こんにちは、
聖書を読んでいると、イエスの教えの中に「右の頬を打たれたら、左の頬を」という教えがありますが、
一見それとまったく正反対と思われる自分からの暴力をイエスが振るうシーンとして、お宮で、犠牲用の動物を売っている人達を鞭で叩き出すシーンがあります。
一体何故イエスはここまで怒ったのでしょうか?
「盗人の家にしている。」と言って怒っている事から、盗品を売っていたために怒ったのでしょうか?
だとすると、「私の兄弟がお金を返してくれません。」と言ってイエスに助けを求めた人に、「俗世の事には私は関わりを持ちません。」みたいな事を言って断った事と矛盾するし、、、。
サッパリ分かりません。
教えてください、よろしくお願い致します。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
私の記憶だけじゃ心元ないので、聖書とそれよりも分厚に辞書の両方を引っ張り出して回答を試みます。
<モーセが決めたものだったと、思います。>
最初に初子は殺すってのが出てくるのは、出エジプト記ですね。
・ファラオは、ヘブライ人の助産婦に最初に生まれた子供が男の子なら殺せと命令した。
ヘブライ人の女性が殺さないでいたら神は民の数を増やした。
・モーセの時、ファラオは男の子が生まれたら残らずナイル川につけろと言った。
あれ? レビの家の出の男が同じレビの人の女性と結婚したって出てきた。
レビ人ってまだこの時代にはいなかったような・・・・。
これもやはり混乱でしょうか?
それでモーセが誕生したことになっている。
ここが ややこしいんです。
古代エジプトには特殊な風習が古代にあって、ナイル川は生命のスープみたいに考えており、古代エエジプトは王位は世襲制じゃなかったそうなんです。
でも王になる人が出る家だと、お徳だったようなので、その候補にしたいと考える名門の家の人は、男の子が生まれると、一旦ナイル川につけていたようなんです。
人間じゃなくて、川(女神)から誕生したってことにした。
要するに桃太郎と同じ。(川から生まれた桃太郎)
何故男の子だけなのか?
エジプトでは女性が財産を継承しており、王位も女性の権力者が男を選んで王位を授けていたから。
神の子供だってするため、ナイル川に浸し、そこから生まれた子供ってことにした。
モーセの出生の元ネタは、モーセの出生エピソードはアッカド神話のサルゴン。
紀元前2250年頃書かれた物語をモーセって主人公の名前を書き直しただけ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB% …
モーセも実在の人物ではなかった可能性もありますね。
まっ ともかくエジプトの古代の人々が、メソポタミア方面に移り住み、内容がちょっと変ってしまい、バビロンでは人間を神に捧げるため殺していたってなって、バビロン捕囚から開放されて、そういう概念を持つバビロニアは人間的じゃないとして、イサクの物語で、生贄を否定するエピソードを作ったのではないか と。
実際 バビロニアが人間を生贄にしていたのか、神に捧げる(聖職者にする)ってのだったのか、まだ不明です。
捕囚前に書かれたものだったかもしれないですが、異民族の奇妙な風習をそのままやっていると思っていたのかもしれない。
なんたって、勝った方が負けた方を「こんなことをやっていた」って勝手に言えちゃうので。
日本だってヤマタノオロチ伝説とかあって、大蛇の生贄として人間を捧げる風習をしていた民族を、ヤマトタケルでしたっけ?が成敗したってことになっていますから。
神がエジプトのすべての初子を殺した理由は、エジプトの王が神の計画を阻止したからでしたよね。
ヘブライ人の初子殺しは、どういう理由で神はやれと命じたのか?
神に逆らった罰というわけじゃあない。
私は「初子は私のものである」って意味は、宗教儀式に参加する人って意味じゃないかなって思うんです。
だって宗教儀式はレビ人しかできませんが、幕屋やアークなど宗教グッズを持って移動するには、もっとたくさんの人が必要ですよね。
聖なるものに触れるわけだから、誰でもいいってわけじゃないので、神から祝福としてさずかった最初の子供を、そこに当てると規定したんじゃないか と。
通常は放牧とかやっているが、移動の時は、それに携わっていたんじゃないか と。
ぷち天井人?
イサクの物語の元ネタは、ポイオティア神話の中のプリクソスのようなんです。
内容が同じだから。
ということは、イサクも実在の人物じゃなかった可能性が。。。
<私が提示したレビ記本文を読んでいただければご理解していただけると思いますが、食べてますよ、、、まじで。>
読みました。
これは難しい。
が、贖罪のために神に捧げる動物は、傷一つない聖なる動物でなければならないわけで、聖なる動物を食べることで、穢れた身が清められるとしたんじゃないかと。
キリスト教の聖餐式も、イエスを聖なる動物ととらえ、100%清い動物を神に捧げ、その肉と血を食すことで、穢れた肉体が清められるとしているわけですね。
要するにリセットの役割を動物は担わされていたのかぁ。
<またイエスもマタイ26:26で、「このパンは私の肉体である。食べよ。」みたいな事最後の犠牲になる前に言っていますよね。あれも要するに、、、犠牲は食べると言う常識があったからこそ思いついた言葉だと思います。 普通は自分の肉体食べろとは言わないかと思います。>
うーん 種無しパン、、どういう意味なのでしょうね。
種無し男って神の祝福を得られないことになるし・・・。
発酵させる時間が無かったので発酵されないパンを食べたとかあったと思いますが、、、ダビデは聖なるパンを食べたことで、清くなり勝ったってことになっている。
うーーん、、、、
わからない。
でもベツレヘムってヘブライ語で<パンの家>って意味。
このパンの家は地上になく空にある。
乙女座(処女宮)のこと=マリア。
だからイエスはベツレヘムで処女マリアから生まれたって話になっているわけですね。
イエスに限らず、イエスよりずっと前に書かれた物語も同じ。
どの人のイエスストーリーと同じ人生を歩んでいるので、恐らく元ネタがあり、それを時代時代で複製していったと思える。
で、元ネタを書いた人は乙女座崇拝だったんじゃないかと。
星が人格化されて物語化されたわけですね。
何千年と歳月が流れ、伝説の内容がちょっとずつズレていって、処女(種無し)のパンってなって、種無しのパンは聖なるものってなって、それを食べる人は清いってなったんじゃないかと。
(女神の地上の体現者と結婚できる人=大祭司=メシア)
そのおこぼれをひろって食った犬=ダビデ。
大衆者って聖職者の中でもっとも地位の高い12人のことだったそうです。
その食事の光景を見れる人は恵まれており、大衆者が食事をしているとき側にいれる人は少数で、テーブルからパンくずが落ちると、競ってひろって食べていたそうです。
清いものを競って食うことで、自分も清くなるって捉えたらしい。
やはり同じ概念ですね。
<レビ記10章では、アロンが食べずに焼き尽くした為にモーセに怒られています。>
理由は、神は規定違反をしたアロンの子を殺したわけなので、神をなだめるために、食べずに焼き尽くさなければならなかったから。
<占星術はモーセによって禁じられていたような? また魚のシンボルは、『ギリシャ語で「魚」という意味だが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AF% …
とカトリックの神父さんが言っていました。>
何故魔女は生かしておいてはならないとなったのか。
呪術を信じていたから。
何故神の名前をみだりにとなえてはならないとされたのか。
神の名前を敵に知られると、呪術の時神の名前を使用して殺すことができると信じられていたから。
だから、我が主という意味のエルという言葉を使っていた。
神父さんの説明ですが、何百年も後にブームになったわけで、その当事のことを知っている人は、もちろ誰一人生きていなかったので、「ところで何このマーク?」「しーらない」とも言えず、苦肉の策で作ったんじゃないか と。
古代のキリスト教の魚のシンボルマークにはもうひとつ意味がある。
ローマ帝国では、女陰ー女神の魚のシンボルマークが大変敬われていた。
女神の女陰 つなわち天国の門の記号。
ヨナは大魚に飲まれて3日後に出てきたってありますが、女神の腹に入ったって意味だと思います。
あの形って女性のあそこの形でしょ?
