芸術を鑑賞する上で、デッサンを重んじる人や斬新さを尊重する人、気難しい論術を述べる人などいますが、それらの人を否定的に言った意見に「芸術は自由に観るべき」という言葉があります。
一見正論に思えますが、他人に「芸術は自由に観るべき」という価値観を押し付けている時点で、他人の自由な芸術の見方を侵害している気がします。
少なくとも、彼らなりに自由に思考錯誤した結果、デッサンを重んじたり、斬新さを重んじたりした、芸術の見方を見出したのですから。
しかし、「芸術は自由に観るべき」という意見は良く分かります。
恐らく言葉が悪いのかと思います。
そこで質問なのですが、「芸術は自由に観るべき」に代わる言葉は無いでしょうか?
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
芸術にかぎらず物事一般が、素直すぎる目でいくら見ても何も見えてこないし、何も理解できないし、何も判断できないのではないでしょうか。
あることをある程度以上に分かろうとするためには、いったんその中にどっぷりと漬かってみることがどうしても必要です。
そして真の価値ある発見はしばしば、そこにひたりきっていながら、同時にそこにはいない、はなれわざを演じる人によって達成されるようです。おそらくこういう人がいちばん偉い。
なぜなら彼ないし彼女は、膨大な作品例、それらの価値、その芸術観までもを含め、いちばん知悉している人の一人でありながら、そのことにとらわれない精神の持ち主だからです。これがたぶん「自由」であることの本当の意味でしょう。自由とは無軌道のことではない、とよく戒められたものです。
われわれは学ばねばならない。アーティストの言うことを、理解できないまでも察するくらいのものは持ちたい。彼らは新しい。未知である。価値があるとしたらその未知の面である。
彼らの主張と実践例(作品)との融合、または乖離のさまを確かめねばならない(乖離も評価の対象になります。彼はこう言っているが、期せずしてこんな面を輝かせている、などというふうに)。またそのためのセンスもできれば研きたい。
いずれも素人にとって至難の業ですけれども(笑)
さて、私なりの回答です。
三つの目を持つ努力をしよう。
よく見るための右目。よく学ぶための左目。
残りの一つは自前のハートで。
>三つの目を持つ努力をしよう。
>よく見るための右目。よく学ぶための左目。
>残りの一つは自前のハートで。
なるほど、回答ありがとうございます。
デッサン重視派の人は、一つか二つの目でしか見ていない。だから良くない。
という意味でデッサン重視派を否定し、なおかつ最後の「残りの一つは自前のハートで。」という言葉で、いわゆる自分の感性や自由に見るという感覚を肯定していますね。
この言葉なら、質問の「回答」として受け入れられます。
大変参考になりました。ありがとうございます。
No.6
- 回答日時:
mono_010さんのご意見は「鑑賞者」の立場としての考えですね。
作品を作る側としては、見る人が自由に感じ取っていただいて良いという思いもあるのですが、個々の作品は何かしらの意図を持って作られるものなので、まずはその制作意図を見抜いてほしいと思うのです。自分がその作品で表現したかったことが鑑賞者に伝わっているなと感じると、制作者冥利につきるというものです。その上で、自分すら気付かなかった作品の良さを発見してくだされば、これはもう言うことナシです。もちろん、表現者によっては全然違う考え方をする人もいるかもしれませんが、自分が全く意図しない(もしくはそんなふうに見てほしくない)見方をされると、ちょっと困ってしまいますね。
No.5
- 回答日時:
こんにちは。
>「芸術は自由に観るべき」という意見は良く分かります。
>恐らく言葉が悪いのかと思います。
「芸術は自分のスタンスで観るべき」というのはいかがでしょうか。
作品毎またはその都度、十人十色の様々な見方が存在し得るでしょうし、それは自他共々お互いに尊重されてしかるべきと思われます。
で、やはり肝心なのは、なるべく他人に感化されない「自分なりのユニークな見方」を大切にするということではないでしょうか。
(なかなか容易なことではありませんが)
そして更に付け加えるとするならば。
得てして「受け身」な行為として捉えられがちな芸術鑑賞或いは芸術批評の類に対し、「より果敢で積極的な意味付与を行う」必要性も謳うべきかもしれませんね。
>「芸術は自分のスタンスで観るべき」というのはいかがでしょうか。
全くの正論です。
なんか重箱の角をつつくような返答になってしまいますが、「芸術は自分のスタンスで観るべき」となると、「デッサン重視の芸術」の見方の否定の言葉にはならないかもしれません。
デッサン重視派も、自分のスタンスで見ているので、そういう見方も肯定してしまいます。
「芸術は自由に観るべき」というのは、デッサン重視などの凝り固まった見方を否定する意味があるかと思います。
なんか否定的な返答ですみません;
大変ありがたい回答です。
No.4
- 回答日時:
一見自由に思えてどこかから見方や作法や知識を自然と身につけている
ものなので自由に見ろという言葉には凄く違和感感じますけどね。
また、自由に見ろというのも誰かから言われて金科玉条にしている人
が大半だと思いますけどねぇ。ちなみにわたしなんかはまさにそうです。
ほんと全然自由じゃない。
(しかし世の中にはムンクの叫びって誰が描いたの?って驚く
ような質問をするひともいますけどね。)
また自由に見るべきという価値観を押し付けている時点で他人の自由な
芸術の見方を侵害している・・・と言ってしまったらその押し付けている
人の(押し付ける)自由を奪っていることになるので堂々巡りです。
押し付けられたら受け入れるも否定するも自由でしょ?せめて発言は
認めてあげなきゃフェアじゃないよね。
見方は自分で選択すべきでいいんじゃないんでしょうか?
