私はプライドの初期の頃から総合格闘技に興味を持ち、現在もいくつかの団体を観ています。 ただ、それ以前はボクシング、プロレス等格闘系は全く興味が無かった為(現在も)、総合格闘技がどうやって始まったかよく知りませんでした。 自分なりに調べたところ、初代タイガーマスクである佐山聡が修斗を立ち上げたのが最初であるようなのですが・・・・。
つまりこれは世界初の総合格闘技団体であったという事でよいのでしょうか? 総合格闘技は日本から始まったと・・・。
偶然にも佐山聡氏は私と同郷で、同じ中学校の先輩ですのでよりいっそう興味があります。
よろしくお願いします。
A 回答 (12件中1~10件)
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No.1
- 回答日時:
たしかに今の総合格闘技の元となったのは佐山聡が創始した修斗ですがその修斗はUWFというプロレス団体が元になり始まりました。
またUWF以前から日本には日本拳法という総合格闘技が存在してますね。今の総合格闘技は修斗がバーリ・トゥードとアクセスしたことにより誕生したものです。ブラジルのバーリ・トゥード→アメリカのUFC→日本の修斗といった流れで日本に輸入されました。No.2
- 回答日時:
修斗の語源であるシューティングをはじめて世間に出したのが、第一次UWFですね。
そもそも前田日明がエースとして立ち上がった純プロレス団体でしたが、新日本を辞めてスーパータイガージムを興し、マーシャルアーツ的なムーブを主体としていた佐山が参戦すると、格闘技的な動きを主体にしたシューティングプロレスを標榜するようになりました。当時としては、華やかさに欠ける、リアル版の異種格闘技戦という趣でした。しかし、第一次Uの晩年、リアルファイトに完全移行しようとする佐山と、プロレス的なものに未練があった前田らとの間に溝が生まれ、結局佐山は離脱し、修斗を起こすことになったのです。
ただ、そのころの(今で言う)総合は、マーシャルアーツの亜流で、むしろ頓挫したプロ空手の選手を中心に立ち上げられたシュートボクシングのほうが、投げ技、関節技を取り入れて、総合に近かったのではないかと思われます。
まあ、総合ってのが、何でもあり=バーリテュードュということなら、それ以前のアントニオ猪木の異種格闘技路線や、さらにそれ以前の他流試合の数々(大山倍達や木村政夫のプロレス試合、柔道VSグレーシー一門など)も、その歴史に入るものだとは思います。(真剣勝負だったかどうかというのは別にして)
まあ、佐山と格闘技の出会いは、若手時代にキックの助っ人として担ぎ出された、マーシャルアーツのコステロとの異種格闘技戦だといわれていますね。それからキックの威力に注目し、やがてそれがイギリス修行時代の「拳法の達人」サミー・リー、タイガーマスクのソバット系のムーブに繋がったと。さらにそれに、メキシコやゴッチから学んだ関節技を融合させたのが、スーパータイガー時代のムーブで、それが修斗の元になったということでしょう。
No.3
- 回答日時:
前田光世って聞いたことあるだろ?
この日本人柔道家がブラジルに渡って他流試合してたんだよ。
それでエリオ・グレイシーに戦う技術を教えて、エリオがブラジルでバーリトゥードの試合をしょっちゅうしてたわけ。
ブラジルではマイナーだけど昔からこの手の試合はやってた。
もうずっと昔の話さ。
エリオ・グレイシーとは
前田光世は兄カーロス・グレイシーやエリオを含む5人兄弟に柔道(柔術)の技術と精神を教えていた。
その後、カーロスとエリオは、グレイシー柔術の技術体系を築き、エリオは「グレイシー柔術アカデミー」総裁となる。
1930年代からバーリ・トゥードを戦い始め、約20年間無敗を誇りブラジルスポーツ界の英雄となる。
No.4
- 回答日時:
古代ギリシャ、ローマの総合的な闘技であるパンクラチオンや、19世紀に既にイギリスで行われていた禁じ手の少ないボクシング(蹴り、投げ、絞め技も認められていた)などのことではなく、いわゆる今日的な総合格闘技の起源ということで述べたいと思います。
日本拳法は確かに突き蹴り投げ関節を含む総合武道ですが、もともとは剣道の一本に影響された防具式のポイント制を採用しており、KO、ギブアップを目的としていません。戦前からの歴史があり自衛隊の徒手格闘に採用されるなど優れた術理を有していますが、現在の総合格闘技のムーブメントへの影響は少なかったと言えます。ポイント制のため試合中、打撃においてもしばしば中断されたり、寝技への比重も少ないです。
