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私の友達で、あやしげな宗教に入っている人がいます。
勧誘されて、きっぱりと断りましたがまだ懲りずに勧誘してきます。
数年前に別の人から勧誘されたことがありましたが、
そのときは「宗教勧誘」だということに気づかずに集会みたいなのに連れて行かれました。
当時、私は高校生でしたが集会のようなものには、同じように制服を着た高校生や学生らしき人が大勢いました。

何を信じるかは個人の自由ですが、それを強制的に人に押し付けるのは「宗教」とは言えないと思います。
学生ばかり集まっている宗教団体はどういった活動をしているのでしょうか?
なぜ彼らは断ってもしつこく勧誘してくるのですか?
そうまでする理由がわからないので、どなたか宜しくお願いします。

A 回答 (7件)

私の回答ですが強制的に押し付けることも「宗教」のあり方です。


「宗教」というのは独善的に出来てまして、
日本に多いリベラルな宗教観というのは、実は稀なものなんですよね。
断ってもしつこくするのは、その宗教の教義にもよりますが、
主な理由として、
1 本当に貴方のためだと思っている。
2 断られることこそ修行、試練と思っている。
3 入信させることが、勧誘者の幸せになると思っている。
4 宗教内の政治的立場を有利にしたくての勧誘。
5 貴方が魅力的だからそばにいて欲しい。
6 金。

等まあ様様だと思います。
言ってしまえば独善的なエゴですが、それで幸せになる
人も少しは居るので何がいいのかは分かりません。
皆さんには十分な判断力を持って、宗教と向き合って欲しいです。

若者を集めて熱心にやってるとなると、思いつくだけで創価、顕正、親鸞会などいろいろありますが、
彼らは基本的には自分自身の成長や、周りの人の幸せのためという趣旨で宗教活動しています。
色々自分のことや、家族のこと、世界平和のことなどを語り合ったり、上からの指導で街頭活動したり、
集会でパフォーマンス(踊るとか)やったり。
色々ですよ。
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はじめまして。

私も被害者の1人となるところでした。今の所に引越しをしてから友人だった人達が入っていた宗教団体が過去にどのような恐ろしいことをしていたかを近くの図書館で知って、引越しを機会に付き合わないことにしました。今の住まいは一階がロックされているところで、電話番号も彼女達のは入らないように電話機を変えて生活しています。宗教抜きでと約束をしたにもかかわらず、私が結婚後違う人間を連れてきてビデオを持ってきたりと、、、、あきれました。彼達、彼女達は私達とは違う感覚を持ってしまっているのでしょうね。学生の時との人格がすっかり変わってしまっていますから。友人としては残念でたまりませんでしたが仕方ありません、家庭の方が大事ですから。
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「新興」に限ってのお話とさせていただくとして(あんまし詳しくないですが)


私が今までに思ったことをまとめると、宗教団体には主催する側(教祖とか)と
それに追従する側(信者)があると思います。

主催する側の求めるものは、名誉、金、それに付随する権力です。
追従する側の求めるものは、本当に信仰だったりすることもありますが
他には、盲目的な安心感、濃密な人間関係、などだと思います。
(もっと簡単に言うと、だます側とだまされる側。だますで言葉が悪ければ錯覚)
その人達が、名誉等を求めると主催する側にシフトして行く事もあります。

>それを強制的に人に押し付けるのは「宗教」とは言えないと思います。

イラク戦争が起こった後に教えて!gooで宗教関連の質問がほんのちょっと
増えた気がして、私は少し不思議な気がしました。たぶん皆さんの頭の中に
「宗教=平和を愛する」「宗教を信ずる=正しい行いをする(しようとする)」
という図式が出来あがっているので、いざ戦争に直面して、宗教界は何をしているのか?
という疑問が起こるのだと思います。

私にとって宗教…というか宗教法人は商売です。
安心や名誉を売って、金銭や労力で支払ってもらう会社だと思っています。
(それも他の同業他社のことは、こき下ろす会社(笑))

本当に宗教的に(?)行動するのなら、見返りは必要としないし、求め無いのではないでしょうか。
(実際にはご飯も食べなきゃならないし、必要経費とかいると思うけどね)

…話がだいぶそれました(^^;

>なぜ彼らは断ってもしつこく勧誘してくるのですか?

