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村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者にインタビューしたノンフィクション作品『アンダーグラウンド』(1997年)を書いた本当の理由は、田中康夫氏によればノーベル文学賞対策だそうです。
ノーベル文学賞の受賞条件は、小説だけでなくノンフィクション作品も書いている事だからだそうです。
私はこの田中氏の意見は非常に鋭い指摘だと思うのですが、村上春樹ファンの人たちはどう思いますか?

A 回答 (14件中11~14件)

私も田中康夫の指摘は非常に鋭いと見ています。

ただし、彼自信にとって。
差別は、それを糾弾する者の心にこそあるという真理を待つまでもなく、彼は賞が欲しいのでしょう。それこそ、喉から手が出るほど。
ここ数年、村上春樹の周辺にはノーベル賞がらみのウワサがたえず、かなり有力な候補と見られた時期もあります。
それを見た田中康夫は、村上春樹を「鏡」として利用したのでしょうね。

「ここに醜い男がいる」鏡を指差して男は叫びました。
その男は田中康夫であり、あなたでもあります。
わたしもそうかな。借りた三万円が返せぬと夜道を泣きながら歩いていた飲み屋の主人が、のちに作家となり、ノーベル賞の候補になったんです。
そりゃ嫉妬のひとつもしようってもんさ。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
super32xさんのご意見に私も同感です。
田中康夫氏は村上春樹がノーベル賞候補になるほどの作家になったことに強いショックを受け激しく嫉妬しているのでしょうね。私も田中氏が1995年の阪神大震災でボランティア活動を始めた時から「作家として行き詰まって胡散臭い事を始めたな」と思いました。
しかし、田中氏の「村上春樹はノーベル文学賞がほしくてアンダーグラウンドを書いた」という指摘はその通りだと私は思います。
村上は地下鉄サリン事件の被害者と加害者にインタビューしただけで、その後オウム事件そのものを掘り下げて解明しようとはしない。その理由は、村上にとっては地下鉄サリン事件について書く事自体が目的だったからだと私は思います。だから、書き終えたら村上はオウム事件にもう何も用はないのです。

私自身も田中氏と同様に村上に嫉妬しているのかもしれません。
しかし「村上がしたことはやりすぎではないか?」と私は思います。自分の私欲のために事件の被害者をダシに使うというのはひどすぎるんじゃないかな?と私は思います。
そうした意味で、この問題が単に「それは村上に対する嫉妬」で片付けていい問題には私は思えないのです。

お礼日時:2008/01/25 03:07

私見ですが、


事件にかなりの衝撃を受けた。
そして自分なりにいろいろと考えた。
ただ、体験した人の話を、感想や意見などを
一切排除した記録として残しておかねばという思いが強くなった。
自分の名前にバリューがあり、たくさんの人が
読むであろう事も計算はした。
サリンのノンフィクションものに普段触れないであろう
世代などにも読んでほしいということから...

ということだとおもいます。
田中氏の意見ですが、ノンフィクションものは村上氏は
軽いものもふくめると山のように書いていますので、
それは違いそう。と、感じました。
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この回答へのお礼

私は村上春樹のファンで村上にノーベル文学賞を受賞してほしいと思っています。
しかし、村上ファンの私にとってアンダーグラウンドはかなり違和感がありました。「なぜ村上はこんな作品を書くのだろう?」と思いました。そこで村上文学に批判的な田中康夫氏の指摘を読んで合点がいったという次第です。
田中氏は「村上春樹とプリンスホテルと同じ」とも言ってます。「洋風の雰囲気を漂わせながら舟底皿のカレーライスが出てくるのがプリンスホテル。女は顔じゃないと言っておきながら女を捨てるのが村上春樹」
要するに「村上春樹は超俗物、村上文学はニセモノ」ということでしょうが私はこの田中氏の指摘に目から鱗が落ちる思いがしたのです。
私は村上文学は小田和正やさだまさしの歌と同じような作品だと思います。両者とも「何でこんな作品が必要なんだ?」という作品ですが両者とも「物質の豊富な現代社会で、コミュニケーション能力の低下した現代の人々が深い人間関係を作り出せないことから感じている喪失感、孤独感を埋め合わせる役割を果している作品」だと思います。
ですから、村上ファンの私はインチキ宗教の教祖が俗物であるように村上がノーベル文学賞のためにアンダーグラウンドを書いたとしても矛盾を感じないのです。

お礼日時:2008/01/18 07:57

今となってはかなり古い作品になってしまい、うろ覚えなのですが


当時、氏は、小説家というのは、一般に、
フィクション、想像、架空の世界を描くのが通例だけれど、
もっと社会とコミットメント(commitment)すべき点があってもいいのではないかうんぬん、とか言っていたような気がします。
(氏はコミットメントという言葉がけっこう好きですよね)(^^)
それで、氏にとってインパクトのあった、サリン事件の、
それも一般にはあまり報道されてない被害者個々の側面を
確か2年位かけて取材し、彼なりの思い入れを持って
書いたのではないでしょうか?
当時の彼の心情にそのような執筆意欲を抱かせる何かがあったのでは
ないかと私は感じています。
ちなみに「本当の戦争の話をしよう」という訳本もいいですよ~。(^^)

参考までに書いてみました
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この回答へのお礼

「村上春樹はノーベル文学賞がほしいと思っていると思いますか?」という質問をしたら村上春樹ファンの人たちはどう答えるでしょうか?
私は「ほしいと思っているでしょう。喉から手が出るほど」と答えます。
私はノーベル文学賞に対する村上春樹の気持ちについて以上のように考えます。

もし仮にそうだとすると、ノーベル文学賞の受賞条件は小説だけでなくノンフィクション作品が必要である。しかも、軽い内容のノンフィクションではダメ。軽くなくても日本のローカルな題材を扱ったノンフィクションではダメ。大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』のような世界的な関心を集められる題材のノンフィクションでないとダメ。
しかしそのような題材はそうあるものではない。これが自分で創れるフィクションと違うノンフィクションの一番難しいところ。
そこへ地下鉄サリン事件が起きた。
もし私が村上春樹だったら飛びつきます。
後にも先にもこんな題材二度とないでしょう。
私なら尻から火を噴いて『アンダーグラウンド』を書き上げますね。

お礼日時:2008/01/17 17:44

もう一つのサリン事件が発生した長野県の元知事の言葉とは思えないですね、いろんな意味で。

そのことの方がよほど興味深いと思います。そんな質問を平気でするあなたの人間性も含めてね。
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この回答へのお礼

私の質問が言葉足らずで誤解を与えたかもしれませんが、アンダーグラウンドのような作品は本当はノンフィクション作家やルポルタージュ作家が書くべき仕事であり、村上春樹が書く必然性や必要性が私は感じられません。そして、田中氏の指摘のような理由がアンダーグラウンドという奇妙な作品が生れた本当の理由であれば、私は全ての疑問が氷解すると考えています。

お礼日時:2008/01/16 05:49

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