これは、戦後、台湾で行われていた散打も同じで、打撃に投げを加えたルールでしたが世界的な競技へとは発展しませんでした。台湾の散打も主に防具をつけてのポイントルールです。現在盛んな中国散打も打撃に投げOKというものですが、トランクス姿でグローブをつけて殴りあうなどムエタイやK-1の影響が見て取れます。
日本における総合格闘技の動きは1984年に佐山聡の創始したシューティングが始まりですが、これは新日本プロレスのレスリングに、独自に修行した目白ジムのキック、カール・ゴッチのキャッチレスリングなどが加わったものでした。ですが、それ以前に佐山は競技武道である柔道をやっていたのと、更には、1981年に元極真全日本王者、東孝が興した大道塾の影響を受けています。東もまた柔道出身でした。
大道塾のKO、ギブアップを目的とした「突き蹴り投げ関節」という総合志向は、誕生当時、非常に斬新なもので空手や格闘技界への影響は大きかったと思います。(当初はグランド、寝技は少なく立ち技重視だったが) 月刊空手道の出版元で、大道塾のビデオを販売していた福昌堂まで佐山自らが購入に来て、非常に謙虚な態度で「勉強させていただきたい」と言っていたと当時編集部にいたライターが本に書いています。
佐山はタイガーマスクを経て、UWFにおいて自身のパンクラチオン思想、シューティング(真剣勝負)を実現させようとします。UWFスタイルの技術的な先駆者は佐山でした。しかし前田日明の反対で真剣勝負の試合興行は頓挫します。結果、UWFスタイルの発案者である佐山がUWFを離れシューティング(修斗)を立ち上げます。また若手の船木誠勝も真剣勝負を前田に訴えますが、これも時期尚早と跳ねのけられました。
だが佐山の蒔いた種は生きていました。破れはしたがヒクソン・グレイシーと戦った高田延彦、そしてそこから育った桜庭和志、同じくヒクソンに負けた船木誠勝と、後に真剣勝負路線を志向したパンクラス、これらはグレイシー柔術が引き金を引きましたが、佐山の提唱したパンクラチオン思想、シューティングの技術が土台、根底にあったからこそ成長できたのだと思います。
佐山のシューティングはしばらく興行的に低迷していました。しかし中井祐樹とヒクソンの試合をきっかけにあらためて注目され、佐山がトップを退いた後に後進の興行的努力によりブレイクします。
海外では弟子の中村頼永がアメリカにおいて紹介し話題になり、勝手にシューティングを名乗るところまであらわれましたが、しかし、当初これは大きな動きにはなりませんでした。
アメリカにおける総合格闘技の興りは、やはりアルティメット、UFCです。オクタゴンの中で実際に異種格闘技戦を行うことで一気に熱が高まっていきました。そして、プロレス、キック、空手、アマチュア相撲などの選手がいるなかで見事に頂点まで駆け上がっていったのがグレイシー柔術でした。
グレイシー柔術の存在が知られるようになると、アメリカの打撃系の道場が次々とJiu-jitsuの看板を掲げるようになり、柔術、総合系の大会も開かれアマチュアの競技人口も急激に増加します。また日本においても柔術の道場、同好会が次々と生まれ、シューティングにもグレイシー柔術の技術が導入されました。
グレイシー柔術の源流は、ブラジルで前田光世がグレイシー一族に伝えた柔道です。前田はカーロス・グレイシーに柔道と護身術を教えました。ヒクソン、ホイスの父であるエリオ・グレイシーは前田からは直接習ってはいませんが兄カーロスの影響で柔道に励み、力の無い者が勝てる柔術の研究に勤しみます。
後にエリオは木村政彦との試合に敗れていますが、立ち技においても寝技においてもエリオは木村の技術になすすべが無かった。
そして木村に寝技を伝えたのが師の牛島辰熊で、その牛島は旧制六高(岡山大学)で野上智賀雄から寝技を習っていました。六高の道場では三角絞めや膝十字固めなど、今日の柔術、サンボで使われる技が生まれています。「野上智賀雄こそが日本柔道史上最強の寝技師」 「野上の技術だったら東京五輪のへーシングの袈裟固めを返せていた」と言われています。それほど当時の旧制高校、高専柔道の寝技は優れたものでした。
しかし高専柔道、寝技重視のルールは講道館によって排斥されていきます。寝技では講道館側はまったく勝つことができなかったからです。
日本で生まれ、ブラジルで発展し、アメリカにおいて実証、実験が行われた、そして互いに影響し合って生長している、というのが本当のところだと思います。
No.5
- 回答日時:
注意#4
>大道塾のKO、ギブアップを目的とした「突き蹴り投げ関節」という総合志向は、誕生当時、非常に斬新なもので空手や格闘技界への影響は大きかったと思います。
大道塾が寝技を取り入れたのはシューティングができたずっとあとです。よってこれは間違い!!
