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アメリカで多発している銃犯罪・・・
そういう「銃社会」の世の中だからこそ、自己防衛のためにも持つべきという考えがあります。
一方で、持っている人がいるからこそ犯罪が起きる。だから持たざるべきという見方もあります。

さて、どちらがあるべき姿だと思いますか?

A 回答 (9件)

銃が奪った命もあれば、銃が救った命もあります。


銃がなければ死ななかった命もあれば、銃があれば死ななかった命もあります。
銃を手にするに相応しい心を持てるなら、銃を持ってもかまわないと思います。
銃を持てる国は多くありますが、犯罪があんなに多発するのは、USなんたらいう、ならず者国家だけです。
ちなみに、日本では、到底、銃を所持するに足る心の教育など、出来る訳がないので、持たざるべきだと思います。

銃を持たざるべきか、持っても良いか?であって、持つべきという選択は、私には考えられません。猛獣が放し飼いになっている状況では、持つべきですが、銃を持った人間が脅威なのであれば、銃を持てなくするのが先決と考えます。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

そうですね、もし日本がアメリカのような銃社会になったら、アメリカ以上にひどくなると思います。
多分、幼稚な若者がちょっとした弾みで銃を使うとか、気に入らないから打ったとか、そういう状況が出るような気がします。
>銃を持った人間が脅威なのであれば、銃を持てなくするのが先決と考えます
アメリカではもう不可能ですね。
日本でも、一般市民にじわじわと広がっていますから、そこをどう絶つかですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 22:57

こんにちは。



私はずっと、今までのように思考判断し続ける自信はありません。
ボケるかも知れないし、精神病になるかもしれないし。


歳とっても車に乗っていれば、アクセルとブレーキを踏み間違えるかもしれません。

カッコイ良いナイフを衝動買いして、懐に持ち歩き、深夜酔っ払いに絡まれたら、おどす目的で相手に向けてちらつかせるかもしれません。

手元に銃があったら、誤解から人に向け発砲してしまうかもしれません。

一瞬で人を殺しかねない道具は、なるべく自分の身の回りに無い方が良いと思います。
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この回答へのお礼

昔、ハローウィンで、訪問した子供を間違って射殺してしまった家主がいましたが、それは“訪問客は怪しい人物だと思え”という刷り込みがあって、その侵入を阻止するために銃もいとわない、という考えだと思いますが、銃が広まると、そういう思考になってしまうものかと思いました。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 23:27

「道具」を持てばそれを「使いたい」衝動はナンにでもあることです。


その衝動を道徳的な考え方だけで100%抑える事は不可能です。

持つ・持たないは鶏&タマゴで…
「守るために持つ」は「打つやつがいる」って
リサイクルマークみたいに戻ってしまいます。

昔日本の家庭には「カギ」がなかったらしいです。
ただ張り紙があって
「あなたは今しようとしている事は正しい事ですか?」
手書いてあったそうな…
そんなやさしい時代じゃないって事でしょうね。

みんなが持たないに越した事はないです。
支離滅裂でごめんなさい。
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この回答へのお礼

そうなんですね、鶏か卵か、みたいなことなんです。
「持つ」か「持たないか」であれば2者択一で済みますが、「目的を遂げるために持つ」「目的を阻止するために持つ」となったら、もう人間の気持ち次第となってしまいます。
そうなったら、なかなか抑えが効かない、もう元には戻れない感じですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 23:24

どっちも【あるべき姿】では無いな。


既に拳銃が流通しまくってる現状では自己防衛の為に自分も拳銃を持つしか選択肢はありません。さもなきゃ一方的に殺られるだけでしょ。

真にあるべき姿はかつて日本で行われた【刀狩り】レベルの【拳銃狩り】を行った上で全員が持たないという道になると思うが…絶対無理だろ、それ。時既に遅しと言わざるを得ない。
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この回答へのお礼

時既に遅し・・・ですか。
そういう気がします。
日本がそうなってしまわないことを祈るばかりです。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 23:19

これを書くと完全に顰蹙なのですが、私はサバゲー好きで銃にもかなり詳しい部類に入ります。



そこを踏まえてあえて「持つべし」です。

実はこの件については最近、ここ(goo!)でのやり取りで考え方が変わりつつあります。

筋力に自信のある方が立てた「男は強く在るべきか」という質問に対して多くの筋力に自信のある男性が「他人(悪人)を力でねじ伏せるために必要」といったご回答をされていました。
その自信は当然、「正義」の名の下に叫ばれていたわけですが、果たして皆が真にそうなのかという疑問を正直持つに至ったところです。

生まれつき恵まれた体躯を持った方々が更に鍛え上げ健常者の男性に対峙し勝つための力を持とうとしている。

この現実は私のような障害者や女性、子ども、ご高齢の方にとっては十分に脅威と成り得ると考えます。

人は誰も「悪」の心を持つ瞬間があります。
自分が真にお金に困っているときに自分だけが持っている「暴力」を行使すれば確実に有り金を奪えそうな対象がいれば、行使する者が現れない方が不思議でしょう。
しかし、その時に「この相手は銃を持っている可能性がある」と考えればどうでしょうか。
私は躊躇すると考えます。
(ここでは一般的に考えやすい「お金」を題材にしましたが「性」「嗜好」「顕示欲」等と置き換えても同じだと考えています。)

