「平成」を感じるもの

新劇場版を見て面白かったので、エヴァにはまっています。
TV版、旧劇場版もすべて見たのですが、
いくつか矛盾にしか思えない点があって気になっています。
設定が緻密で練り込まれた話であるだけに、矛盾点があるとすると
残念です。どなたか疑問に答えて頂けないでしょうか?


一つめですが、加持が拾伍話にターミナルドグマでミサトに対し、
リリスのことをアダムだと説明するシーンがあります。

これは矛盾じゃないでしょうか?
何故そう思うかというと、アダムをネルフの元に運んだのは
加持であるため、八話以前にはアダムがそこに無かったことを
加持は知っています。
しかし、使徒が第3新東京市に侵攻する理由を、ネルフの人間では
少なくともゲンドウ、冬月、加持辺りは知っているはずです
(加持は拾九話でシンジにそれを説明しているし、八話の終わりに
第六使徒がアダムを狙ったことをゲンドウに示唆しています)。

ならば、加持は八話以前にもネルフに何か使徒が目標とする存在が
あることを知っていたはずです。
にもかかわらず、加持がリリスのことをその存在だとは考えず、
胎児になったアダムを短期間で蘇生してターミナルドグマに
貼り付けたと考えるのはどう考えても矛盾だと思うのですが…。

加持は自分の代わりにミサトに真実を見つけてもらおうと、
命を賭して情報を与えます。
なのに、状況的にリリスがアダムでない可能性が高い状況で、
アダムと断定したのは製作者側のミスだと思うのですが…。


二つ目に、弐拾話でエントリープラグ内にプラグスーツが
漂っていますが、拾九話ではシンジは制服を着ていましたよね?
リツコがシンジ君の自我イメージが疑似的に実体化させていると
説明していますが、制服が消えているし、作画した後にミスに気
付いてセリフだけでも状況の説明を入れたという風に感じます。

三つ目に、弐拾四話でシンジ、レイ、カヲルがシンクロテストを
していましたが、レイは何とのテストをしていたのでしょうか?
拾参話で模擬体が出てきていますが、それにしてもベースが零号機
では意味がないし(本体が既に無いから)、初号機は拒否されているし、弐号機は互換テストを行ったこともない。
これは不自然じゃないでしょうか?

皆さんどう思われますか?
矛盾じゃないと説明できる方、ぜひ教えて下さい!
どれか一つでもいいので、いろいろと御意見を聞かせて下さい。

A 回答 (4件)

再びお邪魔させていただきます


劇場版、面白かったですよね 3回見に行ってしまいました(笑
エヴァ、探してみれば矛盾だらけですよね 根本が緻密がゆえに、ところどころ解れてしまう箇所もまた多いのでしょうね

>一つめですが、加持が拾伍話にターミナルドグマでミサトに対し、
リリスのことをアダムだと説明するシーンがあります。
実はリリスの設定は急遽追加されたもので、途中までは加持の言うとおり白い巨人=アダムだったんですね
(また、エヴァンゲリオン弐号機の機体番号が漢数字で表記されるのは、「日本で建造されたエヴァは漢数字で表記される」「弐号機は設計・部品製造を日本で行い、最終組み立てのみをドイツで行った」という設定のためであり、この設定からしても、弐号機の部品の元となったアダムが日本のネルフ本部に存在していたのであり、アダムをリリスと変更したのは予定通りではなく、後から追加されたものであることが見て取れる。 wikiより抜粋)

>二つ目に、弐拾話でエントリープラグ内にプラグスーツが
漂っていますが、拾九話ではシンジは制服を着ていましたよね?
おっしゃるとおり、ミスです ミスなので、わざとらしい説明が加えられています(うろおぼえなのですが、DVD版ではその部分が修正されていたような……?)

>三つ目に、弐拾四話でシンジ、レイ、カヲルがシンクロテストをしていましたが、レイは何とのテストをしていたのでしょうか?
謎……ですね^^; やはり模擬体ではないでしょうか? 
量産機はないとおもいますよ。ゼーレ側の手にあるわけですし、量産機のダミープラグもカヲルでしたし

>確かにTV版の結末はひどかったですね…。
とおっしゃっていますが、僕はTV版の結末、好きです。狭量な世界観。
歪められた情報。雨の日でも楽しいことはある。などなど、本当に印象にのこるセリフがたくさんありました。
エヴァを初めてみたのが丁度シンジぐらいの歳で、しかも僕も人付き合いがあまり得意なほうではないのでとても共感できたんです。自分ってなんだろうとか。ですので、TV版最悪 とかいう輩には全力で反発している馬鹿です^^;
是非質問者様もTV版最終話、もう一度ぐらい見なおしてほしいなと思います
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この回答へのお礼