フジテレビのマークと同じ。
要するにエッチ=天国にいる気分ってわけですね。
まあ 神の祝福は産めよ増えよ地の果てまでもなので、エッチをさかんにしろってことで、エッチして天国を味わえってことじゃないかと。
<う~ん、ユダ族ダビデの子孫だと思っていましたが、、確かに伯母エリザベスは大祭司の妻。 もう、何がなんだか、、。>
すなわち、マリアもアロン家の系統だって作者は設定したかったのだと思えます。
じゃないとイエスは聖職の仕事、できませんから。
神を冒涜した理由:「聖職者の血筋でもないのに、聖職者の仕事をした」って訴えればいいわけですが、そんなこと書かれていませんよね。
イエスの系図はヨセフの系図を長々と書いている。
ヨセフとイエスは血のつながりは無いとしているのに、どうして血のつながりの無いヨセフの系図を長々と書く必要があるのか。
政治的権力者の家の血筋だって言いたかったんじゃないかと。
ダビデの妻バテシバ。
水浴びをしているのを見初めたわけですが、女神の地上の体現者としてバテシバは登場し、その女性と結婚したことでダビデは人々を支配する権力を得ている。
エジプトの宗教と同じ概念。
<神殿の前には賽銭箱があり、やもめが「ちびっと小銭を入れた」ところ、イエスが「貧しいのに偉い! 金持ちが有り余った金の中から放り込む大金よりずっと価値がある。」といった話です。
つまり、現金のまま寄付できたんです、動物に変換しなくても。>
これは共同体の維持の寄付金じゃないかと。
民族の浄化とか自分の代わりにやってくれてたので、そのやる人の生活費をサポートしていた。
その人達が生活できなくなると、民族の浄化とかしてもらえなくなり困るでしょ?
レビ人しかしたらダメって神が言った以上、レビ人みんなやめたから自分はレビ人じゃないけどやるか ってわけにはいかない。
<だから、もしも、イエスが神殿に入るお金をひっくり返したかったらこっちを狙う筈です。 両替箱は私の考えでは、動物を持ってきた農民の物じゃないかと思うんです。>
そのお金はどこに納まっていたのかがポイントですよね。
情勢からいって、多くはローマ帝国への奉納金になっていたんじゃないか と。
あくまで私の推測でしかないのですが、この作者は神殿を追われた祭祀 もしかしたら えっと、、、ヘロデに神殿を追われた大祭司の名前わすれちゃいました、、、、、
ヘロデは祭司たちやサンへドリンの議員たちに政治的結婚により自分の血をまぜていき、徐々に権力を高め、自分のいいなりになるようにしていったんです。
その指示に従わなかった祭祀は殺されていた。
殺されず神殿から逃げ出した大祭司が、クムラン宗団を作ったのではないか と言われています。
ソロモン王の時代あたりから、正統ではない大祭司が就任したりしていて、乱れていたわけです。
その正統ではない大祭司が、エルサレム神殿のトップになっていた。
そのクムランの大祭司からすれば、さらにその者にヘロデ寄りで、宗教儀式をやるからと人々から金を取って贖罪をしているとしていた時代なわけです。
そんな不純な人々が、宗教的支配者階級に陣取っている。
儀式をしていとして、金をとっている。
作者は神への冒涜だと考えて、その考えをエピソードに入れたんじゃないか と。
古代の人は、そういう祭祀がエルサレム神殿で聖職者の地位にいるということを知っていた。
ヘロデ大王はローマを救ったことで王位をもらいましたよね。
イスラエル人でもないヘロデが大王なことに、市民は反発していたが、そこは神殿を増築するなどして、感情をなだめることで、転覆をまぬがれていたわけです。
大王の死後、抑えられていた人々は反発を覚えた。
サンへドリンの政治家もヘロデ家の人間なので、結局乗っ取られたような形になっており、人々から宗教儀式として取った金をローマへの献金にしていたことも市民は知っており、祭祀たちは怒る市民をなだめようと奔走したわけです。
聖書に書いてありますが、それでもどうにも市民を押さえつけられないほどになり、ローマ帝国に鎮圧してもらうことになったわけです。
しかし、逆にユデア市民の方が勝ってしまい、ここで意見参考人としてヘロデ系のパウロ登場。
パウロの意向をローマ皇帝が聞き、パウロがゴーサインを出したことから、ユデアの運命が決定した。
ローマ帝国各地に散らばっていたローマ兵がユデアに集結し、「エルサレム神殿があるかぎり、ユデア人は自分たちに逆らう」として、ユダヤ教のシンボルのエルサレム神殿を破壊してしまったわけです。
パウロ~ そこまでやるか。。。恨みすぎ。
このユダヤ戦争になる前のことが、神殿でのちゃぶ台ひっくりかえしストーリー。
市民が神殿に巣くう不純な血の祭祀(正統ではない)がユダヤ教を支配しており、力も無いのに儀式と称して金を取っていることに、作者は反発を覚えたのではないか と。
<創世記でヤコブが「はしばみ」を食べさせて(もしくは水飲み場に入れて)生まれてくる家畜の模様を「ぶち」にしたりしなかったり、しています。>
洗礼ってことですね。
ヘロデの血が混ざった祭祀たちにはしばみ食わせればよかったのか???
<イスラエル人にとって食事は単なる栄養摂取ではなくて、肉体の遺伝子まで変えるものだったと考えている節がある事から、清いものを食べれば「清い人間になる。」と考え、一旦神に捧げた清い動物をいさらに清くした物を食べていたのかな? というのが私の考えです。>
そうだと思います。
<世界の三大宗教の一つが昔は動物の生贄などと、黒魔術みたいな事をやっていたのか?」という疑問から始まったので、レビ記はよく読みました。 >
動物を焼きつくすってのも魔術的なものですよね。
身代わに生贄に捧げるってのも呪術。
つまり自分たちは呪術をやっていたが、その力はすごいと信じており、敵対する民族が呪術をやれば、神は殺されると信じており、自分たち以外は呪術をしてはならないと、独占職を儲けることで、市民が呪術をしないようにしたんじゃないか と。
やるのはあくまで権限を持った祭祀のみでしょ?
<マジ食ってます。 ただの肉食です。 動物虐待してません。 と言う風に読めて自分は納得しました。>
ハンニバルって映画あるじゃないですか。
妹の肉を食べたことで、妹と同化したと思ったハンニバル。
そういう思考になることで、自分が妹を食べたことへの罪悪感を消したと思えるんですね。
ハンニバル→カンニバル→カンニバリズム=人肉嗜食。
神を喰するという文化の変形として、餅(種なしパン)を食うってのが日本にある。
世界の中の一部の地域では、食べることで自分の中で生き続けると考えている。
死者を扱う人は女性限定で、死者を洗った水を浴びることで、女性は死者の魂を身ごもり、再生させると信じられていたこともあった。
ということで、キリスト教の聖餐式は、全く清いものを食うことで、自分の中に清さを取り込み、イエスは自分の中で生き続けると考える呪術なわけです。
結構このカンバリズムは古代よりあったわけですが、私はさすがに人間は生きるか死ぬかと状況でない限り、呪術としても食えなかったと思っていたんですね。
でも、実際、遺跡から人を食っていた形跡が見つかっている。
同化願望なわけですが、、、、
宗教って怖い。
この回答への補足
いつも、ご丁寧なご返信ありがとうございます。
<・モーセの時、ファラオは男の子が生まれたら残らずナイル川につけろと言った。
>
本当にあの時代の王様は横暴ですよね。
<あれ? レビの家の出の男が同じレビの人の女性と結婚したって出てきた。
レビ人ってまだこの時代にはいなかったような・・・・。>
ご存知だと思いますが、レビ人制度は無かったでしょうが、(モーセが決めたんだし)、ヤコブの息子のレビの子孫をそう呼んでいただけだと思います。
<聖なるものに触れるわけだから、誰でもいいってわけじゃないので、神から祝福としてさずかった最初の子供を、そこに当てると規定したんじゃないか >
そうなんだと思います。 一般人が手を貸そうとして、神様に殺されたシーンもありますね。(単に契約の箱に押しつぶされた?)
<イサクの物語の元ネタは、ポイオティア神話の中のプリクソスのようなんです。>
神話ってそっくりなものが多くて、どっちが元ネタなのか私にはサッパリ分かりません。 ヒンズー教のヴェーダ経典にも、聖書に似た神話が沢山出てきます。 インド人曰く「ヒンズー教が間違って伝わったのが、ユダヤ・キリスト教だ!」、、、。 私にはどっちが元だか、、、。
<イサクも実在の人物じゃなかった可能性が。。。>
十分ありえますね。
<要するにリセットの役割を動物は担わされていたのかぁ。>
そんな感じに読めますね。
<うーん 種無しパン、、どういう意味なのでしょうね。>
要するに、イースト菌なしのカチコチパンですよね。 「長持ちするって事→腐りにくい→清い?」かも?
