準・究極の選択

多くの本に今日一日を生き明日のことは考えない。明日のことは明日考えると書いてあるのですが

これは将来的な大きな目標を持たないという意味ですか?
どうしても私は夢を掲げて、頑張り、将来のことに悩んでしまうのです。
将来、明日のことを考えない=夢を持たない事と思ってしまうのですが間違ってますか?
私は将来のことを念頭においておかないと今日頑張れない、もしくは今日何をしていいのかわからなくなってしまいます。

また、明日のことは考えないとなると貯金もしなくていいという考えでいいのでしょうか?
今日御飯を満腹食べる為に冷蔵庫の中を空っぽにしてもいいのでしょうか?

宜しくお願いします。

A 回答 (8件)

こんにちは。

ずるい言い方ですがどちらも正しいと思います。
人それぞれの、今の自分が膠着している考え方からの転換を示しているのではないでしょうか。
女優の吉永小百合さんのお話しを聞く機会があり、その時こういう言葉がありました。
「今日できない事にとらわれて悩まない。もう終わってしまった事を悔やまない」
吉永さんほどに積み重ねてこられた方だからの言葉でしょうが、私は目の前の事で先に進めないタイプので、とても印象に残った言葉でした。

>>今日一日を生き明日のことは考えない。明日のことは明日考える
 先のことを考えすぎ、目の前のことに集中できない人に一つずつ片付けていることを勧めている。
もしくはあなたには失礼かもしれませんが、最近よく耳にする「まだ本気を出していない」「本当の自分に出会っていない」タイプの人には必要な考え方ではないでしょうか。
>>将来のことを念頭において今日頑張る
逆にこちらは、目先の事にこだわり過ぎ、中長期スパンでのとらえ方ができずに身動きできない人を対象にした発想だと思います。

バランスよく両方の思考法を身につけることができればいいのですか、人間そこはなかなか難しいですね。
一人の人がどちらかの考え方だけに偏っているわけでもなく、その局面局面で考え方がこう着することがあります。
その時は、もう一つの考え方をしてみる、そのくらいでいのではないでしょうか。

ご参考になれば幸いです。
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言葉は完璧なものではありません。

十全にそのひとの思想を表現しません。
結局、それを読んだひとの解釈次第なのです。
なので
貴方のためになる本は、やはり貴方の心が直接揺り動かされる本であるべきです。
多くの本にそう書いてあるからといって、それが貴方にとって真実であり、貴方のためになるとは限らないと思います。
自己啓発書だけでなく、本はできるだけたくさん、いろんなひとの本を読むべきだと私は思います。

さて、
>今日一日を生き明日のことは考えない。明日のことは明日考える

これは人生目標とか、夢とか、将来 とかいう問題とは別の次元の話だと私は思います。
ひとことでいえば刹那主義、あるいは老人の思想でしょう。今日を精一杯生きる、と考えれば若い人にも共感できると思いますが、一般的な思想ではないと私も思います。

若い人は一生の目標を持ち、大きな希望をもって日々を着実に、計画的に生きるべきです。

>将来、明日のことを考えない=夢を持たない事と思ってしまうのですが間違ってますか?

正しいと思います。思ったとおり生きるべきです。
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自己啓発も一つの方法です。

なるほどと思えば実践すれば良いと思います。
しかし私はそのようにしてきませんでした。だから結果が悪かったとは思いません。人間は自分の得意なことをする方がうまくゆきます。苦手なことを自己啓発していも得意になれません。
人生に夢を持ちなさいと教える親や先生も多いのですが、得意なことの先に夢があります。そのことを進めてゆくと夢はと゜んと゜んと大きくなって行きます。夢がすでにあるのではなく、夢は歩いてゆくことで生まれてきます。得意でやりたいことは自然と努力し、毎日毎日頑張れるのです。
人間は眠くて寝るのですが、起きたら明日になっているだけです。今日も明日も同じものです。
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それは、社会で使役される歯車人間をつくるための


「啓発」書ですね。
自己を律する方法として、他律と自律があります。
何も考えずに与えられたノルマにまい進するのは前者、
目標を自覚して進むのが後者です。
国家や企業が、説明責任を果たさずに歯車として庶民を
安易に使役するのは、前者であるのは当然です。
生きる目的が、物の生産か心の充足かの違いとも言え。
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自己啓発が得意な人はいくつのときまでにこれを習得するとか考えています。


試験勉強でも参考書を日数で分割して取り組みます。
希望=自由ですから人が明日なしで生きるということは不可能です。
読まれた啓発書が自由にもの考える方がしたためられたのだと思います。
はっきり言ってはじめに言ったようにいくつのときまでにあれだこれだと考えない人はだめな人です。
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 こんばんは。





 《ときが満ちる》という意味です。

 情況や局面が変わって来ましょう 明日にでもなれば。

 
 あるいはつまり あなたの心や知性のハタラキまでもが 熟して来ます。明日になれば明日の風が吹きますから。



 大きなゆめは持ってください。
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まぁ、其の文章をどう解釈するかは読み手の勝手なので、好きになさったら良いとは思います。



大切な事は考えないのでは無く、囚われない事です。

明日の事を心配するのは自由ですが、明日不幸が訪れるか、幸せが来るかは、明日にならなければ判りません。

予測可能な事には当然に準備をするでしょうから、其れは良いのですが、予測不可能な更には正体さえも判らない不安を探し続けていても時間の無駄と言う物でしょう。

要は「布団に入ったら、サッサと寝た方が良い」です。

やる事が有るならば、起きてやれば良いし、やる事が無いなら、布団で心配しているよりも寝た方が良いのは自明の理でしょう。
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それは、ご質問で指摘があるように、リスクを負ってたまたま成功した人間か、机上の空論ででっちあげ本を書いた作家だからです。



ただ、「今日一日で、どれだけ自分の将来のためのことが取り組めるだろう」と考えると、今日一日ではやりきれないくらいの物事に取り組むので精一杯になって、明日の予定は立たないと思うのです。

つまり、「今日やることが明日よりもっと先のための行動」で、それを明日は明日で一日かけて、「明日やることが明後日よりもっと先のための行動」ばかりになるのです。

「日々一生懸命」「今できることをやる」「将来につながることをやる」という、ごく短期のスケジュールにとらわれずに、常に長期的な視点から今やっていることに意義があると捉えたものだけ熱中していこう、と言いたかったのが、ご質問の冒頭の文章なのだと思います。

まあ、それを書き残し他人に伝える能力がなかった、という点で、その書籍をそれ以上読むのは、今回のような解読作業の山になるかもしれませんが。
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