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名物警視総監であった秦野章氏は、高文試験に受かったキャリアとはいいながら、日大出身で現場にも立つことがあったと聞いています。
警察庁、警視庁といえども東大法学部が圧倒的官僚が支配する世界。そこで、トップになれたというのは、もちろん秦野氏の実力が抜きんでいたのは確かでありますが、他に要因(政治的な)があったのでしょうか。
お教えいただければ幸いです。

A 回答 (3件)

秦野章 警視総監就任 1967年


鍵は、1960年代後半の大学紛争です。

1966年 自民党 田中角栄幹事長
1967年 秦野章警視総監就任
1968年 東大紛争

大学紛争は、突如として起こったのではなく、1960年の安保紛争以降、世界的な潮流としてのスチューデントパワーの爆発の中(同時代のアメリカやフランスなど)政治家の中では、予防すべき治安問題でした。
政治側で、大学新法を法制化し、学長の権限強化など、法的整備をしたのが、自民党幹事長であった田中角栄です。
法は作っても、実行部隊がなければ、なりません。そこで浮上したのが、現場に強い 秦野氏です。
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この回答へのお礼

どうも有難うございました。
やはり当時の情勢が,調整型よりも,実行部隊型の警視総監を要求したのでしょうね。

お礼日時:2007/09/25 22:03

梶山さんも日大ですね。

経済界にもある年代以上はいきなり
日大出身者が多くなります。なぜか?

戦後、復員してきて、軍属にいた人はパージされて、公的職業や、
国立大学に入れなかったそうです。東大なんかより、ずっと
エリートが行っていた陸軍大学、陸軍幼年学校出身者も含めてです。
そこで行ったのが日大ということだけでしょう。東大なんて
カンタンのはずです。当時は入学する学生だって少なかったのですから。
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この回答へのお礼

どうも有難うございました。
当時の東大はよほど人材難だったのでしょうね。

お礼日時:2007/09/25 22:04

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t1969081 …

大学の運営に関する臨時措置法等の施行について
昭和44年 つまり 1969年施行です。
この法案を文部大臣でもないのに、強行採決で立法化したのが田中角栄となります。
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この回答へのお礼

どうも有難うございました。
当時の田中角栄の威光が偲ばれますね。

お礼日時:2007/09/25 22:04

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