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プロの作曲家の方は、世の中に発表されない作曲なんて、
頼まれてもしたくないものでしょうか?
それともプロだったらお金さえもらえれば、
何でもやりますか?

A 回答 (3件)

ご質問の意図が読みきれないのですが。



「世の中に発表されない曲」というのは、どのような曲のことですか?
楽譜が公開されたり、1回でも他人の前で演奏されたりした曲はすべて「世の中に発表された曲」、のように思えるのですが。
それとも、映画・テレビのBGMやCMなど有名メディアで不特定多数に大量に流される曲を指しておられるのでしょうか?

もし、「金ならたくさん払うから一切演奏禁止、楽譜出版禁止、の契約のもとで曲をおれのためだけに作れ」
ということをおっしゃっておられるなら、
作曲家さんの考え次第ではそういうことを引き受けられる人もいるかもしれませんね。
その曲が良い曲になるかは、それはまた別の話で、それも作曲家さん次第だと思いますが。
モーツァルトがレクイエムを書いたのは、金を貰って依頼を受けたからです。
相手が世の中に広く発表してくれるアテなんてない状況下であの有名曲は生まれました。

しかし、一切演奏禁止、楽譜出版禁止のものを作曲してもらったとして、依頼者として嬉しいものですかね?
私なぞは、自分が頼んで作ってもらった曲が世の中で広く知られるようになる、ということを想像するとわくわくするのですが。
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お金さえもらえば何でもやるか、ということですが、これは作曲家だけでなく他の芸術家はもちろん、職業全般に言えることだと思います。



音楽を作曲してそれで食べていくという概念自体は、おそらく教会付きの職業音楽家達のころから生まれたのではないでしょうか。だとするとこれはクラシックの分野に入ってしまうのですが、例えばバッハ・ヘンデルの時代などは、作曲という行為は完全に職業と考えられていて、当人は自分の作品の価値を自覚していたにもかかわらず、それが後世に残ることを期待しなかったものだといいます。音楽家を芸術家と考えるようになったのはベートーベンが最初です。この人が、才能のある音楽家達が芸術活動を糧に生活出来るよう、その地位を確立させるために努力を払いました。

芸術でお金を稼ぐのは、才能の無駄遣い又は不純などと考える方がいるのかもしれません。しかし、どんな職業にしても自分の意に沿わない仕事の依頼は避けられないものだと思います。依頼主が誰なのかとか、どういう機会に依頼されたのかなどに関して、よほど作曲家の個人的な主義主張に合わない場合でもなければ、断わらないとおもいます。プロというものは、個人的都合で仕事を断ったりするのは出来るだけ避けるべきなのでしょうが、自分で納得できるような仕事が出来る環境でない場合については、そのようなことが起こります。本当のプロかどうかとは、残した仕事が完璧又は高品質であるように、常に心がけているかどうかで決まると思います。お金をもらえれば、多少質が落ちても作品を発表してしまう人たちは実際にいるのかもしれません。例えば、バルトークという人は白血病にかかってから作曲した「管弦楽のための協奏曲」は、彼自身の音楽的な流儀から外れた作品だったために、病気で働けなくてお金に困って作曲されたといわれたそうですが、後世に皮肉にも彼の人気作品になりました。逆に画家のゴッホは、現在は誰でも認める天才画家ですが、生前それを認められる人がいなくて、絵が全く売れませんでした。芸術家だって結局、作品が売れなければ生きていけず、芸術活動だって続けていけなくなってしまうのです。

それにしても世の中に発表されない曲を、誰かがわざわざ作曲家に依頼するようなことは実質業務的に考えらにくいと思います。せっかく作曲している途中で計画倒れになるとか、依頼主の都合で使われなくなるといったことはありうると思いますが。それに、音楽家というものは、今浮かんだアイデアをその時点ですぐに作曲したりして、その作品は発表されないままということも良くあります。
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それは、作曲家の質(才能)によるでしょう。




それこそ久石ナントカとか東儀ウンタラのような曲であれば、世に出ようが出まいが、何千もの曲を作ろうが、とりたてて芸術性や特筆性がある訳でも無し、真新しさや音楽史を塗り替える様な革新性がある訳でも無し、同じでしょう。作っている本人もある程度自覚はしていると思います(・・と信じたいです)し、仕事と割り切ってやっているはず・・・つまり報酬さえあればやらざるを得ないでしょう。


ラヴェルは晩年病床で「曲想が頭の中にたくさん溢れていてそれをみんなに聴かせたいのに、もう一文字も曲が書けなくなってしまった」と涙を流したそうですが、そんなアーティストが「世に出さないという条件で」という依頼に、そう簡単に首を縦に振る事はないでしょう。それくらい自らの作品について『常に有意義で、世に送り出されるべき作品』と自負しているはずです。
何より、優れたアーティストにとって一生という限られた期間は、創作するに不足する事はあれど、長過ぎるという事は無いように思えます。
計画されたまま作られずに終わったドビュッシーの残り3つのソナタ・・・幸い完成した前の3つのソナタの出来栄えから察するに、単なる一リスナーながらも、悔やんでも悔やみきれませんね。
真の表現者は、自分の創作に対してある種の使命感を持つものです。現実的に考えて、人が生きていく為にある程度の収入は不可欠ですが、彼等は本来なら、お金なんかに振り回されている暇なんて無いのではないでしょうか。
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