No.6
- 回答日時:
>大道塾が寝技を取り入れたのはシューティングができたずっとあとです。
よってこれは間違い!!大道塾発足当時から東孝はたびたび「突き、蹴りだけでなく、投げや関節、寝技もやりたい」と発言していました。しかし、あくまで空手として立ち技を重視するという方向性も崩しませんでした。
現に大道塾の市原海樹がホイス・グレイシーと戦う以前に、市原は本部にて寝技の練習、指導も行い、その時の様子を同じ大道塾の松原隆一郎が文章にしています。大道塾は麻生秀孝のサブミッション・アーツ・レスリングと交流があり市原はその有段者でもありました。(それ以前は現・和術慧舟会の西良典が大道塾の寝技の体系化に努力していた) 市原・ホイス戦は1994年であり、市原は初めてUFCで戦った日本人です。
大道塾は立ち技の技術を伸ばすために、試合では立ち技を重視する姿勢を見せていたが、本部道場内では寝技も稽古していた。それがグレイシー柔術戦から試合での寝技を重視するようになった、というのが正しいです。
「大道塾のKO、ギブアップを目的とした「突き蹴り投げ関節」という総合志向は、誕生当時、非常に斬新なもので空手や格闘技界への影響は大きかったと思います。(当初はグランド、寝技は少なく立ち技重視だったが)」
私は正確にはこう書いています。
No.7
- 回答日時:
注意#6
>「大道塾のKO、ギブアップを目的とした「突き蹴り投げ関節」という総合志向は、誕生当時、非常に斬新なもので空手や格闘技界への影響は大きかったと思います。(当初はグランド、寝技は少なく立ち技重視だったが)」
事実を書くなら正確に書いてください。私は大道塾の経験者です。大道塾は当初、打撃と投げのみのルールでした。それが再延長のときのみ15秒限定で2回までグランドがOKになったのは1993年です。本戦からグランドが解禁になったのは1995年でした。最初は15秒間その後20秒、30秒と増えていったのです。寸止めのマウントパンチで効果を取るようになったのは1996年ですね。シューティングは1984年の設立当初から打撃・投げ・寝技を取り入れていました。大道塾は寝技の技術的には後発です。確かに当初SAWとは交流していましたがSAWの技術は実践では使えないことがわかったため大道塾は修斗との交流に移っていきWARSなどを開催しています。
現在においても大道塾では殆ど寝技の練習はしません。全く練習のしない支部もあるくらいです。ですので現在の総合格闘技には大道塾の影響など1ミリもありません。むしろ大道塾の進化にこそUFCや総合格闘技が大きく影響しているのです。
No.8
- 回答日時:
ブラジルのバーリ・トュードについて補足説明します。
前田光世から柔道を習ったカルロス・グレイシーは前田の死後、リオ・デ・ジャネイロで道場を開きます。しかし、この段階ではカルロスの技術は力を用いた技や、立ち技、投げ技も多かったといいます。
現在のグレイシー柔術の体系の基礎を作り上げたのはカルロスの弟エリオで、力の無い体力的に劣る者でも勝てる技術、寝技主体の研究に尽力しました。そして、それは息子のホリオン、ヒクソン、ホイラー、ホイスたちに受け継がれていきます。
50年代、エリオ自身も他流試合に打って出て、日本人柔道家に勝つなど実績を上げていました。(木村政彦に敗北した試合は1951年)
驚くべきことに60年代にはこうした他流試合がテレビ中継され「バーリ・トュード(なんでもありの闘い)」というタイトルの人気番組になり、エリオの弟子たちが参戦し無敗を誇っていました。
しかし、「なんでもあり」と言っても、この当時は柔術VS柔道、柔術VSレスリング、柔術VSボクシングといった形式の試合も多く、なにをやってもいいとしつつも、それぞれの選手には専門技術があり、今日のような総合格闘技とは違います。グレイシー柔術もやはり柔術の名の通り組み技、寝技中心で、打撃は誘いだったり寝技の際の補助的な攻撃として用いていました。
ここは評価が分かれるかもしれませんが、現在のような打撃、組技、寝技が均等にある体系立った総合系格闘技は、キックボクシング、空手などの打撃が一度普及した後に始まったと思います。
これは打撃系の道場が多かったアメリカの西海岸でもそうですし(今は柔術、総合系が多い)、日本ではそれ以前に空手の大道塾、キック経験のある佐山のシューティングがそうです。
(ちなみにアメリカでキックボクシングが知られたのは、日本の沢村忠のキックブームがアメリカの格闘技雑誌に紹介されたのが始まりであり、ヨーロッパキックは、極真の黒崎健時がタイ遠征後に指導したオランダ目白ジムが源流です。)
93年11月にスタートしたアメリカのUFCは当初、柔術、キック、プロレス、空手、相撲などの専門を持った選手たちが参戦した異種格闘技大会であり、UFCが回を重ねるごとに総合系の選手が育っていきました。