銃の前においては人間の持ちえる戦闘能力など無きに等しいものです。
(専門の格闘術の使い手は別ですがその方達でも揉み合いになってからの超接近戦で咄嗟に銃が使われれば避けられないでしょう。)

現実に目を向ければ今日、日本国内で銃を持っている方も多く存在し、その方々は多くの場合「強者」です。
銃を持たない弱者は極端に言えば常に強者に生殺与奪権を握られている状況といってもいいでしょう。

これが平等で安全な社会なのかという疑問をここ1週間ほど持つようになって未だ自身の中でも整理はできていない状況なのですが、あえて今、回答するなら「持つべし」(持たせてほしい)ということになります。
(注:背景となったご質問は私の回答後、運営側からの削除の連絡も無いまま消滅してしまったので探す事はできません。私の回答の主旨は「力による力の抑止がまかり通る社会は弱者に武器を持たせる結果を生む」というものでご質問者さんのお考えを知りたかったので残念でした。)

また削除っぽいですが。(笑)
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

なるほど、サバゲー好きということですが、私が思うに、どうも根本的には銃器に対するあこがれがあって、でも日本では(原則として警察と自衛隊以外では)到底所持が叶わない、なので疑似的に体験することで、あこがれを「現実的に近い遊び」の中で消化しているように思います。
男のシンボルというのは強くないといけませんが、銃を持つことでもうひとつのシンボルを誇示したい気持ちになってしまう、麻薬のようなものだと思います。
日本では、基本的に市民の生活を脅かす存在に対しての抑止として、警察の銃所持が認められていますが、非合法所持の場合の目的は別ですね。
普通の人が「持てない」ことで一定の抑止効果が働いている日本に、「持つこと」を認めたら、どうなってしまうか不安でなりません。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 23:17

人間の作り出すものは無駄なものが多いです。


拳銃でバンバンもアメリカ人の趣味でしょう。
それにしても、陰惨でつまらない趣味。
指の小さな筋肉の伸縮だけでそういうことをやろうとする、ファミコン級のいやらしさ。
銃身の長さは、自身の劣等感に比例するとか。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

目的遂行、しかもいとも簡単にできる手段なのでしょうね。
>銃身の長さは、自身の劣等感に比例
そうですか!
だとしたら、ダーティハリーに出てくる警部はかなりの劣等感だったんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 23:00

モラルとして考えて、「持たざる」があるべき姿であると考えます。



人は、そこに5千円が落ちていれば、拾ってポケットの中に入れたくなります。
目の前に美味しそうなご馳走を差し出されれば食べたくなります。
狂気に満ちた人物の前に拳銃が置かれていれば、その人物はその拳銃を手に取るでしょう。

残念なことだとは思いますが、銃が簡単に手に入るのならば、
犯罪とその被害者が増えることは至極当然のことです。

例えば、秋葉原殺傷事件で犯人の持っていた武器が刃物でなく、拳銃だったら?

私は、「持つべき」があるべき姿だとは恐ろしくて考えられませんが。
自分の身を守るためというのは、銃社会が前提での考えではないですか?

そうであれば、最初から犠牲者を出さないために持つべきではないと考えます。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

そうですね、銃は目的遂行の道具であると同時に、目的を遂行させないための道具でもあるわけですね。
どっちに転ぶかは持つ人次第という気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 22:51

>どちらがあるべき姿だと思いますか?



「理想」と「現実」は、大きく違います。

「理想論」を述べれば、日本であれ、米国であれ、「銃」などと言う凶器は「持たざるべき」でしょう。

しかし、現実は、そうは行かない。

米国の「銃社会」は、まさに「現実」でしょう。
下記は、ご参考までに。

http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E8%BB%8D%E7%94%A3% …
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

一人が銃持って犯罪を犯したら、周りも銃を持たざるを得ない状況が、まさにアメリカなんですね。
周りが持ったら、そのまた周りが持つと・・・
そういう連鎖なんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 22:46

アメリカの銃社会は、自分の身は、自分で守ると言う自己防衛の原理から、来ています



で、日本の社会では、持てば、犯罪が起きるから、持たざるべしと言う考え、しかし、大きな矛盾があります
警察等、銃を携帯してます
なぜでしょう?
日本では、持たざるべきと称しながら、流通していることを知って、警察などは、自分を守るために銃を持ちます
しかし、一般の人間は、銃が、流通してても、守るべきすべがありません

こう言う実情を、国家が責任を取ったことは、ありません
そう考えると、アメリカの銃社会が自然なような気がします
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

警察は市民生活の平和と安全を守るという責務がありますが、それを脅かす存在に対しての抑止として、拳銃を所持していると思います。
それは、そういう責務に就いている警官の生命を脅かすものに対しても、行使は正当化されてます。
万一発砲しても、必ず「正当な行使だった」と発表しますね。
日本の考え方は、そもそも所持自体は必要最低限であって(この場合、非合法的に所持している現実があることはともかく)、発砲もほんとにやむなしという場面に限られる、というような意識が働いているんでしょうね。
でも、非合法所持が一般にまで広まってきているのは憂慮すべきことで、原則が崩れつつある予兆かも知れません。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/11 22:41

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