結果無価値論と行為無価値論はどっちが主流ですか?
そして、結果無価値論は、結果を見るのに、それが無価値なのはなぜですか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

>結果無価値論と行為無価値論はどっちが主流ですか?



文字通り、犯罪の結果(人の死など)を受けて判断をするのか、予備・未遂を含めた段階で「行為を規制」するものかということになるでしょう。

犯罪の阻止、予防という観点からすると行為無価値論が優位ですが、社会生活への刑事法の介入(規制)という意味からすると、結果無価値論のほうが自由といえるかもしれません。
こうしたことから、行為無価値論のほうが拡大解釈されやすいといえるかもしれません。また、裁判員制度が導入されましたが、これと良く馴染む考え方は、社会的規範に対する違背を違法の根拠とする『行為無価値論(二元論)』です。
    • good
    • 0

>故意と過失と未遂との関係を教えてください。


>構成要件該当性、違法性、有責性との関係も教えてください。

 juliusさんが、とてもわかりやすく、正確に、丁寧に御説明されていると思います。ありがとうございました。
    • good
    • 0

回答No.2の_juliusです。



まず、お聞きしたいのは、貴方は大学で法学(ないしは刑法学)を学んでいるのですか、ということ。そうだとすれば、まずは専門家である教員の方に一度質問に行かれるのがよろしいかと思います。それから、何か教科書を使っているかというのも補足願います。

質問の仕方を見る限り、まだ刑法学の基礎中の基礎が身に付いていらっしゃらないようですので、まずはイメージをつかんで頂くため、以下では、かなり簡単な言い回しで説明をします。

>故意と過失と未遂との関係を教えてください。
ということですが、「故意と過失と未遂」は同一平面上にある問題ではありません。問題の立て方、ないしは概念の整理の仕方としては「故意と過失」、「既遂と未遂」という形になります。

「故意と過失」
簡単に言えば、「故意」とは「わざと」であり、「過失」とは「うっかり」です。
同じように人を死なせる行為であっても、それが「わざと」か「うっかり」かで、成立する犯罪が異なってきます。
例えば、「わざと」人を死なせれば(ex. ナイフで刺す、毒を盛る)、故意の生命侵害犯、すなわち殺人罪が成立します。これに対し、「うっかり」人を死なせた(ex. 猟銃の暴発で人を死なせる)のであれば、過失の生命侵害犯、すなわち過失致死罪になります。
これが「故意と過失」の区別です。

「既遂と未遂」
簡単に言えば、「既遂」とは法益侵害結果が「発生した」場合を言い、「未遂」とは法益侵害結果が「発生しそうになったが、しなかった」場合を言います。
例えば、人を「殺した」のであれば殺人罪の既遂犯ですが、人を「殺そうとしたが殺せなかった」のであれば殺人罪の未遂犯です。
これが、「既遂と未遂」の区別です。

こうした、「故意と過失」「既遂と未遂」という2種類の相異なる分類を前提とし、生命侵害犯を例に組み合わせを考えるなら、以下のようになります。

(1)故意犯の既遂犯:殺人既遂罪(199条)
(2)故意犯の未遂犯:殺人未遂罪(199条・203条)
(3)過失犯の既遂犯:過失致死罪(209条)
(4)過失犯の未遂犯:不可罰(刑法上、これを処罰する規定は存在しない。※相手に怪我も負わせなかった場合)

次に、
>構成要件該当性、違法性、有責性との関係も教えてください。
ということですが、以下のことをまず必ず覚えておいて下さい。

「犯罪とは、『(1)構成要件に該当し、(2)違法で、(3)有責な』行為を言う」

すなわち、犯罪が成立したと言えるためには、
(1)構成要件該当性
(2)違法性
(3)有責性
の3つの段階をクリアーしなければならないということです。

まず、第一段階の構成要件該当性とは何か。
それは、行われた行為が「類型的に見て」犯罪行為と言える形をもっているかの判断です。人間が日々行っている様々な行為のうち、一定の「類型的な」形をもった行為だけが処罰の対象となります。それは例えば、「人を殺す」とか「物を盗む」とか、そういった行為があったのか、ということの確定作業と言えます。

では、とりあえず、何かしらそうした「類型的な」行為があった(例えば、「人を殺す」という行為があった)として、次に行われるのが違法性の判断です。
違法性の判断とは、確かに「人を殺す」という類型的な行為はあったが、それははたして法から見て許されざる行為として行われたものであったのか(違法な行為だったのか)ということを確認する作業です。
「人を殺す」という類型的な形をもった行為であっても、それが例えば「正当防衛」として行われたのであれば、確かにそれは類型的には「人を殺す」行為であっても、「違法だ」とは言えないとされます。この場合、そうした行為は「構成要件該当性はあるが、違法性がない(違法性が阻却される)」と評価されます。
反対に、類型的に「人を殺す」行為があり、なおかつそれを正当化するような根拠もないのであれば、それは「構成要件に該当し、違法な」行為となります。