そして、やはり世界的に見ても、打撃、組技、寝技全てそろった総合格闘技の原型は日本が最初だと思います。(強弱は別として) それが強敵グレイシー柔術との交流で寝技がより深まったというのが正しい見方だと思います。
以前書いたことと重複することもありますが、日本の総合系団体の動きを時系列的に書いておきます。
81年に元極真の東孝が総合志向の空手団体大道塾を設立、83年の技術書「格闘空手」においても「闘いとは全身的なものであり、突き、蹴り、投げ、関節、絞めがあるのが現実的」 「最初は突き、蹴りだけで2年はかけ、続いて投げ、それから関節、絞めの稽古をするといい」と述べています。しかしあくまでも空手として打撃、立ち技を試合の中で重視する姿勢は崩さず、「関節、絞めを制限なしに取り入れてはいけない(空手ではなくなる)」とも言っています。
大道塾は総合化を目指し、関節、絞め、寝技の有効性を認めつつも、惜しくも空手という枠組から試合で制限せざるを得なかった。(これにより各道場ごとに練習体系にバラつきが出た。これは現在でもそうで、本部で柔術を習えますが必ずしも全員が学んでいるわけではない)
だが東は「空手という枠を超えて(将来的に)総合的なものをやってみたい」という趣旨の発言もしています。独立当初、東は空手を捨てて闘道という総合武道をやろうとしていました。(現在は着衣総合格闘技、空道という名称に変え総合的な武道を行っている)
83年、84年の大道塾王者、西良典は試合で投げた後に袈裟固めで抑え込んでいます。西は拓大柔道部出身で木村政彦から指導を受けていました。しかし試合では上述の東の考えから寝技の完全解禁は行われなかった。その後、西は本部道場にて寝技の体系化に尽くした後に87年に退会し慧舟会として独立、より組み技、寝技志向の格技を目指す。大道塾は86年からサブミッションアーツレスリングと交流、本部で寝技の稽古が行われるも試合ではまだ寝技に制限があった。寝技の解禁は94年から。ちなみに佐山が大道塾のビデオ「格闘空手」を購入したのは83年です。
佐山は84年にシューティングを立ち上げますが、5カ年計画を立て選手を育成、キック、レスリング、サンボの専門家から指導、アドバイスを受けて技術、ルールを体系化します。89年にはじめてプロが誕生しますが、しかし鎖国状態が続き、多団体とはじめて交流したのが93年です。
シュートボクシングは、UWFで前田や高田にキックを指導したシーザー武志がカール・ゴッチのアドバイスを受けて立ち上げた格闘技で、キックに投げと立ち技関節を取り入れたものです。プロとして初の興行試合は85年です。
最後に
佐山はもともとは総合化が頭にあったのだと思います。だからこそキックを習いに行ったのだと思います。また大道塾のすべてに影響を受けたのではないとも思いますが、しかし大道塾の総合志向というコンセプトは明らかに今までに無い斬新なもので与えた衝撃は大きく、空手出身の私もその前後の空手界、格闘技界の変遷をよく覚えています。
打撃、組技、寝技の専門家を呼んで体系化に努力したのは佐山であり評価に値すると思います。
佐山は93年1月、弟子の中村頼永との対談において、実はグレイシー柔術にも影響を受けていたことを告白しています。対談当時、日本でグレイシー柔術はまだあまり知られていない存在で、グレイシー人気にあやかって述べたのではないことは確かです。ただ、グレイシー柔術の技術的な影響はこの時点のシューティングに見つけることはできません。ブラジルにバーリ・トュードというなんでもありの試合がある、驚いたというニュアンスで述べていて、これはそのルールに影響を受けたということだと思います。
No.9
- 回答日時:
大道塾の試合において本戦からグランドが解禁になったのは1994年です。
それをもって解禁は1994年としました。
「94年のルール改正では、それまで認められていなかった本戦での寝技が解禁とされた」(「格闘王1」グレイシー柔術と組技格闘技ニューウェーブより)
No.10
- 回答日時:
大道塾とシューティングの公式試合は1996年2月のTHE WARS 3が
はじめてでありシューテング特別ルールで行われました。
○ 九平(スーパータイガーセンタージム) vs 森直樹(大道塾) ●
3-0判定で九平が勝利しています。
東大の松原隆一郎先生の文章の出典はなにか忘れてしまいましたが、家にあると思うので思い出したら書けると思います。大道塾の旧本部にて、市原と寝技をやった時の話でした。松原先生が亀になって逃げようとしたら、亀になるなと注意されたそうです。市原は当時サブミッションアーツレスリングの2段でした。これは松原先生がホイス戦を契機に、それ以前の市原との稽古を回想して書いた文章でした。旧本部では寝技の稽古は行われていました。
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