激凹みから立ち直る方法

人間は、何のために生まれて、何のために生きるのですか?             教えてください。

A 回答 (32件中21~30件)

人は、自分自身のために行き、そして、他人のためにいきるのです

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そっけない回答になりますが、その答えは自分でつかむ以外には有りません。

ですがヒントは有ります。それは宗教の歴史です、或いは哲学の歴史です、或いは文学の中にもその兆しが在ります。

夏目漱石氏においても相当な悩みとして、或いは神経症的にじっと考え続けていました、ですが生涯この答えは見つかりませんでした。トルストイにおいても、戦争と平和を書き終わって後に、この答えを見つけようとして、大分苦しんだ軌跡が在ります。その軌跡が「クロイッツツェソナタ」や「光あるうちに光の中を歩め」等の宗教色の強い作品になって残っています。

人間の自我意識が芽生える頃に、たいていの人がこの問題「人生問題」に悩む事が在ります。その事を直ぐに忘れてしまう人もいます、ですが強く考えてしまう人もいます。この問題を強く意識した時に、人間の心は「限界を感じます」是には訳が在ります。有限の人生に、永遠という概念が入ってくるからです。

この限界、或いは、不安、或いは恐怖、或いは畏れというものを自我意識は感じてしまいます。おおざっぱに言うならば「罪悪感」と言っても良いものを人間は感じてしまう時が在ります。是はキリスト教的な表現では、「原罪」という事になります。

仏教的な表現としては、「業」という事になります。是は自我意識に対する「圧力」です。或いは自我意識が受ける圧迫と言っても良いかと思います。是は言い方を替えたならば「人間苦」という事になります。「心の苦しさ」という事です。

貴方はまだ若い人かと思います。私の先生の言葉を先に書いておきます。「今は分からなくても良いから、聞いておくように。分かる時がきたなら、ピタリと分かるから」という言い方をしてから、いろいろな話を聞かせてくれました。貴方も私の書いたものを「分からなくても仕方ないです、判らなくても良いから、ただ、目を通して見て下さい。分かる時節がきたなら、ピタリと分かります」と言っておきます。

貴方がこの問題を提起したのには、それなりの理由が在ります。今までの貴方はこの問題にさえ気が付かなかったはずです。この問題が気になって仕方が無いと考えて、四六時中頭を悩ませたとするならば、それは「人間苦」という事に目覚めたと言えます。是が聖書に書いてある「失楽園」という事になります。

貴方には知恵が付いたという事になります。貴方は「神」の座を狙っているという意味になります。有限の人間が永遠の命を求め始めた、という意味になります。ですがなかなか手には出来ないと思います。求めても、求めても、手に出来ない、或いは有限の壁を超える事が出来ません。この壁を、有限の壁を破って、心に自由と平安をもたらせようとする事が「宗教の目的」という事になります。

結論を書きますが、是は貴方自身が掴む以外には、貴方には判りません。知的な理解、解釈では何にもなりません。知識が在っても歯が立ちません。貴方が苦しみの果てに手に出来るのかも知れません。

ですがこの人間の苦しみが何処から来ているのかを、書いてみますので参考にして、後は自分で学んでください。

人間の悩み、苦しみは自我意識の苦しみと言えます。自我意識は左脳に在る意識の事です。自我意識の役割はものを分別して見て、分別して判断をして、分別で生きて行く事です。この分別脳が苦しみの原因を作っています。物事を論理的に組立てゆく事が自我意識の役割です。

言い方を替えたなら、物事を割り切ってゆくという能力が自我意識、或いは左脳の機能、能力という事になります。割り切ってゆくという事が出来ると言う事の裏には、割り切れない問題には、解決できる能力が無いという意味になります。割り切れない事には歯が立たないという事です。

この事が人間の苦しみを大きくしています。なぜならば人間には自我意識の他にも「心」が在るからです。人間が抱える問題、それは「心の矛盾」と言えるものだからです。有限の体、有限の人生に、神と同じ永遠というものを掴みたいという欲求が在るからです。この欲求のために「人間の苦しみが」続いていると言えるからです。

この解決が宗教の目的と言えます。ですがこの解決方法が日本には有ります。是が禅問答というものです。禅問答は何も訳の分からない、無意味なものと考えられている節が在ります、ですが是は人間の本質が分かっていないという理解でしかありません。

人間の苦しみとは、矛盾した割り切れない問題を、割り切れることしか出来ない脳、つまり、自我意識に抱えて、否定的になって苦しんでいる姿の事です。是は脳の機能の関係から出来ない事、不可能の問題を解こうとしている事に当たります。精神疾患と言っても、神経症と言っても、自律神経失調症と言ってもこれらの事は全てが、解決できない方の脳に、その解決を求めているという事になります。

この解決方法が禅問答に在ります。禅問答には自我意識には理解出来ない問題が含まれています。自我意識には解く事が出来ないという事です。自我意識が引っ込んで、もう一つの意識、「無意識に封印されているもう一人の自分の意識=仏性」の出番が無いと解く事が出来ないように仕組まれています。

貴方の抱えている問題の答えは、もう貴方の心には用意されています、ただ貴方が気が付くだけで良いと言えます。何故ならば貴方に疑問を抱かせているものが「それ」だからです。貴方がピタリと分かるという事を書いてみます。

禅問答が解けた時の心持が禅の歴史には残っています。「今更お前は誰かと、聞く必要はない」という事になります。これ以後、全ての疑問が解消されます。心の不安も解消されます。心に不安を抱かせていた者の正体が分かるからです。これ以後心には不安や悩みが無くなってしまいます。全ての不安が、絶対の安心に変わるからです。

