
No.12
- 回答日時:
「こころ・心」という言葉を通して、bmgjtu様は、「何か」を想定しておられますね?
それが「どこにあるか?」は、教えられるまでは「その中心は心臓の辺りにある」ように感じられるものであり、教えられてからは「その中心は脳の中にある」ように考えられる・思われるものであるということでよろしいですかね?
また、次のような言葉に出会ったとき、「そうそう、そういった感じにもなるよね」と思われることと思います。
1.心ここにあらず
2.心を引き裂かれるような思い
3.心配り
4.心温まる
等々。。。
1,2,3について、「そうそう、そういったこともあるよね」と思われたのなら、「心」は「どこ」に(あるいは「どこまで」)あると思われるでしょうか?
1.「ここにあらず」で、思っている「もの」の辺りにまとわりつく感じ。
2.「引き裂かれた別の側」に、くっついてく感じ。
3.「配られた先」に、くっついていく感じ。
これらについて、どの程度、どのように思われるかは、情況によるとおもわれますし、それぞれの「心」の定義・考え方・想い方にも依存すると思われます。
また4ですが、「胸が熱くなるような」とかいった表現もなされることでしょう。如何に「脳内にある」かのごとく、説明を受け、そのように理解しようとしても、まさに「心臓の辺り」と密接に関連しているわけです。「脳内に収まりきっていない」といった表現の方がぴったり来るような気がします。
ようするに、「ある・ない」といった前提以前に、人びとが「心」という言葉・記号を見て、その言葉が指し示すであろうものについて(漠然とした概念で)「そう呼びうるもの」を考える・思う・想うとき、その人の情況・情態によって「その」中心や範囲が変化するものではないでしょうか?
逆説的に言えば、そのような「漠然としたもの」(もっと言えば、脳内に収まりきらないもの)だからこそ「こころ」という概念になりうるのかも知れません。
No.11
- 回答日時:
No.4です。
《こころ・たましい・霊》の定義をこころみます。
○ 《たましい》は
A. 感性
B. こころ
C. 霊
これらを表わします。
○ 《こころ》は 次を表わします。
A. 感性 また 感情・気持ち
B. 世界にあってそれに相い対するときのみづからの向き あるいは 働きかけとしての意志(志向性)
B1. これを広げれば 身体を基礎とし身体に一般に呼応して動きを生じる精神
B2. この精神としてのこころには 《意志》の行為のための判断材料を提供する《知解》という行為能力もある。合理的な推論をとおして導き整合性をもたせた情報や知識を提供する能力行為。
B3. この知解は 精神の基層としてあってその秩序作用という能力行為でもある《記憶》からその知恵や知識を得てくる。
C. たましいとしての霊 霊としてのたましい
○ 霊とは
C1. 身体(≒感性)および精神(記憶・知解・意志という三つの行為能力)を超えた領域を仮りに想定したもの
C2. 経験世界を超えたところのことである。つまり 何が何だか分からないもの。
C3. つまり 経験合理性にもとづく経験思考(一般に科学)によっては分かるか分からないかが分からない領域
C4. 《表象しえぬもの》・《無根拠》・《なぞ》
C5. けっきょく 《絶対》・《無限》・《真理》とも呼ばれるものである。
C6. それに色をつければ 《神》のこと。(自然の現象や人間の心理作用を神格化したような――つまり一般に神話におけるところの――《かみがみ》のことではなく その背後の超自然・超経験の領域を言う)。
C7. ちなみに 従って 人間の――経験領域における――《精神》は 《霊》ではない。
C8. しかもこの超経験の《霊》の意味で たましい・こころ・精神といったことばが使われることがある。区別するのが望ましい。いや特に精神となるとややこしいので区別すべきである。
よって一般的にこう言える。
○ 《こころ》は 経験的である。つまり 身体(感性)につながっている。
○ 経験的なこころが その伸び(志向性)として・明け(超経験への窓)としてあるとき しかもそこで同時に 超経験なる《霊》との接点が もしそうだとすれば 想定される。これを一般に 《たましい》と言っている。
