A 回答 (32件中1~10件)
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No.32
- 回答日時:
人間は動物です。
生まれて死ぬだけです。
意味などありません。
そこに意味を見いだそうとする人間の
葛藤があるだけです。
よりよい生き方をするためには
そこに意味を見いだす、意味を創り出した
方がベターだ、と言う説がある、ということだと思います。
意味が無いのなら、自ら意味を創り出せば
良いではないか、ということだと思います。
No.30
- 回答日時:
物質に「目的」はありません。
しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする方向性に変わりはない)
一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。
「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。
であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。
しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。
お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。
要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)
No.29
- 回答日時:
さあ、考えたことも必要も感じたことがない。
その時その時、精一杯やって、何かがわからないほどいろんなことにチャレンジしたなぁ(^-^)
興味があることしか、しなかったし沢山本も読んだっけ。
仕事も20種類くらいはやったかな。その時点で自分は何を求めているか、深く考えたり、他の人達の価値観で自分を思い切り責めてみたりした。
そうこうしているうちに一つだけ変わらないものや、自信があることを自分の中に見つけて宝物にしている。
それが、ヒーリングとかサイコテラピーの分野だった訳です。
料理人も画家も学者も同じプロセスで見つけた何かなんだろう。
自分てのがあって、肯定できたら優しくなる。シンプルな事をややこしく大変ですごく価値のあるように見せたいものだ。
意味は何かの観念や思い込みを必要とし確定づける為に要求として提示されます。
即ち、貴方に必要なことは目標ないし目的ということになり、それが見つかるまで歩き続けてみることです。部屋が暗いから、人にスイッチを入れてもらうだけで、電気のつけかたはわからないままで、暗いところを手探りで探してスイッチをみつけ、電気をつけたときのリアリティーを得ることはない。
No.28
- 回答日時:
「人間は、何のために生まれて、何のために生きるのですか?」
気がつくと、既にあなたは生きている。
既に、始まっている。
もう、あなたの生活はスタートしている。
もう、みんな走っている。
もしも、既に「このために生きている」と思うものがあるなら、
そのために、なすべきことをすればいい。
もしも、「何のために生きるのか」と思うなら、
これから、それを探しあてて、
そのために、なすべきことをすればいい。
探しても、見つからなければ、探し続けるといい。
(しかし、その時間は無限にあるわけではない。)
さあ、どうしましょう?
あなたは、自分で選択して、決定できます。
(それとも、他の人に任せますか?)
あなたが、「生きていなくなる」時に、
「このために、生きていた」
と考えるものは何でしょう?
「この人のために、生きていた」
と考える人は誰でしょう?
その時、「生きることは、○○です」
と考える、あなたなりの○○は、何でしょう?
No.27
- 回答日時:
結論から言えば生きる意味なんて考えるだけナンセンス、考えるだけ無駄です(生きる意味が存在しないのではなく、根本的にその存在について真偽の決定ができないということです)。
こんな思考実験をして見ましょう。人は幸せになるために生まれ、そして生きる世界Aとそうではない世界Bの二つがあると仮定しましょう。その上でこの違いを知らずに交互にこれら二つの世界に放り込まれた人がいると考えてみてください。
さて、彼はどうやって「世界Aにおいて人は幸せになるために生まれ、そして生きる」という命題を見出すのでしょうか?
Aの世界の人ほうがBの人より幸せであることから? いえいえ仮にそうだとしてもそれは「AのほうがBより幸せな世界である」だけで、「幸せになる“ために”」という要素は見受けられません。
世界の住人各人が自分は幸せになるために生きていると考えている? それはその世界の住人たちがそのように考えているだけです。自分を神だと思っている狂人がこのことを以って神であるわけではないのと同じです。
他にもいくつかの可能性を考えましたが、いずれも失敗に終わり、したがって私の見る限りではこれら二つの世界は弁別不可能であり、考えることはナンセンスで真偽の決定が不可能です(反例があるならこっちが教えてほしいくらいです)。
そしてこれをいちいちあらゆるケースに当てはめて考える労を厭って一般化すると、生きる意味云々について考えることはナンセンスということになります。
まあ他の回答者の方々みたいにロマンチックだったり教訓的な回答ではありませんが。
No.26
- 回答日時:
>人間は、何のために生まれて、何のために生きるのですか?
