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「真面目な人や思慮深い人は、色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい。ストレスに弱い。」と言う論理展開を前提に、

「真面目な人や頭が良い人は、あれこれと考えて倦む癖があるから精神的に弱い。」ものなのでしょうか?

頭ばかりでくねくねと考える人間は、良く「ストレスが溜まりやすい。」、「精神的に弱い。」と一般的には考えられますか?


良く「もう少し能天気になった方が良いぞ。」と言われるのは、
逆に「能天気な奴だなあ。だからストレス溜まらないんだろ。」とか「アホちゃうん。」とか言われる事が決まっているからもう良い、と考える人間も普通にいます。

完璧主義で読書好きで硬派で思慮深くて、その反面ストレスに弱い私のなのですが、「程々にするのは難しくて疲れるから。」「朗らかになり過ぎて決まった事を言われるのは、当の昔にもう飽きているから。」と、このように申しております。

ですが、必ずしも二律背反にはなりませんよね?
「ストレスにも強くて頭も良い人」、「ストレスにも強くて精神的にも強い人」は勿論いますね。


ですので「いつもあっけらかんとしているから、嫌な事があっても記憶力や拘るだけの脳が不足しているから精神的に強い。ストレスに強い。」だとか、
「物事を一人、頭の中で深く追求する癖があるから、頭の良い人は精神的に弱い。ストレスが溜まりやすい。」
と一概には言えませんよね?

もしそうでなければ、
「アホは嫌い。賢い人が良いなあ。」とか言っておきながら、その傍らで「ストレス溜めるな。もっと精神的に強くなれよ。」等と垂れているような人の話は、聞きたくありませんので。

A 回答 (10件)

>勤勉、思慮深い、頭が良い人が精神的に弱いか?



 人間の脳は機能的には大差はありません。それ以前に、その脳細胞の10%しか使用されてないという話もあるくらいですから、脳の能力の個人差など問題ではありません。
 つまりこの場合、勤勉、思慮深いなどの、性格的特徴について、それが心の弱さを伴うのか、を論じなければなりません。元々「頭の良い人」など居ないと思われます。思いの強さ、努力などにより、インスピレーションや、論考能力のセンスを身に付けるのです。「頭の良い人」を決め付けると、傷付く人が存在することに配慮して、言葉を選ばれた方がよろしいかと思われます。

 勤勉、思慮深いという性格的特徴が、心の弱さを伴うのか?。
 これは、逆に辿ってゆけば良いのです。心が弱い(この場合その定義を、ナイーブ、傷付きやすい、という事にさせて頂き、堕落し易いという意味ではないとさせて頂きます。ストレスもナイーブさが原因と思われます。)と、どうなりますでしょうか?。傷付かないような、努力をするのです。傷付かない努力は、勤勉、思慮深いという性格的特徴という、実りをもたらすのです。また、ナイーブで傷付きやすいなら、人の気持ちも分かると言えるでしょう。

 勤勉、思慮深いという性格的特徴は、心が弱いことからのみ派生する訳ではないと思われます。「人の役に立ちたい」、「人を助けたい」という強い思いも、勤勉、思慮深さを生む原因になり得ます。「どうしたら泥棒で捕まらないか」という事に執着する場合でも、勤勉、思慮深くなり得ますね(真面目ではないが)。そう考えると、勤勉、思慮深くなり得る原因など、無数に在るでしょう。
 その中には、精神的弱さと無関係の原因が多くあります。ですから、勤勉、思慮深いからといって、精神的に弱いとは限りません。

 傷付きやすい人は、その防衛策として、勤勉、思慮深くなる方法を選択する傾向がある、とは言えましょう。ただ、これも傾向であって、引きこもりを選択する人もいれば、立ち回りの上手さを選択する人も居ましょう。

 また、傷付きたくないので、強くなろうとして、格闘技を始めたりする人も居ましょう。

 勤勉、思慮深い原因などいくらでもあります。その全てが精神的に弱い筈がありません。

 あなたの精神的弱さは、ナイーブさの事であると思われますが、それは私の感覚では、弱さではありません。それは、様々な強くなる原因となる、素晴らしい心の可能性です。優しくて、強くて、思慮深い、素晴らしい人になれる可能性であるのです。