彼らが欲しているのは「自分を肯定してくれるもの」だと思います。
簡単に言うと「なるほど!君の言う事で僕は幸せになった!君ってすごいね!」
って言われたい、それか自分でそういう風に「人をしあわせにしてあげた!」と
思って満足し、自分が幸せになりたいのだと思います。

その幸せの定義は主催者側が提示し刷りこんだものであることが多いと思います。
たとえば、勧誘するように、本を配るように、集会に誘うように、は
自主的に考え、始めたものではないでしょう。
実際に言葉で命令された訳ではなくても、幸せのカタログとして
他の会員の方がされているのでした、とかその程度だと思います。

何故誘ってくるか>自分のしあわせを肯定してくれるものが欲しいから
何故しつこいか>サンプルそうしてるから

てことで…長文失礼しました。
しかし、私もまだこれが結論だとは思っていません。
今現在の私の考えでしかないので、またそれとは違う人をみかけたら
考えも現実の存在に合わせて少しずつ修整していくと思います。
現実と違うのにそうだと思いこんでいるのはただの偏見ですしね。
まあ、No.9さんがすっきり説明して下さっているので…この回答は
あまり必要ありませんが(笑)
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>> 何を信じるかは個人の自由ですが、それを強制的に人に押し付けるのは「宗教」とは言えないと思います。



「宗教」より「信仰」と表現した方が正確ではありませんか? 「宗教」だからこそ、強制したり押し付けたりするのですから。
「信仰」は純然たる個人の心の問題で、ご指摘のとおり何を信じるのもその人の自由です。言い換えれば、「自由」は人々の心の中にしか存在しないのですから。
一方「宗教」は、信仰対象を同じくする(と錯覚している)人間たちが群れて作り上げた精神的・物理的集合体です。人間同士の関わりが生じた時点で既に自由はなくなっています。
つまり、「宗教」と「信仰」が本質的に異次元に属していることは明らかです。

>> なぜ彼らは断ってもしつこく勧誘してくるのですか? そうまでする理由がわからないので、どなたか宜しくお願いします。

これが「宗教」の特徴です。
動機はいろいろでしょうが、「群れ」の最大の特徴は、ともかくその勢力を拡大したがることです。会社でも政党でもボランティアとか宗教団体でも、この特徴は共通していますよね。手段も多種多様で、ほとんどの場合、強制や脅しや懐柔が伴います。
だから、時々、布教の目的は自分が体験した喜びを広めることだと解説する人がいても、私は信じることができません。強制や脅しや懐柔で得られる喜びがホンモノのわけがありませんから。
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怪しげな物には必ずといっていいほどお金がからんできます。


宗教勧誘はとってもしつこいです。私も勧誘されたことがあります。
「私は絶対入らない!」ときっぱり断るのが望ましいと思います。
相手に耳をかしてはいけません。
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この件に関してはあえて辛口で行きたいと思います



その宗教は「創価学会」じゃあないですか?
ならば絶対に入ってはいけません
ワタシ学会の被害者を何人も見ています
代表者の「池田大作」は信者をレイプしたという事で問題になっていました

さて新興宗教は突然誰も見ていないところで
奇跡が起きて「教祖」が生まれるという大変都合の良い具合になっています
出来れば目の前で奇跡を起こして欲しいのですが
なかなかやってもらえません 不思議です

信者が何故狂ったように勧誘をするかは
そうする事によってご利益があるとか何とかこれまた
都合のいいことばかりを教え込みます
ここまでくると信者ではなく「患者」といっても良いでしょう
信者の多くは社会のつまはじき者的な要素を持った方が実に多く
誰かの役に立ちたいという心理を巧みにコントロールするので
やっている人間は「悪い事」とは一切思っていません
「どうしてこんなに親切にしているのにわかってくれないに?」
としか思っていませんなのでしつこく勧誘してくるのです
熱心な信者はそれしか生きがいがありません


大変迷惑な話ですね
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>なぜ彼らは断ってもしつこく勧誘してくるのですか?


 そうまでする理由がわからないので、どなたか宜しくお願いします。

 その宗教の良さをみんなに味わってほしいのでしょう。
 「気持ちを救われた」というような体験をすると、他の人も
 救ってあげたくなるのでしょう。
 気持ちはわかりますが、ありがた迷惑ですよね。
 そのへんの感覚も麻痺しているから宗教はより妖しく感じますね。
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