<イエスに限らず、イエスよりずっと前に書かれた物語も同じ。>
はいはい、聖書の中でこそ『唯一乙女から生まれた人』ですが、他の神話では、マハバーラタあたりではバンバン産まれていますね、聖霊というか、神様とのハーフ。
<で、元ネタを書いた人は乙女座崇拝だったんじゃないかと。>
そうかも知れませんね。 私は分かりませんが。
<神をなだめるために、食べずに焼き尽くさなければならなかったから。>
その考え方も有りますね。 はっきりと理由は書かれていないので推測することしか出来ませんが。 案外「息子を亡くして落ち込んで、ボーとしていた。」かも?
<何故魔女は生かしておいてはならないとなったのか。>
そういえば、これも私の中でかなり大きな疑問の一つなんですが、その当時の魔女が何をしていたのか、一体どうやって調べれば良いのやら、分からず現在に至っています。
<神の名前を敵に知られると、呪術の時神の名前を使用して殺すことができると信じられていたから。>
そうだったんですか。 でも、それじゃ呪術を信じている事になり、かなり矛盾した事を当時の人は考えていたんですね。
私は呪われても平気。 呪いの力信じてないから。
<すなわち、マリアもアロン家の系統だって作者は設定したかったのだと思えます。>
なるほど、、、ややっこしいな~。
<水浴びをしているのを見初めたわけですが、女神の地上の体現者としてバテシバは登場し、その女性と結婚したことでダビデは人々を支配する権力を得ている。>
権力どうこうよりも、ダビデ『スケベ過ぎ!』 イエスはバテシバじゃなくて、別の奥さんの子孫でしたね。 たしか、ダビデがどっかの町を攻める時に偵察に使った売春宿の女将の子孫ですね。
<これは共同体の維持の寄付金じゃないかと。>
ローマに取られるとしたら、両方とも税をとられていた可能性もありますね。
イエスはローマに税金を払っているので、(お魚さんからお金を出すという方法を使って。)もしも、ちゅぶだい事件がローマが絡んでいるとなると、『自分はどうなんだ!?』と?
<情勢からいって、多くはローマ帝国への奉納金になっていたんじゃないか と。>
その可能性はありますね。 でも、イエスはそんな中間管理職をいじめるような人だったのでしょうか? なんだか、政治問題には全然関心が無かったかのようにも感じられます。
お礼欄に続きます。
補足欄からの続きです。
<ソロモン王の時代あたりから、正統ではない大祭司が就任したりしていて、乱れていたわけです。>
考えてみれば、モーセの掟も神殿の蔵の奥に埋まっていたのをヨアシ王が発見したわけで、、、、ま~我々から考えてみても、『守っていくのが嫌になる掟』だったんでしょうね。
<作者は神への冒涜だと考えて、その考えをエピソードに入れたんじゃないか と。>
そういえば、サウル王は自分で犠牲を捧げて、サムエルから怒られて、王位を結果的に失っていますね。 そう考えると、イエスは確かに偽祭司による犠牲を止めさしたかった可能性がありますね。 (ただの焼肉なのに。)
<パウロ~ そこまでやるか。。。恨みすぎ。>
やっぱり、だれでもそう思いますよね。
<洗礼ってことですね。
ヘロデの血が混ざった祭祀たちにはしばみ食わせればよかったのか???>
深い意味があるかどうかは分かりませんが、単にヤコブがレアとラケルの父親との取り決めで、産まれてくる家畜の模様によってどっちの物にするか決めていた時に、『ぶちはヤコブ、ぶち以外は舅(レア、ラケルの父)と決める→「はしばみ」を使って家畜の模様を操る→ぶちばかり産まれて、新しく生まれた家畜は全部ヤコブの物。』というセコイ事を行っていたのです。
<結構このカンバリズムは古代よりあったわけですが、>
まあ、一見どこにでもある教えに感じられるキリスト教がここまで世界に広がった理由はなんなのか? そこら辺も現在研究中です。
そして、要するに、ちゃぶ台事件は、サウルと同じ間違いという、ことですか、、。 はぁ~理解するまでがしんどかった!!!
聖書作者は焼肉を犠牲と言ったり(聞いた感じどう考えても、黒魔術)、分かりにくい表現が多すぎますね!
本当に親切にありがとうございました。 またよろしくお願いします。
No.8
- 回答日時:
No.4&5です。
zatousanさん 生け贄にかんして もし必要なら ぎゃくに おしえていただこうと思っての投稿です。★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
モーセの律法によれば、犠牲の動物は「全ったき物」でなければならなかったとあります。
・・・〔《全き物》であるかどうか分からなくなって来た時代〕・・・
そんな時に、「鑑定済みの動物」を神殿で売っていたら助かるんじゃないかな? なんて思うわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この問題にかんして 次の記事をヱブ上で見つけました。
▲ 井手口満修道士のこれって、どんな種? / 目に見えないものを見る(信じる)種
http://www.sanpaolo.or.jp/column/tane/cn40/pg478 …
☆ 論点は ふたつ あります。まづ どのように《全き物》を得ようとしたかに関してです。その《便利さ》が やはり やり玉に挙がっています。
▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
イエス様は、ユダヤ人たちが自分たちの便利さのために本来しなければならない手間、苦労を省き、安易な方へと傾いていることに対して、また、祈りの場である神殿で、便利と言う不正を行っている商人たちに対して怒りを覚えられたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ わたしは 判定がつきかねます。お知らせのみです。
もう一点は イエスの 信仰上の大問題にかかわっています。
▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それは、イエス様がユダヤ人たちに言われた「この神殿を壊してみよ。わたしは三日で建て直す」 この言葉の中にヒントがあるようです。
ユダヤ人たちは、この言葉を聞いたままにしか理解していませんでした。
みことばは「イエスは、ご自分の体という神殿について話しておられた。」とあります。イエス様は、おん父に対して自ら神殿となるとともに、一度だけの十字架という生け贄としてご自分をお捧げになったのでした。イエス様という神殿の中では、人びとが捧げる生け贄は、必要ではなかったのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ こう考えると わざわざ《神殿》をえらんだわけが 分かるように思いますが いかがでしょうか? 《全きもの》という要請にも こたえようとしたのでしょうか。《最後の〈全きもの〉》でしょうか。あるいは そこまで行くと ドグマに入るかも知れません。
この回答への補足
ご丁寧なご返信ありがとうございます。
全ったき物に関しては、レビ22:18~25に大体語られています(これ以外にも、色々と制約が、、、。)
~~~~~~~~~引用~~~~~
18)「アロンとその子たち、およびイスラエルのすべての人々に言いなさい、『イスラエルの家の者、またはイスラエルにおる他国人のうちのだれでも、誓願の供え物、または自発の供え物を燔祭として主にささげようとするならば、
19)あなたがたの受け入れられるように牛、羊、あるいはやぎの雄の全きものをささげなければならない。
20)すべてきずのあるものはささげてはならない。それはあなたがたのために、受け入れられないからである。
21)もし人が特別の誓願をなすため、または自発の供え物のために、牛または羊を酬恩祭の犠牲として、主にささげようとするならば、その受け入れられるために、それは全きものでなければならない。それには、どんなきずもあってはならない。
22)すなわち獣のうちで、盲目のもの、折れた所のあるもの、切り取った所のあるもの、うみの出る者、かいせんの者、かさぶたのある者など、あなたがたは、このようなものを主にささげてはならない。また祭壇の上に、これらを火祭として、主にささげてはならない。
23)牛あるいは羊で、足の長すぎる者、または短すぎる者は、あなたがたが自発の供え物とすることはできるが、誓願の供え物としては受け入れられないであろう。
24)あなたがたは、こうがんの破れたもの、つぶれたもの、裂けたもの、または切り取られたものを、主にささげてはならない。またあなたがたの国のうちで、このようなことを、行ってはならない。
25)また、あなたがたは異邦人の手からこれらのものを受けて、あなたがたの神の食物としてささげてはならない。これらのものには欠点があり、きずがあって、あなたがたのために受け入れられないからである』」。
~~~~~引用はhttp://bible.monochro.com/index/3025/#ln3732より~~~
このような作業をとりあえず現代人がチェックするのは半分命がけかも!?