 本当の弱さとは、堕落することです。全ての可能性の実現を、邪魔するものです。

 そういったことを認識し、自分に自信を持って生きるのです。
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大差ないはずの人間に実際、大差がつくのは何故か。


思考能力の深みを身につけるといっても個人によって限界があるのも事実、その事実は何によって分けられるのか。
「努力も才能のうち」という言い方があるが執念深いほどに「努力」すればするほど聡明さから程遠くなっている実例など山ほどある。それは何故か。
どういう方向性での努力が、どういう結果に結び付くかを見分けられること、また、どういう結果に結び付くことを「敢えて」望むのか、それを決めるのは何によるのか。
そういったことをひっくるめて敢えて能力と言わせてもらう。
傷つくことを怖れて止まない人は、その「傷」について思索する事自体できないだろう。
だから「傷」を受ける前に鎧で身を固めてしまう。
そして「のれんに腕押し、糠に釘」とうそぶく。
思索能力を深めるどころのさわぎでない。そこで終わってる。
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ストレスを「溜め込む」ということとストレスに「弱い」ということはイコールではない。


弱かったら「溜め込む」こと自体できない。
ストレスに強い、というのは溜め込んだストレスに負けない、ということ。
もちろん「溜め込める」=持ちこたえられる量には個人差が大きい。
だから、ホンのちょっとでも溜まったら即、負けてしまうような人は、あまり物事を正面から真剣に受け止めないで済ますというのは、弱い人なりの回避策だろう。
それとは別に物事をどれだけ掘り下げて思考できるかということ自体は能力(脳力)の問題。
但し、いわゆる「机上の空論」的なことに延々耽る人が実社会に出て一発でやられてしまうとしたら、それは、ぬくぬく守られてる状態のなかで思考のお遊びをしていたに過ぎず、自分のちっぽけな思考と現実の重さとのギャップにやられてしまったということ。単なる世間知らず。
たとえば「死」が怖い怖いと思う人が思慮深いかどうかは、「なぜ自分は死を怖れるのか、死とは何か」というところまで掘り下げられるかどうかで決まるということ。怖がるだけなら誰でもできる。
怖がることにすら耐えられないなら、そもそも考えることもない。
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>「勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程、精神的に弱い。

」は違いますか?

違わないと思います。

>ですが、必ずしも二律背反にはなりませんよね?

なる、と思います。
「真面目な人や思慮深い人は、色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい。ストレスに弱い。」と言う論理展開を前提、とするなら、「ストレスにも強くて頭も良い人」、「ストレスにも強くて精神的にも強い人」がいる、というのは二律背反します。

なので、
「物事を一人、頭の中で深く追求する癖があるから、頭の良い人は精神的に弱い。ストレスが溜まりやすい。」
と「いえる」事になります。

よって質問者さんは、
「アホは嫌い。賢い人が良いなあ。」とか言っておきながら、その傍らで「ストレス溜めるな。もっと精神的に強くなれよ。」等という話は聞かなくていいことになります。

そしてなぜ私が、「勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程、精神的に弱い。」は違わないと考えるかの理由ですが、
私事で恐縮なのですが、私は死ぬのが恐いのです。その事を考えると頭がおかしくなりそうなのです。多分それは人並み以上のものです。
それは精神的に弱いと捉えてくださいますでしょうか?
そして、自分のことを真面目な人、思慮深い人とはとてもいえないのですが、「色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい」性質だとはいえます。
そんな私でもその恐怖を忘れられる瞬間があります。
それは例えば、おいしいものを食べている瞬間や趣味に没頭している瞬間なのですが、その瞬間は「仮に」私が死について深く考えず忘れている状態なっているといえます。
よって色々な事をあれこれと深く考えて「なくて」ストレスが溜まり「にくい」人(というか状態)は精神的に弱くなる瞬間がない(=色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい人間は精神的に弱い)という事になります。
でもこれは「一般的」ではなく私に限ったことと言われてしまうかもしれませんね。