こちらも質問に答えて頂いて、ありがとうございます。
>劇場版、面白かったですよね
すごい満足してます!迫力あるし、ラミエルかっこいいし!
今なら一回目にはわからなかったこともわかると思うので、
また観に行こうと思っています。

>実はリリスの設定は急遽追加されたもので、途中までは加持の言うとおり白い巨人=アダムだったんですね
お詳しいですね!説明に説得力があります。

>おっしゃるとおり、ミスです ミスなので、わざとらしい説明が加えられています
やっぱりミスなんですね。まあ、どんな作品にもミスはあるし、
気にしないことにします。

>謎……ですね^^; やはり模擬体ではないでしょうか? 
そもそも模擬体ってどうシンクロするんでしょう?
エヴァの魂は一つだから、模擬体を本体に繋ぐか、一時的にコアを
模擬体に移さないと駄目ですよね?
だとすると、コアの潰れた零号機はシンクロ出来ないはずでは…?
とやはり矛盾っぽいですかね?

>僕はTV版の結末、好きです。狭量な世界観。
確かに、私もシンジの気持ちにはとても感情移入出来たので、
最後にシンジが笑いながら物語の結末を迎えたのは感ずるものがありました。
ラストシーンのBGM(残酷な天使のテーゼのピアノ版)もすごい良かったですし!
でも、そう思えたのは、劇場版で結末をやり直していると
知っていながら見ていたためであって、きっとリアルタイムで見ていたら、なんじゃこりゃ!と思ったと思います。
やはり、SFアニメとして始まったんだから、例え伏線の回収が視聴者に最も伝えたかったことではないにせよ、
SFアニメとしての最低限の伏線は回収して欲しいなぁと思います。

新劇場版はきっとそうならないと期待しています!

お礼日時:2007/10/03 01:59

No2さんが言ってる通りその場(その週話)で考えた話が多いアニメですね。


と言っても当時はそんな事知りませんでしたし凄く楽しく見ていました。本当の答えは分からないまでも、自分なりに解釈する事に勤しんでいました。

一応自分なりの解釈、思ったことになりますが私の意見としてお答えします。

1つ目
加持が言っていたリリスの事をアダムと認識していた件ですが、単純にそう思っていた、あるいはゲンドウに聞かされていたのではないでしょうか?
後付になるのかも知れませんがゼーレが送り込んだカヲルでさえアダムがターミナルドグマにあると認識していますし(見てばれますが)
一応ゼーレの送り込んだスパイでもありますから真実までゲンドウが話すとは思えません。ゼーレすら騙していたのですし。
それに、使徒がアダムを狙って来るのは間違いないはずですが、8話以前の使徒が攻めて来るのは、
レイやロンギヌスの槍に反応して使徒が攻めてきていたと加持は認識していたのかなぁと思います。アダムはブラックボックスされ幼体になるまで使徒は気付かずネルフの方に行ったのかと(最初の使徒の時から在ったのか判りませんし凄いこじ付けですが^^;)
ある程度はアダムの魂?やら槍にもインパクトを起こす鍵の一つですからそう思っても不思議ではないかと・・・

余談ですが、漫画のエヴァでゼーレがカヲルに「再生されたアダムの肉体は碇に取り込まれた」と言っているのでリリスをアダムとゼーレが思っていたと言うのは覆されたような気がしますが;;

気を取り直して!2つ目
制服が消えている件
これは全く疑問には思いませんでした。
肉体が原子レベルまで透過しているのに対して制服だけ在ってもそっちの方が疑問に思っていたと思います。
エントリープラグの中の異物はすべて透過されたと思います。
サルベージされる前にシンジの心が映し出されますが、心が強く敵を認識してる(戦っている)状態ならパイロットスーツが具現化されてもおかしくないと思っています。また肉体が消えると言う意味では制服からスーツに変わってる方が原子化したのだと強く理解できるのではないでしょうか?

3つ目
レイがシンクロテストで何の機体とのテストをしたかですが、
零号機、初号機、弐号機あるいは量産型のすべてだと思います。(どれかの機体)
レイにもカヲルと元は同じはずでのですべての機体とシンクロさせる事ができるはずですよ。
ただ、記憶に残っていたとしても心に人としての魂が宿ってるかどうかのはずです。3人目ですし。

以上が自分が解釈した事です。一個人が思ったことなのでコイツはこう思ってるんだという参考程度で^^;
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この回答へのお礼

二つも質問に答えていただき、ありがとうございます!