○ たましいとは 非思考である。
No.9
- 回答日時:
あなたが質問した内容も心から、内側から沸いてきたものですよね。
あなたが思うことがある以上、
それを心と呼んでます。
つまり、実感してるはずです。
しかし、物質を越えたものがまだまだいっぱいあるということを知りましょう
科学は形がないと探求できません。時間も形はありません。夢も創造も、
ましてや命も意識も、科学を超えた世界です。
しかし、あると仮定することで理解できることがあります。
あなたも内なる思いを実感してるはずです。しかしどこを探してもない。
しかし「ある」ので、大事にしてないと、人のしあわせに関わる問題ですから、大事にしましょう。生命は。
そういう疑問から、宗教、仏教に入る入り口になります。
1000年前は自分はどこにいたのかという問いと同じレベルですね。
あるようでなく、無いようである。ということでしょうか。
そういうのは仏教が扱ってる世界ですね。
生命感です。
この回答へのお礼
お礼日時:2009/09/05 20:53
>あなたが質問した内容も心から、内側から沸いてきたものですよね。
そう言われればそうでした。
>そういう疑問から、宗教、仏教に入る入り口になります。
ここから興味を抱ければ楽しくなりそうです。
ありがとうございます。参考になりました。
No.8
- 回答日時:
心が、感情で揺れ動き、情緒に突き動かされ、理性により決定すると考えると、これは他の回答者の方々が仰っているように大脳の「機能」です。
記憶のどの引き出しを開けるかと言う機能はその人の歴史(これも記憶ですが)により千差万別があって当然ですね。人によっては、大脳の中の神経接合部での電気信号の発する火花が「心」であると定義されるほどです。その考えは一つの考え方としてあっても良いと思います。
それを認めたとして、次の質問は。「では、“魂”は何処にあるのですか?」と言うことになりますか・・・
すみません、一言余計でした。
No.4
- 回答日時:
こんばんは。
○ 平たく言うと ひとにはその判断行為のひとつとして 《賭ける》という振る舞いがあるからです。
○ 無限を経由して ものごとを判断し いづれか一つをえらぶことがあるからです。言いかえれば
○ 無根拠によって判断し行動をすることがあるからです。
○ 何も考えずに何もあらかじめ決めずに ただその瞬間 えいやっと空中を切るようにして決めることがあるからです。
あるいは別様に考えて
○ 《ゆづる》ということをひとは 知らず知らずにうちにおこなっているとき。すなわち
○ ひとに道をゆづったり 席をゆづったり 多少のあやまちに対してとがめるのを控えて――自分のあやまちのことをも考え合わせて――相手にゆづったりするとき なんらかの心のはたらきがあると捉えます。
○ あるいは自分があやまちを侵した時それに気づけば我れに還るということがあったりする。そういうときに 心があると捉えられると思います。
○ あるいは うそをつくとき やましさを感じます。それは身体の神経細胞を基礎としてこころがはたらいていると捉えられます。
○ うそ偽りを言うとき 顔を赤らめます。あるいはそのときには決然として言うとしたなら やましさを何ら感じずにそのように振る舞ったということに対して あとで顔を赤らめます。
そこには こころのはたらきがあると考えられるのではないでしょうか?
No.3
- 回答日時:
あるというより見えるかどうかで判断しているのですね。
どれだけ科学が進歩しようが分からない事(定義できない事)はあります。
まあ、それでいいんじゃないかと思います。
「無い心をどうやって刻む?」って、あなたはカイオウですかw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE% …
まあ、諸説ありますがね。
私見ではありますが、「心」を単体で考えるのではなく、何かに影響
された時に、どのように作用するかという事も重要です。
そういった意味合いでは、「人間」という言葉そのものは、奥が深いと
感じます。
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