海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

どうか長々とした質問にお付き合い下さい。



家にはもうすぐ2才を迎える可愛い猫ちゃんがいます。

この家に来る前の飼い主さんもいい人で
しっかり面倒みてくれていたみたいです。

家族からもすごく可愛がられてます。

ご飯も食べて大好きな猫じゃらしと追いかけっこし、疲れてきたらお昼寝。


生まれてこのかた苦労なんてものを知らずに過ごしてきた子です。








この子は、幸せでしょうか。

生物というのは嫌なもの・苦しい事を経験し乗り越えてこそ
嬉しさや幸せを感じられるのではないですか?

だとするならば、この子は一生幸せを感じる事なくこの世を去るの?





例えば生まれてすぐ邪魔だからとダンボールに入れられて
公園に捨てられ、野良として過ごすとします。

今日生きるための餌を必死で探して、縄張り争いでボロボロになる。

そんな時、暖かい毛布と美味しいご飯、飼い主の腕の優しい温もりを差し出されれば
辛かった時期と比較して"幸せ"を感じるのではないですか。



私自身、辛い経験や苦しい思いをした事があるからこそ
幸せがどんなものか分かるんだと思います。



そう考えると、この子はある意味"不幸"な人生なのでしょうか。





うーん…
答えが見つかりません。
皆さんはどう思われますか。

A 回答 (4件)

脳の関係からと思いますが、幸も不幸も思わないと思います、不幸なら不幸なだけ、幸せなら幸せなだけ。

ただそれだけと思います。両方を持ち出して比べてみると言う事はないと思います。

本当は人間もこうで在りたいと思います。そのままの状態です。分別が無い状態だからです。聖書では天国に一番近い存在は幼子と言う言い方をしています。人間がこのように生きて行くならば、それこそが天国でしょう。

処が人間は知恵の実を食べてしまいました、天国にはいられなくなりました。是は貴方が言うように、「意識をして、比べたり、反省をする」ようになったと言う意味になります。是は脳の機能の問題ですが、人間の脳は成長してきた場合に、左脳と右脳と機能の分化が完成に近くなります。左脳の役割と、右脳の役割が違うと言う事です。

そうして又、左脳の機能と、右脳の機能が違うと言う事です。言い方を替えたならば、左脳の能力と右脳の能力が異なっていると言う事になります。左脳の機能は分別する事です。計算機と同じ機能と言う事になります。割ったり足したり、ひいたりする事です。そうして自我意識として感じています。

分別して、感じて考えると言う事が出来ます。又言葉も持っていると言う事になります。その代り出来ない事が在ります。永遠と言う事の概念は持っていません。なぜならば、分別すると言う事は「有限」に属しているからです。従ってここから人間の苦しみが始まると言う事がになります。

最大の人間の苦しみとは「死ぬ」と言う事です。それは心の危機を意味しています。此処で心の分裂が極まります。

自我意識は苦しみます。処がその苦しみに救われているとも言えます。それは、心の矛盾を苦しみとして受け取っているという事実が在るからです。それが事実です。人間には心が二つ在ります。この事が分からない事が、人間を苦しめています。自我意識を苦しめているものは、右脳の意識です。それは無意識や潜在意識を働かせている意識です。命そのものを働かせているとも言えます。

人間が苦しむ時は自我意識の苦しみです。自我意識が苦しいと言う風に意識をしています。この意識が「死」から離れなくなると言う事が苦しみとなります。是は右脳を無視している処から発信されている事です。自我意識が自分の心、自分の人生を、自我意識の計らいで何とかしようと試みているからです。

左脳には出来ない事が在ると言いました、それは、有限のことしか理解できていないと書きました。自我意識が出来ないと判って、引っ込む事が出来たなら、右脳の意識が出てきて苦しみを救う事が出来ます。右脳は永遠そのものだからです。又自我意識を圧迫していた者です。苦しみを受けていたものと、苦しみを与えていた者が出会うと言う事になります。

自我意識は苦しみの訳を知ると言う事になります。それは「有限の身である自分自身の自我意識が、永遠そのものである右脳の意識と出会うと言う事の意味が分かります。人間の苦しみとは、有限の自我意識が永遠そのものの働きを遮っていた事が苦しみとして感じていたと言う事です。

つまり自分自身が有限と思っていた処が、自分自身が永遠そのものと分かるからです。肉体の死は左程重要な事ではなかったと言う事が分かります。これで心の矛盾の解消が完了と言う事になります。

是は「神に会って和解した」と言う事の意味です。この意味は左脳の意識と右脳の意識が出会って和解したと言う意味です。心の対立と矛盾が解消したと言う事になります。これ以後は自分の自我意識が「自分の働き」の下で働くと言う事になります。是が「神の御心のままに」と言う事です。

是は絶対肯定と言う事を意味しています。運命に従うと言う事です。此処で自我意識に有った「不安、恐れ」が無くなります。絶対の安心という事が分かります。幼子の心が手に入ります。猫の気持ちが分かるようになります。人間が「全身全霊で」生きて行く時、言い方を替えたなら、自我意識の出てくる隙間が無いほどに生きてゆく時には、猫と同じに、天国も地獄も無くなります。悩みも、苦しみも元々は何も無かったと判ります。天国も地獄も人間の作った妄想だったと判ります。
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この回答へのお礼

遅くなりました。

本当に回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/27 21:17

動物は脳や自我が発達してないので、あるがまま、なるがまま、自然体です。

だから動物に、人は癒されます。人は脳が自我が発達してるので、過去と比較したり、他人と比較したりします。しかし人は考え過ぎてストレスになります。何も考えない、何も知らない動物が幸せです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/27 21:18

ある意味からペットの生活というのは飼い主の現実からつらいこと嫌なことを除いた文字どおり極楽であってほしいるはずです。

ペットの極楽生活を用意できることによって飼い主は自分のつらい現実を多少なりとも希釈できるのではないでしょうか。我が家の老犬が風のない冬の日の午後陽だまりでうとうとしているのを見ると彼は今さぞ気持ちが良いのだろうなと思うと同時に自分も幸せになります。
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やさしいお方ですね


猫ちゃんも貴方も幸せすぎるから、そう思われるのではないですか

かわいい子には旅をさせろ、とはいうもののできないですね。

子ばなれ、親ばなれ、といいますが
ペットの場合は離れずともいいのではないですか

猫ちゃんにとって貴方と一緒にいることが
何よりの幸せだと思います。

もしかして、猫ちゃんにとって幸せでない事があるとしたら
貴方の幸せでないことを感じる事かもしれませんよ

猫ちゃんと幸せにお過ごしください。
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