別の例を考えますと、
例えば動物とか虫とかは精神的に弱くなる瞬間がないですよね。
(イルカやチンパンジーにはあるかもしれないとか、そもそも精神があるのかというのはちょっと置いておいていただくと助かります)
それは自分が不幸だと認識する瞬間がない、若しくは考えられないからとはいえないでしょうか(≒物事をあれこれ深く考えられない)
それは精神的に刺激に対して鈍感だからとはいえないでしょうか?
刺激に鈍感=強いとはとれませんか?
よって、
色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい人(ヤバイ、人じゃなかった)=勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程=精神的に弱い
とはいえませんかね?

長々しくわかりにくい文で申し訳ありません。
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ストレスというのは何か人間の中の原始的(動物的な)反応によるものがおおきいと捉えています。


例えば背広を着ると苦しいとか満員電車がつらいとか人前で快活に振舞ことが辛いと言うようなことは 人間が結構動物的な部分を残しているからだと思います。
私はストレスに非常に弱く 気候の変化とか何か嫌のことを感じたとかいうだけのことで、眠くてしょうがなくなり、15時間コンコンと眠り続けてしまったりしますが、自分ではこれは何か動物的な名残が「苦しい」と言っているということだと思っています。
皆何かしらそういった暗い(社会認知的には)ものを抱えているものだと思いますよ。
そして質問者さんのように色々と頭で考えて行動する人、反面実はストレスに弱いというような動物的な部分を抱えている人は、自然の多いところで暮らすというような、自分の動物的な部分を開放させて生きれる環境をつくれば、結構バランスがとれて非常に健康な人になれるかも知れません。私もバランスをとれた時はけっこう健康な人です。
またただ明るい人も、ストレスによる苦しさを小出しにしていなだけで、いつ爆発するか分からないから、あっけらかんとしていいねというのは単純すぎると思います。
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>「勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程、精神的に弱い。

」は違いますか?

違うと思います。
ただ、勉強(机上の論理)ばかりで、社会経験が乏しいと精神的に弱く(ストレスを溜めやすく)なるかもしれませんね。
人間、より大きい苦難を経験すると、より小さなことではあまりストレスを感じなくなるものだと思います。

>「いつもあっけらかんとしているから、嫌な事があっても記憶力や拘るだけの脳が不足しているから精神的に強い。ストレスに強い。」
そのように言った方はかなり高慢で他人を見下す方なんでしょうね。
色々な経験をして精神的に強いから、嫌なことがあってもあっけらかんとしていられる。と見た方が(色々な意味で)良いと思いますよ。
他人を見下す人ほどストレスは溜りますからね。
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この回答へのお礼

そうですね。はい皆様、大変御恩に着ます。
実は私は、自己防衛しやすいタイプであって、ただ思慮深く見られるまでで結構失敗します。ギャップも激しく、気分次第で謙遜したり高慢になったりと掴み所は自分でも良く解らない程です。
ですので頭も心も芳しくはありません。

ただ、テレビよりは本や音楽の方が好きなので、テレビに出ている人達は誰一人好きになれず、それでバラエティーでも番組は普段はあまり鑑賞しないのです。
軟派に振舞って後味悪くするのも何ですし、サバサバしていた頃は大体は馬鹿にされて言われる事も決まっていました。
殆ど自己防衛の傾向が強いです。虚勢を張る癖もいつの間にか付いてしまい、取り越し苦労の連続です。
自分を良い子だと思い過ぎないようにして行かなくてはならないと思っています。
私は本当に、世間知らずの御馬鹿さんですね。(微苦笑)
ではどうも。

お礼日時:2007/10/29 02:37

>完璧主義で読書好きで硬派で思慮深くて


>その反面ストレスに弱い私のなのですが
ご自分をこのように感じていらっしゃる訳ですよね?
これに付け加えて「頭が良い」とも思われているようですが
何を基準に「頭が良い」「精神的に強い」とされているのかが
私にはわかりません。
一般的には「学校の成績が良い」「一流と言われる学校を出た」
IQの数値が高い、偏差値が云々・・・で頭の良し悪しを言われますが
それだけで、その人の頭の良さ(脳の機能の働き)が良いとは言えません。
また、経済社会においては、経済力の高さで判断される場合もありますが
それには、皆の条件が違いすぎます。