こうして、「構成要件に該当し、違法な」行為と評価された(構成要件該当性、違法性の2つのステップをクリアーした)行為は、最後に、有責性の判断へと移ります。
有責性の判断とは、「人を殺す」という類型的行為があり(=構成要件該当性があり)、それを正当化する事情もない(=違法性があり)ときであっても、そうした行為を非難できない事情があるかもしれない、そうした事情の有無を確定する作業のことを言います。
例えば、「人を殺す」という行為に出て、しかもそれが正当防衛でもなんでもないとしても、当の本人が精神疾患で責任能力がないなら、その人を非難することができません。これは行為が違法か適法かという問題ではなく、違法であったとしても責めれるかどうかの判断です。ポイントは、あくまで行為は違法であるということ。責任無能力だからといって適法、すなわちやっても良い行為だとは言えません。
簡単に言えば、違法性の判断は「やってもいいかいけないか」の判断で、有責性の判断は「やってはいけないことをやったときに責めれるかどうか」の判断です。違法性がないとは「やっても良い」ということであり、責任がないとは「やってはいけなかったけど、責められない」ということです。両者のニュアンスの違いに注意して下さい。

以上述べてきたところが基礎中の基礎です。
それらを前提に
>故意と過失を分けないのが、結果無価値論で、それを分けるのが行為無価値論ですか?
という質問に答えます。

結果無価値論(その中でも山口説のように純理論化されたもの)は、「構成要件の段階では」故意犯と過失犯を区別しないというだけであって、責任段階で両者を区別します。
「結果こそが重要」という観点に立ったとき、故意犯だろうが過失犯だろうが、そこにある類型的行為は「人を死なせる」という行為であって、両罪は同じ類型に属すると考えられます。したがって、殺人罪も過失致死罪も「人を死なせた罪」という1つの類型(構成要件)の中にあるということになります。では、両罪の違いはどこに現れるか。それが責任です。「人を死なせた」という類型にあたり(=構成要件に該当)、それが「やっても良い」行為とは言えない(=違法性アリ)としても、「わざと」か「うっかりか」は、どの程度「責められるか」という観点から違いが出てきます。こうして、殺人罪と過失致死罪は、責任段階で区別されることになる、というのが結果無価値論からの帰結です。

他方、行為無価値論は、構成要件の段階から故意と過失を区別します。
「行為こそが重要」という観点に立ったとき、自ずと「わざと死なせる行為」と「うっかり死なせる行為」とは、そもそも最初から異なる類型に属する行為だと判断されるのです。

ですから、
>故意と過失を分けないのが、結果無価値論で、それを分けるのが行為無価値論
ということではなく、故意と過失を構成要件レベルでは分けずに、責任レベルで分けるのが結果無価値論で、故意と過失を最初から構成要件レベルで分けるのが行為無価値論である、と説明できます。

なお、
>殺人未遂の場合、結果無価値論では、殺人未遂だけど、行為無価値論では、未遂でも、殺人ってことでしょうか?
とのことですが、これは、行為無価値一元論をとった場合の帰結であり(もっとも、論者もそうは言わないでしょうが)、一般的に行為無価値論と呼ばれる、行為無価値結果無価値二元論は、やはり、既遂と未遂を区別しますので、殺人の実行の着手はあるがそれが未遂に終わったケースなら、結果無価値と行為無価値とを問わず、殺人未遂罪になります。

以上、お解り頂けましたでしょうか?
    • good
    • 4

現在の学説・判例は、共に、どちらが主流とは一概には決められない状況にあります(なお、一応補足しておけば、現在一般に「行為無価値論」と呼ばれる立場は、正確には「行為無価値・結果無価値二元論」のことを意味します。

今日、「行為無価値一元論」を採る学者はかなり少ないです)。また、行為無価値論自体も、伝統的な大谷先生的理解(すなわち、刑法の目的を「社会秩序維持」に据え、違法の本質を「社会倫理規範違反」と見る立場)と、近時有力な井田先生的理解(すなわち、刑法の目的を「法益保護」に据え、違法の本質を「行為規範違反」と見る立場)とで、大きな隔たりがあります。

判例・実務は行為無価値論に則っていると言われることがありますが、それは誤りです。判例をきめ細やかに読んで行けば、決して行為無価値論の一枚岩でないことが解ると思います(そう思えないのであれば、判例が正しく読めていないか、行為無価値論が理解できていないか、どちらかだと思います)。判例追随型の学説提示で有名な(というと誤解があるかもしれませんが)東京都立大の前田雅英先生の学説が「論理的に首尾一貫していない」とよく批判されるのは、そうした判例の態度決定の不確定さに由来しています。

また、貴方がもし何らかの資格試験(典型的には新司法試験)を目指していらっしゃるのであれば、必ず、個々の論点についてどちらの立場からも説明できるようになっていないといけません。(自分が「学問」的にどの見解が説得的と考えるかとは別の問題として、)こと「試験」について言えば、弁護側に立って論証して行くのか、検察側に立って論証して行くのかで、有用な理論構成が異なるからです。

それから、
>結果無価値論は、結果を見るのに、それが無価値なのはなぜですか?
とのことですが、「無価値」とは、ドイツ語のUnwert(ウンベルト)を直訳したものであって、日本語で言う「価値がない」という意味ではありません。これは「マイナスの価値」とでも言うべきものであって、要するに「悪い」ということです。
簡素化して説明すれば、例えば、XがAを殺したという事例において、「Aが死んだ」という「結果」が法にとって好ましくない(違法だ)と見るのが結果無価値論、「Aを殺した」という「行為」が法にとって好ましくない(違法だ)と見るのが行為無価値論です。前者はあくまで「死んだ」という結果が重要なのですから、わざと(故意殺)かうっかり(過失致死)かということは二次的な問題になります。東大の山口先生などが、殺人罪と過失致死罪との構成要件レベルでの峻別を行わないのは、この点に由来します。反対に、後者は「殺した」という行為が重要になりますから、構成要件レベルにおいて、すでに故意殺と過失致死とは区別されるべきこととされます。
「無価値」という誤解を招き易い用語法は避けるべきであるとして、京都大学その他の関西圏の大学では「反価値」という用語が用いられることがありますが、慶応大学の井田先生などは「何かヒラヒラした布を連想するよね」と仰っておられ、好みの分かれるところです(笑)。

この回答への補足

故意と過失を分けないのが、結果無価値論で、それを分けるのが行為無価値論ですか?