しかし言い方は「たまにはちがう見方も試せば?」ぐらいがソフトでいいのかも。
この回答への補足
>人の(押し付ける)自由を奪っていることになるので堂々巡りです。
いえ、それはありません。
デッサン重視派や斬新さを重んじている人は、自由は尊重していません。だから、他人の自由を侵害しても倫理的に矛盾はありません。
(共感できる・出来ないは別です。)
しかし、「芸術は自由に観るべき」と言う倫理は、自由を尊重しています。他人の自由を侵害した場合、自分の倫理を否定することになるので矛盾します。
No.3
- 回答日時:
>一見正論に思えますが、他人に「芸術は自由に観るべき」という価値観を押し付けている時点で、他人の自由な芸術の見方を侵害している気がします。
質問者さんは、「芸術は自由に観るべき」という命題の是非について問うていらっしゃいますが、そのためには、そもそも芸術を「自由に観る」とはどういうことなのかについて、最初にきちんと定義しておくことが必要不可欠ですよね。
思うに、「自由に観る」と言っても、いったいこれはどういう観方をすることなのか、自分勝手に「観る」こととどこが違うのか、美術に興味・関心がある人もない人も「自由に観る」ことができるのか、などと考えれば考えるほど、実は「自由に観る」という表現そのものがとても曖昧でしかないことが分かってきます。
さらに、そもそも「観る」とはどういうことなのかとなると、大雑把には、美術作品に反射した光がヒトの網膜を刺激し、それが電気信号として脳に送られ、記憶中枢(コード表)に照らして解析され、そこではじめてヒトはそれを観たと感じるわけですよね。
このとき、たとえば、誰かが「この絵は~を描いたものだ」、「~をモチーフにしている」とか、「この絵は美しい」、「感動的だ」、「つまらない」、「へたクソだ」とかとコメントしたとして、はたしてこのコメントというのは、彼が本当に「自由に観」た結果なのか、それとも彼自身も自覚していない視覚や記憶のメカニズムなり、その他の原因・理由なりが作用した結果なのか? と問われたら質問者さんはどのように答えられますか。
このように考えてみますと、そもそも「自由に観る」というのは、実はできるだけ「先入観や思い込み、偏見等に囚われないで観る」ということ以上でも以下でもないことが分かってきます。
すると、芸術作品を「自由に観る」とは、他でもなく「こうして観ている自分が実は自分でも気付かずに先入観、思い込み、偏見等に囚われているのだときちんと自覚すること」としか定義しようがないような気がします。
そして、優れた芸術家ほど、凡人に較べて、より先入観、思い込み、偏見等に囚われないでモノを「観る」力を備え、それ故に優れた、独創的な芸術作品を生み出しうるのではないでしょうか。
とすれば、それを鑑賞するわれわれの側としても、やはり「芸術は自由に観るべき」ですし、でなければ、優れた芸術家(作品)に対して失礼だし、第一、真の意味で「自由に観る」のでなければ、そもそも芸術作品を「観る」目的も意義(価値)もなくなってしまうのではないでしょうか。
>そこで質問なのですが、「芸術は自由に観るべき」に代わる言葉は無いでしょうか?
ということで、「自由に観る」の正確な意味をきちんと弁えている限り、別にこれに代わる言葉なんか必要ないと思います。
この回答への補足
>このとき、たとえば、誰かが「この絵は~を描いたものだ」、「~をモチーフにしている」とか、「この絵は美しい」、「感動的だ」、「つまらない」、「へたクソだ」とかとコメントしたとして、はたしてこのコメントというのは、彼が本当に「自由に観」た結果なのか、・・・と問われたら質問者さんはどのように答えられますか。
私のなかでは「自由に観る」に入ります。
「うまい」「下手」という判断を下す人は、彼なりのデッサン倫理なり、上手いデフォルメは何か?という倫理を持っている人だと思います。
その倫理を構築する過程は、先生に教えられたのではないでしょう。
美術館に行き良いとされている作品をたくさん見たり、実際に絵を描いて磨いたりすることで構築されます。
それは一つに彼なりの倫理で「自由に絵を観た」結果だと思います。
デッサン重視派の人も、厳格な親や先生に強制された人は、まず稀です。
つまり、自分の感性で考え導き出した結果が、デッサン重視派になったのでしょう。
もし、この「うまい」「へた」というコメントが、誰かに強制されて言った言葉か、何かの審査で、この作品は誰々先生の弟子だから否定的な評価は言えない。と言う側面で「うまい」と言ったら、それは「自由に観ていない」と言うことになります。
>そもそも「自由に観る」というのは、実はできるだけ「先入観や思い込み、偏見等に囚われないで観る」ということ以上でも以下でもないことが分かってきます。
少なくとも私は、自由に観る=先入観を取り除いて観る
とは思っていません。
固定観念なくして、物事を判断することは不可能です。
しかし強すぎる、固定観念は駄目です。
まさに「以上でも以下でもない」ということです。
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