あなたは「体力の強さ」をどう感じますか?
そして「精神力の弱さ」の基準は何ですか?
ご自分で「精神が弱い」と感じているのであれば
そして、それを欠点だとか、弱みと考えているのであれば
それを「克服」するのは、ご自分でやることだと思います。

私の人間の能力の「強さ」の基準は、その人「それぞれにある」と考えます。
その人の能力を「能力いっぱい」に使っていれば「疲れ」ます。
「疲れ」が出れば、色々と「問題」が生じます。
それをある一面では「弱さ」と言えるのかも知れませんね。
体力にしても、精神力にしても、自分で鍛えて強くしたり伸ばしたりも可能であります。
どうぞご自分の「弱さ」があると思うのであれば
日々鍛えるなどして克服する努力をなさって下さい。

「頭が良い=精神的に弱い」という図式ばかりではない・・・と
他の人からの同意や共感があろうと無かろうと
あなたの能力はそのままが「事実」な訳でありますからね。
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世の中は 勤勉の上にガリ勉がいて これが 引っ張っているところがあります。

また その傾向によって 劇場であるかのごとく あちこちにいろんな見せ物を興行しているかのように 進んでいます。

個人が つねに向上を目指し 道理にもとづき 妥当な考えを出しても 一幕づつ演出は決まっていて 途中からでは なかなか 耳を傾けてはくれません。アイディアが摂り容れられる場合もあるわけですが 幕あいなどないほど 芝居を引っ張って行く力も大きく その進行具合いでは 個人の精神もその思慮も 取り残されて行き勝ちです。Show must go on. というわけです。

考えるに ストレスと言っても いくつか種類があります。どんな分野であれ 大舞台に立つというそのこと自体の緊張もあるでしょうし あるいは そうではなく この現在の社会の仕組みから来る大きく不条理のようなものをめぐる不安もあるでしょう。(こちらの場合は 不安というよりは 人間社会をめぐるなぞのようなものかも知れません。そうだとすると 特別に緊張する必要はないとも考えられます)。

さらにいろんなストレスがあるでしょうが 一つに それぞれの場面によってかもし出される緊張としてのそれは 人それぞれ 工夫して のり越えていく(もしくは のり越える必要もない)ものと思います。もう一つに 社会や人間にかんして容易には分からないこと――つまりまさにこの哲学欄の問題ですね――については まづは謎として その解明を楽しみにしていけばよいのではないでしょうか。

具体的なことがらについて述べるのは 苦手ですし 具体的な情況が決まったというかたちでないと むつかしいですから 以上のような漠然としたお話になりましたが。 
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私は哲学の分野には完璧な素人なので、この議論に参加できるほど知識もないかもしれませんが。

見た目と内面をどのように判断されているのかわからないですが、一概に言えないのは明白だと思います。
ここに出されている人に対する表現は、レッテルであってその人の性質といえるまでのものではないですよね。
私は硬派だとか、まじめだとかの自己申告も怪しいですが、他人から「あなたって、xxxだよね~」というのはもっといい加減だと思いません?
論点を逸してたらすみません。
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まず


ストレスは精神的緊張から来るもので、別に頭の良い悪いは、関係ありません。
ストレスはスポーツに非常に関係が深く、特にオリンピック選手などは
大きいストレスを受けます。(日本の代表!勝たなくてはいけない)

要は責任感が強い人ほどストレスを受けやすく無責任な人ほどストレスを受けにくい。
なので
頭が良い悪いはストレス又精神等、関連性はまったく関係がないと
思われます。
>能天気な奴だなあ。だからストレス溜まらないんだろ
これは頭が悪く見られているより無責任な奴と見られてる方が強いと
思われます。
ゆえに
>頭ばかりでくねくねと考える人間は、良く「ストレスが溜まりやすい。」、「精神的に弱い。」と一般的には考えられますか?

一般的に見るとそうは考えられません。
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