然な、発露だと思いますが。

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天皇陛下万歳よりよほど人間らしいです。



戦争末期では15歳から徴兵です。
お母さんは特に15歳、16歳の少年の場合です。
この場合は、やはり母親への依存が強いのです。
既婚者なら妻、子供です。
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専門的なことは判りませんが


私もその話は聞いたことがあります。

通常の徴兵は20歳からですが、志願兵の場合もっと若くからでも戦場に駆り出されたと思います。特に「特攻隊」などは学生が主だったのではないでしょうか

18歳といえばまだ子供です。たとえ志願したといえど死ぬにはあまりにも早すぎます。女房や子供、恋人でもいればその最愛の人の名を叫ぶのかもしれませんが、その経験も無い子供にとって最愛の人は「天皇陛下」や厳しい「父親」ではなく優しい「お母さん」だったのではないでしょうか。
当時の父親というのは、お国のために喜んで(?)息子を戦場に送り出す厳しい時代だったと思います。しかしほとんどの母親は息子の無事を祈っていたことでしょう。又「いつかは戦争に駆り出される」事を覚悟していたわけですから、息子に対する愛情は一入だったと思います。子供もその愛情を感じていたからこそ、生きて帰れない「無念」が「お母さん」という言葉になって出たのだと思います。
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 百歳目前に亡くなった祖父の葬儀に行った時、長男(=母の弟)を一度も抱かなかった、と聞きました。

叔父は昭和2ケタ世代です。
 当時の育児について、父親が積極的に関わったことが無かった、もしくは関わってはならなかったのかも知れませんね。
 今より過去の方が母親の愛情が濃密であったわけでなく、過去は、父親の愛情表現が間接的であったことに起因するかと思います。

 戦後生まれの私は、父の膝に抱かれて、ヒゲの生えた頬でジョリジョリされたもんです。昔は、そうでなかった。そんな気がします。
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こんにちは。


大抵の人にとって生まれて最初に認識するのは「母親」の顔であり体温であり存在です。
多少成長した子供にとっても母親は「基地」であり「拠り所」です。
何か自己の身が危機に晒されるようなことがあれば母親を探します。
赤ん坊を暗闇に置き複数の人が呼びかけてもやはり母親の声のするほうへ向かうと言います。
そのようにして成長した人間がいざ生命の危機などに直面すれば、やはり一番に思い浮かぶのが母親であるのは自然なことではないでしょうか。
ましてやまだ十代二十代などであれば尚のことです。
それは「乳離れ」や「親離れ」とはまったく別の問題でしょう。
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母と子の繋がりはかなり密接なものだと思います。


母の体から生まれてくるのですから、母にしてみれば自分の分身のようなもの。
そして、母親のお乳を飲み、多くの場合は母親に長時間面倒を見てもらいます。
お父さんも同じように子供を愛していると思いますが、
やはり母親というのは子供にとってそれ以上の存在であると思います。

18歳だろうが20歳だろうが、母親はそれだけ大切な存在ということです。
結婚すれば、それが奥さんや子供になると思います。
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