殺人未遂の場合、結果無価値論では、殺人未遂だけど、行為無価値論では、未遂でも、殺人ってことでしょうか?

補足日時:2009/05/27 22:38
    • good
    • 0

 学者の数で言えば、結果無価値論者のほうが多いのではないでしょうか。

結果無価値論には、東大の山口厚先生がいらっしゃいます。
 しかし、判例・実務は行為無価値が支配しています。こちらは、団藤・大塚説や、井田良先生がいらっしゃいます。

 結果無価値の「無価値」は、結果を無視するという意味ではなく、誤解を恐れず、わかりやすく言えば、結果が「価値がない」=「わるい」ということです。

この回答への補足

故意と過失と未遂との関係を教えてください。

補足日時:2009/05/27 22:42
    • good
    • 1
この回答へのお礼

構成要件該当性、違法性、有責性との関係も教えてください。

お礼日時:2009/05/27 22:45

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q行為無価値論への批判を、「刑法において、主観性を含ませるのは刑法の本質

行為無価値論への批判を、「刑法において、主観性を含ませるのは刑法の本質的意味において不当」とすることは可能でしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>主観性を採用している
>→法律濫用の恐れ
>⇒刑罰適用を最小限に食い止めるという刑法の本質的意味からの逸脱

うーん、、、
具体例を交えれば、大学1年レベル(刑法学初学者)なら、まァ、ギリギリってとこでしょうか。
それ以上のレベルとなると、厳しい言い方ですが、これでは全くお話しにならないと思います。

まず最初に確認しなければならないのですが、
結果無価値論(Erfolgsunwert)・行為無価値論(Handlungsunwert)は“構成要件・違法性・有責性”の3分体系(これはご存知ですよね?)のうち、(構成要件論・)違法論に関する議論です(もちろんそれを反映して責任論も変わってきますが)。
簡単に言うと、結果無価値論と行為無価値論という対立をは、「犯罪はなぜ違法なのか」という問をめぐる対立です。極簡略化していうと、結果無価値論はこれに「人の死という結果が法にとり好ましくないからだ」と答え、行為無価値論は「人を殺すという行為が好ましくないからだ」と答えます。

こうした違法論レベルを経て、次に責任論のレベルで「違法だとして、責められるか」という判断をします。

行為無価値論は故意・過失をはじめとする主観的要素を構成要件・違法性レベルで既に考慮しますが、結果無価値論は違法論のレベルでは考慮せず(したがって、原則として客観的要素のみを考慮する)、責任レベルで初めて考慮することになります。

したがって、「刑法に主観を含ませる」という言い方自体が既に不当です。
犯罪が成立するかという最終的判断に至るまでには、結果無価値論だろうが行為無価値論だろうが、主観を考慮します。
ですから、正しくは「刑法的違法判断に主観を含ませる」かどうかの問題だ、ということです。

以上の基本的理解を前提に話を続けます。

現在、行為無価値論と呼ばれているもののほとんどは、厳密には行為無価値・結果無価値二元論です。
つまり、行為無価値性だけを基準に違法判断をするのではなく、行為無価値性をベースに、(少なくとも既遂犯論では)結果無価値論も合わせて必要とされる、ということです。

イデオロギー的な極端な言い方をすれば、
結果無価値論は結果無価値だけで違法性肯定しますが、
行為無価値論は結果無価値だけでは足りず、行為無価値(その中に主観的要素も取込まれている)もなければ違法性は肯定できない、
ということになります。

したがって、実は、行為無価値論の方が「違法」とされる範囲は狭くなるのです。

以上から、
>刑罰適用を最小限に食い止めるという刑法の本質的意味からの逸脱
とは一概には言えないということが分ると思います。

むしろ行為無価値論の問題性とは、違法の範囲が広い・狭いの問題ではなく(むしろ行為無価値論者は「違法の範囲が広すぎる」と結果無価値論を批判します)、違法判断に主観が混じることで、違法判断が恣意的になる点にあります。
主観的要素を加味して違法判断を下すというが、なぜある種の主観的要素が備わるとそれを「違法」と呼べるのか、ということです。
それは「悪い意思が悪い」と、モラリズムを基礎にトートロジーを展開しているに過ぎないのではないか。
もっとはっきりと「結果(=被害)」があるから「悪い」と言った方が司法の暴走を抑止できるのではないか。
これが行為無価値論に向けられる批判です。

以上は分りやすさを重視した説明なので(十分解りにくいですが)、暴論的な部分もあります。
詳しくは学者に聞くのが一番です。

※この質問と関係ないのですが、純客観説の話は、明日以降に本を探して見てみます。

>主観性を採用している
>→法律濫用の恐れ
>⇒刑罰適用を最小限に食い止めるという刑法の本質的意味からの逸脱

うーん、、、
具体例を交えれば、大学1年レベル(刑法学初学者)なら、まァ、ギリギリってとこでしょうか。
それ以上のレベルとなると、厳しい言い方ですが、これでは全くお話しにならないと思います。

