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知覧特攻隊についてです。
隊員は若者のみだというのは本当ですか?
もしそうならば、「若者以外の人が、それまでに徴兵されて戦力がなくなったので若者を徴兵した」という見解の仕方は正しいですか?
また、具体的な年齢がわかれば教えてほしいです。お願いします。

A 回答 (5件)

>「若者以外の人が、それまでに徴兵されて戦力がなくなったので若者を徴兵した」


 すいません、質問者さんが想定している若者って何歳ですか?
 世界中のどの国でも、余程追い詰められない限り、戦場で戦う兵士って10代後半~20代ですよ。

 沖縄やサイパン等の一般人が大量に居て、且つ彼等を本国に戻す事が困難に成った状況を除けば、最前線で戦う兵士は第二次大戦当時の日本ですら30代前半以下の年齢でしたよ。
 
 軍隊というのは、一部のエリート(幹部)を除けば10~20代の若者ばかりです。現代の自衛隊だって中学校卒業後の16歳で志願できます。
   http://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/recruit/1 …

 国家が徴兵を行う基準は国によっても多少違いますが
  1.平時や戦時の初頭に徴兵されるのは20歳ぐらい
  2.1で不足な場合には、20代の全般を対象にする
  3.2で不足な場合には、10代後半と30代を対象にする
  4.3ですら不足な場合に40代以降や女性が対象に成る

 最前線で戦う兵士というのは、人間が持つ体力の最高値を要求されるのですから、軍隊は可能な限り20代の兵士を欲しがります。
 軍用機のパイロット(特に戦闘機乗り)は30過ぎると、輸送機等の過度の戦闘行為を想定しない機のパイロット(体力的に困難に成る。勿論個人差は有りますが…。)か、地上勤務に移ることを考慮し始めるのですから、特攻機のパイロットが若者であるのは当然というよりも、それ以外に選択肢が有りません。
 若者が特攻するのに反対するなら、そもそも特攻作戦など実施できません。
 (余計ですが私は、特攻を肯定していません。)

 どれくらい若者をを要求していたかの事例として、極端な事例ですが、アメリカはベトナム戦争の時に外国人であっても、徴兵に適した年齢(20代前後)であれば、自国に留学していた学生すらも徴兵して戦場に送りました。
 (当然、日本人留学生もその対象になり、戦死者も出ています。)
   http://www.geocities.jp/showahistory/history05/4 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/13 22:39

航空機の操縦には聡明で柔軟な頭脳と強健な肉体が必要です。


また、航空操縦士は志願制です。
陸軍の場合、基本的に徴兵者は歩兵が主力です。
海軍は志願制だったはず。

また、兵役義務などは大戦前からあったことです。

太平洋戦争末期は、志願を17歳まで引き下げています。
海軍予科練は15から17歳の志願です。
3年の教育訓練が必要でした。

ちなみに、知覧は陸軍の特攻基地
海軍は鹿屋基地です。

>隊員は若者のみだというのは本当ですか?
10代20代がほとんどですから本当と言うことになります。

>もしそうならば、「若者以外の人が、それまでに徴兵されて戦力がなくなったので若者を徴兵した」という見解の仕方は正しいですか?
航空操縦士以外はその見解でもかまいません。
が、どうも質問者さんは、徴兵について少し誤った見方を持っているのかも。
googleやウィキペディアなどでもう少し調べてみましょう。
見方や考え方が少し変わるかも知れません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自分の知識不足でした・・・(>_<)

お礼日時:2008/12/13 22:35

徴兵した兵が少なくなったから若者を徴兵した。

というのは違います。
航空兵の場合、訓練に時間がかかるために、中学卒業後すぐに志願できるような制度がありました。有名なのは海軍の予科練(予科飛行練習生)です。
それに対して、ちゃんとした兵学校や士官学校を出て、飛行機に乗る人が将校になってます。
パイロットが不足しはじめた昭和17年頃に中学卒業を待たずに志願できるようになったので大量の若者(子供ですよね)が飛行学校に入ってます。いろいろな種類がありましたが、正規の訓練を完了せずに、パイロット不足のためにこういった人たちが特攻に乗るようになったのです。
必死の作戦ですから、若者じゃなくてもいいじゃないと思いますが、いかんせん、飛行機を飛ばす訓練を受けないとできないことなので、こう言った志願兵が主に死んでいったこととなります。
また、大学生で徴兵猶予受けてた者が、学徒動員で即席の将校にされて(予備士官)飛行機を志願人たちもいますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
戦争の終盤で、もう打つ手がない状況だったんですね

お礼日時:2008/12/13 20:59

特攻隊員は最初から若い人でした。


学徒で入隊した人以外はみな志願です。
徴兵ではありません、航空兵は志願ですよ。

また戦力がなくなったので年配者が徴兵されたのです。
話が逆になっています。

平均年齢は男性が昭和20年の平均寿命20歳ですから、20歳前後でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
やはり志願兵ですか。当時は愛国心、天皇への忠誠心が現在の比ではなかったということでしょうかね。

お礼日時:2008/12/13 20:56

>隊員は若者のみだというのは本当ですか?



 本当ですよ。私自信鹿児島の特攻記念館に行ってきました。
みな若い人の遺書ばかりです。涙、涙でした。

>若者以外の人が、それまでに徴兵されて戦力がなくなったので若者を徴兵した

 ちょっと質問の意味がわかりませんが、特攻はなぜ行われた?については長くなりますので、簡単に申しますと、
 ミッドウェーで負けたあたりから、優秀なパイロットがいなくなった。みな死んだので。
 それと、ゼロ戦よりも高く飛べる飛行機(B29は高高度を飛べて
ロラン航法なども備え、近代飛行機の持ってる性能をほぼ備えてたらしい)やレーダーが備えられ、普通に戦っても勝てないので、やや語弊があるが、苦し紛れに適当に集めた。

 それまで、およそパイロットに不向きな人も集めて訓練したようなとこあります。
 こういうこと言うと批判はされそうですが、戦争末期の兵器と言ったら回天などと言い馬鹿なことしたなーって思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自分も今度、特攻記念館に行くので確認したいと思います
わかりやすい説明ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/13 20:53

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