>ロンギヌスの槍に反応して使徒が攻めてきていたと加持は認識していたのかなぁと思います。
ロンギヌスの槍は拾弐話辺りで南極から持ってきていたような記憶が…(違うかな?)

>加持が言っていたリリスの事をアダムと認識していた件ですが、単純にそう思っていた、あるいはゲンドウに聞かされていたのではないでしょうか?
ただ、私にはゲンドウにどれだけ真実を隠されていても、あの時点で
アダムと断定出来ない程度には加持が情報を把握していたように思えるんです(気にしすぎでしょうか?)。

>8話以前の使徒が攻めて来るのは、レイやロンギヌスの槍に反応して使徒が攻めてきていたと加持は認識していたのかなぁと思います。
やはりそういう風に、八話でミサトが使徒が弐号機を狙ったと考えたように、エヴァを狙っていたと加持が考えていたとするのが自然かもしれませんね。

>肉体が原子レベルまで透過しているのに対して制服だけ在ってもそっちの方が疑問に思っていたと思います。
まごころを、君にで人は服を残してLCLに還元されていたので、
不自然に思ったんですが、やはりNo.2さんのおっしゃる様に
演出上と考えることにします!

>レイにもカヲルと元は同じはずでのですべての機体とシンクロさせる事ができるはずですよ。
零号機がアダムのコピーと考えるとやはり弐号機と考えるのが自然ですよね(私はレイはリリスの魂だからリリスのコピーである初号機と零号機にシンクロできる、カヲルはアダムの魂だから弐号機以降とシンクロできるという説が好きなんですが…)。ただ、レイとカヲルが同時に弐号機にはシンクロできないですよね?

沢山の御意見本当にありがとうございます。色々な方の意見を参考に、ああでもないこうでもないと考えるのもこの作品の醍醐味かもしれません。

お礼日時:2007/10/02 09:52

ハマれたんですね。

良かったですね。おめでとうございます。
(私はトップ、ナディアときて、絶対おもしろいはずだ!とハマろうと試みたのですがハマれなかったクチです。)

監督自身がおっしゃているようにテレビシリーズはライブ感覚で作られており、そのときどきのフィーリングで映像が決まっています。
(当初はネットでのカキコミに反応してストーリーをリアルタイムに~といっても相当ズレるが~変更しているらしい。)

ここでいるはずのない綾波の姿をちょっと出したらおもしろいだろうな。
とか
エントリープラグは液体で満たされているはずなのに、涙がこぼれたら感動するよな。
とか
質問者様がご指摘するまでもなく、矛盾点はいくらでもあります。
まるで、寝ている時に見ている夢のように。

平手でひっぱたかれた頬に手の跡が赤く浮かんでいる。だけどもその向きは逆。
というような演出上の効果にケチをつけるのはヤボ。ましてや全てが監督のマスターベーション行為なのにそれにあれこれ言うのもヘン。
(監督が視聴者を見下して作っているのに、それにホイホイ乗っかるのもなんだなぁ、という思いが強くて…擁護するする気になれない)
とにかく「宇宙戦艦ヤマト」だって「機動戦士ガンダム」だって矛盾点はいっぱい抱えています。せっかくハマったのだから、そういうところもひっくるめて作品を愛してあげてください、と思います。
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この回答へのお礼

>エントリープラグは液体で満たされているはずなのに、涙がこぼれたら感動するよな。
確かに、そういった演出上の点にケチをつけてもしょうがないですよね。

>とにかく「宇宙戦艦ヤマト」だって「機動戦士ガンダム」だって矛盾点はいっぱい抱えています。せっかくハマったのだから、そういうところもひっくるめて作品を愛してあげてください、と思います。

暖かいお言葉ありがとうございます。
これは作品を好きになったがために、矛盾っぽい所にも解釈がつけれたら良いなあ、という作品への執着な気もします。
結局矛盾としかとれなくても、これだけいろいろ考えさせてくれた作品なのですから、出会えて良かったと思います(TV版最終話をリアルタイムで見ていて、これで終わり?と考えていたら、そうは思えなかったかもしれませんが)。

お礼日時:2007/10/02 09:28

ヱヴァ(旧TVシリーズ及び旧劇場版)については過去にも様々な考察が為され、ファンによって色々な解釈が為されましたが、純粋に作品としてみると矛盾だらけであり、普通に過去に出てきた複線を裏切ったり、違う事として扱ったりと、その物語の整合性はとことん無視されています。


