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私は医療関係やボランティアを経験したりして、さまざまな人に出会いそしてそのたびにいつも考えていたのですが人と人同士がさまざまな外見に違いがあるように障害も個性であり、誰もが同じであるという障害=個性という事はなりたつのでしょうか?それとも個性にはなりえないのでしょうか?またどうしてそう考えるのか?どなたか自分なりの答えでいいので教えてくれませんか?返事待ってます。

A 回答 (6件)

私は色弱のものです。



障害を個性と呼ぶのは、障害のない方だからこそ言えることだと思います。

個性という言葉は、辞書によると”他の人と違った、その人特有の性質”
とあります。
しかし、障害というのは多くの人が持っています。
私の障害である色弱も、男子は20~30人に一人がもっています。

足が不自由で車椅子を利用している方も、結構見かけます。

はたして、”その人特有の性質”と呼べるかどうか。
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障害を持つ方を、雇用した経験から・・・


個人的には、障害=ホクロ程度の個性、そう考えて接していましたが、障害を持つ方が、自分自身でそれ自体を、個性程度の差異であると認識しない限り、双方の認識に、ずれが生じてしまいましたね
仕事上のミスは、次で取り返せば良い、そう言っても、どうしても原因をその障害のせいにしてしまう、そんな認識を変えさせようとしましたが、かなり難しく上手く行きませんでしたね

と言う事で、個性と考えるのは個人的には賛成ですが、相手もそう考えてくれないと、難しい問題です
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この回答へのお礼

私は大学やその他の場所で「障害がある人ないと人一緒になって考えて」とよく聞きます。とても大切な事だと思います。ですが他の人はどういうかはわかりませんが、正直な話なかなかお互いの立場になってていうのは難しい話だとおもいます。cafedemochaさんの話もなんとなくわかります。
障害がある方は障害と今ままで生きてきた事で(決して軽い意味ではなく障害を含めての自分ととらえる感覚、近づく事はできてもまったく一緒になる事はないと思います。)、良い意味でも悪い意味でも障害がない方とは認識に、ずれが生じてしまうと思います。
ごめんなさい、何か話がずれちゃいましたね。回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 20:37

障害=個性という考え方もありますし、それを固定化して捉えるのも良く無いでしょう。



他人に言わないと分かってもらえないような障害に関して
・それを隠して済まそうとするか
・それを話して同調を求めるか
これが個性に反映されるわけですが、障害が無いことには
このようなことを考える必要が無いのです。
その他人に言わないと分かってもらえないような障害が難聴で
あったり、色弱だったり、内蔵疾患だったりするわけで、そこを
どう捉えるかがポイントとなるでしょう。
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この回答へのお礼

今皆様の意見を見せていたたいでいますが、人それぞれに障害という言葉一つでは、足りないくら沢山のさまざまな形の障害があると思います。
今、私は一つ一つがその人が持つ固有の特性であると考えます(まだ根拠もなくそうなのかな?って思う程度ですが)
障害を持つ方がどうするか?障害をどうとらえるかで?固有の特性(個性?)というものが変わっていくものでもあるのかも知れませんね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 16:32

こんにちは。


興味深いお話ですが、あまり長く書き込むと自分の人間性が全て露呈しそうで怖いですね。(笑)

僕の中では障害=個性という考えは成り立ちません。
個性とは個々人の性格、発想というような人の内面というか精神的な特徴だと思っています。
そして障害とは個人の肉体的生理的な特徴によって一般的な社会生活に何らかの支障がある状態のことだと思っています。
精神疾患や心理的外傷のような精神的な要因によって生活に支障がある場合もありますが障害とはまた違うことと考えます。

結論として要約するなら個性は尊重すべき事、障害は配慮すべき事、と言ったところでしょうか。
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この回答へのお礼

今皆様の意見を見せていたたいでいますが、人それぞれに障害という言葉一つでは、足りないくら沢山のさまざまな形の障害があると思います。
今、私は一つ一つがその人が持つ固有の特性であると考えます(まだ根拠もなくそうなのかな?って思う程度ですが)
言葉がうまく使えず説明するのが困難ですが、障害も個性と呼ぶべきではなく、同じものなど(たぶん)存在しない唯一のもであり、それは個々がもつ固有の特性ではないかと思いました。
ホント、勉強不足ですいません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 16:26

私自身は、障害があるなしに個性は関係ない(考えることはできない)です。


ただ、足に障害のある友達と歩くときはゆっくりになるとかそういう配慮?(配慮とも思ってないけど)は当たり前だし別になんとも思いません。個性はその人となりや言葉遣いとかだと思います。もしかしたら彼女の今の性格とか個性に、障害に影響されるものがあったかもしれませんが、「あ、今の考えは障害を持ってこその考えだな」とかそこまで考えて話してないし…
乙武氏、でしたっけ?障害は個性、と言ってたのって。彼はそうかもしれないですね。障害を意識した上でどうやって車に乗ろうか、とか考えたり、そういうバイタリティは個性だと思います。
でもそれってわざわざ定義しなくても良いのではないかと思います。
自信はないですけど…
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この回答へのお礼

今皆様の意見を見せていたたいでいますが、人それぞれに障害という言葉一つでは、足りないくら沢山のさまざまな形の障害があると思います。
今、私は一つ一つがその人が持つ固有の特性であると考えます(まだ根拠もなくそうなのかな?って思う程度ですが)
例えば、耳や目に障害がある人でも度合いやその考え方というものが違いがあり、まったく同じものなどないと思います。
それが個性と呼べるものなのかはわかりませんが……
まだまだ、勉強不足ですいません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 16:16

障害自体は個性ではなくて障害にどう向き合い、どう対処するのかという時や所に個性が現れてくるものだと思います。



私自身は呼吸障害ですが、よほど近い30m位なら歩きますが、タクシー利用では100~300mの距離では中途半端で乗らないし

歩けないので最初から行きません・・・しかし別の方なら電動式のカートのようなものを使ってでも行く人も居るでしょう。

別に300mタクシーに乗って悪い訳ではないのですが、健康な時の意識が残っているのかも知れませんね。。。

ご質問の趣旨からは外れた回答かも知れませんが、無理に努力をしないのは子供の頃からの個性の延長かも知れません。
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この回答へのお礼

「障害自体は個性ではなくてそれぞれ人が持っている障害に対しどのように対処していくか?」に個性が表れると言うような意味でうけとりました。
障害と付き合って生きていくという過程の中で個性が作られていくのかも知れませんね。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 15:34

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