まず最初に確認しなければならないのですが、
結果無価値論(Erfolgsunwert)・行為無価値論(Handlungsunwert)は“構成要件・違法性・有責性”の3分体系(これはご存知ですよね?)のうち、(構成要...続きを読む

Q刑法 正当防衛の事例の論述方法を教えてください

刑法の期末の範囲に正当防衛が含まれているのですが、それの判例として下のものがあります。

甲から殴りかけられた被告人が、甲の顔面を殴打したところ、甲がアルミ製灰皿を被告人に向けて投げつけたため、被告人が甲の顔面を殴打(第1暴行、死因)すると、甲は転倒して動かなくなったが、さらに腹部などを足蹴にするなどの暴行(第2暴行)を加えて、傷害を追わせた結果、甲が死亡した。

この判例の被告人の罪状について論述していきたいのですが、どのような論点で論述展開していけばいいのでしょうか?
最高裁の判決では第2暴行の傷害罪のみの成立を認めているみたいです。

被告人の一連の暴行は傷害致死に当たるのではいないか→正当防衛による違法性阻却の検討→過剰防衛の検討→しかし思うに第1暴行は急迫不正の侵害etc正当防衛の要件を満たすが、第2暴行との間に断絶があり第2暴行は正当防衛及び過剰防衛には該当しない(その根拠も示す)→死因となった第1暴行には正当防衛が認められ違法性阻却、第2暴行はそのまま傷害罪成立→結果的に傷害罪成立
という流れでいいのでしょうか?(大雑把な書き方で申し訳ないです)

何か書き足りない論点、間違った論点がありましたらご教授お願いします。

刑法の期末の範囲に正当防衛が含まれているのですが、それの判例として下のものがあります。

甲から殴りかけられた被告人が、甲の顔面を殴打したところ、甲がアルミ製灰皿を被告人に向けて投げつけたため、被告人が甲の顔面を殴打(第1暴行、死因)すると、甲は転倒して動かなくなったが、さらに腹部などを足蹴にするなどの暴行(第2暴行)を加えて、傷害を追わせた結果、甲が死亡した。

この判例の被告人の罪状について論述していきたいのですが、どのような論点で論述展開していけばいいのでしょうか?
最高裁...続きを読む

Aベストアンサー

よく勉強されていると思います。
質問者様が書かれている内容で十分だと思います。

一番重要なのは、第一行為と第二行為とを分けて検討す根拠です。
この点の判断についてはご指摘の判例で述べられていますので、ここを丁寧に論じるのがいいかと思います。
ちなみに、学説ではこれを分けて考える説、一連のものとみる説、折衷っぽいよくわからない説があったと思いますので、答案ではこれらの学説にも触れつつ、自説としていずれを採用するかを論じることができればベストだと思います。
学説についてはその判例の解説(重判など)をみるといいでしょう。

論述の流れも難しい問題ですよね。
私だったら、はじめの問題提起の段階で
「甲に傷害致死罪が成立しないか。第一行為と第二行為を分析的にみるなら、死と因果関係ある第一行為に正当防衛が成立し、第二行為については正当防衛が成立しないため傷害罪のみが成立し、これを一連の行為とみるならば過剰防衛となると考えられる。そこで、第一行為と第二行為の関係をいかに解するかが特に問題となる。以下、検討する。」
というように、かなり結論先取りな感じで書いちゃうかもしれません。

よく勉強されていると思います。
質問者様が書かれている内容で十分だと思います。

一番重要なのは、第一行為と第二行為とを分けて検討す根拠です。
この点の判断についてはご指摘の判例で述べられていますので、ここを丁寧に論じるのがいいかと思います。
ちなみに、学説ではこれを分けて考える説、一連のものとみる説、折衷っぽいよくわからない説があったと思いますので、答案ではこれらの学説にも触れつつ、自説としていずれを採用するかを論じることができればベストだと思います。
学説についてはその判例...続きを読む

Q刑法初学者なのですが、今大学で因果関係について学んでいます。

刑法初学者なのですが、今大学で因果関係について学んでいます。
その中で有名な判例について罪責を論ぜよとの例題があるのですが、どのように書けばよいのかまったくわかりません。判例がどの立場をとっていて(相当因果関係説?)、どのような工程で判決に至ったのかを書けばいいみたいなのですが、それが上手く出来ないです。
書き方のヒント、論点になるポイントなど、教えていただけないでしょうか?