まず動物に近づく事が困難です。なんとか近づけたとしましょう、その後『どんな傷』も無いか全身をチェックしなければなりません。 動物の落ち着かせながらやらないといけないので、、、ちょっと怖そう。 睾丸のチェックも、そもそも素人にはそんな所を覗いている最中に蹴り殺されそうです。 盲目かどうかはそもそも素人にはチェック仕方自体分かりません。 その上自分の町から神殿に運んでいく最中に牛が暴れて突き殺されてしまったら、もともこうもありません。そしてえんやっとと、苦労して運んできたら祭司に「これは全ったき物ではない!」と言われ追い返されるだけでも、大変なのに、罪に問われたら、、、。「私が望むのは憐れみであって、犠牲ではない。」という、聖書の助言に従って、道中の危険、または身体チェック中に蹴り殺される危険を避けるために、神殿内で売っていたのかと、、、思っていました。
イエスは手間暇がかかるモーセの律法をいくつか廃止しました。 贖罪の食事も、綿密に検査された動物を、屠り、祭壇に血を降りかけ、聖なる火で焼き、聖なる場所で食べる。から、パンとぶどう酒を祈りを捧げて食べるだけで良くしました。
また、手洗いの儀式も廃止しました。 (何か物に触る度に、手洗いするのは面倒ですね。)
その他にも、手間隙がかかる「(色々な意味で)犠牲ばっかり。」の
作業を廃止しました。
そのイエスが手間を惜しんだ事を理由に怒ったかどうか?
この事にについては、じっくりと考えて見たいので、よくよく考えた後でお礼欄に返信します。
それでも、案外とこれが正解かもしれないと思いつつ、、、熟考してみます。
いつも親切にありがとうございます。 またよろしくお願い致します。
No.7
- 回答日時:
No.2です。
>私はてっきり、過ぎ越しの後からモーセが決めたもんだとばっかり思っていました。
過ぎ越しの祭りは、日本の蘇民将来の話と同じで、印の無い家のものは、神によって殺されたって内容だったはずです。
>教会が権力を持つにつれて、メディチ家の人間が教皇になったりして。
そうですね。
ユダヤ教は世襲制なので、レビ人以外は聖職者になれず、今でもアフリカの辺境のシナゴークでは、神の命令を忠実に守っているらしいです。(DNAで確認済み)
キリスト教は、律法のほとんどを否定した。
「神の命令などくそっくらえだ。 俺様が神だ」とする人が教皇になる。(まあ枢機卿が推薦するわけですが、袖の下?)
早い話、札束で教皇の地位は買えるってわけですね。
>まあ、捧げ物といっても、全部祭司のものになるんじゃなくて、部位によって祭司の取り分、信者の食べる分が決まっていたようですが。
え? それは初耳です。
神に捧げるため黒焦げにするべき動物を、実際はちょうどよいヤキ加減に料理して、祭祀と信者で会食していたってことですか?
そ、そ、それは、神を冒涜する行為ですが、、、、
>教会の堕落に腹を立てましたね。
ルターは、神が罪を裁量を決めるのに、人間が金で罪を消せるってしたことが、「お前はいつから神だ。神だけができることをやれるとどうして言えるのだ」ってことで、教会の詐欺行為に対して腹を立てたんだったと思います。
営利目的で神を使って金儲けに走ったわけですから。
今でもそういう霊感商法をするカルト宗教はたくさんありますが、中世も霊感商法を盛んにやって、金儲けをしている宗教があったってことですね。
まるで神の名を語ったような大犯罪ですから、本当に神がいたら、詐欺をやった人々全員を皆殺しにしていたでしょうね。
神などいないと知っていたらから、やれたわけですね。
>場所によっては幕が張ってあって、大祭司しか入れない所とかあったそうですからね、一般信者が入れる場所だったんでしょうね。
そうです。確か至聖所とされる場所で、ここは大祭司が一年に一回大贖罪をするときしか入れなかったんだと思います。
他の祭祀は入れない神殿で一番清い場所。
その中に神はいるとされていた。
そういえば、日本の神社も幕張ってありますね。
子供だったので無邪気に中を覗いたことありますが、、、神見えませんでした。
>それにしても、税金問題に関しては、かの有名な「カイザルの物はカイザルに返せ。」と言っていますよね
ええ、ローマ通貨だから、それはローマに返せってことでいい。
ローマ貨幣を神殿貨幣に変えて、さも神へ捧げ者をしているかのようにして、実際は交換前の金 つまりローマ貨幣をせしめていたわけでしょ?
<ローマに高額の税金を払うために、宗教を利用するな>
ってことじゃないかと。
市民に<ローマはユデアを守ってくれています。安全保障代として、ローマへの税金をください> って本当のことを言わないところがズルい。
でも、正直に言ったところで信者は払ってくれないだろうと思って、さも神に捧げるとして集金していたので、イエス作家は腹をたてたと思える。
>ベルは、ユダヤ教や、キリスト教と関係あるのかどうか、、、、分かりません。
あー これはプロテスタントが使う聖書には載ってないでしょうね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B% …
『バビロンの人々はベル(ベール・マルドゥグ、メロダグとも)という偶像を崇めていた。王もまた、それを礼拝していた。しかしダニエルはそれを敬おうとしない。そこで王は、ベルが大量の食料[3]を消費しているのを認めないのかと咎める。しかしダニエルはベルが偶像であると断言し食料を消費しているのは祭司らであることを突き止める。祭司は処刑されベルの神殿は壊されることとなった。』
ベル=バアル=エル=ヤハウエイのこと。
ちなみに聖書の元ネタは、このバビロンの宗教。(シュメール・アッカド神話が聖書の元ネタ)
だから本当は、バアルもヤハウエイも同一なんです。
エルってバビロニアでも我が主って意味でもエルって使っていた。
それに習ってユダヤ人も神をエルって言うようになった。
>そもそも、神様が生贄を食べに来るなんて、、、、『香ばしい香り』を捧げるだけかと思っていました。
いえ 食べはしません。
だって油まで黒焦げにして、人間の手元には何も残さないようにするのだから。
一番自分が大事なもの、最初に生まれた子供、その一番自分が大事にしているものを、黒焦げに焼き殺すことで、神への信仰をあかすってことじゃないかと。
ほら、カインとアベルも最初に取れた喜びを神の捧げたでしょ?
そしたら神は作物じゃなくて動物の方をとったでしょ?
「わーーらにまみれてよーーー 育ててくーりーげーーーー」に心情が表れていますでしょ?
手放すのは自分の身が引き裂かるような思いで、自分は死ぬわけにはいかないから、自分の身代わりの初子を焼き殺し神に捧げるってわけです。
一番大事なものを捧げた=神が一番大事だと証明するために行った儀式。
こえぇぇぇ
だから、私はきっとレビ人の手伝いをするため、神殿に捧げられただけじゃないか、と思いたいです。
>マタイのタイプミスですね!
あ? タイプミスじゃなくて、そう記憶していた。
12使徒、そらんじれません。笑
>漁師なのかと思っていました。「今日から、人間を釣る漁師にしてあげよう。」が、出会いの挨拶だったような、、、。
あの当事(今でもそうでしょうけど)ユダヤ教の聖職者はレビ人しかなれないんです。
これは人間が決めたことじゃなくて、神の命令となっています。
ペトロ、、、12星座のどいつのことでしょうね。
イエスの時代の頃あたりから、地球の地軸は魚座を示すようになったんですね。
だからキリスト教のシンボルは元は魚だったわけです。
「まだ私の時代はやってきていない」とか結婚式の時かなにかで言ったのは、まだ前の時代(牡羊座の時代)が残っていて、新時代になっていないって意味じゃないかと。
モーセが牛の偶像を破壊したってのは、その頃が牡牛座から牡羊座に変るときだったから。
前の時代のシンボルを破壊し、新しい時代の象徴を含めた物語を作った。
で、牡羊座を殺して魚座の時代が新しい時代になるってことを言うために、神の子羊が殺されるってストーリーになったわけです。
殺されるのは前の時代のシンボル。
殺さないと新しい時代が到来しなくなる。
適当に動物を登場させているのではなく、ちゃーんと天界の通り、法則に沿って現実(プラトン年)をベースに物語を作っているんです。
その法則を知っていると、、次は水瓶を持った男が魚を殺すってストーリーができるってわかります。
そうならないと、つながらないので、今までのルールに沿って次の物語りは創作されるはずです。 絶対に。
ね うし とら う ってやって次をネコってやったら、ばかもーーん ってなるじゃないですか。
>そういえば、イエスもレビ人ではありませんね、。 パウロは『レビ人なんて人間が決めたもんだから関係ない』、レビ人じゃないイエスが民を教え導く事に全く問題が無いと言っていますね。
いえいえ、イエスの母マリアの従姉妹はエリザベス。
エリザベスはアロン家。
アロン家は大祭司の家系。
ということはーーーーーーーー、ね?