理由は製作者(監督である庵野さん)の意図的なもので、後半からは所謂視聴者を裏切る為にのみ作品の世界観を壊したのです。
彼の、当時の精神的な状態が主な理由とされていますが。

それでも中盤までの物語の面白さ、演出の巧みさ、キャラ、メカの魅力的な事等、ヱヴァを面白い作品とする理由は幾つも有りますので、強引ですが全てを正当化する為に様々な解釈や解説が行われたのです。

これ以降は様々な解釈の中から私がフィットするものを幾つか。

まず、ゼーレ、ネルフ関係者、特に根本的な事実を全て知っていそうな人たちによる、間違いにしか見えない言葉や認識等について。

まず、ヱヴァの物語の根幹にあるのは『死海文書』による情報です。
彼らはこの情報によってのみ、起こりうることを推測しました。しかし、彼らは明らかに全てを理解し、解明しているわけでは有りません。ですから、アダムとは『本当は』何なのか知りませんし、シ途の『真の目的』も知りません。全ては研究途上のもので、誰も確信を持って本質を語れるものなど居ないのです。しかし、人には信念があり、信じる力が有りますから、夫々が自ら立てた仮説に基づいて、確信を持って行動していたのでしょう。
だから、新しい事実が出てきたときには以前と違った解釈が生まれる。
作品では、自らの認識が間違っていた事に気がついて自説を変更する部分は描かれては居なかった、が、確かに彼らの考えは様々な試行錯誤の上で変化して行った。しかも、過ちなど微塵も感じさせない程に自信たっぷりにこれを行う。だから矛盾となるのでしょう。
登場人物の誰もが、何処で何が起きているかの全貌を直接見ることは出来ませんから、各々に齎された情報を基に、『知っている』かのように振舞った・・・と言うことでしょう。
全ての情報には明確な根拠は存在せず、未知の出来事に翻弄され続けた人々ではなかろうかと。

そして、これも物語りに描かれなかったけれども、彼らは夫々の思惑を持ち、その思惑を実現するために行動している。つまり、自分の思惑に適しそうだと思えば誰にでも嘘をつくし騙しもする。
ただ思惑の根本である情報が正確ではない為に各々の行動原理にも矛盾が生じてしまい、嘗て語ったことと違う・・・とか、嘗ての事実は無かったかのように振舞うのでしょう。これが、何が目的なのか判らないように見える人たちの真実です(おいっ)。

そう考えると、矛盾が生じる様々なことは、
「リツコ博士が自信たっぷりに状況の説明をしているが、実は本当のところは判っていないし、解釈に間違いが有る。本当の解釈は誰にも明かされていない」
となるし、
「レイのテストは、最初のチルドレンであるレイの数値を対数値として認識するため」であるかもしれないし、
「他のヱヴァシリーズとのシンクロ率を実験的に試してみている」のかも知れません。
あるいは、
「実は大破した三号機の修復が、シンクロテストに及ぶまでに完了していた」なんて可能性さえ絶対無いとは言い切れません。

あの作品は、ここまでどうにでも解釈する覚悟が無ければ矛盾に悩むだけなので、もしも面白いと感じ、好きになったのならば大らかに見て下さい。
今度の新劇場版は、そこらへんで敢えて無視された物語の整合性を何とかしようという意図の下に製作されていると良いのですが。

予断ですが、私としては個人的に視聴者を馬鹿にしたこれらの姿勢を持つ「ヱヴァンゲリオン」を、娯楽作品の粗悪品として見ています。
最後で視聴者に対しての責任を放棄した時点で作品としては最悪の物と認識します。
およそ物語り、作品等と言う者はどんな物でも矛盾があり、整合性など無視しても良いのですが、その矛盾を視聴者に感じさせない努力が必要不可欠です。成功していても、失敗してもまだ、作品の姿勢は買います。これを敢えて放棄した時点で失格です、失格。

ただ、作品を殺した元凶たる庵野さんは、才能豊かで他に傑作を生み出してもいるので期待はします。そういう意味では新劇場版がきちんとした物であってほしいと願っています。

ファンの皆様にむちゃくちゃ叩かれそうなこの回答、本心です(笑)
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この回答へのお礼

>最後で視聴者に対しての責任を放棄した時点で作品としては最悪の物と認識します。
確かにTV版の結末はひどかったですね…。
私個人的には、反省して(?)劇場版できちんと結末を描いていたと思うし、大体の謎は納得出来るので満足しているのですが。

>そういう意味では新劇場版がきちんとした物であってほしいと願っています。
本当、TV版みたいに放棄するのだけはやめてほしいですね!

お礼日時:2007/10/01 14:05

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