(1)大阪南港事件
被告人甲はXに洗面器などで多数殴打するなど暴行を加え、その結果Xは意識不明になり、その後気を失っているXを車で運搬し、資材置き場に放置した。ところがXは生存中さらに乙によって書くぜ愛で頭頂部を殴打され、翌日未明死亡した。なお乙の殴打はXの死期を早めたに過ぎない。
甲・乙の罪責を論ぜよ。(傷害致死罪)

(2)夜間潜水訓練事件
スキューバダイビング指導者である甲が、補助員乙とともにXら6名の受講生に対し、夜間潜水指導を実施していたが、不用意に移動して受講生らの傍から離れ、経験の浅い補助員乙をXら6名を見失った。その間乙はXらに水中移動という不適切な指示をして、これに従ったXはタンク内の空気を使い果たし混乱状態に陥り、溺死した。
甲・乙の罪責を論ぜよ。(業務上過失致死罪)

(3)高速道路進入事件
甲ら6名は深夜の公園およびマンションでXに暴行を加え、Xは隙を見て逃走したが、約10分後に追跡を免れるために高速道路に進入し、そこで車に轢かれて死亡した。
甲らの罪責を論ぜよ。(傷害致死罪)

(4)熊撃ち事件
被告人甲は狩猟仲間Xを熊と間違えて誤射し、10数分以内で死亡するほどの重傷を負わせた後、Xの苦悶状態から瀕死の状態と考え、殺害して楽にさせたうえで逃走しようと決意し、至近距離から発砲してXを死亡させた。
甲の罪責を論ぜよ。(業務上過失致死罪)

長々となってしまいましたが、よろしくお願いします。

刑法初学者なのですが、今大学で因果関係について学んでいます。
その中で有名な判例について罪責を論ぜよとの例題があるのですが、どのように書けばよいのかまったくわかりません。判例がどの立場をとっていて(相当因果関係説?)、どのような工程で判決に至ったのかを書けばいいみたいなのですが、それが上手く出来ないです。
書き方のヒント、論点になるポイントなど、教えていただけないでしょうか?

(1)大阪南港事件
被告人甲はXに洗面器などで多数殴打するなど暴行を加え、その結果Xは意識不明になり、...続きを読む

Aベストアンサー

因果関係を主要な論点とする刑法の問題の解答の例としては、
http://okwave.jp/qa/q5885823.html
で回答しているのでまず読んでみてください(この解答例は条文を指摘していないという欠陥があります)。
一般論として言えば、罪責を論ぜよ、という問題に対しては、
1.該当しそうな犯罪を考える(条文を指摘する)。
2.その犯罪の構成要件に問題の事例が該当するかを検討する。
 2-1.客観的構成要件要素の検討
  2-1-1.実行行為性
  2-1-2.結果(結果犯のみだが質問の事例は全て結果犯)
  2-1-3.因果関係
 2-2.主観的構成要件要素の検討
  2-2-1.故意または過失(質問の事例では、結果的加重犯では基本犯の故意が必要。過失犯では過失だけの問題)
  2-2-2.超過的内心傾向(質問では関係なし)
3.共犯が絡む場合、必要に応じて検討
4.必要に応じて、違法性阻却事由、責任阻却事由の検討
5.罪数処理
という流れになります(共犯に関しては、構成要件該当性、違法性、責任のいずれに影響するかによって書く順序を変えた方が流れが良くなるかもしれません)。なお、検討すべき行為者が複数いる場合には、「結果に近い方から」検討するのが王道です(ごく稀に例外もあります)。ですから、(1)(2)の例では乙から検討した方がよいです(特に因果関係論で言えば、乙の行為を挟んでいるために甲の行為と結果との因果関係があるのかないのかが問題になるわけです。とすれば、乙の行為と結果との関係の方が分かりやすいので先に書くのが楽です)。なお、(3)については、明らかに犯罪行為を共同で行っている典型的共同正犯なので、「甲ら(6名)」と一まとまりで論じて構いません。

因果関係学説の大雑把な話は、
http://okwave.jp/qa/q6008515.html
で回答しているので読んでみてください。

とりあえず質問の4つの事例は全て判例なので刑法判例百選とか判例集を見れば解説付きで全部見つかると思います(最高裁のウェブサイトの判例だとないものもあるかもしれませんし、解説はありません。それ以外のネットの解説は、大学のサイトなどでもない限り信用できないので避けた方が無難です)。一通り目を通すことをお勧めします。

さて、各論です。
(1)傷害致死罪というのは書いてあるわけですから、
乙に傷害致死罪が成立するかを論じる(角材で殴ったのだから暴行の実行行為はある。死んだのだから結果もある。死期が早まったのだから因果関係もある。傷害致死罪の成立に致死結果の予見可能性を不要とすれば、暴行の故意で殴って死なせれば傷害致死罪の故意は満たす)。
甲に傷害致死罪が成立するかを論じる(因果関係が問題。乙の行為によって死期が早まったのでその「早まった死亡」というのは果たして甲の行為との因果関係があると言えるのかというのがメインテーマ。この例は、「(乙という)第三者の故意による(暴行という)行為」が甲の行為の後に介在したという事例)。
というのを書くことになります。
(2)業過致死罪なのは書いてあるわけですから、
乙に業過致死罪が成立するかを論じる。
甲に業過致死罪が成立するかを論じる(乙の不適切な行為の介在が結果を招いたので、その結果との因果関係があるのかどうかを論じる。この例は、「(乙という)第三者の過失行為」が甲の行為の後に介在したという事例)。
ということになります。
(3)傷害致死と書いてあるのですから、
甲ら6名のに傷害致死罪が成立するかを論じる(この例は、「被害者(X)の不適切な行為」が甲らの行為の後に介在したという事例)。
となります。この4つの中では一番書く事が少ないです。
(4)業過致死罪と書いてあるのですから、甲に業過致死罪が成立するかを論じる……のですが、この場合、業過致死罪を不成立として業過致傷罪の成立を認めた上で、更に殺人罪の成立を書かなければいけません(この例は、「行為者(甲)自身の故意行為」が甲の行為の後に介在した事例)。つまり、その死亡は、先の誤射によるものではなくて、楽にするために意図的に撃ったために生じた死亡であることから、誤射との因果関係を否定します。すると、結果との間に因果関係がないので未遂となりますが、過失犯の未遂は不可罰ですから結果、業過致死罪は成立しません。しかし、誤射で瀕死の重傷を負わせたのは事実なので業過致傷罪は成立します。更に、その後の「楽にするため」に撃ったことが殺人罪になることを述べて、罪数は、別々の射撃という行為による犯罪だから併合罪とすることになります。

