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私は長年カメラ工場に勤めていたものの、写真にはまったく興味がありません。
そこで、ネガティブな観点から質問します。

写真が芸術であるとか、趣味の極致とかいわれる所以は何なのでしょうか?
例えば、絵画であれば、無地のカンバスから完成状態に至るまでには、相応の技が必要でしょうし、芸術性が求められることも理解できます。
しかし、写真を撮るというのは、つまるところ機械としてのカメラのシャッターを押す行為に過ぎないですよね。
アングルやライティングがどうのとか、プリントがどうのとか、確かに技術論はあるかと思います。
でも、写真が高尚な趣味だとか、芸術だとかまでに昇華される意味がわかりません。
写真の稚拙や芸術性の如何についての基準・境界線は、那辺にあるのでしょうか。
平易に説明頂ければ幸いです。

A 回答 (8件)

「キング・オブ・ホビー」…良くいわれる言葉なんですが、そういった「王様」と言われる趣味の中に「写真」が混じっているということですよね。


そういう意味で「アマチュア無線」や「釣り」なども、そうです。

…思うに「生涯をかけて探求できる趣味」を指して「王様」と言っているのだと思います。
「趣味の極致」かどうかは、私にもわかりません。

写真は単なる「目の前のものを写すだけの行為」ですが、それゆえに「人の数だけの選択」があり、それが「表現」となります。
構図、ボケぐあい、ブレ、画角…そういった「ハード」としての要素と同時に、人間の「考え方」「思想」「感情」…というソフト面も反映されるのです。
そしてそれを「瞬間」に凍結させて行く…写真は立派な「芸術」なのです。

絵画はどうやっても「瞬間」を忠実に記録することは出来ません。
しかし、絵画は「創作の自由度」が大きなメディアです。
写真と絵画は「並べ立って」考えるものでも、比較するものでもないのです。
似てはいますが、違うものと考えれば良いでしょう。

そして写真は「誰だって出来る」ものです。
技術の習得が少なくて済みます。
ここらへんが「芸術でありながら、簡単」という意味で「趣味としては極致」と言われている理由かもしれないですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「キング・オブ・ホビー」…良くいわれる言葉なんですが、そういった「王様」と言われる趣味の中に「写真」が混じっているということですよね。
質問の趣旨を言い当てて頂き恐縮です。
メーカーサイドから意地悪な言い方をすると、最も金のかかる道楽の一つとも定義できるでしょう。

なるほど、写真は「瞬間芸術」であって、絵画とは似て非なるものということですね。
写真は誰にでもできるからこそ、芸術としても趣味としても限りなく奥行きが深いのでしょう。

お礼日時:2008/06/07 09:57

写真を趣味としていますが、写真やカメラが趣味の極地だとは思っていません。

たぶん、どんな趣味であってもその趣味を極めようとしている人はみな自分の趣味を「これは趣味の極地だ」というんじゃないかと思います。私は、写真を撮りに行くことがきっかけで盆栽を見たことがありますが、話を伺うと盆栽が「こりゃ究極の趣味だな」と思いました。

芸術については、その表現方法に対してある種の芸術性を見出すことができるなら、それは全て芸術となりえるのではないでしょうか。壁の落書きをアートに昇華させた人もいます。
写真に限らず、現代においては技術的な表現方法は全て表現されてしまったという説もあります。だから、便器にサインして「これは芸術だ」といった人がいて、それが芸術といえるかどうか現在でも議論となっています。
写真も、アングルやライティングなどの技術は誰でもできるわけではありません。あるプロの写真家は「僕のライティングを真似する人が多いけど、僕ほど使いこなせていない」といいます。
荒木経惟はスナップ的な作品が多いですが、あれが誰でも撮れると思ったら大間違いです。写真について知れば知るほど「こんなすごい写真は撮れない」と思い、やはりアラーキーは天才だなーと思います。

芸術って、知識があるかないかでまた評価も変わるものだと思うんですよ。ピカソみたいなキュビズムや抽象画っていうのは絵画に対する知識がないと「子供の落書き」にしか見えないですよね。書家の破天荒な作品もそうです。前衛舞踊なんかもそうですよね。
いわゆる「芸術」とまで評価されるスナップ写真もそういうものだと思います。スナップ写真を芸術の域まで持っていくのは大変です。なぜなら、スナップ写真は「二度と訪れない瞬間」を切り取るからです。「このタイミングに、この構図で切り取れた」ってのはすごいと思いますね。
とはいえ、もう大家となった「大先生」の作品となると、単なる手抜きであっても「作品」になってしまうところはありますね。私は蜷川実花は「才能はあるけど、カメラはヘタだ」と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

巨匠の作品といいながらも、普通のスナップ写真とどこが違うのかと疑問に感じたのは、土門拳などを念頭においたものでした。スナップ写真といえば、天才アラーキーのことをすっかり忘れていました。
芸術は、知識というか人間の感性に依拠するものなので、結局は、“わかる人にはわかる”という結論に辿り着くのでしょう。