レビ人は一般人とも結婚できたんです。
が大祭司の家系は、純血を守るため大祭司の家系としか結婚しなかった。
世襲制なので、一般人は聖職者には通常なれません。
が、レビ人の嫁をもらえば、祭祀になれる。
というルールがあったんです。
あやふやで 良く調べていないのでなんなんですが、もしかしたらレビ人じゃなくて、大祭司の家系の女性と かもしれません。
確か、、、洗礼者ヨハネのパパは嫁が大祭司の家系だったので、結婚したことで、一般人なのに聖職者になったって物語で書かれており、だから誰もレビ人ではないヨハネのパパに対して、聖職者として描かれているのはおかしい って言わなかったわけです。
ましてや洗礼者ヨハネが聖職者の仕事をしていることに対して、おかしいって誰も言わなかったのは、ヨハネのママは大祭司アロン家の女だったからなのです。
私、つっこみ好きなので、おかしいと思って調べた結果判明して納得しました。
よくできとるわ この物語。
パウロはですね。。。 2年間の空白の後に突如ナザレ派側についたわけです。
恐らくナザレ派に触れて2年間修行したんじゃないかと。
でも、律法のほとんどを否定したパウロは、エルサレム教会から破門されちゃったんです。
「それでも俺は神の使徒だ」ってコリントで叫んでいます。
よーく読んでみてください。
さんざんパウロ吼えとりますから。
パウロはレビ人じゃないので、聖職者にはなれません。
なにより神を冒涜しまくったので、信者ですら無い。
だから自分で新しい宗教を作ってローマ帝国で宣伝しまくったわけです。
この恨み晴らさずにおくものか 乗っ取ってやるって。
そういう恨みが無ければ ここまでやらないでしょう。
結局 パウロの勝ちで、パウロが作った宗教が今のキリスト教。笑
東側の教会をぶっつぶしました。
その前に自分を破門したヤコブを殺そうと図り、神殿から投げ落としたのですが、ヤコブは両足骨折はしたものの、命はとりとめた。
すると今度は大祭司を抱きこんでヤコブは神を冒涜したとして、処刑させちゃいました。
市民から熱狂的な支持を得ていたヤコブを殺したわけですから、パウロは命を狙われたわけです。
それで、エルサレムから逃げ出した。
で、エルサレム以外に自分の作った宗教を広めて、自分を追放したエルサレム教会に復讐したってわけです。
ドロドロしてますねぇぇぇ。
怨念のものすごさ。
>そうなると、「やもめの献金」のたとえ話はどうなるのか???
やもめの献金?
全額を寄付したとかそういう物語でしたっけ?
あーー それはえっと、、、なんだっけ ちょっとまってくださいね。
うーーーーーー クムランだ。
クムラン宗団は、信者になるには全額寄付する必要がある。
在家信者は一部でいいんですが、入門して共同生活をして修行をするとなると、全財産を預ける義務があったんです。
2年間 そのお金は手がつけられず、2年たって認められたとき、初めてそのお金が共同体にために使われていた。
ただしキリスト教と違って、聖職者になるために入門した人から全財産没収はしなかった。
預かったものをクムラン共同体が全部信者から没収するなんてことはしなくて、一部は私有財産としてとっておいてもいいと許可されていた。
ここがキリスト教と大きく違うところ。
クムランとエッセネ派は考え方が非常に似ているんですね。 違いもありますが。
イエスはエッセネ派だったんじゃないか とも言われてますでしょ?
>私自身、イエスの人格がコロコロ変わるので、何人かの作家がいたんじゃないかぁ~と思います。
実際私は旧約の方でいくつかあれ?って思う箇所がありました。
が、エロイスト、ヤハウエストとかの派閥によって思想が違って、どっちが権力を得たかで、文章が違ってくるらしく、まぜこぜなので、矛盾に思える箇所があるって旧約の方はわかりました。
新約は、、、ベースはエジプトのオシリスだったと思います。
オシリスの物語と同じ内容がいくつも出てくる。
何十とオシリスのやったことが、イエスって名前で書かれている。
だから新約の方は、編纂ミスとわかっている箇所以外、矛盾は発見できないですね。
だって ベースはオシリスの物語だから、オシリスの物語と同じ内容を書けばいいだけのことだから。
後は旧約の物語を登場人物の名前を変えて書き直す。
これもやはりお手本は旧約を見ればいいだけのことなので、内容は間違わない。
イエス作家はイエスは旧約の忠実な思想をもっているといて描いているので、旧約と矛盾するようなことは発言させていない。
だから作家は 普通の人じゃなく、かなり聖書に詳しい人だが、一般人や そこいらの聖職者ではタッチできない領域まで知っていたと思えるので、ユダヤ教の上位の祭祀が元の作者じゃないかなって思うんですね。
>レビ記の7章によれば
ああ、教えてくれてありがとうございます。
聖書引っ張り出すのがなんなんで、ネットで検索してみました。(実は寒くてオコタから出たくなかったりします・・・・)
http://www.nunochu.com/bible/03_leviticus/lev06. …
横着してしまってすいませんが、この箇所でしょうか?
これ 食物規定じゃないでしょうか。
贖罪じゃなく、食べ物の規定ではないか と。
>そして、「祭司の取り分は胸と右腿」です。「
んーー また新しい調べ物の課題が、、、、
時間かかると思いますので今回は答えられませんが、いつかわかったとき、誰かの回答に適切な場合は、その調べた結果わかったことを書くかも。
>ただ生贄にも色々と種類があり、「もちろん焼き捨てるものもありました」。
>罪祭、火祭、揺祭、、、、色々種類があって覚え切れません、、。
生贄と贖罪って違うんでしょかね。
横着して贖罪は、一番自分の大事なものを神に捧げることで、罪を清めるってことだと思っていました。
生贄は、、、どういう理由なんでしょうね。
怒りを静めるため、、、だとしたら、罪の穢れを清めるとは違うと思います。
まっ ともかく、この箇所のイエスがちゃぶ台ひっくりかえし事件は、祭祀が神を金儲け というか税金を払うために神を使って取り立てていたってことが、神の家を汚している行為だとして、非常に怒ったとなっているのではないか と。
10分の一税。日本人も十分の一税払っていますが、、、
古代も今の税率も変らないんですね。
ただし、間接税が痛い。。。。
アメリカに払うために ここまで税金取るんでしょうね。
アメリカならこんなものにまでは税金かけない ってのにまで日本は税金かかっていますから。
この回答への補足
こんにちは、ご返信ありがとうございます。
また、疑問を並べさしももらいます。
>過ぎ越しの祭りは、~印の無い家のものは、神によって殺されたって内容だったはずです。
私の記憶では、その時「長子」だけが殺されて、、、、それに感謝するためだったか、どうだか忘れましたが、モーセが決めたものだったと、思います。 アブラハムの話はその後「お前が神を怖れるものである事が良くわかった。」から祝福するで終わりだったと思います。
>早い話、札束で教皇の地位は買えるってわけですね。
そういう時代もあったってことですね。
<神に捧げるため黒焦げにするべき動物を、実際はちょうどよいヤキ加減に料理して、祭祀と信者で会食していたってことですか?
そ、そ、それは、神を冒涜する行為ですが、、、、>
私が提示したレビ記本文を読んでいただければご理解していただけると思いますが、食べてますよ、、、まじで。
またイエスもマタイ26:26で、「このパンは私の肉体である。食べよ。」みたいな事最後の犠牲になる前に言っていますよね。あれも要するに、、、犠牲は食べると言う常識があったからこそ思いついた言葉だと思います。 普通は自分の肉体食べろとは言わないかと思います。
レビ記10章では、アロンが食べずに焼き尽くした為にモーセに怒られています。
<あの当事(今でもそうでしょうけど)ユダヤ教の聖職者はレビ人しかなれないんです。
これは人間が決めたことじゃなくて、神の命令となっています。>
その通りです。 しかし、パウロは「身も蓋の無いこと」実際に言っているんです、、、。大丈夫かパウロ!