なお、因果関係学説でどの説をとっても結論はほとんど同じだと思って構いません。

字数がないのでこんなところで。

因果関係を主要な論点とする刑法の問題の解答の例としては、
http://okwave.jp/qa/q5885823.html
で回答しているのでまず読んでみてください(この解答例は条文を指摘していないという欠陥があります)。
一般論として言えば、罪責を論ぜよ、という問題に対しては、
1.該当しそうな犯罪を考える(条文を指摘する)。
2.その犯罪の構成要件に問題の事例が該当するかを検討する。
 2-1.客観的構成要件要素の検討
  2-1-1.実行行為性
  2-1-2.結果(結果犯のみだが質問の事例は全て結果犯)
  2-1-3....続きを読む

Q結果無価値と行為無価値について

結果無価値と行為無価値について

現在ロースクール2回生(既修1回生)のものです。 題名の通り、結果無価値と行為無価値についての質問です。

最近、「新司法試験では『結果無価値と行為無価値』の対立に拘泥することには意味がない。(試験対策の答案作成という意味で) 事案の事実を正確に評価し、適切な問題解決を図ることを答案で示すことが重要だ。 また、学説の争いにはまりこむより、判例が最も重要だ」というような言葉を頻繁に聞きます。

しかし、行為無価値の論者と結果無価値の論者では大きく論証は異なりますし、答案上にも大きな差が出てくると思います。(特に規範部分において) そこで、上のような発言の意図はどういうことかわかりやすく説明してただけるでしょうか?
 単に、結果無価値論者の立場からでも行為無価値論者の立場からでも、いずれにせよ同じような結論が導かれるのだから、どちらをとってもさほど不都合はない。 結局、論理の筋が通った妥当な結論さえ出せれば、それで良い。 というようなことを意味しているに過ぎないのでしょうか?

ちなみに、現在、私自身は刑法総論は西田典之「刑法総論」(第一版)を使っており、既に3回ぐらいは通読しています。また、既に論証は学部時代からのものを含め、たいていの部分につき既に自作しております。 (学部時代に山口厚「刑法総論」(第二版)も読んでいました)
しかし、判例理論と大きく異なる部分もあり、心配なところがあるので質問させていただきました。 

回答よろしくお願いします

結果無価値と行為無価値について

現在ロースクール2回生(既修1回生)のものです。 題名の通り、結果無価値と行為無価値についての質問です。

最近、「新司法試験では『結果無価値と行為無価値』の対立に拘泥することには意味がない。(試験対策の答案作成という意味で) 事案の事実を正確に評価し、適切な問題解決を図ることを答案で示すことが重要だ。 また、学説の争いにはまりこむより、判例が最も重要だ」というような言葉を頻繁に聞きます。

しかし、行為無価値の論者と結果無価値の論者では大きく論証は...続きを読む

Aベストアンサー

「新司法試験では『結果無価値と行為無価値』の対立に拘泥することには意味がない。(試験対策の答案作成という意味で) 事案の事実を正確に評価し、適切な問題解決を図ることを答案で示すことが重要だ。 また、学説の争いにはまりこむより、判例が最も重要だ」(以下、本件見解と記す)。

新司の過去問を制限時間を設けて解かれたことがあるならばお分かりになると思います(もちろん刑訴も一緒に4時間で)。とにかく時間が足りません。限られた時間の中で事案を「丁寧に」分析し、論理的に筋の通った論述をし、合格答案を書くためには答案のメリハリづけが必要とされます。結果無価値と行為無価値の対立に拘泥することは、つまり一般的に配点が低いと考えられている規範部分に相当の時間をかけることを意味します。判例と違う立場で論述する場合には判例を批判し、自説が正当であることを説得的に述べなければなりません。これは容易なことではなく本来ならばそれだけで何日もかかってしまうような作業です。適当に批判を書いて自説を展開すれば、場合によっては「判例のこと全然勉強できてないじゃないか」と思われかねません。
ですから、規範部分は多くの受験生が書いてくると思われる判例で通し、事実の抽出・評価部分で独自性を発揮した方が得策といえると考えます。
また、試験委員も判例を前提として問題を作ってきますから判例に乗っからないと事実の抽出・評価部分で丸々落とすということにもなりかねません。例えば、正当防衛で防衛の意思の有無が問われているときに防衛の意思不要説に立てば、他の受験生が書いてくる部分が自分だけ0点という事態になってしまいます。

ただ、注意して頂きたいのですが、規範部分はいついかなる時も薄くあっさりと書けばいいというわけではありません。問題文を読んで理論面の深い理解が問われているなと感じたら(例えば、原因において自由な行為の理論に関する問題)当然規範部分に大きな配点があるでしょうから、それに応えねばなりません。試験会場で瞬時に出題趣旨を察知する能力も問われているということです。


