プロが教えるわが家の防犯対策術!

自分のだめなところも受け入れよう、っていうのは、だめな自分を改善する努力を諦めよう、とどうしても同じに思えて仕方がありません。
過去の質問を拝見いたしましたところ、
「自分を受け入れるには、理想を捨てることだ」
とありました。
理想を捨てたら、目標を失い、成長することはできませんよね?
とりあえず、今の自分でしょうがないよね、と諦めたら、もう先には進まなくなる気がする。

でも、ありとあらゆるメントレの本では、必ずと言っていいほど「自分を受け入れましょう」と書いてあります。
だから、これ自体は間違っていないものだと思うのです。
どのように理解すればいいのでしょうか。

ぐだぐだな質問なので、お時間のあるときに、コメントいただければ幸いです。

A 回答 (22件中11~20件)

前後の文脈が異なる文章を参考にしているから矛盾が生じているのではないでしょうか?




>過去の質問を拝見いたしましたところ、
>「自分を受け入れるには、理想を捨てることだ」

例えば、これは「過去の質問」であって、その質問された内容は「プライドが高くて困ってます」というものだったのかもしれません
それであれば、当然同じ事を言うかもしれません
どちらかと言うと、「不必要な理想を捨てる事だ」と言った方が適切かな

これに対し、メントレの本ではそれを前提とせず、別の状況を前提とするので、「自分を受け入れましょう」と提唱するでしょう

つまり、状況が違うので異なる回答になっているのです


色々な方面から情報を収集するのは正しいのですが、収集した情報を単純に組み合わせていいのかどうかはちゃんと判断しなければいけません
また、その収集した情報を鵜呑みにする事も間違い
その情報自体が正しいとは限りません(一般的に正しくても、個別で見ると間違っている場合もある)


以上より、「過去の質問」の内容を見直して、メントレの情報と組み合わせてもいいのかご判断下さい
    • good
    • 0

>自分を受け入れるとは諦めることですか



ある程度はそうかも

諦められないところを努力する、
努力しても叶わないところは諦める(受け入れる)って事じゃないですか?

たとえば顔の整形手術を努力と取るか、諦めととるか?はその人次第ですよね
「顔の造作を受け入れられないから努力して整形に踏み切った」
ともとれるし、
「整形に対する抵抗感を受け入れられないから努力してありのままの顔を受け入れた」
ともとれますね

ま、言葉なんて臨機応変に受け取ればいいんじゃないですか
    • good
    • 0

駄目な自分を受け入れること=理想を捨てることだとは思いません



自分を受け入れる。=現在の自分を把握するということではないでしょうか?

できることできないことを把握する。
理想=できないことができるようになりたい
では、どうすればよいのか

木になった林檎(目標)に届かない。
毎日、飛び続ければジャンプ力がついて届くのか?
踏み台を持ってくれば、とどくのか?
高枝切りバサミで切れば届くのか?

貴方にとって大事なのはなんでしょう?
理想を達成すること?
その際にはどんな形で達成するの?
今の努力を続ければ達成できるの?
達成できないかもと思うなら、どうすれば達成できるの?

人間できないことはできない
でも、今はできなくても ある条件をクリアすればできるようになったりする。

とりあえず、自分の駄目なところを自覚する、それから理想を達成する為に改善しなければいけない駄目な部分を直す。

メンタルでダメージを受ける人の多くはこの部分です。
自分がこうしたいから、今のままでは足りないから改めるという風に考えられないんですね。
「こうじゃなきゃ駄目なのに」、と自分や周りを責めてしまうんです。

駄目な部分は誰しも持っている。
それだからこそ助け合うんです。
でも、一歩進む為には、そこから踏み出さないと
誰でもなく自分の為に
自分がしたいから理想を追う。
そして、理想は、人それぞれ違うのだから自分の価値観を他人に押し付けないことが大事だと思いますよ。
    • good
    • 1

優しくもあり、時には厳しくもある母親が、愛するわが子を受け入れる



「自分を受け入れましょう」というのは、それと同じニュアンスだと思いますよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>「自分を受け入れるには、理想を捨てることだ」

これに関して言うと、「時には」という但し書きがつくと思います。
「自分を受け入れるには、「時には」理想を捨てることだ」

どんな時かと言うと、
何度、東大合格を目指して受験しても落ちてしまう。
合格したいけど、落ちてしまう。
「自分は、こんなはずじゃない」と、ノイローゼ状態にまでなってしまう。
あるいは、「環境が悪いんだ」と、まわりの家族に当たったり暴力をふるったりする。

ノイローゼになって精神を病んだり、廃人状態になってしまっている人には、
「東大に受からないという自分を受け入れなさい」
というアドバイスになるのではないでしょうか。

また、今の亀田選手にも言えるかもしれませんね。

違反をしてまで勝とうとしている態度に対し、
「チャンピオンに勝てなかった今の自分を受け入れなさい」

だからと言って、理想を捨てなさいとは言ってませんよね。
これに負けずにがんばって欲しい、そういう声もあると思います。

そんな感じだと思いますよ。
    • good
    • 0

>「自分を受け入れるには、理想を捨てることだ」


ではなくて、
「自分を受け入れることは、自分を知ることだ。」
ではどうでしょう。

例えば、スポーツ選手になる目標を持っていたとします。
でも、身長に恵まれていなかった。
じゃあ、自分に向いているスポーツを見つけるか?それとも、あきらめて次の目標を立てるか。
どちらにしても、次の手段を考えることが大事なのです。
ああ、もうだめだ。
もうちょっと身長が高かったらよかったのに・・・なんて不幸なんだ!
と自分の体格を受け入れられずに、絶対?手に入らないものを切望し続けることは、時間の無駄ですよね。

出来ないこと(ないもの)に執着するより、出来ること(あるもの)を探せばよいのではないでしょうか?