お礼日時:2008/06/07 09:37

そもそも・・・



「趣味の極致」は「趣味」の数だけあります。写真だけが「極致」ではありませんよ。

「写真が芸術」なのでなく、「写真で芸術(作品)を作れる」だけです。

ちなみに芸術家なら・・・
 カメラを使わず印画紙だけで作品を作ったり、
  「マン・レイ」http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/040403. …
 証明写真機でも芸術作品が作れます。
  「澤田知子」http://www.kohjiogura.com/kog/current/sawada/saw …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

写真を「趣味の極致」としたのは、それに凝れば凝るほど高額になるということを皮肉を交えて言い表したものです。

「写真が芸術なのではなく、写真で芸術作品を作れるだけ」というセンテンスは、簡潔かつ的確な回答だと存じます。
ご紹介いただいた作品を見て、写真はアバンギャルドな世界を広げるための有効な道具だと改めて認識できました。

お礼日時:2008/06/07 09:01

確かに絵画やバイオリンなどに比べれば技術的習熟期間が短くて


済むでしょう、だから「趣味の極致」趣味の、となる訳でしょう。
しかし技術的習熟量が少ないから芸術度が低いとも言えないと思い
ます、技術的習熟量が多くても、職人的に多くなったのでは、芸術
ではありません、(芸術家が上、職人が下と言っているのでは、あり
ません、ただの違いです)
写真が芸術、絵画が芸術と言う風に、すべてが芸術では、ありません。
写真であろうと何であろうと、その表現されたものに芸術性がある
ものが芸術です。
写真に関しては、デシタル化に伴い、今までは被写体に寄りかかった
表現方法から一歩抜け出し、表現の幅が広がったと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

仰るように、必ずしもスキルと芸術度に相関があるとは言えないでしょう。
デジタル化によって表現方法が格段に進歩したというのは、従来の職人的手法を脱して、ポップアートに転化していくことだと解しました。

お礼日時:2008/06/07 08:38

こんにちは


実際に巨匠といわれている写真家の写真集をできるだけたくさん見てみるのが一番ご納得がゆくのではないかと思います。
あるいは、ご自分でできるだけ多くの写真を撮ってみることをお勧めします。
絵画や彫刻だって、もののいいようによっては実もフタもないしろものになります。
最近でこそシャッターを押せば必ず写る便利なカメラがでていますが、
写真の分野も追求してゆけば奥が深いです。
たとえば夕日は露光、フィルター、シャッターチャンスなどの条件によって二度と同じ写真はとれません。一期一会です。
それをコントロールし自分の意図したものを表す作品をつくるという意味で芸術といえるように思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「絵画や彫刻でも、もののいいようでは実も蓋もないことになる」というご指摘は、ごもっともです。
確かに写真を表現手段の一つと捉えれば、その先には芸術や芸術に匹敵する趣味の極みもあるのでしょう。
例えば、絵画を擬したような技巧的な写真は、あざといけれども一つの趣を感じます。
ただ、正直なところ、巨匠の作品であっても、ドキュメンタリータッチのものは、普通のスナップ写真との違いがわからず、とりあえずシャッターを押しただけと思えるものもあります。これは私の鑑賞力が乏しいのでしょう。
自分で試してみるべきだというご提言は、ありがたく頂戴します。

お礼日時:2008/05/31 19:43

何を芸術と定義するかは人によって違いますから


あなたのようにピンと来ない人もいるでしょう。
無理をして分かる必要もない気がします。

あえて言うなら撮るモティーフ側に芸術性があるかどうか
ではないかと。
手で描くかレンズで焼き付けるかの違いだけですし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

要は審美眼の問題ですから、「わかる人にはわかる、わからない人にはわからない」と言ってしまえば、その通りでしょう。
モチーフに芸術性が内在するということですか。奥の深い御指摘として受け取りました。

お礼日時:2008/05/31 19:13

なんでしょうね~



確かにシャッターを押すだけかもしれないですが
シャッターを押すまでに場所、風景、モデル、ポージング、撮影イメージ、人員、レタッチ、構図、意図など、
これ以外にも沢山ありますがそれをすべてイメージして再現したのを一枚の写真で見せる作業は芸術といわれるかもしれないですね。

わかりにくいかもしれないですが、写真も絵画同様、初めは無地のキャンバスなのです。
わかりずれ~w
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ご指摘のように、写真も初めは無地のカンバスで、そこに数多くの映像的な要素を収斂させて一つのイメージに統合し、煮詰まった段階でシャッターを押すという感じで理解すれば、その要素の過不足が技術の稚拙と照応し、主観の投入の強弱が芸術性の如何に関係するようにも思えてきました。

お礼日時:2008/05/31 13:58

人の意思が絡んでいるかどうかの違いではないでしょうか。



写真ではないですが簡単な例として、街中を常時撮している固定監視カメラの映像と、人がビデオカメラを持って街中を撮った映像に、違いは感じられないですか?

この回答への補足

監視カメラの映像とビデオカメラで撮影した映像の違いはわかります。後者は主観的な映像です。
ただ、私の質問は、シャッターを押すだけの単純な行為が、例えば、ただのスナップ写真になる場合もあれば、芸術作品ともてはやされる場合もあるという違いが、何に所以しているのかということです。
シャッターを押すというのは、当然に人の意思による行為なので、人の意思の関与の如何という観点で疑問は解消されません。

補足日時:2008/05/31 13:30
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この回答へのお礼

早々に回答を頂き、ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/31 13:32

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