<イエスの時代の頃あたりから、地球の地軸は魚座を示すようになったんですね。
だからキリスト教のシンボルは元は魚だったわけです。>
占星術はモーセによって禁じられていたような? また魚のシンボルは、『ギリシャ語で「魚」という意味だが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AF% …
とカトリックの神父さんが言っていました。
<イエスの母マリアの従姉妹はエリザベス。
エリザベスはアロン家。
アロン家は大祭司の家系。
~レビ人は一般人とも結婚できたんです。>
う~ん、ユダ族ダビデの子孫だと思っていましたが、、確かに伯母エリザベスは大祭司の妻。 もう、何がなんだか、、。
>さんざんパウロ吼えとりますから。
吼えましたね~。
<やもめの献金?
全額を寄付したとかそういう物語でしたっけ?>
いや、全額の話じゃないです。 マルコ12:41から始まる話です。
神殿の前には賽銭箱があり、やもめが「ちびっと小銭を入れた」ところ、イエスが「貧しいのに偉い! 金持ちが有り余った金の中から放り込む大金よりずっと価値がある。」といった話です。
つまり、現金のまま寄付できたんです、動物に変換しなくても。
だから、もしも、イエスが神殿に入るお金をひっくり返したかったらこっちを狙う筈です。 両替箱は私の考えでは、動物を持ってきた農民の物じゃないかと思うんです。
<生贄と贖罪って違うんでしょかね。
横着して贖罪は、一番自分の大事なものを神に捧げることで、罪を清めるってことだと思っていました。
生贄は、、、どういう理由なんでしょうね。>
創世記でヤコブが「はしばみ」を食べさせて(もしくは水飲み場に入れて)生まれてくる家畜の模様を「ぶち」にしたりしなかったり、しています。
イスラエル人にとって食事は単なる栄養摂取ではなくて、肉体の遺伝子まで変えるものだったと考えている節がある事から、清いものを食べれば「清い人間になる。」と考え、一旦神に捧げた清い動物をいさらに清くした物を食べていたのかな? というのが私の考えです。
私自身、単なる聖書読者なので、、、。 しかし、私がそもそも聖書を読み始めた切っ掛けは、「世界の三大宗教の一つが昔は動物の生贄などと、黒魔術みたいな事をやっていたのか?」という疑問から始まったので、レビ記はよく読みました。 マジ食ってます。 ただの肉食です。 動物虐待してません。 と言う風に読めて自分は納得しました。
ご丁寧にご返信ありがとうございます。
こんにちは、一件落着したのですが、No9の補足欄に私が紛らわしい表現をしたために訂正しておきます。
<神話ってそっくりなものが多くて、どっちが元ネタなのか私にはサッパリ分かりません。 ヒンズー教のヴェーダ経典にも、聖書に似た神話が沢山出てきます。 >
ヴェーダ経典に出てくる聖書との共通点は『多少ある事はある 』程度です。 あんまり似てません。
<インド人曰く「ヒンズー教が間違って伝わったのが、ユダヤ・キリスト教だ!」、、、。 私にはどっちが元だか、、、。>
これは、ふと或る一人のインド人から聞いた事であって、インド人全般の気持ちは私は知りません。
以上、紛らわしい表現で失礼しました。
またよろしくお願いします。
No.6
- 回答日時:
[つもり、モーセは全面的に間違っていると、、、。
]mmkyです。モーセの間違いはここでは生贄の件だけです。生贄を後から出たイエスが正したと捉えるのが正しいという意味ですね。
どこにも載ってはないですが、あの世ではイエスもモーセも救世主界の霊ですから仲良しなのですね。モーセが地にあるときに生贄については神の声と悪魔の声を間違えたために悪しき儀式が残ったということなのです。それを2千数百年後に出たイエスが直したということです。救世主界の霊は数千年に1度しか地に肉体をもたないので修正が難しいということですね。救世主というのは神の全権をもっているので誰しも直しようがないのですね。救世主といえども預言者ですから預言を預かるのですが、これが誰から来たものか区別できなかったからですね。イエス様もご指摘のように神の神殿で大暴れしてモーセの教えの一部を正しているわりには、ユダヤ教から抜けきらずにわざわざユダヤの王としてゴルゴだの丘で処刑の道をえらんでますね。本来なら逃げて新しい宗教を起こせたはずなんですね。このあたりに預言の混乱があるのですね。簡単に言えば、霊能者というのはいろんな声が聞こえるということですね。その声をふるいにかけて選ぶことも預言者の仕事ですが、難しいのでしょうね。それ故、どの宗教にも矛盾と混乱が多少とも内在してますね。そういうものと捉えて寛容に見るべきですね。
こんにちは、ちょっとビックリです。
どうも、聖書からも、正統派キリスト教からも、かけ離れているような、、。
もちろん、信じる信じないは回答者様の自由です。
ご回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
No.4です。
★ が、兎に角、行き過ぎた行為だったわけですね。
☆ これで納得されたのなら もうよいのですが ほかに 争点のような事柄がありますので 筆を伸ばしました。
全体として
☆☆ (No.4における趣旨): 旧約としての信仰から あたらしい契約――つまり もはや 何も要らない契約 しかも 契約ですらない神と人との関係――としての信仰へ 世界を変える存在としてのイエス・キリスト
☆ これにも 注目してください。むろん 批判や否定は ご自由です。
麦畑を通ったとき 空腹を覚えた弟子たちが 麦の穂を摘んで食べたところ これを咎められたという話があります。そのとき イエスは こう語ったと言います。
▲ (マタイ12:5-8) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。
言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。
もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』(ホセア書6:6)という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。
人の子は安息日の主なのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ここから 歴史的な変遷を見て取ることが出来るように考えます。
(1) 律法ないし旧約聖書に 自分も もとづくという姿勢を示し 《神殿》にも 一定の敬意を表している。
(2) しかしながら モーセとの契約は すでに 旧いと言わんばかりに 新しい契約への移行を じゅうぶんに 言おうとしている。
(3) 《人の子は安息日の主なのである》は 《人間イエスが 神の独り子で自身も神であるキリストなり》というドグマを 予表している。
(4) つまり モーセの律法の下での信仰から脱皮し 元のアブラハムの信仰を回復し さらに 真理を指し示したというなぞを予表しているとまで 推測される。
☆ (1)により
▼ 「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」(詩編69:9→ヨハネ2:17)
☆ に関して 《あなたの家》=《神殿》であり この《わたし》は 人間イエスのことですから ここで言う《熱意》で行き過ぎがあったということでしょう。
★ 〔追い払われた商人たちが 半分ほど納得づくというとき〕どうして、納得づくなのかわかりません。その後祭司達は「強盗の巣にするな」発言を聞いてイエスを殺そうとしています。(マルコ11:17~18)
☆ 《納得》に関して 《祭司たち》は 別です。イエスを理解していません。
商人たちは 納得を持っていたのではないでしょうか。
▲ 祈りの家と呼ばれるべきである。
☆ のに 《強盗の巣に》になっていると――その当否は 別にして――認めていたのではないでしょうか。行間からは そう推測します。《当否は別にして》という意味は その事実認識が正しいとしても さらに何故 追い払われなければならないかの当否を問わないということです。本人たちの主観だけを問題にすれば 納得づくの部分があったのではないかという意味です。
それゆえにまた このときの《怒り》と 《左のほほをも向けよ》との矛盾は 特に 感じません。しかも 後者は 抵抗を排除するものではないと わたしは 読みます。
以上のような問題点を提出されたのだと思いますし それについて 回答を寄せました。
こんにちは、再度のご返信ありがとうございます。
はい、9割がた「イエスの失敗」として納得しています。
しかし、実はまだ根本的な疑問が残っています。
モーセの律法によれば、犠牲の動物は「全ったき物」でなければならなかったとあります。
モーセ時代では、人々も動物とごく自然に接していたので「全ったき物」か、そうでないかの区別がついたと思うのですが、イエスの時代、つまり『金持ちのおぼっちゃんが出てくる時代』では、農民で無い限り動物と人々が接していたか? それが気になります。
商人なんかは、「壷の目利きはできるが、、家畜は、、、。」なんて人もいたでしょう。
そんな時に、「鑑定済みの動物」を神殿で売っていたら助かるんじゃないかな? なんて思うわけです。
「気付かなくても、犯したら罪」の時代ですし。
まあ、神殿内で動物を売っていた人達の中にはあえて、「全ったき物以外の動物」を詐欺的に売っていた人もいるかも知れませんが、、、。
そもそも、神殿内で商売する事は悪い事だったんでしょうか?