まず自分を知って、次の一手、を考えることが大切なのだと思います。
    • good
    • 0

みにくいあひるの子の話ってありますよね。



あひるに育てられた子が、他の兄弟と違うと言われる。
あひるの子はそれで落ち込む。
自分は「だめなあひる」だと悩む。
そうやって悲しい子供時代を過ごした後に、大人(成鳥)になって実は自分は白鳥だってことに気づいて幸せになる。

もっと早く白鳥だって気づいてたら、悩まなくても良かったと思いませんか?
この子は「あひる」という理想を追いかけていたわけですけど、白鳥だからあひるにはなれなかったんですよ。

現実は、人間の心や能力は目に見えないもので、すぐに自分が白鳥だって分かりませんが、白鳥なのにあひるになろうとしてませんか?
周りがあひるばかりだからといって、自分もあひるだとは限りません。
自分がだめだと思っているところ(みにくいあひる)も実は長所(きれいな白鳥)だったりするんですよ。
「だめなところも受け入れる」というのはそういうことだと思います。
だめな事実は変えられないけど受け入れてこそ前に進めます。
もしあひるが自分は白鳥だということを認めなかったら、綺麗な白鳥になってからも「自分は他のあひると違う」ってずっと悩んでいたでしょうね。

ちょっと自分を客観的に見る工夫をしてみてはどうでしょうか?
本当の自分が分かれば、もっと楽に考えられるようになりますよ。
    • good
    • 0

おそらく皆さん、同じ回答だとは思いますので。


一応例えなんかを交えつつ。

水泳の北島選手いますよね。
あの選手は若い頃からコーチと共に特殊な(そうでもないですが)練習をしていました。
それは彼の泳ぎを全てコーチがビデオに撮って、それを元に話し合い、泳法の改良をしていたのです。

プロの野球選手やゴルフの選手なら当然かもしれませんが、
水泳では珍しかったようです。

北島選手いわく、
「客観的に自分を見ることが出来て、良いときのフォーム悪いときのフォームがわかりやすい」
まぁ当然のお話ですが。

「自分のだめなところも受け入れよう」っていうのは、
妄想の中で暮らすのではなく、「現実の自分を知ろう」という意味で、
それによって欠点を正しく把握して、正しく修正しよう。という意味です。
    • good
    • 0

「受け入れる」と言うのは「諦める」のでは無く、「認める」事だと思います。


自分の事を客観的に見るからこそ自分自身について知る事が出来ない事、解ろうとしなかった事が明確になる時もあります。
向上心を持ちながら生きる方が何倍も有意義です。
    • good
    • 0

ぐだぐだな回答ですが……



自分を受け入れるというのは、自分を肯定し尊敬する事だと考えています。
『ダメでもいいや』と受け入れるのではなく『欠点もあるけど、俺もなかなかじゃん』と自分を認める事だと思います。
自分は魅力的な人物なのだという、ある種の自惚れがあって初めて、他人と交わろうという積極性ができ、自分をもっと磨こうという行動につながるのです。自分の欠点ばかり見てると、欠点を隠すことにばかり気が行って、積極性や社交性を失っていきます。

自分を認められない人は、最初のうちは『ダメだなあ、もっとがんばろう』と自省のある思慮深い人のように見えていても、だんだんと『ああ、俺ってだめなやつなんだ』と考えるようになって、自信をなくし、溌剌さや積極性をなくし、他人の目は気になるようになり、些細な事でも『自分に落ち度があるのではないか』と自分を責めるようになり、そんな態度だから友達もできず、どんどんドツボに嵌って行きます。
こういう精神の袋小路が一番よくありません。

誰だって欠点はあるんだから、自分にだってあって当然。それらもひっくるめて総得点で考えれば自分は魅力のある人間なのだ、と認識することが重要なのだと思います。
理想を捨てる必要は無いです。ただ、理想ってのは雲を見上げるようなもので、見上げてため息を吐いては『ダメだダメだ』と言っていても何のプラスにもなりません。雲に近づくには目の前の坂を上る行動が必要で、その行動を可能にするのは、自分自身を尊敬する心なのだと私は考えています。
    • good
    • 1

こんばんは。



私はそのような本を読んだことが無いのですが、
「自分のだめなところも受け入れよう」を見る限りでは
「ダメなとこを受け入れて改善させよう」という事かと思いました。
いくら周りが指摘し、注意しても、自分のダメなとこを全く受け入れず改善しない方が多いので、
そのような方へ向けている言葉かと。

ただ、周りから見たら大した事では無いのに、
過剰に自分を責める(自傷行為等)傾向がある方もいらっしゃいます。
そのような方へは
「ダメだと責めずに受け入れて改善させよう」という意味かな、と思います。

ぐだぐだな回答、、、伝わりましたでしょうか・・・?
乱文失礼致しました。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!