それは、絶えず心を脅かしていたものと、仲直りした事になるからです。すなわち「神に会って和解した」という意味が在るからです。心の矛盾が解消されたからです。参考になるとすれば鈴木大拙博士の書いたものが良いと思います。自分の性を知っている人だからです。

貴方も自分自身が分かったなら、全ての疑問が解消するはずです。自分を悩ませているのは、自分自身だからです。貴方は心の矛盾という事を通じて、自分の仏性と対立を起こしている事が分かるからです。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。生きる意味とは、やはり、自分で見つけるものなのですね。

お礼日時:2009/04/07 18:51

言葉尻をどうこうするのではなく、厳密に回答するために、


少し手直しします。その点、ご容赦ください。

>人間は、何のために生まれて、

「何のために生まれて」という質問の立て方が乱暴なようです。
目的を持って、自発的に生まれてくるような設定・前提ですが、
そのようなことはありません。生み出されただけに過ぎません。
つまり、親(他者)によって製造されたのです。親・他者を
世界・環境・宇宙に置き換えてもいいでしょう。
生まれたときに、自己はありませんし、自意識もありません。
無意識のうちに、生み出されて、始まるだけです。

しかし、
>何のために生きるのですか?

自意識が生まれ、自問自答できるように成長したとき(思春期に)、
誰でも生きる意味を問うようになるようです。gfgfさんはその時期
を迎えたようですね。このとき、私たちは、自らの手で死を選択
できるようになっています。それにも拘わらず、自死を選択せずに
生きる意義を見出しているようです。家族や友達といると楽しい
から、恋人と一緒にいたいから、もう少しこの宇宙を解明したいから、
いろいろな意義を見出しているのだと思います。
これがまったく見つけられないと自死を選択するのでしょう。
青年期の自殺は、生きる意味・意義の自問自答と関係しているようです。
gfgfさんも、自問自答してみましたか?
答えを急いで求めず、じっくり探るといいと思います。
他者との関係を見つめましょう。もちろん、他者は人間に限りません。
世界・環境・宇宙も他者です。これらとの関係の中で、できることを
見つけていく旅だと思えば、結構楽しいかもしれませんが、苦難も
あるようです。甘くはないのが、現実ですが、克服できなくもない
と段々、体験していくのだと思います。
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意味ですか?


意味などないでしょうね。
生まれるから生まれて生きるから生きるのです。
所詮人間の生きる期間なんて数十年ですよね。
その辺の石ころを見てください。
この石は貴方が死んで灰になっても後何百年も
存在しますよ。

生きる目的はあるでしょうね。
良いもの食ったり好きな女抱いたり。
まあ月並みですが本当に愛する者を自分以上
に大事に出来る時しっかりした目的は出来ます。
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本に書いてあり、私は納得できたもののポイントを書いてみます。



人間の本質は霊魂であり、通常は霊魂として、霊界で、基本的に波長・比重等(趣向等)により分かれて存在しているそうです。
つまり、例えば、暴力的や我欲の塊みたいに粗雑で重々しい状態だと、同様な状態の人達と集合する形になり、親切で穏やかな状態だと同様な状態の人達と集合し、更に他者の幸せが自分の幸せと感じて活動しているような天使のような人達は同様な仲間と共にあちこち飛び回ったりしている、とのことでした。
それで、天国でも、周囲は基本的に自分と似たような人達ばかりなので、居心地はいい反面、長く居ると停滞・退屈したりすることもあったりするようで、そうすると、ちょうど缶詰の中に比重の違う気体を入れるような感じで、肉体という入れ物の中に入ることによって、霊界では出会うことが困難だった人達と交流可能となり、様々な新しい体験をすることで人格や社会をより一層すばらしいものにして行くことができ、そうした中に幸福感を味わうことができる、ということで、そうしたことのために生まれ、生きる、とのことでした。
ちなみに、死ねば肉体から霊魂が離脱して基本的に霊界へ帰るだけのことであり、また天国からであれば何度でも生まれ変わって来ることは可能、とのことでした。(天国でなかった場合でも、総合的に霊状態が変われば、それに応じた所へ移動できるそうです。なお、総合的に、という部分には色々な意味が含まれていますが、省略します。)
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愛の幅を広げるため(経験するため)に、


生まれ、生きます。
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たまに、僕もこんな事を自問するのですが、


生物的には、子孫を繁栄させ種を絶やさせない為に、宿主の遺伝子が生きるように作用し、性交させるよう仕向けてるとか云々・・問答するのですが
蝉などはその最たる物じゃないかと思います。

「だって死にたくないもんなぁ・・」と最近思うようになりました。
死にたくないから、生きてる。
自分の為に生きてると言うことですか、
「あぁ居なくなっちゃいたい・・」っと思うのも生きる意味を失うと極論になるんじゃないかなと思います。
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そりゃ~~食っちゃ寝。

食っちゃ寝が出来るからよ。

かわいい女の子にもチョッカイ出せるし、、、、、

で、あんたは絶望してるの???????かわいそう・・・・・

考え方変えようよ。面白おかしくをモットーにすりゃ、楽しいよ。

わしは、どうせ死ぬなら、ゲラゲラ笑いながら死にたいと思うね。

この回答への補足

 自殺志願者では、ありません。

補足日時:2009/04/07 18:52
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答えのない問いの答えを探すためです。

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「人間」が生きる事に意味など無いし哲学も無い。


単に生存本能・繁殖本能によるものです。

ただし「あなた」が生きる事には意味が有り哲学が有るはず。
それは他人に聞いても分かりません。
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