他にも色々と疑問があるのですが(アブラハムの信仰を回復等)、この質問の趣旨と離れているので、自制しておきます。
いろいろとありがとうございます。
よろしくお願い致します。
No.4
- 回答日時:
聖書記者ヨハネは 申し訳なさそうに 弁護していますね。
▲ (ヨハネ福音2:17)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
弟子たちは、
「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」(詩編69:9)
と書いてあるのを思い出した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり いかに神殿が神聖だと言っても 人間が そういうふうに 暴力をふるってまで そこから一方的に 人びとを追い払ったりすることは 考えられないと思っているのでしょうね。
理由は イエス自身が言ったと伝えています。
▲ (ヨハネ福音2:16)「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
▲ 〔共観福音書(マタイ21:13;マルコ11:17;ルカ19:46)〕 「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』(イザヤ書56:7) ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしている。」
☆ ひとつには やがて《旧約》と呼ばれるようになる聖書とその信仰を 継承するということを明らかにしようとしているのではないでしょうか。口で言うだけではなく 神殿を清めるかたちを採った。
ひとつには すでに 三つの福音書で同じように理由として挙げているイザヤ書の文句なのですが この句の一まとまりとしては こうも述べてあります。
▲ (イザヤ書56:6-7) ~~~~~~~~~~~~~~~~
また、主のもとに集って来た異邦人が/主に仕え、主の名を愛し、その僕となり/安息日を守り、それを汚すことなく/わたしの契約を固く守るなら
わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ところが 同じ旧約においても エレミヤ書では 次のようにも言っています。それによると もはや 《契約を固く守る》であるとか《献げ物といけにえ》であるとかも 要らなくなると知られます。
▲ (エレミヤ書31:31-36) ~~~~~~~~~~~~~
見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。・・・
そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ すなわち はっきり言えば
▲ 祈りの家と呼ばれるべきである。
☆ かどうかは どうでもよいことになります。どうでもよいことになることを 理由に挙げているのです。
ひとつ目に挙げた理由 つまり 旧約を継承するという筋は 明らかにする必要があった。それには 言葉だけではなく 目に見える神殿での出来事として 示す必要があった。すなわち
▲ 「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」(詩編69:9)
☆ と すでに 文句が知られている内容に沿って その振る舞いで示すかたちを採った。
しかも それゆえ――それゆえに です それゆえ―― 旧い契約の下から 脱皮することができるようにした。
このように考えます。
怒りは ほんとうに怒っているのですが 怒るから どうだこうだとは あまり 考えが伸びません。《熱意》の問題だと考えます。追い払われた人びとも 半分は 納得づくなのではないでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
>☆ つまり いかに神殿が神聖だと言っても 人間が そういうふうに 暴力をふるってまで そこから一方的に 人びとを追い払ったりすることは 考えられないと思っているのでしょうね。
やっぱり、正当化するつもりはなかった、、イエスも間違いを犯すという事ですね。
>☆ ひとつには やがて《旧約》と呼ばれるようになる聖書とその信仰を 継承するということを明らかにしようとしているのではないでしょうか。口で言うだけではなく 神殿を清めるかたちを採った。
そういえば、神殿に対してイエスの意見はどうだったんでしょうかね? 対外お山に行ってお話したり、荒野に言って瞑想したり、修験道のような生活をしているかと思えば、結婚式でお酒を大量に用意したり、、、でも、『神殿内で説教するから、皆様お集まりください。』なんて一回もしてませんよね?
ほとんど、無視している神殿で、あの怒り! なかなか難しいです。
<このように考えます。
怒りは ほんとうに怒っているのですが 怒るから どうだこうだとは あまり 考えが伸びません。《熱意》の問題だと考えます。追い払われた人びとも 半分は 納得づくなのではないでしょうか。>
すいません、どうして、納得づくなのかわかりません。その後祭司達は「強盗の巣にするな」発言を聞いてイエスを殺そうとしています。(マルコ11:17~18)
が、兎に角、行き過ぎた行為だったわけですね。
ご回答ありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
「一体何故イエスはここまで怒ったのでしょうか?」
単なる商売ならあそこまでお怒りになって暴れたりしなかったでしょう。お怒りの理由は、生贄の羊が商売品だったからですね。殆どのユダヤ人からしてみれば生贄の羊はモーゼからの伝統ですから唖然としたわけです。でもイエスが正しいのですね。イエスがわが父と呼んだ神は明らかに「愛の神」ですから生贄などとんでもないわけですね。「愛の神」に生贄の血をささげるというのはとんでもないことですからお怒りも当然ですね。そこで、疑問がわくはずですね。モーゼは生贄を良しとしたのにと思われるでしょうが、モーゼの認識が間違っているというようにとるべきですね。神殿でモーゼからの儀式の間違いを一挙に正したということですね。つまり、モーゼの間違いを正したと捉えても良いですね。
あの時代であれば、私でもそうするね。
現代では嘆きの壁に向かって米搗きばったのようにお辞儀してますけどね。これにはモーゼさえも苦笑でしょうね。
ご回答ありがとうございます。
>単なる商売ならあそこまでお怒りになって暴れたりしなかったでしょう。
そうですよね。
>「愛の神」に生贄の血をささげるというのはとんでもないことですからお怒りも当然ですね。
つもり、モーセは全面的に間違っていると、、、。
そんな悪いモーセを、死後の世界から呼び寄せてまでして、イエスは何を語っていたのやら、、、(マタイ17:1~3)
>あの時代であれば、私でもそうするね。
ベジタリアンか、肉食か、、、それも、聖書のあちこちで矛盾する言葉だらけですね。
パウロにいたっては、同一人物なのに、、、、肉食しろといったり、するなと言ったり。
ダニエルは、ベジタリアンでしたね。
イサクは、鹿の肉大好き。
矛盾だらけです。
ご回答ありがとうございました。
ご回答ありがとうございます。
No.2
- 回答日時:
こういうことじゃないでしょうか。
アブラハムは初子イサクを自分の罪の穢れを清めるために焼き尽くすはずだったのですが、息子をまさに殺そうとした時、山羊が現れ、アブラハムは山羊を自分の息子の代わりに殺して焼き尽くし、身を清めたとあります。
それ以降、初子殺しの風習はなくなり、動物を自分の身代わりとして焼き尽くすことで、身を清めるようになった。
(実際は最初に生まれた子供を殺していたのではなく、マリアの物語のように神殿に捧げ、祭司たちの仕事を手伝う仕事をしていただけじゃないか と・・・。
ちなみにイエスの母マリアは初子となっており、神殿に捧げられたことに物語ではなっています。)
律法には身分によって捧げ物の規定が異なり、大きな動物を持っていない あるいは買えないものは、鳥でもよかったんですね。
収入に応じて捧げ物の動物が違った。
この風習は中世のキリスト教でもあり、贖宥状とか呼ばれていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B4%96%E5%AE%A5% …
特にそれが問題となったのが、レオ10世教皇の頃。
『教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築のための全贖宥を公示し、贖宥状購入者に全免償を与えることを布告した。中世において公益工事の推進のために贖宥状が販売されることはよく行われることであったが、この贖宥状問題が宗教改革を引き起こすことになる。』
金さえ払えば罪が減るかのようになってしまい、じゃあ いくら罪を犯しても、金さえ払えばチャラにできるのなら、支配者はじゃんじゃん人々を苦しめながらも、「すいませんでしたぁ」と金でかたをつけて、また信者を再度苦しめることになる。
いっくら信者を苦しめてもいいってことになってしまう。