ロースクールに入って法律を勉強する目的は、いい法律家になるための力を養うことにありますから学説の対立について深く考えることは必須だと思います。このような考える力が合格後に大いに役立つことは間違いありません。しかし、試験を受ける目的は何でしょうか?専ら合格すること、ではありませんか?もしそうお考えならば「限られた時間の中で合格答案を書くにはどうすればいいのか」をとことん考えてみてください。そうすれば、本件見解の意味も分かってくるのではないでしょうか。

以上、駆け足になり雑な文章になってしまいましたが、参考にして頂けたら幸いです。

「新司法試験では『結果無価値と行為無価値』の対立に拘泥することには意味がない。(試験対策の答案作成という意味で) 事案の事実を正確に評価し、適切な問題解決を図ることを答案で示すことが重要だ。 また、学説の争いにはまりこむより、判例が最も重要だ」(以下、本件見解と記す)。

新司の過去問を制限時間を設けて解かれたことがあるならばお分かりになると思います(もちろん刑訴も一緒に4時間で)。とにかく時間が足りません。限られた時間の中で事案を「丁寧に」分析し、論理的に筋の通った論述をし...続きを読む

Q刑法上では結果無価値論、行為無価値論、二元論の中での通説多数説はどれですか?

刑法上では結果無価値論、行為無価値論、二元論の中での通説多数説はどれですか?
この中の3つの学説で多く取られてる学説の中で順番はどれですか?

Aベストアンサー

通説は二元論です。

結果無価値論と行為無価値論はどちらが
多いんですかね。
純粋な行為無価値論を採用している学者は
いないと思うのですが。

理論的には、結果無価値論の方がすっきり
していて、好きなんです。

以下、wikより。

日本の刑法学界では、団藤の後継者にして東大最後の行為無価値論者の教授である
藤木英雄が夭折し、また、皮肉なことに、ヴェルツェルの紹介者の一人であった
平野龍一が改説して「結果無価値論」を主張し、
多くの門下生を育てたことにより、現在では、「結果無価値論」も有力になっており、
その論者の中には「行為無価値論」は時代遅れとする意見が多いが、
実務では、現在でも「行為無価値論」が主流であると言われている。

Q抽象的事実の錯誤

刑法の抽象的事実の錯誤について質問です。
抽象的事実の錯誤は、異なった構成要件の錯誤という事ですが
(例)甲はライフルを手に入れたので、マネキンを撃ったが
実はそれは乙である乙を死亡させてしまった という場合ですが
 抽象的符号説では、刑法38条の範囲内において故意を認めるとして
結果に対しての責任を重視するとしますので
器物損壊罪と過失致死罪の観念的競合になると考えていいのでしょうか?

法定符号説では、原則として故意は認められないとしますが
軽い故意の重なり合う限度で故意を認めるとしますが
器物損壊罪と殺人罪では重なり合いがないので
無罪となるということでいいのでしょうか?

(例2)甲はライフルを手に入れて乙に向かって
発砲したが、実はマネキンであった という場合

抽象的符号説では、重い故意で軽い罪の結果を発生した場合
重い罪の未遂と軽い罪の既遂となるので
殺人未遂と器物損壊罪となると考えていいのでしょうか?
だとすると実際乙は死んでいるのに殺人未遂となるのでしょうか?

法定符号説ですが、甲は人を殺すという規範には直面していますが
器物損壊の規範には直面していないとなりますが
ですが殺人と器物損壊では重なり合いがないので
無罪となるのでしょうか?

刑法の抽象的事実の錯誤について質問です。
抽象的事実の錯誤は、異なった構成要件の錯誤という事ですが
(例)甲はライフルを手に入れたので、マネキンを撃ったが
実はそれは乙である乙を死亡させてしまった という場合ですが
 抽象的符号説では、刑法38条の範囲内において故意を認めるとして
結果に対しての責任を重視するとしますので
器物損壊罪と過失致死罪の観念的競合になると考えていいのでしょうか?

法定符号説では、原則として故意は認められないとしますが
軽い故意の重なり合う限度で故...続きを読む

Aベストアンサー

例1の最初の質問はそのとおりです。
抽象的符号説は、
軽い罪をするつもりで思い結果が生じた場合には、
軽い罪につき故意の既遂、重い罪につき過失が成立します。
逆に重い罪をするつもりで軽い罪が実現した場合には
重い罪につき未遂、軽い罪につき既遂が成立します。
いずれにしろ軽い罪については既遂が成立します。

例2の最初の質問なのですが、乙は死んでいませんよね・・。
乙に発砲したが実際はマネキンであったとあるので。
殺人未遂と器物損壊ですね。

例1、例2の2番目の質問ですが、重なりあいが認められないので、
故意犯は成立しません。ただ、過失犯の成立する余地があります。
例1でしたら過失致死が成立すると思います。
例2の場合には、過失の器物損壊は不可罰なので、なにも成立しません。

Q刑法の違法性と構成要件についてです。

刑法の違法性と構成要件についてです。

(1)行為無価値2元論では、


違法=結果無価値+行為無価値(態様)
責任=行為無価値(心理)


と解します。
そうすることで構成要件として類型化する際、結果無価値のみでなく
行為無価値をも取り込めるゆえ、結果的に無実になる人を構成要件の段階で
排除できるからです。

さて巷では
構成要件=違法・責任類型
という標語が一般的になっております。
実はそこのところがよくわかりません。
なぜなら構成要件は責任要素を類型化しないでも十分役割を果たせるからです。


たとえば同じ殺意があっても、明確な殺意なのか、未必か、過失か、によって
今回は199条の構成要件なのか、210条か、205条かが変わってきますが
そうした選定は
違法要素のみでまかなえるのではないでしょうか?
違法=行為無価値も含まれているのです。

それなのになぜ責任要素も取り入れる必要があるのでしょうか?