何のために生まれたか・・・何のために生きるのか・・・それは、誰にも分かりません。
ただし、私個人の考えとしては、生きる意味とは自身で探し出し見つけるものだと思っています。
あなたの人生は、あなた自身が決めて行くもので、その自分なりの行動理念に基づいて日々の生活を送って行くのだと思いますよ。
色々なものに例えられますが、人生は「真っ白な地図」のようなものだと私は思っています。
最初は、親や教育者の手によって「地図の描き方」や「歩き方」を教わって、成人した時にはそれを元に「自身の地図」を描き、歩んで行く事になるのだと思います。
もちろん、この地図に描いたものがあなたの経験であり、あなたしか描けないオリジナルの地図になるわけで・・・冒頭で申し上げた「誰にも分からない」と言うのはそういう意味です。
もっと細かく言うなら、地図に描いた瞬間が「目標」を決めた時で、その様に歩く事が「行動」にあたる訳ですが、誰しも「行動」に移る時が一番不安なのではないでしょうか?
地図に描いた「目標」を「行動」に移すには少なからず「勇気」も必要になってくるでしょうね。
もちろん、そのハードルが高ければ高いほど苦難は大きくなると思いますが、それを乗り越えた時にあなたはたくさんの経験と知識・・・それから、自信を得ていく訳です。
端的に言えば、それが人生だと私は思っています。
何のために生まれて何のために生きるのかを考える事は悪い事ではないと思いますが、その前に一人の人間として「何がしたいのか」を良く考える事が解決の第一歩ではないでしょうか?
人の為、自分の為、社会の為・・・何でも構わないと思いますが、人を悲しませる事以外で自分が楽しく過ごせる様な何かを見付けるのが、「何のために生きるのか」の答えになるのではないかと私は思います。
そして、楽しい事を見付けるには、行動する事や失敗する事を恐れずに色々やってみることだと思います。
失敗すると危険な事ならば、準備の段階で色々と予防策を立ててから行動する・・・など、やり方はたくさんあります。
どんなやり方でも、最後に目標に辿り着ければ良いと個人的には思いますね。
(以下は、あくまで例だと思って下さい)
ちなみに私の行動理念は「人に幸せを与えること」です。
何だそりゃ?と思うかも知れませんが、そういうものがあるだけで、ただ何も考えず惰性で生きているのとは違う気持ちにはなります。
ハッキリ言って自己満足かも知れませんし、これによっておせっかいだと思っている方が周りにいるかも知れませんね。
それでも、私はそう思うからそうなるように行動する事にしています。
例えば、「人に幸せを与えること」って何があるでしょうか?
美味しい料理を食べてもらう事、夢や目標を達成出来るようにお手伝いする事、好きな人と一緒にいる事・・・と挙げればキリがありませんが、これの全ての元は「人に幸せを与えること」という行動理念から考えれば楽しい事だと思えるわけです。
これが、何にも無かったら多分何やってもつまらないんでしょうね。。。
・・・と、つまりはそういう事です。
自分自身の核となる考え方や生き方というものをまず決めて行く・・・それが大事なのではないでしょうか?
No.24
- 回答日時:
「感じるため」
生きていると、痛い、痒い、寒い、悲しい、楽しい、愉快、・・・いっぱい感じることができますが、生きていないと何も感じないでしょう。
物理的に生きていても、感じることができない人は・・・外界との接触が絶たれても、それまで積み重ねた経験を反芻することで瞑想することは可能かもしれません。
生きること自体に疑問を感じたら、すこし休養すれば、そんなことを考える暇がないことに気付きます。
それと、欝の傾向が疑われます。神経科を受診されては?
No.23
- 回答日時:
二十五までは親兄弟に 後はあなたにやる命
ひとり笑うて暮らそうよりも 二人涙で暮したい
その物ズバリの都々逸ですね。人間は自分のために生きているのはなくて、人(伴侶)に喜んで貰うために生きているのだそうです。
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