最後は教皇がかけつけて「あなたの罪は許されました」と言ってくれたら、まっさらになるのなら、金持ち万歳なわけです。
罪を犯してくれればくれるほど、金が懐に入るわけで、教会はウハウハものになる。
それに腹をたてたのがルター。
両替商のテーブルはひっくりかえしませんでしたが、カトリック教会をひっくりかえそうとした。
イエスがいたとされる時代(私は聖書通りの人など存在しなかったと核心しており、あくまで一思想家の思想が物語として表現されたのだと思いますが)、ユダヤ教のエルサレム神殿は、ヘロデ大王や、彼の死後も彼の血縁者が宗教儀式や議会を運営していたようなんです。
イスラエル人はローマ帝国から特別扱され、ユダヤ教をローマ帝国内でやっていてもいいという特権をもらっていた。
その代償に高額な税を支払っていたわけです。
その財源でローマ帝国は強い軍事力を維持していたとも言えなくもない。
で、その高い税を納めるために、ヘロデの血縁者である祭司たちは、信者からお金を集めなければならなかった。
そのために利用したのが贖罪。
お参りに来た人に身代わりの動物を買ってもらうわけですが、そのとき現金ではなくて、神殿貨幣に一旦変換して、神殿内でのみ通用する通過で身代わりの動物を買わせていたわけです。
だから両替商がいたわけです。
その両替商のテーブルをイエスがひっくりかえした。
恐らく本殿じゃなくて、入り口か参堂で交換していたのだと思えます。
どうしてイエスが両替商のテーブルをひっくりかえしたのかは、我々の現代の考え方からいってもわかりますよね。
ローマ帝国に治める税金を宗教儀式を使って取っていた。
神の名前をむやみにつかって、さも穢れが清められますからお札をどうぞ とでもうそぶくように妻子たちが商売をしていたわけです。
信者にしてみれば、身を清めるために払うわけですが、実際はその金はローマ帝国に納税されるわけで、神殿の宝物庫に収められるわけじゃない。
(ユダヤ戦争が起ることになった原因は、ローマから派遣された総督が、ローマに納めると嘘を言って神殿の宝物庫からパクったことが原因。)
動物も焼き尽くされず、もしかして、ベルと竜の物語のように、実際は神が食べていたのではなく、祭司たちがグリルされた動物を食事として食べていたのかもしれない。
そんなに食べ切れなければ、生贄として神に捧げました としながら、動物を使いまわししていたのかもしれない。
まっ ともかく神の名前を使って金集めしていたことをイエスは嘆いたわけです。
ペトロは徴税人とされますが、祭祀によって役職がいろいろあり、信者から宝物庫に収める税金として収入の10分の一を徴収する役割をする祭祀もいたわけです。
で、どうしてペトロが「徴税人」と批判的に書かれていたのかというと、ヘロデ大王の息のかかった祭祀であり、純粋はレビ人ではなかったから、神殿の祭祀たちは、市民から批判されていたのではないか と。
イエスがペトロの足を洗うってのも、そういう人を騙して金を取る仕事をする祭祀よ 足を洗え って思想を作家は持っていたからかもしれない。
えっとですね。
ヘロデ大王はユデアの王様で、彼の祖先はエサウなんですね。
エサウはアブラハムの息子イサクの息子で、ヤコブとは双子の兄弟。
本来ならイサクは長子であるエサウを祝福するはずだったのですが、ずるがしこいヤコブは作戦をしてまんまとエサウから長子権をもらい、目が見えない父親のイサクはヤコブをエサウだと思って祝福してしまったのです。
ヤコブの子孫がイスラエル民族です。(12支族)
で、エサウの子孫であるヘロデの父親だったか忘れましたが、ローマ帝国が窮地にたったとき、兵を出してローマ帝国を助けたので、ヘロデはローマ帝国から王位をもらったんです。
だからイスラエル人でも無いヘロデが大王なことに、人々は不満はあったのですが、政治的手腕を発揮し、神殿を増設したりして、人々の信頼を得ようとしたわけです。
しかし、エサウの子孫のヘロデはエサウと違い戦略家だったようで、ヘロデ大王は、結婚により神殿の祭司たちや議員たちの中に自分の血を入れていったんです。
そりゃそうですよね。本来なら自分が正当なのに、何世代か前に長子権を奪われたばかりに、不遇の身だったわけですから、返せってことだったのかも。
だから、エルサレム神殿で支配階級にいる人も議員も、ヘロデ大王の血縁者になっていったわけです。
ヘロデ大王はやり手で、ローマ帝国からユデアを特別扱してもらうようにしたわけですが、その代わりに高額の税金を払っていた。
高額の金をアメリカに支払うことで、安全を保証されている日本みたいなものです。
で、ユダヤ人というかイスラエル人ではないヘロデが王様で、祭祀たちも純粋なレビ人ではないということで、人々はローマに安全を保証されているとしながら、神殿が汚されているということも不満に思っていた。
さらに、宗教儀式を利用して、金をとっていたことに、イエス作家は腹をたてていたと思えるんです。
イエス作家は旧約聖書に詳しいことから、ヘロデの要求を拒否したため神殿を追われた祭祀か、ラビだったんじゃないか と思うんですね。
という情勢だったので、イエス作家は、そういう不順な動機に宗教が利用されていることに腹をたてていたので、イエスに両替商のテーブルをひっくりかえさせる物語を挿入したんじゃないか と思います。
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
すいません、くそ生意気な事言っちゃいます。 疑問だらけだったので、、。
>それ以降、初子殺しの風習はなくなり、動物を自分の身代わりとして焼き尽くすことで、身を清めるようになった。
そうだったんですか、私はてっきり、過ぎ越しの後からモーセが決めたもんだとばっかり思っていました。
>この風習は中世のキリスト教でもあり、贖宥状とか呼ばれていた。
これは、キリスト教暗黒時代の出来事ですね。 教会が権力を持つにつれて、メディチ家の人間が教皇になったりして。
>律法には身分によって捧げ物の規定が異なり、大きな動物を持っていない あるいは買えないものは、鳥でもよかったんですね。
収入に応じて捧げ物の動物が違った。
そうですね。 まあ、捧げ物といっても、全部祭司のものになるんじゃなくて、部位によって祭司の取り分、信者の食べる分が決まっていたようですが。
>それに腹をたてたのがルター。
教会の堕落に腹を立てましたね。
>恐らく本殿じゃなくて、入り口か参堂で交換していたのだと思えます。
場所によっては幕が張ってあって、大祭司しか入れない所とかあったそうですからね、一般信者が入れる場所だったんでしょうね。
それにしても、税金問題に関しては、かの有名な「カイザルの物はカイザルに返せ。」と言っていますよね、、、。(マタイ22:15~)
>ベルと竜の物語のように、実際は神が食べていたのではなく、祭司たちがグリルされた動物を食事として食べていたのかもしれない。
ベルは、ユダヤ教や、キリスト教と関係あるのかどうか、、、、分かりません。
そもそも、神様が生贄を食べに来るなんて、、、、『香ばしい香り』を捧げるだけかと思っていました。
犠牲によっては焼き尽くさないといけないものもあったようですが、食べていい、、否、食べるべき犠牲もあった筈です。
>ペトロは徴税人とされますが、
マタイのタイプミスですね!
>祭祀によって役職がいろいろあり、信者から宝物庫に収める税金として収入の10分の一を徴収する役割をする祭祀もいたわけです。
え、ペテロは祭司だったんですか? 漁師なのかと思っていました。「今日から、人間を釣る漁師にしてあげよう。」が、出会いの挨拶だったような、、、。
>で、ユダヤ人というかイスラエル人ではないヘロデが王様で、祭祀たちも純粋なレビ人ではないということで、人々はローマに安全を保証されているとしながら、神殿が汚されているということも不満に思っていた。
そういえば、イエスもレビ人ではありませんね、。 パウロは『レビ人なんて人間が決めたもんだから関係ない』、レビ人じゃないイエスが民を教え導く事に全く問題が無いと言っていますね。
>さらに、宗教儀式を利用して、金をとっていたことに、イエス作家は腹をたてていたと思えるんです。
そうなると、「やもめの献金」のたとえ話はどうなるのか???
>という情勢だったので、イエス作家は、そういう不順な動機に宗教が利用されていることに腹をたてていたので
私自身、イエスの人格がコロコロ変わるので、何人かの作家がいたんじゃないかぁ~と思います。
私自身無宗教で、ただの聖書読者です。
数々の暴言本当に失礼致します。 しかし、キグルミ様の事は影ながら応援しています。
また、今後ともよろしくお願い致します。
こんにちは、補足欄からの続きです。
レビ記の7章によれば、「祭司の男子は全て食べて良い事になっています。」そして、「祭司の取り分は胸と右腿」です。「神様の取り分は血と脂肪と香ばしいかおり」です。それ以外の部分は文脈から考えて信者のものでしょう。
ただ生贄にも色々と種類があり、「もちろん焼き捨てるものもありました」。
罪祭、火祭、揺祭、、、、色々種類があって覚え切れません、、。
ご回答ありがとうございました。生意気ばかり言ってすいません。
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