(2)具体的に、構成要件に行為無価値が取り入れられたことがわかる項目(犯罪名や論点)はなにになりましょう?
とくに、客観的構成要件(実行行為、結果、因果関係)に加味された事例を知りたいです。



(3)(2)で挙げられたものは、結果無価値論者によればどう主張しているのでしょうか?

刑法の違法性と構成要件についてです。

(1)行為無価値2元論では、


違法=結果無価値+行為無価値(態様)
責任=行為無価値(心理)


と解します。
そうすることで構成要件として類型化する際、結果無価値のみでなく
行為無価値をも取り込めるゆえ、結果的に無実になる人を構成要件の段階で
排除できるからです。

さて巷では
構成要件=違法・責任類型
という標語が一般的になっております。
実はそこのところがよくわかりません。
なぜなら構成要件は責任要素を類型化しないでも十分役割...続きを読む

Aベストアンサー

>(1)行為無価値2元論では、
>違法=結果無価値+行為無価値(態様)
>責任=行為無価値(心理)
>と解します。
>そうすることで構成要件として類型化する際、結果無価値のみでなく
>行為無価値をも取り込めるゆえ、
>結果的に無実になる人を構成要件の段階で排除できるからです。

これの意味が解りません。
そもそも結果無価値論と行為無価値論の対立は、「違法性」をめぐる対立ですから、その反映として責任論に影響が出ることがあっても、
>責任=行為無価値
という書き方はしないでしょう。
この部分、何が言いたかったのかもう少し解り易く書いてくれると解説し易いです。

以下、ご質問にお答えします。

>さて巷では
>構成要件=違法・責任類型
>という標語が一般的になっております。

まず、これは言い過ぎです。
むしろ佐伯仁志先生などの少数有力説でしょう。

前提として解ってほしいのは、違法・有責類型説は、(理論的には)結果無価値論から採られる(結果無価値論だから必要とされる)見解だということです。
なぜなら、山口厚説のような違法類型説を前提とする結果無価値論によれば
>構成要件は責任要素を類型化しないでも十分役割を果たせる
とは言えないからです。

>199条の構成要件なのか、210条か、205条か
>そうした選定は違法要素のみでまかなえるのではないでしょうか?

これが言えるのは行為無価値論のみです。
行為規範性を重視する行為無価値論は、違法性の段階から故意と過失を区別します。つまり、「行為こそが重要」という観点に立ったとき、自ずと「わざと死なせる行為」と「うっかり死なせる行為」とは、異なる行為規範違反性をもった行為だと判断されるのです。違法性のこうした違いが、違法類型たる構成要件に反映され、199条と210条は異なる構成要件だと解されることになります。

したがって、
>(2)具体的に、構成要件に行為無価値が取り入れられたことが
>わかる項目(犯罪名や論点)はなにになりましょう?
というのは、典型的には故意・過失です。
あるいは、
>客観的構成要件(実行行為、結果、因果関係)
を言うのであれば、実行行為概念における一般生活危険の概念や、相当因果関係説の折衷説を考えれば良いでしょう。

こうした行為無価値論に対し、結果無価値論は、違法性の段階では故意犯と過失犯を区別せず、責任段階で両者を区別します。

「結果こそが重要」という観点に立ったとき、故意犯だろうが過失犯だろうが、そこにある違法性は「人の死」であって、両罪は同じだけの違法性だと考えられます。したがって、殺人罪も過失致死罪も「人の死を惹起した罪」という1種類の違法性の中にあるということになります。そのため、違法類型説では、構成要件では両罪は区別されないことになります(199条と210条は同一構成要件に属する異なる犯罪類型)。

では、両罪の違いはどこに現れるか。それが責任です。「人を死なせた」という違法だとしても、「わざと」か「うっかりか」は、どの程度「責められるか」という観点から違いが出てきます。こうして、殺人罪と過失致死罪は、責任段階で区別されることになる、というのが結果無価値論からの帰結です。

したがって、結果無価値論から、構成要件を違法類型だと理解しただけでは、199条と220条の構成要件レベルでの峻別は不可能になります。
しかし、それではあんまりにも自由保障機能が弱いから、結果無価値論を前提としつつも、やっぱり構成要件段階で両者を区別しないとと考える人が出てきました。そうした人たちが主張するのが違法・有責類型説です。やっと故意・過失が区別される責任を、構成要件として類型化すると考える事で、初めて、結果無価値論からでも199条と220条の構成要件を区別する事ができるのです。

>(1)行為無価値2元論では、
>違法=結果無価値+行為無価値(態様)
>責任=行為無価値(心理)
>と解します。
>そうすることで構成要件として類型化する際、結果無価値のみでなく
>行為無価値をも取り込めるゆえ、
>結果的に無実になる人を構成要件の段階で排除できるからです。

これの意味が解りません。
そもそも結果無価値論と行為無価値論の対立は、「違法性」をめぐる対立ですから、その反映として責任論に影響が出ることがあっても、
>責任=行為無価値
という書き方はしないでしょう。
この...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報