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芥川龍之介の「羅生門」と、大岡昇平の「野火」。
この2つの作品のテーマを考え、その共通点・相違点について考察せよ、という事なのですが、どなたか詳しく説明していただけないでしょうか?
もちろん作品は2つとも読んで一応自分なりに考えてみたのですが、どうにも考えが浮かばないので・・・。
かなり分かりにくい質問ですが、回答の方宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

極限状態での人間の本質とはなにか、ということがテーマとしての共通点かと思います。


「羅生門」では生きることをすべてに優先してたとえ生前主人であった女の髪であっても売ろうと考えて死体から髪を抜く老女と、その日の糧を得るためにならば人殺しも辞さない男、という
生きるためならば何をしてもかまわないという姿勢の人間の生きる話だと思います(決して芥川は人の獣性を支持している訳では無いのですが)
対して、「野火」では、人肉を喰らわなければ生きていけないような凄惨な戦場であるにもかかわらず、死んだ兵士の肉を食べようと銃剣で虫を払いのけようとした主人公は「その時変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである」となり、最後の行動ができないのです。
自分の手が、自分の意思にかかわりなく、人を殺めることを止めてしまうという不思議。
……信仰の有無が、二つの作品を分けたのではないかと思います。
芥川と大岡のキリスト教信仰の観点から論を進めてみてはいかがでしょうか?ご参考になれば幸いです。
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悪と考えていた事に対して、登場人物が一歩踏み出してしまう点は、共通点として挙げられそうです。



ただ一方で、羅生門は、悪という概念に踏み出すというよりは、相対化して考えて、自分は今まで悪と考えていた事をしても問題は無いという正当化の論理が見えるようの思います。

他方、野火は、そんな状況ではありませんよね。そういう論理は飛び越えた段階にあるように思います。

ヒント程度ですが、どうでしょうか。膨らませそうでしょうか。
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